2011年10月31日月曜日

東京競馬場に、天皇賞秋の観戦に行って参りました

Re:make/ One Ok Rock


東京競馬場に行って来ました。
競馬場がとても広々していて、施設も充実してて、ただピクニックに来るだけでも十分楽しい場所です。
芝生で寝っ転がりながらお弁当でも食べたい、そんな場所です。
アクセスも割りと便利で、急行に乗れば新宿から30分位で行けると思います。


昨日はG1天皇賞秋。今年は好メンバーが集いました。
去年の覇者ブエナビスタ、ゴールデンエイジとされる4歳勢からはエーシンフラッシュ、ペルーサ、ローズキングダム、重賞連勝中のダークシャドウ、宝塚記念馬アーネストリー、ほかにも重賞馬が何頭も出馬。
ただ、抜けた存在がいなかったのが予想の難しい点でした。

一応、昨日ぼくがTwitterに載せた予想は以下のとおり。
◎ブエナビスタ
○ダークシャドウ
▲トーセンジョーダン
△ジャガーメイル
×トゥザグローリー

ローズキングダム、エーシンフラッシュ、アーネストリーなどの人気馬をバッサリ切って、ブエナの末脚に期待した予想。

結果は...
1着トーセンジョーダン
2着ダークシャドウ
3着ペルーサ
4着ブエナビスタ
5着トゥザグローリー

なんと予想した5頭中、4頭が掲示板にのるというピンポイントな予想。
一瞬、的中かと思ったのですが、馬券的には全通りブエナ軸からの流しだったので取れませんでした。泣
結局、友人もひとりだけダークシャドウの複勝だけ取ったという散々な結果に。
ブエナも府中で3着以内に入れないのなら、これから厳しいのかもしれませんね。成長のピークはとうに越えたということでしょうか。



↑レース映像です。
シルポートが飛ばしましたね。
トーセンジョーダンはコースレコード勝ち。
ピンナ騎手の好騎乗が光りましたね。ラスト直線のあの鞭の入れ方はマジキチですよね。笑
ちょっとこれから彼の騎乗には注視したいと思います。。

とりあえず次のG1はエリ女ですか。。それまでは競馬を控えようと思います。笑



パドックは馬が間近に見れてやはり迫力があります。

まあ馬券的には外したのですが、競馬場に実際に競馬を観に行くってこんなに楽しいものなのだなあと改めて実感しました。



ファンファーレの時の、スタンドの一体感といったら鳥肌ものですよ。
予定さえ合えばジャパンカップはまた競馬場で観戦しようと思います。
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2011年10月29日土曜日

青山学院のお祭り、「青山祭」に行って来ました

Ocean Avenue/ Yellowcard


昨日から、日曜日までの3日間青学で青山祭やってます。
ぼくは初日の昨日、行って来ました。
相模原祭は行ったことがあるのですが、青山祭は初めてでした。
知り合いの方々が多く、出店していたので一日くらいは行かなまずいやろ、ということで。


まずは学部の先輩の@がやっていた揚げたこ焼きのお店へ。
青山祭に行く前に、「ねぎし」で腹ごしらえしていたのでお腹はパンパンでした。

こうゆうお祭りごとがあると嬉しいのが、一同にお友達たちに会えることですよね。
ひさびさに会う人もたくさんいました。ゆっくり話したかったなあ。


ぼくは行きませんでしたが、何人かの友達たちはケミストリーのライブに行っていました。
かなり良かったようで。

都合さえつけば、11月の頭にある早稲田祭に行こうと思ってます。
大学生ブログ選手権

2011年10月28日金曜日

「モテキ」を観ました

カルアミルク/ 岡村靖幸

忙しくてなかなか観れていなかった映画「モテキ」を渋谷HUMAXシネマズで観ました。
友人たちの多くが「マジで面白いよ!!」とゴリ押ししていたので、期待していたのですが、ちゃんと期待にこたえてくれました。

長澤まさみがかわいすぎるのはもう言わずもがなだとは思うんですが、とにかくスタイルがいいんですね。手足がもう常人じゃない、なのにパイオツというありえないバディー。笑


映画としても本当にうまく作りこまれていて面白かったです。
ネタバレになっちゃうので内容についてはあまり言及できませんが、うまく若者のインサイトが表現されているなーと。
今時の大学生なら共感できることばかり。
これこそが「なんとなく幸せな今の若者」の姿なのかなあと。
この前にブログで書いたこととオーバーラップした気がしました。
勉強やバイトに追われある程度忙しい生活を送りつつ、遠目には日本の経済不安や社会保障のゆらぎを見ていながらも、とりあえず今自分を取り巻く環境が担保されていればとりあえずそれでOK。
仲間と飲みに行って、笑い合って、たまにハメを外して女の子と火遊びする。
そんな毎日がいつまでもループしていけばいいのにと、小さな「希望」を抱きながら。

出ている女優の方々がまぶしすぎて、ひとりに選ぶなんて自分にはできっこないと思いました。


ファンの方々は複雑な気持ちだったのかもしれませんね。
次から次へと画面に映し出される「ベロちゅー」シーンの数々、日本映画らしからぬ。
テンションあがりますよねー。

