2012年12月7日金曜日

読書『ボールのようなことば。』糸井重里著


糸井さんの『ボールのようなことば。』を。

生きているというのは、絶えざる更新なのだから。
政治家のことばが、どうしてもいやらしくなるのは、疑いの指先が、絶対に、相手のほうにしか向いていないからだ。ぼくが信じられるのは、自分に疑いの目を向けられる人だ。
見えないものとか、聞こえない声だとか、あえて言ってないこととか、うまく言えないままのこととか、そうゆうことのほうが、ずっと多いのだということを、ぼくたちは忘れそうになる。
両想いのときだって、これは、ほんとうは、両側からの片思いであるとも言えるわけで、しかも、片思いしている時間というのは、あんまり悪い気持ちでもないような。
破壊されたり、踏みにじられる前に、あたりまえのようにあった「日常」が、どういうものなのか真剣に思うことも、戦争を考えることなのですよね。
おそらく、部屋がちらかるのも、禁煙できないのも、朝起きられないのも、ダイエットに成功しないのも、じぶんで、「わたし」をなめているからだと思うんです。
「勉強ができる人」なのにかっこいい人は、「勉強ができる人」であることを克服した人です。 

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