2011年7月30日土曜日

アウトプットについて

ぼくは過去を回想するときのログとしての役割と共に、ブログをアウトプットの場所として位置づけています。
はっきりいってインプットは誰でも出来ます。
受動的に情報を体内に取り込んでいくことはそれほど困難を伴わない作業です。
体内に取り込むことは簡単ですが、それを「吸収」し、自分の血・肉にするためにはアウトプットが必要となります。
一度、自分に取り込んだものを咀嚼し、自分の言葉に変換し、吐き出さない限り真の意味で「会得」することは出来ないのではないでしょうか。


英単語を覚えるときも同じです。
単語帳を端から端まで闇雲に覚えるのは得策とは言えず、効率が悪いです。
何度かの反復作業が必要となります。
ところが覚えた単語をただ蓄積するのではなく、吐き出していく、実践していくと、スッと覚えられます。
言葉に出してみる。多少の失敗は恐れずに。


ブログを書くときに意識しているのはスピーディーに書くことです。
ブログにばかり時間を割くわけにはいかないので。
5~10分以内で書き終えることを意識しています。
即興で構成を頭に組み立て、大きなブロック群をイメージし、それを彩っていく。
導入も大切にしています。
タイトルもなるべくならこだわりたいです。
ブログ全体で最も大事なのはタイトルと言っても過言ではないくらい大切だと思っています。
あとは写真をできるだけ貼って、飽きないような工夫もしています。



基本的に1日に1エントリー欠かさずに書いています。
それ以上でもなく、それ以下でもなく。
やはり書きすぎるとブログ全体としての体裁がわるくなるのと、加減が曖昧になるので。
「継続は力なり」ということで毎日なるべく欠かさずに書くことも信条です。
基本的に億劫だと思ってやっていたことも、キャズムを越えると、逆にそれをやらないと気持ち悪くて寝れない、ような性格なのです。
我慢してやり続けると、いつしか「習慣化」して自分の生活の一部として組み込まれる段階がやってきます。
歯磨きすることと同じような、そのフェーズに至れば、もうコチラのものです。



ブログはたんに文章をだれかに見てもらうためだけでなく、自分自身の成長の「場」とも思っています。
稚拙な文章ですが、これからも続けていくので、温かい目で見守ってください。笑

当面はランキング50位以内を目指したいですね。

2011年7月29日金曜日

イノベーションの香り

何もない「無」からビッグバンみたいにポッと大爆発は起きないと思う。


世界はそうやって生まれたのかもしれないけど、ぼくらの周りで日々起こるイノベーションには辿れば道があり、轍があり、厳然たるプロセスがある。
それを辿れば往々にして、というか必然的にイノベーションの淵源にはヒトとヒトの出逢いがあると思うんです。
10のヒトと10のヒトが出会って、単純に20になるかと言えば、そんなに簡単なことでもない。
逆に馬が合わなければマイナスになってしまうかもしれないし、歯車が狂えばもともとあったバリューが失われる可能性さえある。

組み合わせや相性はとても複雑で、あるとき突然ケミストリーを起こす時がある。
そこにイノベーションの香りが立ち込めるのです。


ケミストリーを起こすような出逢いなんて人生に一度あるかないか、ない場合だってあるかもしれない。
それは自分の感じ方にもよるけど。
たとえば世界にイノベーションのビッグバンを衝撃を与えたスティーブ・ジョブズ。
個人としてこの上なく有能なのに疑いの余地はないけど、そんな天才ジョブズもひとりの男との出逢いがなければ、誰一人として彼の名を聞くことさえなかったのかもしれない。




二人のスティーブが出会うことがなかったら、Appleは誕生していなかった。

Apple-logo.png

世界を変えるイノベーションのはじまりにはいつも出逢いがある。
出会いが底知れないパワーを生み出し、説明のつかない馬力でイノベーションを突き動かしていく。
それはいつの時代も変わらないんだと思う。



だからネットワーキング作りは常に大切にしていたい。
人脈は大樹・枝・葉をイメージする。
無限に成長し続ける。


アメリカに留学していたときに至った手っ取り早い「友達の作り方」の結論
「友達を作るコツは友達を作ること」
なんか自家撞着的ですけど、要は友達の友達、またその友達とネットワークは膨張していくのです。
作れば、作るほど派生していくんですよね。

それを意識するだけでも、倍数は上がりますよね。

いま74位。

青山会 vol.2に参加してきました

学部・学科を問わずに面白い前衛的な青学生が一堂に会する飲み会、青山会にお呼ばれしたので参加してきました。
TED×Youth、my Japanを運営していた@現役ラッパー@運営し、世界一周して写真展を開いたりしてる@世界一周、ポケモンマスター、写真部部長などなど。
キャラが濃いメンバーが集まりました。

場所は宮益坂近くの陳麻家。
中華美味しかったです。

なんかやっぱり総合政策学部は面白い人材が多いですね。


9月にまた開催するそうなので予定が合えば、また参加したいと思います。

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昨日のChangeの時に配布されたワークスアプリケーションズのパンフレットがなかなか面白かったので紹介しようと思います。