あとは音楽も素晴らしい、なんだか制作側の思い入れが伝わってくる感じでした。
いくつか挙げると...
  • 「格好悪いふられ方」/ 大江千里
  • 「Lifetime Respect」/ 三木道三
  • 「カムフラージュ」/ 竹内まりあ
  • 「失格」/ 橘いずみ
  • 「Love Forever」/ 加藤ミリア× 清水翔太
  • 「LOVER SOUL」/ JUDY AND MARY
  • 「東京」/ くるり
なんといっても、岡村さんの「カルアミルク」が流れてきたときには涙がでそうになりましたね。笑
以前のエントリーでも書きましたが、今の「ぶーしゃかLOOP」と比べてしまうと、当時の岡村さんの音楽は胸に響きます...。
参考エントリー: 岡村靖幸を見るのが辛い



もう一回観たいなあ。
DVDで友達と笑いあいながら観たい、そう思える映画でしたね。
大学生ブログ選手権

2011年10月25日火曜日

読書『姜尚中の政治学入門』姜尚中著

Heal the World/ Michael Jackson



姜尚中さんの『政治学入門』という新書をサクッと電車の中で読みました。
東大の教授をなさっています。テレビで何度か見たことある人も多いと思います。


ぼくのゼミの先生の学生時代のゼミの先輩ということで、ゼミでも時々名前を耳にします。
カンさん自身が在日ということもあって、アイデンティティやナショナリズムに関する著作も多くて僕も何冊か拝読したことがあります。

今著も基本的には読みやすいのですが、「入門」という割にはやや語彙などが難しい印象でしたね。
純粋に政治学を一度も学んだことのない人にとってはやや難しいかもしれません。
ただ僕が好感を持ったのは、入門だからといって当たり障りなくニュートラルに政治を解説するのではなく、カンさんの明確な意見が打ち出されている点です。
それに加え、政治学の名著が数々引用されており、推薦図書として掲げられているので後学にも便宜を計ってくれています。

ぼくが共感した箇所を幾つか紹介したいと思います。
まずは現代世界でなお横溢する「暴力」について。
トロツキーの「すべての国家は暴力の上に基礎づけられている」という言説を前提に据えた上で、カンさんはこのような展望をみていらっしゃいます。
親密圏と公共圏の往来をさらに豊かなものとし、先述の共存・共生関係をベースとした公共空間がふたたび編成されたならば、暴力や権力の問題に対する新たな局面が見えてくるのかもしれません。
次に「主権」についてです。主権はウェストファリア条約に端を発するコンセプトで、長年国際政治の主要概念として捉えられてきましたが、高度にグローバリゼーションが進行した世界でほころび始めてきているのが現実です。ではどうすればいいのか。
今、なぜ「帝国」なのか、また、国連なのかと問われる背景には、国民国家に代わる主権をいかに再構想するのかという課題が、いよいよ先延ばしにできなくなった事態があるのでしょう。それこそが、現在を生きる私たちが直面する、数々の問題の本質なのです。

国民国家それぞれが「主権」を保持するだけでは、グローバリゼーション下における新しいタイプの種々の問題に対応できなくなってきているのです。
コスモポリタニズムに基礎づけられた、世界規模の「主権」の確立が急務ということでしょう。まあ簡単なことではありませんが。

また、政治学を勉強する際に、字面に沿って書籍をただ読むことに警鐘を鳴らしていらっしゃいます。もちろん多くの本を読み、知識を蓄えることは重要ですが、自分自身の視座を持ってして考察することが何よりの研究姿勢であるとおっしゃています。
歴史の時間の幅を広くし、そして過去との「類比」を行う「思考実験」を試みてみれば、眼前のシーン(この場合はイラク戦争の新しい局面)は、違った意味を帯びてくるのです。
今週の金曜日にカンさんが講演をなさってくれる予定のイベントに行く予定なので、もう一冊くらい著作を読みたいですね。
大学生ブログ選手権

2011年10月24日月曜日

applimメンバーで草津温泉に慰安旅行に行って来ました


電通、Microsoft Japan、mixiさんから頂いた賞金を利用して群馬・草津にapplimメンバーで旅行に行って来ました。
週末を利用して、1泊2日の旅。
レンタカーを借りて群馬まで。
道中も景色がキレイで、何度か立ち止まり、車外に出て紅葉を楽しみました。

吾妻渓谷

和風旅館やまもと、という場所に宿泊しました。
着いた直後は街一帯が霧がかっていて視界が不良でとまどいましたが、自然に囲まれた素晴らしい旅館でした。
100%源泉かけ流しで、露天風呂も気持ちよくて、ひさびさにゆっくりとして時間を過ごせたと思います。

夕ごはんも上州牛、カニ、など豪勢で量も多くて、食べ切れないくらいでした。


翌日は、白根山に行きました。
山を登るにつれて、街が小さくなっていき、温度も下がり、硫黄の匂いに包まれていきます。
車を降りて、山頂まで軽いハイキング、若干酸素も薄くて息が上がってしまいました。
富士山を最後に登ったのは中学生の頃です。


