2015年1月26日月曜日

読書『ネット社会の「正義」とは何か 集合知と新しい民主主義』西垣通著

ネット社会の「正義」とは何か 集合知と新しい民主主義 (選書)

元東大情報学環教授・西垣通先生の新著を読みました。
学部生時代、政治哲学を学び、卒論も「正義」をテーマに書いた身としては読まざるをえないテーマ。
それも基礎情報学が専門の西垣先生が、あえて公共哲学で鉄板のテーマである「社会正義」について論じられる、これはそそられますね。

今著の位置づけとしては、『集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ 』の続編にあたるそうで、中心に据えられる概念としては“集合知”(wisdom of crowds)。(スロウィツキーの『「みんなの意見」は案外正しい』なども参照されてます。


集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書)集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ
西垣 通

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「みんなの意見」は案外正しい (角川文庫)「みんなの意見」は案外正しい
ジェームズ・スロウィッキー,小高 尚子

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公共性の高い問題に果たして、集合知は有益なのだろうか。
上記の『みんなの意見は案外正しい』などは群衆の知恵が一個人よりも有能な解を導き出すことを多くの例を交えながら説得的に論じていると一定の評価を与えながらも、まだ読み物の域を出ていないという。

そこでやはり引き合いに出されるのが東浩紀さんの『一般意志2.0』。
今著では終始一貫して、この本が随所で批判的に検討されていく。

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル
東 浩紀

講談社
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他多数の批判と同様に、この本で展開される提案は技術決定論よりなのではないか、無意識の集合をアルゴリズムによって集積するとはいっても、そのアルゴリズムを組むのは人間である。テクノロジーに盲信しているのではないか、という基礎情報学の観点からの批判が加えられる。

そこで集合知の実践可能性をうかがう前に、本の前半では自由主義、功利主義、共同体主義という公共哲学のベーシックな思想潮流の整理が行われる。
筆頭テクストとなるのはかの有名なサンデルの『これからの「正義」の話をしよう』である。
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル,Michael J. Sandel,鬼澤 忍

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リベラル=コミュニタリアン論争という近代政治思想の分野で滔々と闘わせ続けられてきた問題も、実は両者の間に結節点を見出すことができるのではないかというのが西垣先生の主張。
自由主義の制約条件を念頭におきつつ、功利主義の効用関数にもとづいて公共的正義のあり方を検討するものである。共同体主義の共通善はそこで、人びとの道徳観にもとづく判断として、非明示的に作用することになる。
とまあ全体を通じて、理系/文系問わず楽しめる内容になっているのではないでしょうか。

より深く政治思想や正義について専門知識を学びたい人にとっては、僕の学部生時代の指導教官の押村先生が著された『国際政治思想―生存・秩序・正義』がオススメです。

国際政治思想―生存・秩序・正義国際政治思想―生存・秩序・正義
押村 高

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2015年1月19日月曜日

ダイバージェント(異端者)の行き着くところ


戦争の後の荒廃した世界を描いた作品『ダイバージェント』(原題:Divergent)
そこでは秩序を保つため、成人した男女は、適性テストの後、5つの派閥(factions)に属し、人生を過ごすことになる。:無欲(Abnegation)、勇敢(Dauntless)、平和(Amity)、高潔(Candor)、博学(Erudite)。

主人公のベアトリスは無欲の家に生まれる。
普通、所属する派閥は適性テストの結果を踏襲することになり、その結果も生まれた家の派閥通りになるのが通例であった。
ところがベアトリスに下された結果は、どこの派閥にも適正を示さない、極めてレアな異端者(divergent)だった。

秩序を保つため、異端者は徹底的に追われ、消されることとなる。
結果的に彼女は身分を隠しつつ、勇敢の途を選ぶが、そこから博学が仕掛けるクーデターとの闘いが始まる。

世界観やプロットの設定までは良かったのだけれど、あまりにもオチが脆弱すぎて、残念...。

一見、珍しいように思える世界設定もじつはいま生きている世界とそんなに変わらないんですよね。
派閥というのも、職業や階層というふうに読み替えることもできるでしょうし、たとえば高学歴高収入の家に生まれれば、子供もそうなる蓋然性が高くなるというのは、まさしくこの作品で描かれている、無欲の家に生まれれば、その生活を所与のものと受け止め、自らも無欲になっていく。
ただ、主人公のベアトリスはそこから“異端者”という烙印を押されながらも、違う道を歩んでいく。

2015年1月18日日曜日

“シンギュラリティ”の後の世界


劇場で見逃していた『トランセンデンス』を鑑賞。
タイトルのトランセンデンス(transendence)=超越とは「シンギュラリティ」(技術的特異点)のこと。
いわゆる人工知能の技術が発達し、コンピューターが人類の知能を超えるといったところ。
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映画では、夫婦共々天才科学者というキャスター夫妻を中心に物語は進んでいく。
とくに主人公のジョニー・デップ演じるウィル・キャスター博士は人工知能の分野の権威とみられ、『WIRED』の表紙を飾るなど、「PINN」計画という政府と共同のプロジェクトの先頭にいた。(そういえばこの前の『WIRED』で量子コンピューター等大々的に取り上げられてましたね)
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ある日、(おそらく研究費の出資者らと思われる人々向け)のプレゼンを終え、(なぜか聴衆の中にイーロン・マスクがいました笑)歩いていると、テロリストに襲撃されます。
一命は取り留めたものの、実は銃弾に放射線が混合されており、余命は一ヶ月弱と宣告される。
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逆説的ですが、ここから人類のトランセンデンスへの途が始まっていきます。
PINN計画で猿の脳をスキャンし、アップロードすることに成功していたため、同じことを死期間近のキャスター博士に秘密裡に施すことになるのです。