「日本の潜在能力たちへ」と題された冊子。


0から1を生む力を、日本が探し始めた。
世の中をうごかす力には2種類あります。
過去の発明や確立済みのセオリーを応用して、1を100に拡げる力。
前例や常識にとらわれず、0から1を生み出す力。
これまでの日本は、1を100に拡げるビジネスで成長してきました。
しかし今、その限界があらわれています。
IMDの発表によると、1990年には1位であった日本の国際競争力は、
わずか10年で20位台にまで急落、その後も低迷を続けています。
もはや、過去の方法論にしがみついていてはいられない。
海外、特に国際競争力1へと返り咲いたアメリカの武器である、
0から1を生む力の必要性に、ようやく日本も気づきはじめたのです。




その力を持つ人を、クリティカルワーカーと呼びます。
0から1を生みうためには、過去の経験や知識に頼らず、
誰もたどりついたことのない解を切り開く必要があります。
自ら理想を描き、その実現を阻むすべての問題を解き明かす「問題解決能力」。
数々の文明や歴史を築き上げてきた偉人の多くは、「問題解決能力」を使い、
誰しもがなしえなかった伝説を残してきたのです。
私たちはそんな人たちをクリティカルワーカーと名付けました。
その頭には、やわらかな想像力と、
ロジカルにシナリオを描く能力がいっしょに住んでいます。
クリティカルワーカーが増えれば、きっと日本は息を吹き返す。

photo.php.jpg 



クリティカルワーカーの能力は特別な舞台でこそ開花する。
慣習的な常識に基づいた考えを重んじる学校教育や
企業風土に囲まれていては、
クリティカルワーカーの素質は眠り続けたままです。 
クリティカルワーカーの潜在力を開花されるには、
決められたことを効率よくクリアしていくのではなく、
トライ&エラーを繰り返しながらも、
前例のない課題に向かえるフィールドが必要です。
最高難度の仕事こそ若手に託す。前例のない課題へチャレンジさせる。
ワークスアプリケーションズには潜在能力を刺激し、
世界の誰もたどりついていないイノベーションを巻き起こすための
フィールドがあります。
イノベーションが起これば、きっと日本は息を吹き返す。
これはワークスアプリケーションズの採用活動のためだけではなく、
日本を復活へ向かわせる第一歩だと信じています。


つまり何が言いたいかというと、「0から生まれた1は、日本を変える」ってことですよね。
なんか結局、ワークスアプリケーションズの宣伝ぽくなってますが。笑




明日はバイトの後、夜からapplimのチーム会議です。

今、ランキング80位です。クリックよろしくとです。


2011年7月28日木曜日

Change2011に参加してきました

Changeの前に昨日の話から。

夜にフロリダ大学に留学していたメンバーとフロリダ大学から今、日本に来ている友達と集まって、渋谷で飲みました。
フロリダ大学同窓会。笑


場所は海底都市アトランティス。



友達の日本語の上達のはやさにビックリしました。
到着するなり、言った初めの一言が秀逸だった「おい、隣で合コンしてるやん」

おーい、どんだけ日本語うまいんだよ。笑

一同、あまりの時間の過ぎる早さに驚きました。
帰国してから早くも2ヶ月が経ったのです。

場所を渋谷のHUBに移動して、軽く飲みました。



そのあと解散してから、大学の友達と合流して、いつもどおり松屋で深夜飯を食らって朝まで歌広でカラオケ。

んで、今日の話。

昼は新宿の二郎でランチ。笑



それから渋谷でChange2011に参加してきました。
場所は以前にapplimの説明会で行ったことのあった住友不動産渋谷ファーストタワービル。
綺麗です。

110707img.jpg

これからの日本をつくる学生に向け、就職活動の変革を提言する1dayイベント「CHANGE」を開催~茂木健一郎 × 波頭亮 × 南場智子 × 牧野正幸 が出演~

株式会社ワークスアプリケーションズ(本社:東京都港区、代表取締役CEO:牧野正幸、以下ワークス)、株式会社ディー・エヌ・エー(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:守安功、以下DeNA)は、就職活動を控えた大学生・大学院生に向けての1dayイベント「CHANGE(Challenge Another Generation)」の開催を決定いたしましたので、お知らせいたします。
●茂木健一郎 × 波頭亮 × 南場智子 × 牧野正幸 が贈るSpecial 1dayイベント
このたび開催する「CHANGE」は、これからの日本をつくる就職活動を控えた学生に向けて、仕事やキャリアについて考える機会となることを期待し、出演者4名が有志により発案したものとなります。本イベントは、ワークス、DeNAの採用活動に直結するものではございませんが、日本の就職活動を変革するとの想いで共通しました両社の共同主催にて実現する運びとなりました。
イベントの最後に予定しているパネルディスカッションでは、事前にtwitter上でテーマを募集し、ビジネス界のプロフェッショナル4人による激論が交わされます。(プレスリリースより引用)
 もはや早稲田の盟友でもある@と参加してきました。


会場入りするなり、パネリストのひとりでもあるワークスアプリケーションズのCEO牧野正幸さんの著作2冊を頂きました。
『君の会社は5年後あるか?』と『「働きがい」なんて求めるな』の2冊。
時間があるときにでも目を通そうと思います。






