2013年8月20日火曜日

読書『知の編集術』松岡正剛著

知の編集術 (講談社現代新書)

編集工学」の提唱者であり、ISIS(Interactive System of Inter Scores)編集学校を主宰していらっしゃる松岡正剛さんの『知の編集術』を読みました。
松岡さんといえば、なによりも「千夜千冊」で知られていますよね。
僕もたまに覗いて、内容よりもスタイルであったり、知見の配架の方法論を学ぶことが多いです。たぶん、無意識のうちにこのブログでさえ、かなりの影響を受けているんじゃないなあ。

この本で提唱されている基本的な「知への態度」としては、「編集」という営みは何も雑誌やメディアの編制のみならず、日常、色んなところに潜んでいて、その潜勢力をつぶさに感じ取りながら、自分の技法を応用して編集を意識的に編んでいくことなんじゃないかと。
わりと近い路線でいえば、マクルーハンがメディアの概念を拡張して、普段意識していなかったものそれ自体がメディアであったという「メディアはメッセージ」であるという有名なフレーズと近似性がある気がします。
最近でいえば、その最も手軽かつ実践的なものとして「キュレーション」があるのかなーと。3年くらい前に読んだものとして、『石ころをダイヤに変える「キュレーション」の力

マーシャル・マクルーハン

ようは思考にどんなフレームワークを持たせるのか、ということ。

本文では具体的に要約編集(keynote editing)のための多様な技法として6つのモードが紹介されています。

①ストーリー性を生かしたダイジェストによる「重点化モード」
②論旨のアウトライン(骨組)だけに焦点を当てた「輪郭化モード」
③一枚ないし二、三枚の図にしてしまう「図解化モード」
④論旨の背景となっている考え方との関係を組み込んだ「構造化モード」
⑤別のメディアに変換するための「脚本化モード」
⑥ニュースとして伝える目的を持った「報道化モード」

『情報の歴史』の一部

上にある歴史の略図の一部は『情報の歴史』という松岡さんの他著で使われているもので、これが実は旧来の年表とはかなり趣の違うクリエイティブなものなんですね。

そのより突っ込んだ方法論として「十二段活用」なるものが紹介されています。

①注意のカーソルを対象に向ける
②注意の対象およびその周辺に少しずつ情報が読みこまれていく
③同義的連想が始まって、シソーラス性が豊かになっていく
④段々情報の地(情報分母)と図(情報分子)が分離できていく
⑤さらに階層化が起こり、情報の周辺を含む全体像が立体化してくる
⑥様々な情報がネットワーク化され、リンキングを起こす
⑦デフォルト(欠番構造)やスロット(空欄)が見え隠れする
⑧それがハイパーリンク状態になったところで、そこに筋道を読む
⑨筋道にあたるレパートリー(情報見本帳)を検索する
⑩カテゴリーが凝集し、ステレオタイプやプロトタイプが出入りする
⑪必要な情報のレリバレンス(妥当性)を求める
⑫その他の色々の編集を加える

というか、考えてみれば「ブログ」って素人が一番取っかかりやすい入り口なんですよね。
あと、「編集」の概念を敷衍し続けると、現代に溢れている初めて聞くような仕事や肩書も、「そんなもんなのかなあ」と腑に落ちるというか。
たとえば高城剛さんの「ハイパーメディアクリエイター」とか「博報堂辞めました。」の高木新平さんの「コンテクストデザイナー」とか。
ようはその当人が何をメインの視座に据えて「編集」に向かうかという一点に集約されるんじゃないかってこと。


松岡さんが珍しくテレビに出てました。東浩紀さんの「ニュースの深層」です。
おそらく、二人には共有する思想盤があったのだと容易に思います。

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