大自然を前にして、自分が抱えていた悩みは不安は小さなものだなあと思わずにはいられませんでした。
アイスランドを旅した時のことを思い起こしました。

草津の中心地、湯畑にも足を運びました。


群馬を出る前に、高崎競馬場に寄って、みんなで菊花賞を観戦しました。


ご飯は登利平という群馬では有名な鳥料理のお店へ。
とりカツは衣がサクッサクでほんとうに美味しかった。

心身ともに癒された旅でしたね。
applimは間違いなく、学生時代の大きな思い出の一つです。

2011年10月21日金曜日

映画を観て、号泣してしまいました

me me she/ RADWIMPS


@に前から勧められていた『君に読む物語』という映画を観ました。
普段、映画を観て泣くなんてことはほとんどないんですが、今回に限っては大号泣してしまいました。笑
なんだか情けないです。笑

なんか映画とぼくのいまの状況が嫌なくらいリンクしてて、胸がつまりました。笑

主人公がヒロインに手紙を書くのですが、その言葉が...
"最高の愛は魂を目覚めさせ、人を成長させる。
ハートに火をつけ、精神に平安を与える。
君がそれをくれた。ぼくもあげたかった。”
切なすぎる。笑
なんだか、またまた心がかき乱されてしまったような気がします。
というか、そうゆう気持ちっていうのはどれだけ見て見ぬふりをしようとしたり、忘れようとしても、そうすればするほど強固になっちゃうんだと思います。



なんだか複雑です。。
大学生ブログ選手権

2011年10月19日水曜日

読書『生物から見た世界』ユクスキュル著

生物から見た世界 (岩波文庫)

久方ぶりに自然科学よりの本を読みました。『生物から見た世界
筆者はエストニア出身のドイツ生物学者のエクスキュル
難解なタームがいくつか出てきますが、わかりやすい図がその都度合わせて書かれているので大丈夫です。

人間が普通、捉える世界や環境とは違う視点。環境の中に客体として存在する生物たちを主体としたときに見える環境のあり方について述べられた本。
あとがきにもこのようにあります。
客観的に記述されうる環境だが、その中にいるそれぞれの主体にとってみれば、そこに「現実に」存在しているのは、その主体が主観的につくりあげた世界なのであり、客観的な「環境」ではないのである。
この記述は生物学の限界も示唆しています。いくらわたしたち人間が絶え間ない観察や考察を通して、生物の眼鏡から環境を覗こうとしても、観察者たる人間のフィルターは避けられないということです。

生物が自然環境の内からどのように世界を見つめ、生活を営むのか。
種々多様な生物のグラスから覗いたミクロな考察視点は大変に興味深いです。

とりわけぼくが興味を抱いたのはエクスキュルの「時間」の概念に関する記述です。
時間はあらゆる出来事を枠内に入れてしまうので、出来事の内容がさまざまに変わるのに対して、時間こそは客観的に固定したものであるかのように見える。だがいまやわれわれは主体がその環世界の時間を支配していることを見るのである。これまでは、時間なしに生きている主体はありえないと言われてきたが、いまや生きた主体なしに時間はありえないと言わねばならないだろう。
それぞれのうちの中で絶対的真実として、時間は時を刻みます。
だれしもに平等な時間が流れているという暗黙的真実の元。
ただそれに異を唱えたのがアインシュタインであり、相対性理論を提唱した学者たちです。
それは真実なのではなく、あくまで「感じ方」なのだと。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、退屈な時間の流れは永遠のように感じます。

つまり「時間」は時間の内側を生きる主体あっての概念なのです。
瞬間の連続である時間は、同じタイム・スパン内に主体が体験する瞬間の数に応じて、それぞれの環世界ごとに異なっている。瞬間は、分割できない最小の時間の器である。なぜなら、それは分割できない基本的知覚、いわゆる瞬間記号を表したものだからである。すでに述べたように、人間にとっての一瞬の長さは18分の1秒である。しかも、あらゆる感覚に同じ瞬間記号が伴うので、どの感覚領域でも瞬間は同じである。 


わたしたちを取り囲む自然・環境、そのうちで起こる様々な事象。
その出来事の連鎖の中で我々の感性は研ぎ澄まされ、目にした経験や出会いで人格は形成されていきます。
「物事は捉え方しがい」とは常套句ですが、「知覚」はいかなるプロセスを経ているのでしょうか。次の図を見てみてください。


これは、ある人間がものごとを知覚する際に、相互に密接に関連し合う様々な事象を説明したものである。ある人の前に鐘を置いて、それを鳴らすと、それはその人の環境に刺激源として登場し、そこから空気の波がその耳に達する(物理的過程)。耳の中で空気の波が神経の興奮に変えられ、それが脳の知覚器官を刺激する(生理的過程)。すると鐘の知覚記号のよって知覚細胞が働き、一つの知覚標識を環世界に移す(心理的過程)。
このように、「知覚」という動作ひとつをとってもの様々な細かい動作を経た後に行われるアクションであって、すべての客体のうちに画一的に行われるわけではありません。
これが人間、ひいては生物のうちに多様性を生み出す要因になっているのかもしれません。

訳者は「あとがき」の後半部で、この本を訳してみた感想としてこのように述べています。
とにかく動物には世界がどう見えているのかということではなくて、彼らが世界をどう見ているのかを述べていることがわかった。
大学生ブログ選手権