パネリストは脳科学者の茂木健一郎@さん、DeNA取締役の南場智子@さん、経営コンサルタントの波頭亮
@さん、そして前述した牧野正幸@さんの四方。


詳しい内容はtogetterにまとめたのでチェックしてみてください。
コチラ


日本が深刻なのは痛いほどわかるのですが、どうも悲観的すぎないかとも思いましたね。
とにかく僕ら若者の一人ひとりが「自分は未来を変える担い手の一人なんだ」という認識は強くするべきですよね。


会場の様子

ただ、こんなのが入り口にボンッとあったら、ただの企業宣伝会という気もしてしまいますよね。笑



なんだか胡散臭さを感じてしまいます。笑

パネリストの方々は日本、日本の大学、学生を罵倒し、disっていたけど
そんな日本にいるのも、構成しているのも、自分だということはわかってほしいですよね
グローバル、グローバルって、グローバルな視点から見たら、世界からみたら、誰もあなたのことなんて知らないですよ








とまあ、自分なんてそれ以下なんですが。笑

終わったあとはON THE CORNERに行ったんですが、満席だったのでFREEMANに行きました。

Changeを振り返ってみたり、漠然とした進路を嘆いてみたり。

宇治抹茶ラテ

マンゴーソイラッシー

こういうパネルディスカッションや講演の類はたまに行くのはいいけど、行き過ぎるは逆効果な気もします。
オリジナリティが失われていくし、凝り固まったフレームワークが構築されてしまうんじゃないかとも思うんです。


2011年7月26日火曜日

ぼくはエルマーと過ごした時間を忘れない

この前、夢を見ました。
うっそうと茂るジャングルの中を、心臓の鼓動を早めながら奥へ奥へと進んでいく。
手には汗を握り、いくつもの荷物を抱えて。
未踏の地に足を踏み入れ、緊張感は漂っているんだけど、どこか懐かしいような心持ちで、ストーリーが進んでいくようでした。


目覚めて、ハッとしました。
そうだ「エルマー」だ。と

小学校の時、よく読んでいた『エルマーの冒険』の風景がありありと僕の頭に立ち込め、僕はその世界の中で主人公の少年として歩んでいたのです。
もう決まったストーリープロットをなぞるようにして、次から次へと切迫した状況と共に、いろんな動物たちが登場します。

『エルマーのぼうけん』(原題:My Father's Dragon)は、1951年にアメリカのルース・スタイルス・ガネットによって出版された児童文学作品である。1963年初版発行。(Wikipediaより)

【概要】主人公の少年、エルマーは捕まったこどものりゅうを助け出すためにどうぶつ島に乗り込むが、そこにはさまざまな困難が待ち構えている。数々の困難を知恵と勇気を振り絞って切り抜けていくエルマーの姿を描いた作品。

ぼくは先生が少しずつ読んでくれたエルマーのストーリーの先が知りたくて、待ちきれなくて、はじめて自分から図書館に立ち入ったのです。
その日のうちには読みきってしまいました。



読み終わったあとも、どこか胸がドキドキしていて、自分が壮大な冒険を遂行した主人公であるような心持ちでした。
それから何年も経った今、やっぱり心のどこかで僕はエルマーを覚えていて、このようにフトした感じで夢に出てくる。
幼い頃に心を燃やした記憶はいつになっても色褪せないのでしょうか。

当然、すぐに続編である『エルマーとりゅう』、『エルマーと16ぴきのりゅう』も読みました。
そのたび、僕自身が強くなっていった気がしたのです。





いま一度、三作品を読んでみようかと思います。
ストーリーだけでなく、保育園・小学校時代の思い出が付随して思い出されるかもしれません。



考えてみたら、ほかにも懐かしい作品をいくつでも挙げることができます。

『ズッコケ三人組』シリーズ



『かいけつゾロリ』シリーズ



大好きだったなあ。シリーズは全部読んだじゃないかと思うくらい。

『スイミー』



スイミーは小さな魚。
ただ、兄弟がみんな赤い魚だったのにスイミーだけは真っ黒な小魚だった。
泳ぎも得意であり速かった。
大きな海で暮らしていたスイミーと兄弟たちだったが大きなマグロに兄弟を食べられてしまい、泳ぎが得意だったスイミーだけがなんとか助かる。
兄弟を失ったスイミーはさまざまな海の生き物たちに出会いながら放浪するうちに、岩の陰に隠れてマグロに怯えながら暮らす兄弟そっくりの赤い魚たちを見つける。
スイミーは一緒に泳ごうと誘うのだが、マグロが怖いからと小魚たちは出てこない。
そこでスイミーはマグロに食べられることなく自由に海を泳げるように、みんなで集まって大きな魚のふりをして泳ぐことを提案する。そしてスイミーは自分だけが黒い魚なので、自分が目になることを決意するのだった。
かくして小魚たちはマグロを追い払い、岩陰に隠れることなく海をすいすい泳げるようになったのであった。

『はだしのゲン』、『火の鳥』、『ブラックジャック』はどこの学校にもあったと思います。







こうして思い起こすと、いくらでも出てきますね。
どれだけの影響をうけたか計り知れない。
そしてちゃんと厳選されてる。小さな子供の心を掴む本。


さっそく『エルマーのぼうけん』を読み返そうと思います。

ランキングの方、現在95位です。


2011年7月25日月曜日

どうして政治と向き合っていくか

2010年から2011年に移ろうとしていたとき、僕はオハイオ州の小さな村にいました。
来たる新年に足を踏み入れる前に自分自身の想い・気持ちを整理したかったのです。
そこで猛烈な勢いで文字を書きなぐりました。
その時のブログがコレです。当時はまだアメブロでブログを書いていました。
6月にあったゼミのプレゼン合宿では、これを発表しました。
加筆・推敲した内容をコチラに掲載します。