キャスター博士は肉体的な死を迎えます。
そして独りでにコンピューターが始動を開始。
インターネットに繋がった時点で、猛烈な勢いで自己学習を推し進め、生前の博士の何万倍ものスピードで研究を加速させていく。

さて、人工知能ものの映画といえば、『her』など昨今かなりされていますが、この作品で一味加えられているのは、それを阻止しようとするテロリストとの攻防、より踏み込んでいえば人類滅亡への黙示録のように悲観的なサイドから描かれているということ。(オチでいうと、必ずしもそういうわけでもないのですが)
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劇中で繰り返されるセリフは
「人は未知のものを恐れる」
というもの。 

最近では人工知能は自然科学分野においてもっともホットな領野でグローバルレベルでその覇権争いが行われています。
その先端にいるのは恐らくGoogleですが、日本でもこの前ドワンゴが人工知能研究所を開設して話題になっていました。
どちらにせよ、人工知能研究が進み、シンギュラリティのティッピングポイントを超えたとき、待ち構える世界はユートピアなのか、ディストピアなのか。
神はサイコロを振らない。のだろうか。

2015年1月14日水曜日

「アラブの春」の批判的言説分析(CDA)


研究法の講義で発表したものを備忘録として残しておきます。
ある意味メモなので、体系だった論考となっているわけではないので悪しからず。

批判的言説分析で参考テクストとしたのはNorman Faircloughの"Critical Discourse Analysis as a Method in Social Scientific Research"。

<Analytical Framework for CDA>として挙げられている主な手続きとしては、

1. Focus upon a social problem which has a semiotic aspect.
2. Identify obstacles to it being tackled, through analysis of 
 a. the network of practices it is located within
 b. the relationship of semiosis to other elements within the particular practice(s) concerned
 c. the discourse (the semiosis itself)
  ・structural analysis: the order of discourse
  ・interactional analysis
  ・interdiscursive analysis
  ・linguistic and semiotic analysis
3. Consider whether the social order (network of practices) in a sense 'needs' the problem.
4. Identify possible ways past the obstacles
5. Reflect critically on the analysis (1-4)

以下、内容。
***************************************************************************
「アラブの春」というキーワードが想起させるのは言うまでもなく、1968年の「プラハの春」である。社会主義の統制下にあったチェコの人たちが、西側資本主義社会のような自由主義、民主主義を求めて立ち上がったのと同じように、アラブの人たちも独裁から民主化を求めたに違いないという断定が背景にあったのだと思われる。より踏み込んでいえば、民主主義を拡大させる戦略的フレーミングとして「アラブの春」という命名がなされたのかもしれない。
(Cf. 「アラブの春」という用語は西側の構築物であり、アラブの人々は自身で「アラブの春」という呼称は用いない。あくまでも“革命” “反抗” “ルネッサンス”などの用語が用いられる。'Arab Spring Facts You Should Know' Middle East Voices, 2011 Nov. 14)

(「諸国民の春 1848」「プラハの春 1969」「アラブの春 2010」)
ヨーロッパ産のデモクラシーのメタファーがなぜアラブに適用されるのか?
プラハは気候的に寒い、対してアラブは常に暑い。フレーミングには無理がある?
(Cf. 「アラブの春」の端緒となったとされるチュニジアでの「ジャスミン革命」のキッカケとなった野菜商の青年の焼身自殺のわずか二日後、ジャーナリストのMark Lynchは『Foreign Policy』で‘Obama’s Arab Spring?‘という記事を書いている。)

2003年にブッシュ政権がイラクを軍事攻撃し、長期にわたって独裁を敷いていたフセイン政権を倒した背景には、「イラクに民主主義を導入して、中東全体を民主化するキッカケにしたい」という考えがあった。ゆえにチュニジアでのジャスミン革命を端緒に中東で革命が起きると、「イラク戦争に刺激を受けて、他のアラブ諸国も民主化に向けて立ち上がったのだ」と政府関係者は言った。
2005年、当時のライス国務長官は、「これでアラブにも春が近い」などという予言めいたことを言った。
(Cf. 酒井啓子『中東から世界が見える――イラク戦争から「アラブの春」へ』(岩波書店、2014年)20-23頁)
中東から世界が見える――イラク戦争から「アラブの春」へ (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)中東から世界が見える――イラク戦争から「アラブの春」へ (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)
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「春」の政治的な含蓄に関する定義は見当たらないが、政治的文脈における「春」とは市民が政府によって弾圧される暗い時代(冬)が終焉し、暖かで明るい未来を予感させるようになるという意味ではないか。