2011年10月18日火曜日

読書『佐藤可士和のクリエイティブシンキング』佐藤可士和著

New Born/ Muse



先日、青山ブックセンターで購入した『佐藤可士和のクリエイティブシンキング』という本を読みました。
佐藤可士和さんといえば、博報堂出身の有名なクリエイターです。


現在は独立され、「サムライ」という会社でグローバルに活躍されています。
可士和さんがこれまでに手がけた主なワークはユニクロ、楽天グループ、キリン、ホンダステップワゴン、SMAPのアートワークなどなど数えきれません。
その特徴としては、なんといってもシンプルさ。それも洗練されたシンプルさ。

昨日、渋谷のユニクロでこんなコピーを見つけました。
Open the Future. Luxury will be simplicity. Purity in design, beauty and comfort for all. Quality for the people. Basics are the common language. The future is here.


可士和さんらしいですね。カッコイイです。

可士和さんの仕事の中で、ぼくのお気に入りは「ふじようちえん」です。
立川に昔からあったふじようちえん。同地域に多くの幼稚園が新たにできる中、児童確保に苦慮していました。
そこで可士和さんがようちえんのトータルプロデューサーに指名されたのです。
老朽化した園舎を建て直し、幼稚園のロゴや園服、グッズなどを含めた子供たちを取り巻く環境全般を一新・デザインし直したのです。


幼稚園という施設そのものをエンターテイメント空間と捉え、「園舎全体が巨大な遊具」というコンセプトを設定して、ふじようちえんにオリジナリティを付け加えました。

屋上で無限の追いかけっこができるユニークなドーナツ型の園舎

切り絵のような遊び心溢れるロゴとキャラクターのデザインは、園服代わりのTシャツやステッカー、バッグなど、さまざまなグッズに活用されています。
リニューアル後の反響は大きく、入園希望者だけでなく教員の志望者も飛躍的に増え、多くのメディアでも取り上げられるほどの話題を呼びました。

本を読んでみてますます可士和さんの魅力に触れられた気がします。
やはりこれだけのアートワークを生み出してきただけあって、独自の哲学が確立されている印象を受けました。

自身のアートディレクターという仕事について、このように説明なさっています。
「アートディレクターとはクライアントの課題をカウンセリングを通して見つけ出し、それに対する処方をデザインという手法で行う、いわばコミュニケーションドクターのような仕事です」
本の中で僕がとくに共感したのが
時代のキーワードは"リアリティ"だと思います。暮らしを取り巻くあらゆる環境が目まぐるしく変化する現代においては、表層的で飽きられやすいトレンドではなく、より本質的で現実の生活にフィットした感覚で、消費者の心を自然に捉えることが求められていると感じています。多くの人が「そうだよね」と共感できるリアリティを提示することが、強く魅力的なコミュニケーションにつながるのではないでしょうか。 
つまり、多くの人の生活に潜むインサイトを拾い出し、自分なりのデザインに落としこむ。
コミュニケーション自体をデザインすることですね。最近では岸勇希さんがよくおっしゃていることです。
ですが、単発で何かを打ち上げればいいというわけでもありません。
そこには継続性が求められます、そしてこれが最も広告やデザインで難しい部分だとも思います。
その点を可士和さんも強調しています。
最近、特に意識しているのが、”コンテンツからコンテクストを作る”ことの重要性です。コンテンツは個々の内容、コンテクストはそれらがつながった文脈ということになります。コンテンツからコンテクストを作る”すなわちストーリーを描いていくことが、ブランディングの核心だと考えるようになりました。現在だけでなく過去の要素も整理してつなげながら、未来に向けての方向性を作っていくことで、自然とブランドのビジョンを構築できるようになったのです。以前はブランディングに対して、”立体的なイメージ像を建築する”という三次元的な捉え方をしていましたが、ストーリーを意識するようになってからは、さらにこの時間軸の視点が加わって四次元的に捉えられるようになり、より滑らかな構築ができるようになりました。 

シンプルで洗練されたデザインを打ち出すことを得意としている可士和さんですが、一見シンプルなデザインの奥には確固たるメッセージが植えつけられています。
デザインとは、問題を解決するために思考や情報を整理して、コンセプトやビジョンを導き出し、最適な形にして分かりやすくその価値を伝えていく行為です。「デザイン=表層的な形や美しさを作ること」と思われがちですが、デザインを”ソリューション”として捉えるべきだと思います。
最後に、ホリエモンが言っていたようなことを言っていました。
これは僕も同感ですが。
"何か"を追求し続けて極めると、どこかである一線を突き抜けることが出でき、今まで見えなかった本質の世界が見えてくるのだと思います。 
大学生ブログ選手権

2011年10月15日土曜日

読書『絶望の国の幸福な若者たち』古市憲寿著

いつかきっと.../ ATSUSHI



社会学の本を読みました。
本自体はそこそこ厚みがあるのですが、サラっと軽く読めてしまう内容です。
おそらく若者なら素早く読めるのでしょうが、年配の方は逆に読むのに時間を要するのではないでしょうか。
若者言葉や若者文化の文脈を理解するのに時々、立ち止まる必要があるかもしれません。