【アウトライン】
Ⅰ. 序論
政治を見つめる《知の巨人たちからヒントを得ながら》

Ⅱ大学生としての自分
A. 学問の選択
1. 「脳がちぎれるまで、ケツから火が出るまで」
B. マスターサイエンスとしての政治
2. 「政治の本質は他者との活動にある」
3. 歴史の終焉

Ⅲ. 人生を歩んでいく自分
B. 政治的動物、『人間』
1. 「万人の万人に対する闘争」
2. アイデンティティ
C. 横たわる不均衡
1. 国際政治におけるゼロサムゲーム
2. コスモポリタニズム

Ⅳ. 結論
政治≒酸素

クッソ長いので、飛ばし飛ばしにでも読んでみてください。
途中、途中で言及した文献を挿入しておきます。
また、知の巨人は登場するたび、Wikipediaへのリンクを貼ってあります。活用してみてください。


【以下本文】
   2010年が終わろうとしていた夜、12月31日。僕はオハイオ州にある小さな町 にいました。明確な理由はないのですが、突然思い立って、20歳の自分が何を「射程」に捉えているのか、また、自らの内に以前からバラバラに介在していた曖昧な気持ちや考えを掴んで、クリアな形にして書き残しておこうと思い立ちました。義務感というか、この作業を経ないことには2011年に足を踏み入れることさえできないのでないかと感じるくらいの強い思いに駆られ、日記というかブログに筆を走らせたのでした。 つい先日、それをみて自分の方向性がその夜からブレてないことを再認識できた嬉しさと同時に、これをプレゼンテーションとしてシェアすることでまた新たな知見を得られ ることができたら面白くなるのではないかと思い、この発表に至っています。このプレゼンテーションでは、そのブログに基づいた内容で進めていきたいと思います。


   大枠に分けると、「大学生としての自分」と「人生を歩んでいく自分」という二種類の観点から「政治」を見つめた内容になっています。その節々で知の巨人たちからのヒントを借りています。その都度このiPadで人物画など示しながら進めていきたいと思います。(※実際のプレゼンではiPadを使用)


   大学4年間という決して短くない時間は後の人生に大きな大きな影響を与えます。ヴァラエティー豊かな学問分野から何を学ぶのか、その選択は決して蔑ろにされるべきではないと思います。自分が時間をかけて学んでいることの意義、それが将来の自分にとってどんな意味をもたらすのか。それと向き合っていく第一歩をここから踏み出したいと思います。単位を落とさない程度に勉強しておけばとりあえずは安泰、就職もどうにかなるだろう。マジョリティの学生がそう考えているだろうし、自分もそんな気はします。ただ、自分は別に就職、世間的に一流企業と呼ばれるような会社に入るために時間を削りながら勉強しているわけではありません。人間としての知的欲求を満たすにとどまらず、もっと新しいことを知りたい、それを元にもっともっと考えたい。「考えること」を考えたい。いつか死にゆくのに絶えず考え続けていくことの意味を考えたい。だから思考を止めないのです。これは、自分にとっては旅にでる時の気持ちと類似 しているような気がします。目にしたことのない景色を見てみたい、新しい人々に出会いたい。自分に内在するパースペクティブを掘り起こしたい。


   勉強をするときはいつもソフトバンク社長、孫さんの言葉をイメージしています。
「脳がちぎれるまで、ケツから火が出るまで」 
「脳がちぎれることも、ケツから火がでることもないのだから」


ここからは「政治」に話を移したいと思います。僕を含め、ここにいる多くの人 が「政治」を学んでいます。正直、高校生の時なんて自分が何を勉強したいのかなんて、皆目見当がついていませんでした。なんとなく漠然と興味のある分野を絞ってみて (例えば、英語が得意なら無作為に「国際」と名のつく学部を抽出してみたり)、受験する人が周りにも大勢いました。当時は「政治」そのものに対する知識は(未だにですが)浅薄で明確なヴィジョンなど持っていませんでした。ただ、学びを進めるうちにな んとなくその概要がみえてきたような気がするのです。それと同時にこの分野を選んでよかったという確信も膨らんできています。

宇宙は、世界は、国は、コミュニティは「政治」がなければカオスに陥ってしまいます。秩序をもたらすのが「政治」です。ルールがないと殺人や窃盗をはじめとした不正を治める手段がない、フィジカル的に強靭な者が理不尽に権威をひけらかし、「正義」が達成されることは困難となります。そうゆう意味で法を施行するためにもまずは 「政治」が必要なのです。「政治」が整備されてはじめて世界が成り立つとすれば、他のすべての学問も「政治」がまずは成り立たない事には開始されることさえないのです。アリストテレス先生が政治を「マスターサイエンス」と呼称したのも、それを意味してでしょう。政治哲学者のハンナ・アーレント先生に言わせると、「政治の本質は他者との活動」であるそうです。この言葉には大いに賛同します。