共通項となりそうなものとしては、
①人民の抗議運動
②体制打倒
③他地域への伝播
ただし、問題となるのは当該国内の市民がというよりも、国外のアウトサイダーからみて「春」に映るのであって、当事者たちにとっては新たなる混沌のはじまりかもしれないということ。
フセイン政権がアメリカの介入によって転覆されたあとに国内情勢が泥沼化したことや、現在のエジプトの状況を鑑みると、アウトサイダーである国家の楽観視とは裏腹に事態は悪化することがある。 

そもそも『アラブの春』なんて呼称をつけたのが、間違いだったのだ。共産党支配に反対して民主化運動を起こした68年の『プラハの春』が、結局はソ連の軍事介入で潰されたように、『春』は、失敗とその後の20年近くの厳冬を想起させる。<中略>『アラブの春』が『春』として世界にインパクトを与えたのは、それが普通の若者たちが素朴で純粋な不満を掲げて集まり、エリートたちが独占する政治経済の中枢の、『外』から物事を動かそうとしたからだ。その新たな運動は、再び古いタイプの権力抗争と派閥の駆け引きに取って代わられて政治ゲームの外に放り出されるのか、それとも新しい政治へと続く道を準備して、これまでの悲しい『春』のイメージを払拭できるのか」
(酒井啓子「エジプト再燃:「春」は続かないのか」中東徒然日記、2011年11月23日より)

※「諸国民の春」「プラハの春」「アラブの春」3つの事例全てで、当初抱かれた期待とは反して自体は悪化していったのは偶然の一致か。

仮説1: 共通の敵(独裁者)を打倒したあと、それぞれの立場が異なりすぎて(アラブの春:リベラル志向、宗教勢力、軍部)一枚岩になれずに目指す社会が確定できない。諸国民の春でいえば、リベラル志向↔(弱体化しつつあったが)キリスト教勢力、軍部↔社会主義勢力。この膠着状態は戦争(外敵)人種(ユダヤ)という新しい共通の敵を設定することでひとまず切り抜けられた。現代の国際社会にあっては、そうした敵の再設定は難しい。 

「春」という西側のラベリング(貼り付け行為)に対して、SNS/マスそれぞれでアラブの人々はどうリアクション(反応)、カウンター(反抗)、無視したのか。Cf. シンボリック相互作用論(Symbolic Interactionalism)
→また、そういったラベリング行為の背後にある戦略、意図、動因はなにか。
・その言葉が使われるメディア(3 つの事例は時代背景が異なる。優勢のメディアも全て異なる。 
・フレームを使う主体(「アラブの春」であれば、当事者であるアラブの人なのか、西欧のアウトサイダーなのか) 
・使われる文脈、表象のされ方㱺埋め込まれた意味の抽出(「プラハの春」であれば、時代背景に“冷戦”があった。
(Cf. 「東欧諸国の国民が求めたものは、政治的自由とその結果としての豊かな社会であった。目指すべき、新たな体制の明確なビジョンがすぐ西隣の西欧諸国に広がっていた。あとは、その理想モデルに従って突き進めばよかったのである。一方のアラブ諸国は状況が全く異なる。もちろん、東欧諸国同様、政治的自由と豊かな社会もアラブの大衆が求めたものであったが、彼らが真に欲したものを一言でいうならば『公正な社会』であった」
(鈴木恵美『エジプト革命- 軍とムスリム同胞団、そして若者たち』(中央公論新社、2013年)
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→「アラブの春」と「プラハの春」は本質的に異なるものである。
アラブの春はチュニジアのジャスミン革命に端を発した運動で、それまで軍事独裁政権が主流だったアラブ諸国に圧政的政府の転覆の波が訪れ民衆による政府交代が進んだことを指す。一方プラハの春とは、旧チェコスロバキアで起こったチェコスロバキア共産党による共産主義改革とソ連による弾圧とその結果の総称。チェコスロバキアの共産党が綱紀粛正と言論弾圧を緩和することで社会主義体制の維持を図ろうとしたところ、ソ連が軍を投入してチェコスロバキアに軍事介入、多くのプラハ市民が虐殺された。しかし改革を否定し従来の一党独裁体制を維持しようとするこの軍事介入によってソ連は逆に共産主義への信頼や羨望が消失しソ連の、そして共産主義崩壊へと続く伏線になった。

→例えば、「プラハの春」でいかに“春”という言葉が受容されていったか、そのプロセス。Cf. プリントメディア(諸国民の春)→マスメディア(プラハの春)→ソーシャルメディア(アラブの春) ↔ナショナリズムの語りの枠組みが俗語革命、出版技術→情報化/デジタル化⇒複製の仕方の変化というように大きな枠で捉えることも可能?
Ex. たとえばユーゴの紛争報道など。 

「アラブの春」という言葉の出自は諸説あるが、ここでは2005年のイラクで民主化の萌芽が一時見られたときにSeattle Timesにおいてこの言葉を用いた保守派評論家のものをテクストに選んだ。