筆者は以前からずっとTwitterでフォローしていた古市憲寿さん@
東大の総合文化研究科の博士課程に在籍していらっしゃる。
東大の総合文化といえば、自分が進学先に考えていたところなので、余計に興味が増します。

やはりぼくらと年代が近いということもあって、所々で共感しながら面白おかしく読み進めていくことができました。

日本は様々な問題を抱えている。ところがそんな先行き不安な状況にも関わらず、若者は日々の暮らしに「満足感」を抱いている。
そのような一見、歪とも思える日本の若者を取り巻く社会構造はどうあるのか。

現代の若者の生活満足度は、ここ40年間の中で一番高いことが、様々な調査から明らかになっている。たとえば内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、2010年の時点で20代の70.5%が現在の生活に「満足」していると答えている。そう、格差社会や世代間格差と言われながら、日本の若者の七割が今の生活に満足しているのだ。
たとえば、ユニクロとZARAでベーシックなアイテムを揃え、H&Mで流行を押さえた服を着て、マクドナルドでランチとコーヒー、友達とくだらない話を三時間、家ではYouTubeを見ながらSkypeで友達とおしゃべり。家具はニトリとIKEA。よるは友達の家に集まって鍋。お金をあまりかけなくても、そこそこ楽しい日常を送ることができる。 
これはとても納得ですよね。そりゃ、遠い将来に漠々とした不安はあるんだけど、今のとりあえずの日常はなんとなく満たされてる。
友達がいて、夜は飲みに行って、昼はバイトするなり勉強する。
最低限の幸せ以上の「幸せ」を享受できているのが現在。

古市さんは社会学的見地からこの状況を鋭くこう考察しています。

コンサマトリー化する若者たち。コンサマトリーというのは自己充足的という意味で、「今、ここ」の身近な幸せを大事にする感性のことだと思ってくれればいい。何らかの目的達成のために邁進するのではなくて、仲間たちとのんびりと自分の生活を楽しむ生き方と言い換えてもいい。つまり「より幸せ」なことを想定した未来のために生きるのではなくて、「今、とても幸せ」と感じられる若者の増加が、「幸せな若者」の正体なのではないだろうか。
まるでムラに住む人のように、「仲間」がいる「小さな世界」で日常を送る若者たち。これこそが、現代に生きる若者たちが幸せな理由の本質である。
世界は今も紛争の渦のなかにいる。アフリカやアジア地域では未だに内部紛争が激化している地帯がある。
そのようなニュースをみて心を痛めるかもしれない。
ところが数秒後には、自分の日常、自分の属するコミュニティ、「自分」の世界に立ち返っている。自分の生活圏が安全な限り、とりあえずは「満足」を感じる。


古市さんがTwitterのことについても言及してます。

結局、ツイッターの提供する「共同性」に「社会を変える」という「目的性」は回収されてしまうんだろうと僕は考えている。
要するに多くの人にリツイートされたとしても、それが多少の意義や感動を含蓄しているのだとしても、次の日には忘却の彼方なのだという。
たしかにその側面はありますよね。



ワールドカップに渋谷スクランブル交差点で異常に叫び狂う若者たち、そこにみる日本のナショナリズム。
東日本大震災、「何かできること」を待っていたかのように迅速にボランティア活動に没頭する若者たち。
ほかにもホットな話題と絡めつつ、歴史的推移にも留意しながら、若者を社会学的に解き明かしていきます。巻末には俳優・佐藤健との対談もあります。


なんとなく幸せな社会に、のうのうと生きる僕ら。
このままどこまで行くのでしょうか。
そして三度、この質問を自分自身に。
「君たちはどう生きるか」
大学生ブログ選手権

2011年10月14日金曜日

岡村靖幸を見るのが辛い



最近、巷でも有名な岡村靖幸の「Booシャカloop」。
常人とは思えない世界観。常人ではないのですが...。笑
何度か牢屋とシャバを出入りしていらっしゃいます。
なんというか、そうじゃないとこんなメロディーとかライムは生まれ得ない気さえします。
一度聞くと耳から離れないこの感じ、あからさまなサブリミナル。

どことなくMCノリアキのよう。笑


岡村靖幸は個人的にはとても好きです。
Bank Bandもカバーしていた「カルアミルク」という曲は本当に名曲だと思います。
青年から大人に成長して、年はとるけどどことなくだれもが感じる倦怠感のようなものが歌詞の世界観にあらわれていて、今でも色褪せること無く胸に響きます。



カルアミルクを聞いたあとにぶーしゃかLOOPを聞くと、そのあまりの落差に言葉を失ってしまいます。
ぼくは両方、違った意味で好きですが。



尾崎豊の親友だったという岡村さん。
この前、@がこんなことを言っていました。
尾崎の名曲「シェリー」の"シェリー"とは"クスリ"のことなのではないか。
たしかに、歌詞中の"シェリー"の部分をそれに置き換えてみると、スッと意味が通ったりもします。
尾崎さんがこの世を去ってしまった今、真相を知るすべはないわけですが。
大学生ブログ選手権