人間はひとりで生きて行くことができません。生まれてから、死ぬまでずっと他者との関わりの中で自己を規定していきます。世界で生きて行くからには、他者との関わっていかなくてはならないし、相互扶助していくことで人生を実りあるものに拵えていくのです。ところが人間は程度の差こそあれ、本能的に自己の利益を最優先にする性向があり、個人の本質はエゴイズムといっても過言ではないかもしれません。そこに 「政治」がなければアナーキーを創出してしまうのです。自分のテリトリーを守るため、生きるために略奪を繰り返すのです。例えば、家族や恋人が24時間危険に晒されていたら眠ることさえままらないでしょう。

古来から人類は真の「政治」を構築することに努めてきました。「生活の安寧」は縄文時代よりももっと前からの人類の中心命題であり続けました。試行錯誤を繰り返しながら。ちょっとづつ付け足し、付け足し、時の賢人たちが知恵を絞りながら理想の政治を形作ることに心血を注いできました。時には思想の違いや政治制度の違いが大戦を巻き起こすとこさえありました。それは現代に至った今でさえも。冷戦がその良い例です。冷戦の終結が直接、資本主義の勝利を意味するのかを判断するのはにわかに時期尚早な思いが残りますが。そして今、私たちは「民主主義」という政治制度の元、日々の暮らしを営んでいます。フランシス・フクヤマ先生は民主主義に至った現代を「歴史の終わり」と宣言しました。これ以上の社会制度の発展はないと断言しながら。これが全世界に普及すれば平和は達成されると主張しながら。自分自身はフクヤマ先生には半分賛成半分反対の心境です。民主主義自体に半信半疑で絶対の信用をおけるような完璧な代物ではないと感じるからです。一見、とても魅力的ですが、内に抱える脆弱性も反面目立つからです。ヘーゲル先生が言うように弁証法的な視点が民主主義国家の国民に共有されていないことには、マイノリティの権利が抑圧され続け、容易に衆愚政治に変換されうるきらいがあります。ポピュリズムにも弱いです。





デモクラシーを標榜する国の代表、アメリカに目を向けてみます。人々が思う以 上に社会に蔓延する経済格差が深刻化しています。それはジョン・ロールズ先生が列挙する原則が守られていないからではないでしょうか。特に彼が第二原理で述べている 「格差原理」。不平等が最も不遇な立場にいる人の利益を最大化するという原則。



ここからはもうすこし根源的な問題、人生を歩んでいくうえで向き合い続けていかなければならない様々なことがらを考察していきたいと思います。私たちは犬や猿や象と同じように動物です。だけど特別な動物です。アリストテレス先生は人間を政治的動物として、他の動物と峻別しました。「自足して共同の必要のないものは神であり、 共同できないものは野獣である」と。人間の知能の高さは他の生物と比になりません。 その高度に発達した脳をもって数々の概念や制度を生み出してきました。「政治」こそが人間を「特別」とたらしめる要因と考えてやまないです。政治を持たない他の動物達は野生、自然状態の中でサバイバルのための闘争を日々繰り広げる。そこに「安寧」は 存在しません。それを「万人の万人に対する闘争」として指摘したのがトマス・ホッブズ先生です。社会契約を通して、権力をリヴァイアサンに委譲する代わりに「安心」を得ること可能にしたのです。
(※「社会契約」や「リヴァイアサン」といった基本用語の説明・確認はここでは割愛します。Wikipedia見れば、一発なので確認してみてください。)



そして、ジョン・ロック先生はそのために政府が必要だと考えました。従来までの王権神授説を否定して、国民に社会契約の概念を説いたのです。ただ、政府の暴利の可能性を認識していたし、政教分離を進めるなど現実主義的な側面も持ちあわせていました。これが後世のモンテスキュー先生の三権分立論に受け継がれることになるのです。人間だって未だに内戦を繰り返しているじゃないかと指摘する人もいるかもしれない。グルジア、スーダン、ソマリア、枚挙にいとまがなく世界各地で。それは他ならず、「政治」の未発達、未熟さに起因しているのではないでしょうか。





サミュエル・ハンティントン先生が言うように「宗教」や「文明」の衝突に起因すると主張する学者の方々も多くいます。極度に複雑度を増した世界のどの局面を切り取るかで見え方は随分と異なるし、一概に正解を断定することはあまりにも危険です。 政治学は誤謬に満ちているからです。ただあくまでも世界の根幹をなす「政治」の乱れがある限り、「宗教」「文明」をはじめとする諸々の副次的なファクターも安定しないのは明らかです。



政治は僕らがこのゼミで学んでいるアイデンティティとも密接に関係があります。以前、「人は国籍から逃れることができるのか」について熟考していたことがありました。生まれた時点で日本人。眼に見える選択権をあたえられるわけでもなく、どうやったらこれを放棄できるのでしょうか。たとえば無人島で生まれ育ったらどうなるでしょうか。ストレンジャーが島に入ってきて、殺害したらどの法で裁かれるのでしょうか。基本的に日本人であったらその国が提供する様々なサービスや福祉を享受します。 例えば、警察機能などです。日本社会で生活を送る以上は、私は日本人ですという「暗黙の合意」がなされます。例えばスーパーで払う消費税を払っている時点で。合意がなされた時点でその国が施行する法を遵守することが強制され、違反すれば処罰を受けます。ただ無人島ではどうでしょうか。いつ合意形成がなされるでしょうか。シンプルに先祖や親の国籍が適用されれば事足るのでしょうか。それではアイデンティティ以前に 人間の尊厳的な権利を侵しているよな気がします。最近ではこのような、倫理的でリアルな問題が「正義」を基軸にサンデル教授を筆頭に注目を浴びています。



