2015年5月5日火曜日

読書『さまよえる近代―グローバル化の文化研究』アルジュン・アパデュライ

さまよえる近代―グローバル化の文化研究グローバリゼーション研究(とりわけ文化研究寄り)の学問的ブレークスルーというか、一つの嚆矢となったであろうアルジュン・アパデュライの代表的著作を読了。6年間分の論文をまとめたものというだけあり、各々がわりと独立性を持ったトピックを扱ってはいますが、根底にはグローバリゼーションが進行し、単にネーションが衰退したり、興隆したり、という現象をみせているだけでなく、まったく違うレベルでトランスナショナルな情況があると主張。有名なのは①エスノスケープ(民族の地景)②メディアスケープ(メディアの地景)③テクノスケープ(技術の地景)④ファイナンススケープ(資本の地景)⑤イデオスケープ(観念の地景)というようにグローバリゼーション下の文化フローを5つの次元に輪切って把捉しようという提言をしたこと。グローバリゼーションに注目するということは、必然的に「ローカリティ」にも目を向けるわけですが、ぼくの指導教官でもある吉見俊哉先生が解説で簡潔にまとめていらっしゃった箇所が非常に分かりやすく、腹落ちしました。「ローカリティは、常にコンテクスト被規定的であると同時にコンテクスト生成的でもある。それは諸々の物理的-技術的な媒介によって条件づけられていると同時に、そのような媒介的な場を絶えず作り出し、グローバルなものに介入してもいるのだ」繰り返し注意を向けていたトランスナショナルな次元での新しい諸問題が生起するといっていたことと、今日イスラム国が跋扈している現状を合わせて考えると、どこか不気味な様相を呈しています。

2015年5月4日月曜日

読書『二十歳のころ』(Ⅰ・Ⅱ)立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ編

二十歳のころ〈1〉1937‐1958―立花ゼミ『調べて書く』共同製作 (新潮文庫) 二十歳のころ〈2〉1960‐2001―立花ゼミ『調べて書く』共同製作 (新潮文庫)

大好きな本ですね。できれば中三〜高校生の方々に読んでいただきたい。ジャンルにとらわれない、有名無名さまざまなインタビュイーを東大生が取材していく。ぼくは元来自伝とかバイオグラフィー、人の半生に触れるのが大好きです。なにより自分自身を「相対化」することができるんですよね、他者のレンズを通すことで。あとは違う時代を生き抜いた人々の証言には、時代の臭いがプンプンする。この本で特に熱情を持って語られるのは全共闘時代ですよね。気になった人に関しては、今なにをしているのか、著作はあるのか、都度調べたりしたのですが、当然亡くなられている方も少なからずいて、「さあ、どうやって生きていこうか」と自己反省的に読書を進めたのでした。

2015年5月3日日曜日

読書『白本』『黒本』『青本』高城剛著

白本 黒本

歩きながらサクッと高城さんのメルマガ本を読む。内容的には高城さんのグローバルなノマドライフから得たライフハック的な知見から、断捨離的なマインド、徹底した日本のマスメディアへの不信感(とくに黒本ではテーマとなっています)、そしてときにスピリチュアルへと、軽やかに氏の私見を披瀝していきます。
良い悪いは抜きにして、迷える子羊にとっては箴言なまとめなんだろうなあ。


青本

『黒本』『白本』がオープンスタンスでジャンルを問わず回答されているのに対して、『青本』が話題にするのは旅に関連する質問のみ。
その中で、行ってみたいなと思ったのはスリランカのアーユルヴェーダですかね。

2015年5月1日金曜日

読書『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 』(上・下)ダニエル・カーネマン著

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ダン・アリエリーの行動経済学の著作をはじめ、人間の認知の誤謬というか、臨界点を学術的に洗った著作は知的好奇心をそそられますよね。特にカーネマンはノーベル経済学賞を受賞しているだけあり、論理の組み立て方が非常に勉強になる。とくに本著は一般大衆向けに書かれた本なので、軽妙な筆致で書かれており読んでて飽きがこない。この本で終始一貫して取られてる論法はタイトルにもあるように、速い思考/遅い思考。基本的に人間は直観に基づく速い思考のなかで生活を営んでいるが、もちろん熟慮・戦略が求められる遅い思考も同様に必要となる。
認知的に忙しい状態では、利己的な選択をしやすく、挑発的な言葉遣いをしやすく、社会的な状況について表面的な判断をしやすいことも確かめられている。
とくになんとなくこれまでに感じていた人間の不合理性や自分の都合のよいように物事を曲解して解釈しようとする習性に違和感は持っていた。それに対して、学術用語=フレームを当てて、説明されるとその分、納得感も倍増。たとえば「利用可能性ヒューリステックス」(availability heuristic)なんかはその一例。
直接は言及されていなかったけれど、このタイミングでこの著を一般向けに書くということは、それなりの意図があったのではないかと思う。
自分の実感値として、すぐに思い浮かぶのはやっぱり「Google」の存在。ちょっとした分らないことに遭遇したときに作動するのは速い思考でもなく、遅い思考でもなく、検索エンジンだったりする。当然、これが日常化すれば人間の思考力は後退していくわけで、暗にこういった現況に警鐘を鳴らしているのではないか。

カーネマンじゃないですが、アリエリーのこの動画はたまに観るようにしてます。