Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2015年2月8日日曜日

『Back to the Future』PartⅠ〜Ⅲを観て―テクノロジーの自己充足と不可視性


2015年、そう今年が『BACK TO THE FUTURE PART2』で設定されていた、まさにその未来ということで小さい頃に観て以来、Huluで全パート一気に鑑賞。

なによりも驚いたのは、エンターテイメントとしての色褪せてなさ。
僕が生まれるよりも前に作られた作品なのに、いま見ても純粋に楽しめる。

PART1はメインのPART2の序章みたいなもので、PART3は若干取ってつけたような印象もある。

たしかに目に見える部分で(宙を浮かぶホバーボードなど)未来として描かれていた街並みにはなっていませんが、見えない部分では予想だにしなかった技術が次からつぎへと生活を一変させていきましたよね。

スマートグリッド、IoT、そもそもiPhoneなど。

あ、でも噂によればNIKEの自動靴紐締めスニーカーが実現するらしいんですよね!(「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の自動靴ひも締めスニーカーをNIKEが2015年中に本当に完成させて発売することに

そもそもテクノロジーって“自己達成予言”の最たるものというか、思いついた時点で8割方完成したみたいなもんで、あとは実現に技術が追いつくのを待つだけみたいなところですもんね。