僕はこのゼミで世界の不均衡について考えていきたいと思っています。オリンピックの200m走をイメージしてみてください。様々な国から競技に参加しているランナーが銃声を合図に一気に駆け出します。極めて公平です。そこにはハンディキャップ もなければ不正もありません。フライングすれば仕切り直しされるし、ステロイドを使 用すれば資格が剥奪されます。これは極めてフェアーです。ただ現状の国際政治はどうでしょうか。アンフェアなレースが歴史的に繰り返されてきたのではないでしょうか。 範例を挙げると枚挙に暇がありませんが貿易がその一例です。輸出入体制にしても一 度、先進国がそのフレームワークを自分たちに有利なカタチで築くと、途上国は恒常的に搾取の対象になり続けます。誰かの豊かさは誰かの苦しみであり続けるのです。そう考えてみると国際政治はゼロサムゲームなのかもしれません。各国がパイの取り合い 繰り広げているのです。パイとは利得の取り分のことです。

簡単に説明してみます。競馬のシステムを頭に思い浮かべてみてください。人々が馬券を買う。そのお金が一カ所にプールされ、レースの結果に応じて、的中者に分配されます。一カ所に集まった「分配」をしているだけで、プールに貯まったパイ自体が増えることはありません。配当はオッズで調整されます。マクロ、マクロに考えるとその害悪を被っているのは他でもない個人、人間なのです。海外に足を運ぶたびに実感をすることになります。カンボジア、タイ、メキシコなどでも幾度と無くその現状を目の当たりにし、閉口してしまう場面も多々ありました。大学や会議室でいくら国際政治を大きな枠組で議論しても、辿れば個人なのです。彼らの苦しみは理解しようと思ってもできるわけがありません、実際にその境遇を味わうまでは。タイで深刻化する児童買春も臓器売買も、あらゆる負の産物の流れの水源を辿ってもどこにも行き着きません。歪んだ世界構造そのものが不均衡に満ちているうちは。

なぜ見えない国境の向こう側で喘ぎ苦しむ人々を見過ごすことができるのでしょうか。それを許せてしまう理由は一体何なのでしょうか。ナショナリズムでしょうか、 アイデンティティでしょうか。真の答えを求め、心の内をえぐりだすのは大変に困難を伴います、精神をすり減らすことです。しかしながら、主体性を持ちながら苦悩し、痛みと向き合わないことには真の学びはないと思います。

「貧困」をどうにかしなくてはと声高に叫び、NGOなどを介して途上国にボランティアに行く学生が跡を絶ちません。それが悪いとは思わないし、何かの糸口になれば素晴らしいことだと思いますが、独りよがりに終わったり、根本的な解決につながることはなかなかないと思います。「政治」が変わらないことには、世界は変わらないのです。本当にそう思います。政治規範がグローバルかつドラマティックに変わり、パラダイムシフトを起こさない限りは。自分が標榜するのは限りなく理想論に近いのかもしれません。理想は世界がゼロサムゲームから抜け出すことです。エゴイズムを捨て、グ ローバルアイデンティティを共有することです。伝統的なリアリズムでは国ごとが自国の国益を最大化することが至上命題ですが、どうにかそこから抜けだしていけないものか。凝り固まった現実主義を崩せないものか。

カント先生が「永遠平和のために」でいうようなコスモポリタニズムのようなもの。世界市民としての自覚。隣人愛が世界の隅々まで伝わって人が人を愛して、世界が世界を愛せれば。功利主義つまり最大多数の最大幸福をベースに置きつつ、個人の権利の最大限の尊重。それは可能なのでしょうか。民主主義である以上は、多数決にならざるおえないのでしょうか。苦悩は続きますね。「海底二万マイル」の作者としても有名なフランスの小説家ジュール・ヴェルヌ先生の有名な名言があります。「人間が想像できることは、人間が実現できることだ」まずはこれを自分自身がとことん信じることから始まるのではないかと思っています。





最後にハーバード大学教授ジョセフ・ナイ先生が日米安保について述べた言葉を紹介したいと思います。「日米安保は酸素みたいなものだ。無くなって初めてその大切さに気づく。」これは政治そのものにあてはまるのではないでしょうか。酸素がなくては人は生きられない。そんな当たり前のこと、日々の生活でいちいち立ち止まって考えたりすることはほとんどないですが。政治がなくては生きていけないことに気づいてない人すらいるのが現状です。昨今の日本では政治不信が浸透して、政治に期待を寄せる人はごく少数となってしまいました。政治家の言葉がオオカミ少年に聞こえ、政治が諸悪の根源とまで見なされてしまっているのです。



