2012年3月11日日曜日

ティルと優しかったその主人

D通さんから「時計をテーマにちょっといい話を考えてください」とのことだったので、こんな物語を書いてみました。



チクタク、ちくたく、チク、たく...。 
僕は「時」の中を生きている。 
そんなことに思い巡らしながら、ティルはラッセル川のほとりの大きく角張った石に腰かけ、淀みない流れをただうつろうつろ眺めていた。 
当時のジョージア州は黒人奴隷への虐待が日常的に行われていたし、家畜同然の扱いが普通だった。 
けれど、ティルの主人は違った。主人は優しかった。ティルをどんなときでも気遣ったし、毎日あたたかい食事を与えてくれた。家族のように見守ってくれたんだ。 
ティルはすすんで重労働を買って出たし、人一倍よく働いた。喜ぶ主人をみるのが大好きだったし、主人もティルを大切にしてくれた。 状況はゆっくりとでも確かに変わっていった。 
病が主人を覆いはじめ、身体が衰弱をはじめていった。 
「マスター、右腕に付けているものにはどんな意味があるのですか。イエス様へのお祈りのためのモノなのですか」 
読み書きもままならず、計算も知らないティルに主人はただ微笑むばかりで、「ティル、じき分かるさ」と力弱に答えるばかりだった。 
ティルは気づいていた。「死」が近いことも。主人が右腕のモノに目を向ける頻度が多くなっていることも。その度、哀しい顔をすることも。 
あたかもそれは淀みなく不可逆にラッセル川を下る川流のように主人を蝕んでいった。 
静かでおだやかな朝だった。ティルは主人のすぐ側で寄り添い、彼が発する言葉の一つ一つに耳を傾けていた。 主人は口をわずかに上下できるのがやっとだったが、弱った声でティルに語りかけた。 
「ティル、君は生きている。これがどうゆうことか分かるかい?「死」があるから 「生」があるんだ。これは分かるね?川は流れるよね。僕らは「時間」という川を泳いでいるんだ。時を生きるとは、命を生きること。時間は限られている、だから僕らは必死に泳ぐんだ。そこにも終わりがある。でもね、それは終わりじゃない。大きな海に出ていくことなんだ」 
主人は最後の力を振り絞り、右腕につけていた時計を外しながら言った。 
「さあ扉を開けて、これを持って。いままで本当にありがとう」 
時計を右腕につけたティルは二度目の生を授かった。 
ティルは思う。主人が与えてくれた命を抱えて生きていく。一秒を絞り尽くすように、 その一滴一滴をこぼさないように。一瞬の中に「命」をねじ込んでいくように。 
ティルは知っている。眼前のラッセル川が大西洋へと続いていることを。


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