Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2011年10月15日土曜日

読書『絶望の国の幸福な若者たち』古市憲寿著

いつかきっと.../ ATSUSHI



社会学の本を読みました。
本自体はそこそこ厚みがあるのですが、サラっと軽く読めてしまう内容です。
おそらく若者なら素早く読めるのでしょうが、年配の方は逆に読むのに時間を要するのではないでしょうか。
若者言葉や若者文化の文脈を理解するのに時々、立ち止まる必要があるかもしれません。

筆者は以前からずっとTwitterでフォローしていた古市憲寿さん@
東大の総合文化研究科の博士課程に在籍していらっしゃる。
東大の総合文化といえば、自分が進学先に考えていたところなので、余計に興味が増します。

やはりぼくらと年代が近いということもあって、所々で共感しながら面白おかしく読み進めていくことができました。

日本は様々な問題を抱えている。ところがそんな先行き不安な状況にも関わらず、若者は日々の暮らしに「満足感」を抱いている。
そのような一見、歪とも思える日本の若者を取り巻く社会構造はどうあるのか。

現代の若者の生活満足度は、ここ40年間の中で一番高いことが、様々な調査から明らかになっている。たとえば内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、2010年の時点で20代の70.5%が現在の生活に「満足」していると答えている。そう、格差社会や世代間格差と言われながら、日本の若者の七割が今の生活に満足しているのだ。
たとえば、ユニクロとZARAでベーシックなアイテムを揃え、H&Mで流行を押さえた服を着て、マクドナルドでランチとコーヒー、友達とくだらない話を三時間、家ではYouTubeを見ながらSkypeで友達とおしゃべり。家具はニトリとIKEA。よるは友達の家に集まって鍋。お金をあまりかけなくても、そこそこ楽しい日常を送ることができる。 
これはとても納得ですよね。そりゃ、遠い将来に漠々とした不安はあるんだけど、今のとりあえずの日常はなんとなく満たされてる。
友達がいて、夜は飲みに行って、昼はバイトするなり勉強する。
最低限の幸せ以上の「幸せ」を享受できているのが現在。

古市さんは社会学的見地からこの状況を鋭くこう考察しています。

コンサマトリー化する若者たち。コンサマトリーというのは自己充足的という意味で、「今、ここ」の身近な幸せを大事にする感性のことだと思ってくれればいい。何らかの目的達成のために邁進するのではなくて、仲間たちとのんびりと自分の生活を楽しむ生き方と言い換えてもいい。つまり「より幸せ」なことを想定した未来のために生きるのではなくて、「今、とても幸せ」と感じられる若者の増加が、「幸せな若者」の正体なのではないだろうか。
まるでムラに住む人のように、「仲間」がいる「小さな世界」で日常を送る若者たち。これこそが、現代に生きる若者たちが幸せな理由の本質である。
世界は今も紛争の渦のなかにいる。アフリカやアジア地域では未だに内部紛争が激化している地帯がある。
そのようなニュースをみて心を痛めるかもしれない。
ところが数秒後には、自分の日常、自分の属するコミュニティ、「自分」の世界に立ち返っている。自分の生活圏が安全な限り、とりあえずは「満足」を感じる。


古市さんがTwitterのことについても言及してます。

結局、ツイッターの提供する「共同性」に「社会を変える」という「目的性」は回収されてしまうんだろうと僕は考えている。
要するに多くの人にリツイートされたとしても、それが多少の意義や感動を含蓄しているのだとしても、次の日には忘却の彼方なのだという。
たしかにその側面はありますよね。



ワールドカップに渋谷スクランブル交差点で異常に叫び狂う若者たち、そこにみる日本のナショナリズム。
東日本大震災、「何かできること」を待っていたかのように迅速にボランティア活動に没頭する若者たち。
ほかにもホットな話題と絡めつつ、歴史的推移にも留意しながら、若者を社会学的に解き明かしていきます。巻末には俳優・佐藤健との対談もあります。


なんとなく幸せな社会に、のうのうと生きる僕ら。
このままどこまで行くのでしょうか。
そして三度、この質問を自分自身に。
「君たちはどう生きるか」
大学生ブログ選手権

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