そんな中で僕らが日々、政治やら哲学やら、なんだか難しい本とにらめっこして過ごすことにどれほどの意義があるでしょうか。正直「こーんなことやってて何になるんだろう」とか思うことは多々あるけど、スティーブ・ジョブズ先生は言われました。 「点と点の繋がりは予測できません。あとで振り返って、点の繋がりに気づくのです。 今やっていることがどこかに繋がると信じてください。その点がどこかに繋がると信じていれば、他の人と違う道を歩いていても自信を持って歩き通せるからです。それが人生に違いをもたらします」自分は宇宙飛行士だろうが政治家だろうがプロ野球選手だろうがペット店員だろうがフリーターだろうが「正義」にコミットしていきたいと思っています。継続的な「正義」への粘り強いコミットが何かに繋がり、僕が生まれてきた意味を見出すことができると信じて。



長い文章を拝読、ありがとうございます。
他にもいくつかゼミで発表したモノがあるので、いつかのブログで紹介したいと思います。

秀逸な広告群と0.02mmのコンドーム

まず、さきほど終わったばかりの函館記念を振り返っておきたいと思います。

【予想】        【結果】
◎コロンバスサークル            5着
◯エドノヤマト      10着
▲ウォークラウン     7着
△アクシオン       3着
☓ダンスインザモア    6着

ピリッとしない予想になってしまいましたね。馬券的には馬連で15,910円、三連複で69,140円もついているので馬券的にはおいしいレースだったのではないでしょうか。
キングトップガンに関しては本命にしてもいいかと思っていたので。
マヤノライジンは10歳で頑張りましたね。
武豊騎乗のミッキーペトラは終始、先行したものの終わってみればシンガリの16着。
本命に据えていたコロンバスサークル。結果は5着でしたが、数字以上の走りだったのではないでしょうか。
次走も買いたいと思わせてくれる走りでしたね。



【収支】
投資額=3100円
回収額=0円
生涯収支=+176,700円

それでは昨日の話。

夜に友達の家に集合し、ミーティングを行いました。
いま学生の映像コンテストに参加していて、「10年後の日本の明るい未来像」と題した映像を制作しています。

昨日はブレストで基本的な案を絞り出す作業と、過去の入賞作の鑑賞。
また、審査員の略歴と作品の確認。


いくつか面白かったものを紹介しておこうと思います。有名なものもいくつかあるので知っているものもあるかと思います。


まず一つ目がコレ。
審査員の一人である伊藤直樹さんの作品。


Blog、TVなどでご好評いただいた、サガミオリジナル002のキャンペーン LOVE DISTANCE。遠距離恋愛をしている二人が、12/24に出会うまで10億ミリ(1,000km)の道のりを走りました。
二人の一ヶ月にわたる軌跡をまとめたTVCMが、2009年カンヌ国際広告祭フィルム部門で、日本では13年ぶりとなる金賞を受賞しました。ぜひご覧ください。(特設ホームページより)





締りが良いですよね。
あとはあえてホームビデオっぽい感じの映像でリアリティがあります。

続いて、もうひとりの審査員、中島信也さんの作品。一連の「アミノ式」のCM。





いちびってる感じがいいですよね。笑
思わず目が釘付けになってしまいますもんね。

続いての審査員は福里真一さん。代表作は宇宙人ジョーンズシリーズ。
シリーズをまとめて一気にどうぞ。





続いて、"No music, No life"のキャンペーンを作って有名なもうひとりの審査員である箭内道彦さんの作品「uno シリーズ」。






忘れてはならないのが公共広告機構ACのCM群。
秀作揃いです。

ACジャパンは、公的資金をいっさい受けず、約1200社の企業・団体を会員社(正会員)とし、その会員社の会費で運営されています。案件のすべては、通常総会を最上位 とする理事会、委員会で決定されます。委員には、会員社から延べ300人近い方々が、企業の社会貢献活動の一環としてボランティアで参加しています。
だそうです。
企業のCMがない空白の時間に垂れ流されるCMです。
広告を通じて、さまざまな提言を発信し、住みよい市民社会を目指す民間団体。
とあります。
最近では原発の時に少し話題になりましたよね。
震災があったときにやたらACのCMが流れた背景には各企業のCM放送自粛に伴う空白の時間をACが埋めていたのです。

ACジャパンの活動の仕組み 
紹介したいACのCMがいくつもあるんですけど、厳選して2つだけ載せます。

①「したたかおばあさん」



心が温まりますよね。
「詐欺」っていうマイナス概念を逆手にとった構成、うまい。
折に触れて、見返してしまう名CM。

②「黒い絵」



短編小説を1冊読みきったかのストーリーがこの1分半に詰め込まれている。
唸るね。

また秀逸な広告を紹介したいと思うので、期待しててください。

僕らも良い映像が作れるようにプロジェクトを進めていきます。

にしてもKARAの「Go Go サマー!」が頭から離れない。笑
ここまで明らかなサブリミナルかまされると、何も言えねえ。笑





でもメンバー全員の合計平均数値はKARAより少女時代という結論に至りました。笑
異論は思いっきり認めます。笑


2011年7月23日土曜日

2011 G3函館記念 予想

明日の函館記念の予想を掲載しておきます。

第47回農林水産省賞典 函館記念(GIII)