TEXT1: Charles Krauthammer ‘The Arab Spring of 2005- The democracy project is, of course, just beginning.’ The Seattle Times, March 2005

全文をここに転載することはできないので、上記リンクを参照いただきたい。
エッセンスとしては、
Text1は2005年に一時、中東で民主化の機運が高まった頃に書かれたものである。この当時、既に「諸国民の春 1848」や「プラハの春 1968」への対比が見られる。(第二段落冒頭)
(第四段落)では「自由 freedom」という言葉が挙げられ、西欧諸国(特にアメリカ)の価値観のはめ込みがみられる。(そもそもタイトルとして“The Democracy Project”と掲げられていることに注目したい)。(第七段落)では「スペイン内戦 1936」を例に挙げ、「自由 freedom」と「human rights 人権」への希求の同位性を挙げる。

TEXT2には対照的なものを選んだ。
現地で調査を行い、「アラブの春」という言葉に批判的な研究者のものだ。
(「アラブの春」の研究を行う場合、著書や記事が誰によって書かれたのかを精査することは非常に重要だ。eg. 国籍、エスニシティ、バックグラウンドなど)

TEXT2: Maytha Alhassen ‘Please Reconsider the Term "Arab Spring"’ The World Post, February 2012

「アラブの春」という革命への呼称が西側によってなされたことを自己認識しながら、それを批判的に吟味し直すことを提議した、革命から約2年後の2012年に書かれた記事である。現地の学者やメディアは当初から用語への批判的な態度を表していたことを示唆。「アラブの春」という用語は虚構であり、アラブの人が本来求めていたものは民主化ではなく、人間の尊厳であったという。(第一段落)
当初は筆者もそのキャッチーさから「アラブの春」という呼称を用いていたが、現地での調査を通じ、その用語の限界に気づき、「尊厳の革命 dignity=karama revolution」という言葉を使うようになった。広域に波及した革命で、唯一一貫して共通項となっていたのが「尊厳 karama=dignity」だったという。そしてこの革命にはチェルケス人やクルド人などアラブ地域以外の人も参加していたことを忘れないようにとの注意を喚起する。(第二段落最終)
UCLAの歴史学教授 James Gelvinによると、政治的な意味の“春”が含意するのは、一時的な自由への希望の後の挫折=冬だという。(プラハの春等)実際に「アラブの春」という用語が使われ始めた2005年のイラクでの運動の後、すぐに収束してしまったことが思い出される。
(第五段落)The Economistは一貫して“Arab Awakening アラブの目覚め”という用語を使い続けてきたという。背景には独裁への惰眠から目覚め、人々は民主主義へと向かうだろうという観測がみられる。
(第七段落)筆者のMENA諸国での現地調査を通して、アラブの現地民はチュニジアの「ジャスミン革命」という呼称にも嫌悪感を抱いているらしい。 VJ Um AmelのFacebookやTwitterなどのソーシャルメディアの研究の結果わかったのは、現地の人が革命の呼称に使っている言葉は karama, thawra and haqooq (dignity, revolution and rights)ということだった。
最終段落において、「アラブの春」という西側の構築物に対して、あくまでそれはアウトサイダーからみた視点からなされる呼称であり、当事者性に欠けるという批判を加えている。「MENAで起こっている革命は単なる民主化運動ではなく、より根源的な人間の尊厳を求めた蜂起」であるという主張が冒頭より繰り返される。

二つのテクストを並列させて分かることは、「アラブの春」という言葉を巡って、言説的な衝突が起きているということ。
事象の研究に向かう際は、「アラブの春」というフレームの内にあるのか、フレームを外すのかに自覚的になれねばならないという教訓が得られた。

Appendixとして、以下は「春」が政治的な意味合いで使われた事象の一覧である。(Wikipediaを参考に和訳した)
<政治的意味合いで「春」が使われる事象一覧>
・「諸国民の春」(Spring of Nations):1848年革命とも。ヨーロッパ各地で起こった革命。これをうけ、ウィーン体制は事実上の崩壊へと突き進んだ。
・「クロアチアの春」(Croatian Spring):1970年代初頭に起こった政治運動。民主的、経済的改革を要求し、ユーゴスラビアにおけるクロアチアの権利の拡大を図った。
・「プラハの春」(Prague Spring):1960年代後半にチェコスロバキアで起きた政治自由化運動。
・「北京の春」(Beijing Spring):1978年頃から1979年3月まで展開された壁新聞による中国民主化運動。
・「ソウルの春」(Seoul Spring):1979年10月26日、韓国大統領の朴正煕が暗殺された10・26事件(朴正煕暗殺事件)の直後から翌1980年5月17日の非常戒厳令拡大措置までの民主化ムードが漂った政治的過度期を指す。
・「ハラレの春」(Harare Spring):ジンバブエでモーガン・ツァンギライとロバート・ムガベの間で共同統治の協定が結ばれた期間を指す場合に使われた。
・「カトマンズの春」(Kathmandu Spring):ジャナ・アンドランと呼ばれる1990年代にネパールで起きた民主化運動を指すことがある。
・「ヤンゴンの春」(Rangoon Spring):8888民主化運動に続くまでの期間を表す言葉として使われることがある。
・「リヤドの春」(Riyadh Spring):サウジアラビアの2000年代前半の期間を指す場合がある。
・「ダマスカスの春」(Damascus Spring):2001年のハーフィズ・アル=アサドの死のあと、一時言われた期間。
・「杉の革命」(Cedar Spring):レバノン(特に、ベイルート)を中心に、2005年2月14日のラフィーク・ハリーリー前首相暗殺によって発生した一連のデモ活動、市民活動。
・「アラブの春」(Arab Spring):2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、大規模反政府デモや抗議活動を主とした騒乱の総称。2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。
・「カエデの春」(Maple Spring):2012年のケベック学生運動の別称。  
・「バレンシアの春」(Valencian Spring):2012年にスペイン・バレンシアで起こった学生運動の別称。
・「ロシアの春」(Russian Spring):2014年現在の親ロシア派のウクライナにおける衝突を表す言葉として使われることがある。

