2013年9月13日金曜日

「NGO化」する世界


ここ1~2ヶ月ほど、学部時代のゼミ生で院に進学する数名が集まり、ゼミの先生を囲んで勉強会を何度かやってきました。
今日がその最終回で今日はAmitav Acharyaの"Regionalism and Integration: EU and Southeast Asian Experiences"をテクストに進行していきました。

途中で模擬試験という意味合いを込めて論述対策をするわけですが、そこで考えた内容を改めてここでまとめておきたいと思います。

Q. なぜアジアでは経済的相互依存の深化が外交に結びつかないのか。

ここでの目的は試験に正しく解答し、100点を得ることではないので、最初の「なぜアジア」では括弧に入れて、より一般化した経済と外交の関係について考えてみたいと思います。



これまでの歴史を紐解くと、ウェストファリア以前・以後、帝国、バランス・オブ・パワー(勢力均衡)、冷戦(二極)、ヘゲモニー(米国覇権)、国家の在り方や国家間の枠組みに常に変動はありながらも、基本的に経済と外交は表裏のものであったのではないか。
ここでいう"経済"は原始レベルの交易活動のようなコミュニティー・ベースのものというよりは、国対国のより大きなレベルでの「経済」を指します。

過去から現在までの時間軸を辿ると、着々とグローバライゼーションが歩を進めてきたのが分かります。
「グローバル化」はメディア論の文脈で捉えると分かりやすいのですが、まず15-16世紀の印刷技術と流通、それに絡まる出版資本主義、つまりアンダーソンのいう「想像の共同体」の誕生です。この枠組はかなり強固に、基本的に現在までその基本的な基盤であり続けてきました。
それ以後のメディアの変遷(電信、ラジオ、テレビなど)も基本的に国民国家を強化する装置として機能してきました。



たとえばラジオははじめマニアたちの間で電波の送受信が行われ、一種の公共圏のようなものを創出していましたが、やがて送信部は切り取られ、受信部のみが残り、現在のラジオの形へと変貌してきました。(詳しくは水越伸『メディアの生成―アメリカ・ラジオの動態史』など)
これはラジオに限った話ではなく、電話も同様ではじめは現在のようなコミュニケーション・ツールとしてはではなく、遠隔地のコンサートのような演奏会から流れてくる音楽を聞くための道具であったりなど、新しいメディアには常に開かれた"可能的様態"があり、それを規定する要因は様々ですが、往々にして時代の権力側、エスタブリッシュメントと言い換えてもいいかもしれませんがその様態を決定してきました。(メディア史の総論としては吉見俊哉『メディア文化論』が断然オススメです)
いちばん顕著な例がテレビです。
テレビは与えたインパクトは計り知れないものがありますが、皇室、天皇巡幸をはじめ、国民が国家の象徴を共有することを可能にしたメディアとしては決定的な役割を果たしました。メディアの話はこの辺にします。



畢竟するに、テレビまでのメディアの変遷は国民国家の基盤を強化するように作用してきたのに対し、インターネットの誕生ははじめてその存在に揺らぎを与えることとなります。時間・空間的距離を短縮化もしくは無化したのです。

ここで予め、質問の答えとなるのではないかと考えている僕の仮説を呈示しておきたいと思います。
上記で簡単に述べたようなテクノロジーの進展に伴うメディアの変遷、国境を越えたグローバライゼーションの深化、多国籍企業の台頭、これらを一括りに「グローバル資本主義」としておきます。
やや弁証法的な見方になりますが、こういった背景の元、誤解を恐れずに言うと、世界はリバタリアン的世界観に染まりつつあるのでないか、というのが僕の仮説です。
つまり主権が断片化していく中で相対的に国家の役割も縮減している。
国家の手に負えなくなりつつある。さらには国家間の協力でも間に合わない。
たとえば、リーマン・ショック、ヨーロッパ経済危機。
これまでプラザ合意なりワシントン・コンセンサスなり、G20なり、国家首脳が集まり、なんとか経済を操作というかコントロールしようと努めてきたわけですが、いよいよ手に負えなくなってきた。野に放たれた資本主義という野獣、国家を越えた有象無象は国の管理下に置けなくなった。