2011年10月12日水曜日

アーミッシュとの邂逅

Generator^1st/ Freelance Whales


↑の歌はアメリカのインディーズバンドの曲です。
フロリダでタクシーに乗っていたときに、タクシーの運ちゃんが聞いていた曲です。
歌詞の世界観に吸い込まれてしまいます。

今日は「アーミッシュ」について自身の経験を述懐しながら書いてみたいと思います。

というのも、今日のAcademic Englishという授業が「Amish」についてだったのです。

Amish cover.jpg

アーミッシュとはアメリカやカナダの一部の地域にいまも暮らす宗教集団のことです。
文明から一切の距離を置き、電力を使用せず農耕や牧畜で自給自足をしています。
人口は現在でも20万人いるとされています。

基本的に大家族主義であり、ひとつのコミュニティは深く互助的な関係で結ばれている。新しい家を建てるときには親戚・隣近所が集まって取り組む。服装は極めて質素。子供は多少色のあるものを着るが、成人は決められた色のものしか着ない。洗濯物を見ればその家の住人がアーミッシュかどうかわかる。一頭立て四輪馬車(バギー)に乗るアーミッシュの夫婦(オハイオ州 2004年9月)アーミッシュの日常生活では近代以前の伝統的な技術しか使わない。そのため、自動車は運転しない。商用電源は使用せず、わずかに、風車、水車によって蓄電池に充電した電気を利用する程度である。移動手段は馬車によっているものの[5]、ウィンカーをつけることが法規上義務付けられているため、充電した蓄電池を利用しているとされる。しかし、メノナイトは自動車運転免許を持つことが許されており、家電製品も使用している。アーミッシュは現代文明を完全に否定しているわけではなく、自らのアイデンティティを喪失しないかどうか慎重に検討したうえで必要なものだけを導入しているのである。
アーミッシュがあまり生活について語らないため謎に包まれている部分もある。写真撮影は宗教上の理由から拒否されることが多い。ただし、これらの宗教上の制限は成人になるまでは猶予される。アーミッシュの子供は16歳になると一度親元を離れて俗世で暮らす「ラムスプリンガ(rumspringa)」という期間に入る。ラムスプリンガではアーミッシュの掟から完全に解放され、特に時間制限もない。子供達はその間に酒・タバコ・ドラッグなどを含む多くの快楽を経験するといわれる。そして、成人になる(ラムスプリンガを終える)際に、アーミッシュであり続けるか、アーミッシュと絶縁して俗世で暮らすかを選択する。ほとんどのアーミッシュの新成人はそのままアーミッシュであり続けることを選択するといわれる。この模様は『Devil's Playground』というドキュメンタリー映画の中で語られている。ただし、2004年のアメリカのテレビ番組『アーミッシュ・イン・ザ・シティ』の中で、アーミッシュの子供達をアーミッシュの居住地域から離れた大都会であるロサンゼルスに連れて行き大学生の生活をさせると、自分の人生の可能性に気付き、彼らの内9割以上が俗世に出ることを選択したという出来事もある。

以上がざっくりとしたアーミッシュの全容です。
アーミッシュには驚くべき数々の戒律もあります。

屋根付きの馬車 は大人にならないと使えない。子供、青年には許されていない。
交通手段は馬車(バギー)を用いる。これはアーミッシュの唯一の交通手段である。自動車の行き交う道をこれで走るために交通事故が多い。
アーミッシュの家庭においては、家族のいずれかがアーミッシュから離脱した場合、たとえ親兄弟の仲でも絶縁され互いの交流が疎遠になる。
怒ってはいけない。
喧嘩をしてはいけない。
読書をしてはいけない(聖書と、聖書を学ぶための参考書のみ許可される)。
賛美歌以外の音楽は聴いてはいけない。
避雷針を立ててはいけない(雷は神の怒りであり、それを避けることは神への反抗と見なされる)。
義務教育以上の高等教育を受けてはいけない(大学への進学など)。
化粧をしてはいけない。
派手な服を着てはいけない。
保険に加入してはいけない(予定説に反するから)。
離婚してはいけない。
男性は口ひげを生やしてはいけない(口ひげは男性の魅力の象徴とされる歴史があったから)。ただし、顎ひげや頬ひげは許される。
上記の内容はWikipediaから抜粋しました。
「怒ってはいけない」「避雷針を作ってはいけない」とかすごいですね。笑
個人的には「読書してはいけない」が辛いですね。


ぼくは高校時代の1年間をアメリカはオハイオ州の田舎町で過ごしました。
その時、近所というか、家から15分くらい行けばアーミッシュの人々が多く暮らしているコミュニティがあったのです。
はじめて彼らを目にしたときは度肝を抜かれました。
まずはその風貌、長いヒゲに特徴的な帽子、そして簡素な服装。移動手段は馬車。
21世紀を迎えた今なお、古代的な生活を送って暮らす人がいることに驚嘆しました。

興味を抱いたぼくはその日のうちにパソコンでアーミッシュの歴史を探ったり、図書館で関連文献を斜め読みしてみたりして、知れば知るたびに興味は深まりました。

ある時、こんなことがありました。
アーミッシュの青年がうちの家にきたのです。
「電話を貸してくれないか?」ということでした。
笑ってしまいましたが、「そんなものなんだろう」という気もします。