<考察>
基本的にはアメリカを中心とした西側諸国がメディアを通じ、政治運動を「春」というフレームに落とし込むことで、戦略的に民主化の方向へ導いたのではないか。
内部の当事者がある意味、戦略的に「春」に乗っかることで国際社会の注目を集め、問題を前景化させた例もあるかもしれない。

誰が初めにアラブの春を使ったのか【翻訳】


私は昨日、国連『文明の同盟』のブログ記事に驚かされた。今ではあちこちで聞くようになった「アラブの春」という言葉が『Foreign Policy』誌によって初めて使われ、今では一年経過したMENA地域を変革してきた革命のブランディングにジャーナリストやアメリカの活動家が使うようになったというのだ。

私は『Foreign Policy』が用語を作ったとは思い出せなかったし、それが本当なのかに興味があった。その答えは、うんと、えっと、恐らくだ。

現時点で回顧されることは少ないが、「アラブの春」という言葉を初めに使ったのは、主としてアメリカの保守的な評論家で、2005年の中東における短期間の民主化運動の勃興を指してのことだった。

この年の1月6日―チュニジアの野菜売りモハメド・ブアジジが死亡してからたった二日後―『Foreign Policy』のマーク・リンチは「オバマの“アラブの春”」という記事をポストし、チュニジア、ヨルダン、クウェート、エジプトといった多様な中東諸国が衝突しつつあることを言及した。

新しくパワフルな衛星放送の画像イメージに刺激され、地域全体へと波及していった運動によって人びとがアラブ独裁の停滞からの脱却を夢みて、ベイルートで抗議活動が注目を集めたとき、私たちはオバマ政権に2005年と同等の始まりを見ているのだろうか。今回はソーシャルメディアがアル・ジャジーラの役割を担うのだろうか?結果は変わるのだろうか?

「アラブの春」への言及はForeign Policyのサイトが最初であるし、2011年からのもので私が見つけられた最も初めのものだった。とはいえ読者には冒頭のリンクへ目を通すことを勧める。

レキシス・ノキシスによれば、2005年の事件を除けば、最も最初の言及は1月14日『クリスチャン・サイエンス・モニター』のチュニジア大統領ベン=アリーの追放後の論説だという。

アラブの春?それとも、アラブの冬?

最も小さく、けれども最も安定した国の一つであったチュニジアで抑圧的な指導者が追放されるという民衆蜂起を目の当たりにして、この選択が中東北アフリカの独裁者の前に立ちはだかっている。

次の言及は1月25日のエジプト野党の党首モハメド・エル バラデイへのインタビューDer Spiegel』のものだ。

おそらく我々は今、初めて「アラブの春」のサインを経験しているのかもしれない。(1986年の「プラハの春」と呼ばれる自由民主化運動と同様の)私たちの近隣国はパイオニアの役割を担ってきたエジプトに目を置いている。私の母国が自由と民主主義が花開く最初の国であることを願う。私たちエジプト人もチュニジアで達成されたことができるはずである。

翌日、フランスの政治学者ドミニク・モイシがコラムのタイトルにそれを用いた。

三月中旬にはこのサイトを含め、多くのメディアで「アラブの春」という言葉は広く流布し、それは皮肉にもその言葉の内実が失われ始めていたときだった。

用語は広く使用されているのにも関わらず、アラブの論客や活動家はこの言葉に対していくぶん不快を感じていた。これは何も驚くべきことではない。なぜなら想起される「プラハの春」は短い民主的自由の後、ソビエト軍の戦車によって打ち砕かれたのだから。

しかし、よくも悪くも、誰が初めに使いだしたかにせよ、言葉は行き詰まったのだ。

あなたはいつ初めて「アラブの春」を聞き、もしくは耳にしましたか?コメントで教えて下さい。


著者(Author):JOSHUA KEATING
(元記事:Who first used the term Arab Spring? - Foreign Policy)

※大筋の本意が伝わればと思い、爆速で平易に訳しているので、多分に意訳を含んでいます。誤訳や内容での指摘があればコメントお願いします。

2015年1月11日日曜日

寝こみ期間は絶好のインプット機会になる―最近読んだマンガ5選


年の瀬から体調を崩し、最近までなかなか快復せずにいました。
そのため、外出も最小限に抑え、家で安静にしているようにしました。
普段なら考えられないほどのインプット時間に恵まれ、本、マンガ、映画、一気に消化できました。

