2014年4月18日金曜日

読書『女のいない男たち』村上春樹著


今朝、出社前に小走りで向かうは書店。
大好きなアーティストの新譜、好きな作家の新著はどうしてだが店頭で、手に取りたい。
遅配や誤送をおそれず、直接、自分の手でとりたい。
ワクワクして店に向かう。
開店前に平積みされたであろうお目当ての作品を見つける。
まずは手に取り、全体的な装幀、帯の広告文にゆっくり目を通す。
レジへ向かう。一連の動作にワクワク感が詰まっていて、こういう瞬間があるから、淀みなく流れる日々に楽しみが加わる。

就業前にザックリ1/3ほど読み、残りは電車、そして自宅で読み終える。
文庫本で上・中・下に分かれるようなボリュームではないかぎり、一気呵成にその日に読み終えてしまうことが慣例となっている。
べつに取り決めているわけではないのだけれども、たんじゅんに中断できない。

さて、今日発売された村上春樹9年ぶりとなる短編小説『女のいない男たち』。
僕自身ショートそのものを読むのが久しぶりだった。

村上春樹の短編といえば、それぞれの作品の独立性が高いという印象があった。
ところが今回のコンセプトはそれとは異なり、表題になっている「女のいない男たち」という通底するテーマがそれぞれの作品を貫き、最終的に最後の物語に収斂する。

絡み合い、響きあう6編の物語」という裏帯の一文はしごく正しい。
もちろん今回の短篇集もこれまでの作品と同様、セックスが重要な役割を担い、"喪失"が常に影を潜める。

誰の目にも明らかな浅いスパッと切れ味鋭いものから深遠で瞬時には文意を取れない難儀なものまで、村上春樹といえばメタファー使いとして知られるが、今回もそれぞれの作品に、もはや意図的とも思えるくらい彼らしい比喩が散見された。
あまりにも明朗としているので、ここにいくつか引っ張っておきたい。
「マニュアル・シフトは好きです」と彼女は冷ややかな声で言った。まるで筋金入りの菜食主義者がレタスは食べれるかと質問されたときのように。(「ドライブ・マイ・カー」より)
何を言っても良い効果は生みそうになかったので、僕は沈黙を守っていた。コーヒー・スプーンを手にとって、その柄の模様を興味深そうに眺めていた。エジプトの古墳の出土品を精査する博物館の学芸員みたいに。 (「イエスタデイ」より)
おれは一人で孤島にいるわけではない、と羽原は思った。そうではなく、おれ自身が孤島なのだ。 (「シェエラザード」より) 
「独立器官」という個人的には今回の短篇集で最もお気に入りの作品で、恋煩いから拒食症になり、最後は心不全で死ぬ整形外科医の渡会が言うセリフ。
これは小説のみならず、今までもエッセイでもよく村上春樹が好んで使う言い回しなのだけれど、
紳士とは、払った税金と、寝た女性について多くを語らない人のことです。
女のいない男たち女のいない男たち
村上 春樹

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