アーミッシュの人々は強い宗教心、強い家族の絆、強いコミュニティの絆で結ばれているといいます。

ぼくは文明・世俗に生きるか、牧歌的なアーミッシュの暮らしをするのかどちらが幸せなのかはわかりません。
ただ、一度文明に足を突っ込んでしまうと戻るのは大変に困難なことだとも思います。
「モノ」を手にすることは新たな物欲を人間の内に表出させます。
物質的に満たされることはほとんど困難なことでしょう。
文明にはあちらこちらで強欲(greed)がのさばっています。
それが妬み・憎しみを人々の間に生み、衝突を生み出している気もします。

アーミッシュの人々は物質的に出はなく精神的な幸せを目指しているのかもしれません。
つまるところ、家族がいて、友達がいて、恋人がいる充足感を抱きながらゆっくりと流れていく日々を慈しみながら生きていくほうが平穏の内に生まれ、生き、死んでいけるのかもしれません。
このことは一人でアイスランドに行ったときにも感じたことでした。

そして、昨日ブログにも書いた本の最後の言葉が胸に突き刺さります。
「君たちはどう生きるか」
大学生ブログ選手権

2011年10月11日火曜日

読書『君たちはどう生きるか』吉野源三郎著

君たちはどう生きるか (岩波文庫) 


本を読みました。
以前から勧められていたこの作品、『君たちはどう生きるか』。

戦前、1937年に書かれた古い本です。
ですが、文面は瑞々しくぼくの心に何度も反響しました。

中学生のコペル君。なんでもそつなくこなす優等生で不自由のない暮らしをしています。
コペル君と彼を優しく見守るおじさんを中心に話は進んでいきます。
コペルくんは幼いながらに、社会の森羅万象に鋭い疑問を投げかけていきます。
スーパーの高層から地上を見渡し、地上でうごめく無数の人々をみて、まるで「分子」のようだとつぶやきます。
コペルくんの心に浮かんでくる疑問のひとつひとつに対しておじさんは手紙をしたためます。

コペルくんの将来を強く想う気持ちからこぼれ落ちてくる、おじさんの温かい言葉たち。
現代に生きるぼくらにも示唆に富むものばかりです。

事件が起り、コペルくんは親友たちとの心の約束を奇しくも破ってしまいます。
コペルくんは自分に失望し、床に伏せてしまいます。
悶々とした日々を過ごす中、自分の誠実さに嘘をつかない姿勢に感銘を受けました。

紆余曲折を経ながらも、徐々に大人に近づいていくコペル君。
そんな彼と自分を重ねながら読み進んで行きました。

本の最後にはこうあります。
そこで、最後に、みなさんにおたずねしたいと思います。
君たちは、どう生きるか。
大学生ブログ選手権

2011年10月10日月曜日

みんなお待ちかねうっくんの最新動画: iPhone4S



うっくん@ がまたまたやってくれました。
前回のiOS5の大阪弁でもかなりの話題を集めていましたが、今回はそれを凌ぐバズり具合。

参考記事: うっくん大阪弁 Mac iOS5

単純にね、おもろい。
ただ単にオフィシャルの内容を大阪弁に翻訳してるだけじゃなくて、適宜内容を大阪版に置き換えてる所がミソなんすね。
特に、Siriのくだりはツボ。

iPhone4Sは世界初、串カツは新世界発やけどな」


名言すぎて、レッドブル吹いた。。笑

これを見たら欲しくなっちゃうよなー。笑
完全にAppleの宣伝員の一人ですな。笑
仕事の速さがいいよね。

友達がこんな風に次から次へと面白い試みをしてくれるのは、なんだかうれしいですね。
次回作にも期待ですわ。

うっくんのブログ:うくぶろ~うっくんのガジェット日記~
大学生ブログ選手権

2011年10月9日日曜日

博報堂のインターンから学んだこと

まずはじめに断っておきます、コンプライアンスの問題上、インターンの内容・および課題、そして企画・プレゼンの内容については一切公開することができません。

ぼくが個人的にこのインターンから掬し、学んだことをいくつか並べて自分自身確認してみたく、ここに書かせてもらいます。


まずはインターンで出会った人々、とりわけメンターさんとチームメンバーには感謝をしていて、強い縁を感じています。
これからも結びつき持っていたいと思っています。

細かい広告のテクニックを抜きにして、ぼくが最も勉強できた点は、広告を練る上で下地となるインサイトの重要さ、またそれを企画として型に落としこんでいくプロセスでした。

普段の何気ない生活、何十年も歩き続けてきた家路、見慣れた学校周辺の街並み。
applimに参加した後や、博報堂のインターンに参加した後では多角的に見えるようになったのです。

過去の参考エントリー:applim+決勝を終えて: 電通賞、Microsoft Japan賞、mixi賞の3つを頂きました!


