Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2014年2月7日金曜日

あの頃の自分に生かされてる


ここのところ、おかげさまで、毎日、何かに追われている忙しない日々を送らせていただいています。

記事原稿の入稿に追われていたり、一分でも早い翻訳文の返答、通訳の仕事のダブルブッキング、生徒のテスト期間、時間の渦のド真ん中で漂流している感覚。

考えてみれば、いま従事している多くの仕事のうち、英語の占めるウェイトが半分を超えていると思うのです。
たとえばこの前もブログで書いた「2014 国際宝飾展(IJT)での通訳のお仕事を終えて」など通訳のお仕事。
あるテレビ番組の製作スタッフとして翻訳、PR会社でも海外クライアントとのやりとりは英語ですし、たとえばGQ記事の執筆にしても英語で情報収集することが多い。
家庭教師として英語を教えているのはその最たる例です。

ほんとうに人生とは不思議なものです。
そのときの自分の何の気無しの気持ち・判断・心の移ろいが5年後、10年後の自分のやっていること、立っている場所を決めるのです。

英語が苦手すぎて、高校に行かずに就職するか、偏差値最低底の商業高校に行こうとぼんやり考えていたのに、
結局はある恩師との出会いをキッカケに英語科の高校に入り、すぐに留学、春からは大学院に行くという。そして今やっている仕事のほとんどは英語にまつわるもの。

あのとき、「doなのかdoesなのか」も分からず、「三人称単数」が中3の夏でも分かっていなかったのに、とりあえず腹をくくって全精力を注ぎ込んで一から取り組んでみたからこそ今の自分がいる。

「あー、あのとき、ひとつひとつ机で単語を覚えた自分がいるから、今の自分がここにいるんだなあ」とビッグサイトで通訳をしているときにふと思ったのでした。

イマの自分は、未来の自分から見た「アノ頃の自分」
イマの苦しみや努力は、アノ頃の自分から未来の自分への時間をこえた"プレゼント"

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