ケイマン諸島

最近、取り沙汰されているタックス・ヘイブンを迂回した「租税回避」の問題でも、国家の網の目を潜り抜け、多国籍企業が法律という名の人工物を欺いていく。

例証しようとすればいくらでもできます。
このブログでも何度も言及している堤未果さんの『(株)貧困大国アメリカ』には目を覆いたくなるような実例が数多く挙げられており、民主主義の脆弱性が露呈されています。
金の論理を駆動力に展開されるロビー活動が立法を牛耳り、企業にとって耳の痛い法案はアンチ・キャンペーンで徹底的に叩き潰す。
アメリカでは全州で遺伝子組換え食品の表示義務がありません。
失業率が高まっているのに雇用創出のために予算は使われずに、フードスタンプ(簡単にいえば生活保護)のPRに予算がつぎ込まれています。
こういった倒錯の裏には安価の加工食品を生産する大企業が暗躍しています。
過去に類をみない程に肥大化したグローバル多国籍企業の収益はゆうに小国の予算規模を超えるものです。
一方で莫大な金を動かす大企業がせっせと租税回避に躍起になるなかで、国は増税を踏み切る。ただし、このしわ寄せを喰らうのは市民です。
根本的な解決足り得ない空理に終わるのです。
ただし、権力が国家から金の論理を盾にした多国籍企業に単純に移ったと断定するのも早計でしょう。



なぜなら国家という隠れ蓑に隠れて莫大な収益を上げている産業も存在するからです。
言わずもがなですが、とくにアメリカで巨大な「軍産複合体」。
アメリカは戦争で成長してきたといっても過言ではありません。
なにもアメリカのみならず、中国やロシア、フランスなど国連で常任理事国を務める大国では武器の輸出が立派な産業として確立されています。
戦争や核兵器の廃絶、環境問題への取り組み、国際レジームを構想する際に、大国の参加は必要不可欠なファクターですが、なぜ簡単に一致団結できないかというえば、既述のような大企業の存在があるのです。
今、『統治を創造』するという著作を読んでいますが、いまいちテンションが上がってこない背景にはこういった暗澹たる現況があります。
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話をはじめの問いに近づけます。
従来まで一蓮托生で表裏の関係にあった経済と外交。両者が「国家レベル」で一致していた。ところがグローバル資本主義の波に飲まれる形で、経済の部分の主要な担い手が国家から企業、グループ、個人へと下降してきた。
ただし、外交は未だに国家の手中にある。ここで乖離が生じている。
オリジナルのクエスチョンでは「なぜアジアでは」という文言がありました。
この問題に紐つけて考えると、日・韓・中の間には溝の深い歴史問題があります。
いわゆる反日感情、反韓感情といった類のものです。



なんとなく空気感としてそういったものはあるものの、自分の実体験や友達の話を聞く限りでは、韓国にはあまり良いイメージはないが、韓国人の友達はみんな良い奴だ、などと首尾一貫しない考えを持っている人が数多くいることに気付かされます。
でも、本当の気持ちというか実体性があるのは後者なのではないかと思います。
反日、反韓などといったとき、そこになるのは「顔のない」日本人であり、韓国人であるわけです。
スポーツはよりむき出しのナショナリズムが表象されます。
個人ベースでは友好なのに、国家となると犬猿の仲になる。このパラドックスには、経済と外交の不一致と似た構造があるのではないかと。
外交が国内問題から目を逸らさせるために、対外ナショナリズムを煽るだけの道具化しているのではないか。



国家が国家たりえたGovernmentとしての役割が担えなくなりつつある中で、リバタリアンが希求するような国家の形態へと収斂していくという見方にはまだまだ異論があるとは思いますが、TPPなど国家間連携協定の枠組を幾つ打ち立てても、濁流の中を下流から上流へ必死に泳ぐ鮭と変わらないのではないかと、思ってしまうわけですが。
夜警国家のように国家の機能が最小化されていくなかで、ラディカルなリバタリアン(アナルコ・キャピタリスト)のように司法も民営化されるべきだとする立場もありますが、僕は国家の最終審級はしばらくは(僕らが生きている間は)保持されるだろうと思います。
いずれにせよ、国家や行政府と区別するための"non-governmental"のNGOと国家の間の距離が縮まっていることに疑いはないのではないかということ。



最後に外交の話を。
再び日中韓の問題に限定すると、どちらが正しいかの議論をしていても平行線を打開できないのではないかということが一つ。
バイラテラルな堂々巡りを続けるよりも、よりメタな次元、政治的意志の統合といいますか、国が担うべきイニシアチブとして世界としてのコンセンサスを探る場として捉え返すほうが賢明ではないかということ。(もちろん安易かつ極めてオプティミスティックな物言いであることは承知です)
なによりも現況のデッドロックから脱却するためには「外交」という概念そのものを捉え返す時機なのではないかということです。

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