面白い広告やイベント、純粋にそれを楽しむ本来の自分、これまでの自分とは別に冷静に分析し、その裏、根底に植えこまれた戦略・インサイトを探ろうとするもう一人の自分が生まれました。
このように2つの視点を自らの内に秘することができるようになったのは、これからの人生を歩んでいく上で心強い武器になると共に、財産になるのだと思っています。

チームとして取り組んだこの1ヶ月、個性の強い面々が持ち寄るアイディアやデータを整合してひとつの形に落としこんでいく。
容易ではありません。
様々な痛みを伴います。
全員が全員、完全に納得できるような企画を作ることは限りなく不可能で、それでも限りなくそれに近づけていくことは、時間が許す限り可能なことだし、不可欠なことだと思います。
強烈なキャラクターをそれぞれが持っていて、みんながみんな優秀な中で自分がすべてをやろうとするのではなく、どこの部分で最も貢献できるのか、自分はこのチームにおいてどんな立ち回りを求められているのか、常に自分自身を分析しながらそれをチームに投影していく、これがチーム作業には不可欠なんだと学びました。

それぞれがバラバラな環境に属する中で、時間を見つけミーティングを重ねる。
Skype会議では事足らないことも痛感しました。
面と面、目と目を合わせて相手の表情をうかがいながら、心の微妙な動きを観察しながら作業を進めないことには、認識の溝は広がっていくばかりです。

ミーティングの小休止、何気ない会話からこぼれるインスピレーション、データから導いてきた渾身のアイディア、一瞬の感動を集約していくように完成形へと昇華していく一連のプロセス。

初日に発案したアイディアを遂に最終日までぶれることなく信じて、血を注ぎ込み、骨を組み立て、肌を着せ、ぼくらの子ども、企画が今日の最終プレゼン発表で産声をあげたのだと思います。

全チーム中1位、優勝を勝ち得たとき、はじめてすべてのパズルのピースが合致した気がしました。

最大の勝因は「アイディア」そのものにあったと思っています。
データやマーケは必ず必要だと思います、ただそれがすべてではないとも思っています。
数字は人を「はあ、なるほど」と思わせることはできても、人の心を動かすことはできないのではないでしょうか。
人は心で動き、心に感じる生き物です。
単純に「面白い」「すごい」と思えることに胸は揺さぶられ、心を動かすことは、その人を動かすことに繋がっていくのではないでしょうか。

別にお金をもらっているわけではないですが、博報堂という会社は本当に良い会社だと思いました。
個性豊かな社員さんたちが、クライアントの困難な依頼を艱難辛苦と捉えず、次へのチャレンジと捉え、楽しみながらチームで勇敢に挑んでいく。
単純に素敵な仕事だと思いました。

今日の感動を持ってして、もっと遠くまで進んでいける気がしました。
明日から再び、価値創造に励んでいきたいと思っています。
ありがとうございました。
Special Thanks to my team "博報堂Jr."

2011年10月8日土曜日

胸の震え、もしくは言葉にできないコトバについて

This Is Us/ Keyshia Cole

ふとした瞬間に抑え切れないくらいに胸が震えることがある。
いままで内にためこんでいた気持ちや心の奥底に置いてあった思いが溢れ出して、せき止められなくなることが。
人生でも数えるほどしか起こらないかもしれないと思うと、これが最後なんだじゃないかと思うと息が詰まってしまうように苦しくて、でも愛しい、そんな感情が全身を行き巡る。

言葉にしようと思うと、遠ざかっていくように。
言葉にする必要なんて本当はないみたいに。

普段、涙なんてこぼれないのに、何かが開放されたみたいにこぼれ落ちてくる。

何百人を前にしても緊張なんてしないのに、ただその人が隣にいるだけで胸が熱くなる。
じぶんが「生きている」ことを思い知らされる。

相手の鼓動や呼吸と自分のそれが重なりあっていることに魂が震える。
隣にいる奇跡に、人生の意味を見出そうとする。

心が一カ所に定まらなくて宙に浮いている。

諦めかけてたすべてのことが、また光を帯びてこちらに向かってくる。

忙しくて、日々の意味を失いかけていた折に、全身から満たされるような気持ちになった。
それだけで本当に幸せなのかもしれない。

どうしようもなく抑え切れない胸の高鳴り、言葉にできない感情。
これが全てなんだと思う、これが本心なんだと思う。
よっしゃ、いったるで。

2011年10月3日月曜日

凱旋門賞がありましたね

Open Arms/ Gary Go


競馬の祭典、凱旋門賞がロンシャン競馬場でありましたね。
日本時間では昨日の深夜にレースがありました、ぼくはBSでLIVEで観戦していました。
日本からはヒルノダムールとナカヤマフェスタの2頭が参戦。
特にダムールは海外メディアの期待も高かったです。

こちらがレース映像。


ヒルノダムールは好位に付けるも、直線で馬群に沈む。
ナカヤマフェスタは終始、後位から抜けだせずに11着。
勝ったのはドイツの3歳牝馬、デインドリーム。他馬を寄せ付けない圧倒的な強さ。
終わってみれば、1~3着を牝馬が独占するという異例の結果でした。
今年も日本馬が歴史を変えることができませんでした。
ヴィクトワールピサも出て欲しかった。


凱旋門賞は海外レースの中でも、とても華麗でおしゃれなレース。
ラムタラのイメージが強いですが。
いつかロンシャン競馬場に足を運んでみたいですね。

なんだか続けて競馬の話題になってしまいました。笑
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