【予想】
◎コロンバスサークル
◯エドノヤマト
▲ウォークラウン
△アクシオン
☓ダンスインザモア




ハンデ戦ということで斤量を考慮。


コチラが昨年のレース映像。



先週ドンピシャで当てて、いい流れがキテルので今週も期待ですね。


2011年7月22日金曜日

ぼくはハイオク・ディーゼル車

Smells Like Teen Spirits/Nirvanaでも聞きながら。



ろくに飯も食わないくせに、タバコとエナジードリンク2本だけは欠かさず毎日摂取しています。笑
タバコがaddictiveなのは分かるけど、エナジードリンクまでaddictiveになるとはタチが悪い。
大体、パターンは決まってる。
8割方レッドブルなんだけど、お金がないときはデカビタ。
最近はエナジーコーラもきてる。









そして、仕事が終わった夜はついつい家路の途中でコンビニに寄ってしまいます。
ビール1本とアイスを1個買うのが、もはや習慣。笑

タバコ、エナジードリンク、ビールで稼働するハイオク車。たち悪い。笑


2011年7月21日木曜日

大好きなマンガを3作品:GANTZ、カイジ、BECK

映画を3つほど観ました。
それもすべて人気漫画を実写化したもの。
どれもマンガの段階で大好きだったもの。
基本的に自分のフェイバリットなマンガや本が実写化されるのは複雑な心持ち。
反感と共にチェックしざるをえない。笑
やっぱり好きだから。

まず
①『GANTZ』


超大好きなマンガ。
俺の大好きな要素がふんだんに盛り込まれた作品。
なんといっても奥浩哉さんの画力がすごい。
エロイ描写もうまい。笑
星人をうまくCGで描けるのかに不安があったけど杞憂だった。
やっぱり二宮も演技に安定感がある。
んで、とりあえず吉高由里子がかわいすぎる。
吉高由里子のすべてが知りたい人は『蛇にピアス』を観ましょう。笑



GANTZや武器も細部までよくできてた。
二宮が劇中のところどころでいうセリフが示唆に富んでいる。
わたしの持論は、人には必ず役目がある、ということです。
人それぞれに、力や才能があり、それを最大限に発揮できる場所があると思います。
最初は就活のために、就活マニュアルからこのセリフを取り出し、このセリフを丸暗記しているだけだったが、GANTZと出会ってから、その真の意味に気づいていく玄野。



仲間を失い、戦いに目覚めた玄野。
その辺は続編に描かれるのでしょう。



②『カイジ〜人生逆転ゲーム〜』
人生哲学として愛読しているカイジの実写版。


人生のあり方、社会の真実、世界の不条理をありのまま教えてくれるカイジ。
福本先生の言葉はもはや哲学者の領域。
福本先生とホリエモンの対談も面白かった。
『君がオヤジになる前に』という本の巻末に収録されています。



自分はiPadで電子書籍で読みました。

カイジの映画版ですが、思ってたよりも良かった。
ストーリーはマンガのいいとこ取りって感じ。
ジャンケン、人間競馬、Eカードの三本立て。
ちんちろとかパチンコは11.5公開予定の続編に持ち越しかな。
ストーリーにもまして、キャストが最高だった。
主人公に藤原竜也を選んだのも適役だし、利根川が香川照之ってのもナイス。(ちなみに藤原竜也はうちの近所に住んでいるらしいです。笑)

金は命よりも重いんだよ。(利根川の名言)

そして一番、最高だったのが天海祐希。
遠藤という借金取り立て屋役なんですが、本来は男なんです。
ところが意外や意外、すんなりハマっていました。
続編が楽しみ。





③『BECK』


一番好きと言っても過言ではないくらい溺愛するマンガBECKの実写版。
正直、観るのが怖かった。
BECKの中で繰り広げられる演奏はリアルに音にされるべきではないと考えていたから。
読者一人ひとりの頭の中でそれぞれがオリジナルに想像を膨らましながら奏でればいいと思っていて、ひとつに定型化されるのはどうかと思っていたから。
観てみたら、ちゃんと工夫はされていた。
コユキの声のところは無声にするという策が取られていた、それが感動を演出するのだけれども。
こちらもキャストが最高だった。
旬な俳優がたくさん使われていたし、配役も的確だった。
堤幸彦監督は『20世紀少年』の時も抜群のキャストだったし、よく練ってある。



真帆役の忽那汐里(くつなしおり)さんに魅せられてしまった。
てゆうかこうゆう、英語のバイリンガルでアメリカナイズされた感じの子に滅法弱いんです。笑


グレイトフルサウンドまでの展開がうまい具合にまとめられていましたね。
あの時の感動もうまい感じで描かれていて、マンガを読み返したくなりました。
続編はどうなんだろう、あるのかな。





水嶋ヒロといえば、1ヶ月くらい前に『KAGEROU』読みました。
小説としての完成度はまあまあだったけど、Amazonとかで叩かれているほどの駄作ではなかったですよ。
やっぱりあーゆーレビューの類は鵜呑みにしないで、自分で読まない限りわかんないですよね。
むしろ映画にしたら面白んじゃないかなKAGEROU。水嶋ヒロはチョイ役くらいで。
主人公のイメージとはかなり違うから。



あ、そういえばこの前、競馬で当てたお金の一部を使ってサマージャンボ宝くじを買いました。


お金はつねに転がし続けていくのです。
流れは止めないで、流していく。
そこで愚弄に全額をつぎ込むのはいただけません。
だからといってスティンジーに少額すぎても何も創出しません。
その微妙な加減・バランスが肝要なんですよね。
当たるといいな。