その間、2日に1本のペースで原稿も書けたので、総じて生産的な日々が送れたように思います。

本は主に研究のための専門書が中心ですが、リクルートホールディングスの課題図書で頂いた『Running Lean』なども細々と読みました。
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映像の方は映画もいくつか観ましたが中心はドラマ。
まずは年末に『Breaking Bad』を全シーズン観終え、『House of Cards』に移り、一昨日シーズン1を観終えたので、一旦『Game of Thrones』に乗り換えました。
ドラマの話に関しては、また時間を見つけて別で書きたいと思います。
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今回はマンガの話を中心に。
わりと広めに目は通しているのですが、今回はとりあえず5作品。

1.『インベスターZ』三田紀房

インベスターZ(1) (モーニング KC)

『ドラゴン桜』の三田紀房が佐渡島庸平氏率いるコルクと手を組んだ作品。
コルクが主導してる時点で、「面白くないわけない」そう思って、早速Kindleで購入。
なんと一巻が無料。すでにコルクの戦略性を感じさせられます。
内容は名門中高一貫校には伝統的に各年度の総代によって運営される投資クラブがあり、その利回りで学校にまつわるすべての費用を賄うというもので、主人公のずば抜けた頭脳と先祖譲りの神がかった投資センスで物語が進んでいくというもの。
大人でも楽しめますが、高校生に是非とも読んでほしいところ。

2.『テラフォーマーズ』作:貴家悠、画:橘賢一

テラフォーマーズ 1 (ヤングジャンプコミックス)

2013年版『このマンガがすごい!』オトコ編で1位を獲得しているので、読んでいる人も多いとは思いますが、ぶっ飛んだ設定の中で徹底的なリサーチがなされているので、現実感を持って読めるので、読み応えがある。
舞台設定としては未来で、『インターステラー』同様に、地球が住めなくなりそうなので、もう一つのハビタブル・プラネット(人類が住める惑星)を見つける、もしくは創らなくてはならない。
そこで火星に藻をと最も生命力の高い虫(クマムシとかいますが)ゴキブリを大量に放ち、水や生命が生成されるのを待つ。
数十年の後、火星に探索舞台が到着すると、厳しい環境下にある火星で適応しただけでなく、異常発達したゴキブリたち=テラフォーマーズと邂逅し、ほとんどの隊員が殲滅されています。
ここからモンスターゴキブリたちとの熾烈な争いが展開されていくのかと思いきや(もちろんそれも多分にあるのですが)中国、ロシア、アメリカなど大国間の覇権争いの要素もあって、二つの戦いが同時進行していく様相。
国際政治ものでいうと、真っ先に『沈黙の艦隊』が思い浮かびますね。
沈黙の艦隊(1)沈黙の艦隊(1)
かわぐちかいじ

講談社

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3.『聲の形』大今良時

聲の形(1) (講談社コミックス)

聾唖の少女と、彼女をいじめたことをキッカケに、自らの災難を招き、それを抱えて生きていくことになった少年。
宿痾をどうにか償おうと、彼女に再び会いにいくところからストーリーが動き出して行く。
10巻行かずに完結なので、ザァーっと読めます。

4.『新黒沢 最強伝説』福本伸行


新黒沢 最強伝説 1 (ビッグコミックス)

僕はそもそも『カイジ』や『アカギ』よりも断然、『黒沢』の方が大好きだったので、続編が発表されたときはコンビニへ走って『ビッグコミックオリジナル』にかじりつきました。
舞台は前作から黒沢が長い昏睡状態にいたという設定から再スタート。
天国では何不自由なく、食べるものも全てある、だけど“女”だけがいない...笑
福本先生らしいセンスが今回も満載。
未読の方は旧作からマストでどうぞ。
最強伝説黒沢 1 (ビッグコミックス)最強伝説黒沢 1 (ビッグコミックス)
福本 伸行

小学館

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5.『RiN』ハロルド作石

RiN(1) (KCデラックス 月刊少年マガジン)

『BECK』に関して言うと、個人的には好きなマンガトップ5に入るくらい何度も読み返した作品で、それだけに新作の『RiN』も高い期待感を持ちながら読んでいます。
ただ、登場人物たちが『BECK』の人達にしか見えない...。
途中途中で意図的に、iPodでBECKの曲を聞いてる演出も憎い。
象徴的な夢の暗示は、BECKのときと同じプロットですね。
これからどういう展開になっていくのか。
マンガ家ものでいうと、『バクマン』が思いつきますが、友達が先日藤子不二雄先生の『まんが道』を読んでいたので、僕も時間を見つけて読んでみようと思います。

バクマン。 1 (ジャンプコミックス)バクマン。 1 (ジャンプコミックス)
大場 つぐみ,小畑 健

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愛蔵版 まんが道 (第1巻)愛蔵版 まんが道 (第1巻)
藤子 不二雄

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2015年1月1日木曜日

2014年に読んだ170冊から選ぶ10冊のブックレビュー


さくねんにも書いた「2013年に読んだ250冊から選ぶ10冊のブックレビュー」に引き続き、今年も読んだ本の中から10冊ほどのレビューを。

鎌倉の山奥の別荘のウッドデッキに吊られたハンモックにゆらゆら揺られながら、書いています。

フリーターだった昨年から読書量は80冊ほど減ってしまい、十分な読書時間が確保できませんでした。
主に移動中の電車内で読むことがほとんど。
ブログのエントリー数自体も劇的に減ってしまいました。

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1. 『動きすぎてはいけない―ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』千葉雅也著

動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学

この本で掲げられるテーゼは「接続過剰つながりすぎの世界から『切断の哲学』へ」。
詳しくは1月にブログを書いているので、詳細はそちらに譲るとして、のちに表象文化論学会の学会賞と紀伊國屋書店のじんぶん大賞を受賞なさったんですよね。
現代思想の学術書としては(分厚さや値段なども勘案すると)ある意味快挙というか、83年に当時26歳だった浅田彰さんが書いた『構造と力』に通ずるところがありそう。
構造と力―記号論を超えて構造と力―記号論を超えて
浅田 彰

勁草書房
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というか、当の浅田さんも本著の帯に推薦文書かれているんですよね。
ドゥルーズ哲学の正しい解説?そんなことは退屈な優等生どもに任せておけ。ドゥルーズ哲学を変奏し、自らもそれに従って変身しつつ、「その場にいるままでも速くある」ための、これは素敵にワイルドな導きの書だ。
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2. 『カラシニコフ』Ⅰ・Ⅱ 松本仁一著

カラシニコフ I (朝日文庫)カラシニコフ II (朝日文庫)

異名“アフリカの帝王”・元朝日新聞記者で、90年代には中東アフリカ総局長としてアフリカ報道の第一線に立ち続けてきた松本仁一さんのルポタージュ。
こちらの本も読後に感想などをブログに書いているので、詳細はそちらをご覧いただくとして、全体の読後感がわかる自分の一節を引用。
戦争/紛争の・飢餓/貧困の渦の目にあった“カラシニコフ”に諸悪の根源の糸をみた筆者。前巻でアフリカへ、後巻で南アメリカ、中東へ。カラシニコフが氾濫する世界の紛争地帯へと踏み入り、カラシニコフを追い、その武器に翻弄される人々の人生に肉迫していく衝撃のルポタージュ。一見、複雑きわまりなく混沌とした国際政治の論理。カラシニコフという、旧ソ連の無骨で真面目、愛国者精神溢れる男が開発・設計した一丁の銃から前世紀は新たなる争いへと足を踏み入れていくことになる。
松本さんの本で他にも断然オススメなエッセイとして『アフリカを食べる/アフリカで寝る』を挙げさせていただきたいです
アフリカを食べる/アフリカで寝る (朝日文庫 ま 16-5)アフリカを食べる/アフリカで寝る
松本 仁一

朝日新聞出版
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僕もカンボジアでリアルウルルン滞在記のごとく、縄文時代を思わせる竪穴住居でローカルフード(鶏をその場で絞め、どこの部位とも分からぬ内蔵を生食いしたこと。詳しくは「「首なし鶏マイク」から思い出すカンボジアでの一日」を)をいただいたり経験はいくばくかあるのですが、そんなのヒヨッコだと思わされる逸話の数々が(例えば羊の脳みそなど)。
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3. 『意志と表象としての世界』<1><2><3> ショーペンハウアー著

意志と表象としての世界〈1〉 (中公クラシックス)意志と表象としての世界〈2〉 (中公クラシックス)意志と表象としての世界〈3〉 (中公クラシックス)

これに関しても読了後にブログにまとめているので、そちらを参照ください。
われわれが生きかつ存在しているこの世界は、その全本質のうえからみてどこまでも意志であり、そして同時に、どこまでも表象である。
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4. 『政治の起源―人類以前からフランス革命まで』上・下 フランシス・フクヤマ著

政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで政治の起源 下 人類以前からフランス革命まで

これもブログで取り上げて書いてますね。(こうみると前半はわりと備忘録をとっていたようです)
昨年のブックレビューでもビッグヒストリー系ということで、ジャレド・ダイアモンドを取り上げていますが、この本は人類学ではなく、あくまでも政治思想。
続編も刊行予定とのことなので、とりあえず待ちます。
近代の政治制度を構成する3つの要素―強力で有能な国家、「法の支配」への国家の服従、全市民に対する政府の説明責任―は18世紀末までに世界のいくつかの地域で確立された。中国は早くから強大な国家を発展させていたし、インド、中東、ヨーロッパでは法の支配が存在していた。そしてイギリスで説明責任を果たす政府がはじめて出現した。イエナの戦い以降の政治制度の発展においてはこうした制度が世界各地で模倣されたが、まったく新しい制度が追加されたわけではない。共産主義は20世紀に追加を実現しようとしたが、21世紀には世界の舞台からほとんど姿を消した。
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5. 『社会は情報化の夢を見る―ノイマンの夢・近代の欲望』佐藤俊樹著

社会は情報化の夢を見る---[新世紀版]ノイマンの夢・近代の欲望 (河出文庫)

この本自体を直裁的に取り上げたわけではなく、授業で一つのテクストとしてこの本を扱ったときに、そのときに振り返りを残しておく意味で「なぜわたしたちは夢を見続けるのか?―「技術決定論」の解体作業」というブログを書いたので、そちらに詳細は譲るとして、この本を読むことで「情報」という言葉に自己反省させられたというか、無自覚に技術決定論に絡め取られていないかを内省するいい機会になりました。
情報化社会論はいわばその実質を失うことで、つまり空虚な記号になることによって生き残ってきたのである。

そう、それはまるでファウストと悪魔との契約を思わせる。情報化社会論は永遠の若さと引き換えにその魂を売り渡した。情報化社会論が50年間死ななかったのは、それがすでに死んでいたからにほかならない。「生きている死体 living dead」ー情報化社会論がどこかホラー映画の悪夢を思わせるのも無理はない。
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6. 『もっとも美しい数学 ゲーム理論』トム・ジーグフリード著

もっとも美しい数学 ゲーム理論 (文春文庫)

ゲーム理論については大学時代から関心を寄せ続けてきたので、この本は超絶おもしろかったです。
ブログでもけっこう思いの丈を綴っているので、そちらをご笑覧ください。
ゲーム理論は、あらゆる科学(経済学、心理学、進化生物学、人類学、神経科学など)を統合する共通の数学言語を提供しており、これらの科学をパズルの駒のように組み合わせれば、命や精神や文化といった、集団としての人間行動の総体を明らかにする科学ができあがる。ゲーム理論の数学を物理科学の数学に翻訳できるという事実からも、ゲーム理論こそが、生命や暮らしと物理学とを統合する科学、つまり真の「万物の理論」をひもとくための鍵だといえよう
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7. 『百年の孤独』ガルシア=マルケス著

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

ノーベル文学賞受賞者の言わずと知れたコロンビアの作家ガルシア=マルケスの代表作。
マジックリアリズムの嚆矢にもなったとされる本作。
読めばよむほど、ジョジョの通奏低音というか、ジョースター家の血の物語を想起せずにはいられなかった。
ブエンディア家の者の心は、彼女にはお見通しだった。百年におよぶトランプ占いと人生経験のおかげで、この一家の歴史は止めようのない歯車であること、また、軸が容赦なく徐々に磨滅していくことがなければ、永遠に回転しつづける車輪であることを知っていた。
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8. 『海賊とよばれた男』上・下 百田尚樹著

海賊とよばれた男(上) (講談社文庫)海賊とよばれた男(下) (講談社文庫)

これはR社でインターンをしているときにお話をさせていただいた社員さんにオススメのビジネス書を尋ねたときに、薦められた作品。
もちろん百田尚樹作品は『永遠の0』をはじめ、目を通してきているし、この本も積読していた。
上下と読み終えた末に、なぜこの本を“ビジネス書”と言ったのか、その意味がわかった。
戦後直後、まさしく“グラウンドゼロ”の状態から人徳で邁進していく国岡鐵造から学ぶことが多々あった。
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9. 『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか』ピーター・ティール、ブレイク・マスターズ著

ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

今年読んだビジネス書の中ではダントツで良かったです。
未読の方はNEWSPICKSの「伝説の起業家・投資家 ピーター・ティール」という連載をまずは読んでみることをオススメします。
単なるシリコンバレー最前線の流儀(もちろんリーンスタートアップの要諦なども話はありますが)のみならず、「競争は資本主義の対極にある」という言葉にもみられるように、政治/経済制度のあるべき姿にまで踏み込んだ深度のある著作となっています。

リクルートのMTL(メディアテクノロジーラボ)所長の石山さんが、共著者のブレイク・マスターズにツイッターで直接連絡を取り、『ZERO to ONE』を翻案してリーン・キャンバスに落とし込んだものが公式に採用されたそう。(下図がそれ)


(東洋経済オンライン「シリコンバレーも驚く!リクルートの異端児」より。インタビュー記事も非常に面白いです)

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10. 『21世紀の資本』トマ・ピケティ著

21世紀の資本

おそらく今、世界で一番有名な学者の一人であろうフランスの経済学者トマ・ピケティの著作。
昨年、仏語から英語に翻訳されるなりAmazonで一位に踊りでたとのこと。
もともと僕も英語版をKindleで読んでいたのですが、あまりの分量に読み終えることができず、途中で中断していました。
その折、今月末に東大でピケティが講義することが決まり、(「トマ・ピケティ 東大講義『21世紀の資本』」)なんと僕の研究室が講義のお手伝いをすることになりました。
せっかくなので、高価ではありましたが邦語版も購入したのでした。
というわけで、まだ読み終えてないので、終わりましたら追記します。
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というわけで、今年は去年に比べるとあまり読書はできずじまい。
おそらく今年も修論のための読書が中心で、自由に読める本も限られてくると思うので、より一層選ぶ本の精査が重要になってきそう。
また2015年末にどうようのブックレビュー書きます!