Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2013年9月28日土曜日

読書『普遍の再生』井上達夫著

普遍の再生

東大院・法学研究科教授、井上達夫先生の『普遍の再生』を読みました。
井上先生の本はちょこちょこ読んでいて、2ヶ月くらい前にこのブログでも『世界正義論』を紹介しました。
先生の専門は法哲学で、僕の専門とは少し違うのですが、やはり哲学・思想はしっかり押さえておかないと土台がグラグラな理論の陥穽にハマりやすいので。

今著は先に刊行された『現代の貧困』という本の姉妹本だそうで、「現実に対する批判的変革原理としてリベラリズムを再定位することを企てた」一連の著作だそうです。
現代の貧困――リベラリズムの日本社会論 (岩波現代文庫)現代の貧困―リベラリズムの日本社会論
井上 達夫

岩波書店
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前著では天皇制・会社主義・55年体制の遺産という「戦後日本の三種の神器」を主な主題に据え、今著ではナショナリズム、欧米中心主義という知的政治的覇権、それに抗うアジア的価値観、そして民主的答責性を掘り崩すさまざまな超国家的あるいは脱国家的な権力体を主な論的に議論を進めていきます。
あとがきに本著を書くドライブとなった動機の要諦があったので、ここでも
現代世界の諸力・諸傾向に対して、リベラリズムの基底にある「普遍への企て」を擁護し、他者支配の合理化装置ではなく批判的自己変革原理として普遍を再生させること、これが本書の狙いである。
と、この引用はあとがきから引いたものですが、<序文 普遍の死に抗して>にも、強烈な意志が垣間見えます。「自己の恣意の絶えざる批判的再吟味を迫る理念として普遍を探求する知性のみが、権力の恣意を批判的に克服する地平を開くことができる」本書を通じて、種々のトピックが語られるわけですが、基本的に伏在しているテーゼは今しがた引用した一文に集約されると思います。

あとやはり、リベラリズムとナショナリズムの複雑な絡み合いに対する思想的・理論的理解への一助としてはタミールの『リベラルなナショナリズムとは』は必読かと思います。
リベラルなナショナリズムとはリベラルなナショナリズムとは
ヤエル タミール,Yael Tamir,押村 高,森分 大輔,高橋 愛子,森 達也

夏目書房
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個人的にすごく興味深かった箇所としては《第7章 普遍の再生―歴史的文脈主義から内発的普遍主義》の<1. あるシュムポシオン>でエッセイ調で綴られていた、井上先生がハーバードに留学していたときの回想記。(ちなみに東大のオンライン・コースの連続講義「正義を問い直す」でも少し、この時の話に触れてらっしゃいました)

ジョン・ロールズ

ボストンの日本料理屋でジョン・ロールズ、トーマス・スキャンロン、そして岩田靖夫教授と懐石料理を食べていた時、井上先生がロールズにこう訊ねたそうです。
"What is the best way to kill your theory?"
すると、ロールズは笑みを浮かべながらこう答えたそうです。
"You can not kill my theory. It will just die out" 
あとは一応、備忘録として歴史的文脈主義から脱却し、内発的普遍主義を唱道する根拠というか、視点を4つメモしておきます。 

①人権と民主主義という普遍的原理は覇権的に捏造された差異を解体し、それが隠蔽抑圧してきた差異を解放するとともに、この差異の葛藤の公正な包容を図る。
②普遍主義的正義理念が含意する公共的正当化要請は、普遍的人権原理と相俟って、文化的差異の公正な相互承認の枠組を構成する。
③法・言語・歴史など人間の実践の解釈は過去の事実によって一義的に確定されないからこそ、創造的解釈の比較査定のために普遍的評価原理が必要である。かかる解釈は歴史的文脈に依存しつつその規範的意義の最適化を図る。
④普遍志向は基礎付け主義を排した対話法的正当化理論と結合する。両者の統合は正当化を論議の文脈の差異に相関させる一方、正当化実践の論議開放性を保障する。

普遍の追求は文脈を歪曲する覇権を解体し、多様な文脈の相互承認を保障し、文脈をよりよく意義付け、そして文脈を開放するために不可欠なのである。

【翻訳記事】たった4週間でプログラミングを学んだホームレスがアプリをほぼ完成させた


私が1ヶ月前、はじめてミディアム(註1)で「可哀想なホームレスとの出会い、彼らにプログラミングを教えること」という題のマコンローグのポストを見かけたとき、私は懐疑的だったことを白状しなければならない。
(註1:Mediumとは「重要なことを読み、そして書くよりよき場所」を標榜した言論プラットフォーム)

マコンローグは毎日、仕事へ向かう途中にみるホームレスについて綴っている。彼にはやる気があった、そうマコンローグは読者に語りかける。23歳、マンハッタンに居を構えるプログラマーは以下のことを思い付いた:
アイデアはシンプルだ。彼を侮蔑することなく、二つのオプションを提示すること:
1. 明日また戻ってきて、現金$100差し出す。
2. 明日また戻ってきて、三冊のJavaScriptの本(初級/中級/上級)とめちゃくちゃ安いラップトップを差し出す。  
この男は誰なんだ?」記事の残りを注意深く読みながら、考えた。彼らに食事を与えたり、家を提供する方がよっぽど合理的なんじゃないだろうか、プログラムなんかよりも。

案の定、私以外にもこのように思った人はいたようだ。大衆はすぐにマコンローグのアイデアをバカにした。「ホームレス解決済み」とはバリーワグの見出しだ。

私はマコンローグに電話をかけてみた。

「みんながお前の記事を訝しがっているのに気付いているのか」私は訊ねた。

彼も知っていたようだ。

「タイトルに使った言葉を後悔してるんだ」そう洩らした。

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるべし」という古い諺がある。マコンローグはこの理論を試してみたかったのだと私に語った。彼個人の利得や名声ではなくて、いかなる理由であろうと、この特定のホームレスの男性が挑戦を受けて立とうとすることを見抜いていたのだった。

翌日、男性に声をかけてみる旨を私に伝えた。あとの状況も報告してほしいと私は頼んだ。

翌日になりマコンローグは「ホームレス男性(レオ)はプログラムの勉強を始める」という記事をミディアムにあげた。私は受話器を取り、数週間後になってもまだ計画が続いていればまた私にコンタクトを取ってほしいと伝えた。この実験がどうなるのか知りたかったのだ。

それから、レオの許可の元、マコンローグは私と撮影クルーを先週の月曜日に行われたプログラミング講座に招待した。この時、ちょうどマコンローグがレオにプログラミングを教える期間と定めた8週間の折り返し地点に差し掛かっていた。

2000年以降の最低気温を記録した朝であったと後にNY1註2が報道した日に、私はウェスト・サイドのローグ・パークに足を運んだ。撮影クルーが撮影の準備を始めてすぐにマコンローグとレオが私に近づいてきた。レオの横に座り、20分ほど、彼に簡単な質問を投げかけた。私は基本的なことが知りたいと説明した。ただしもちろん、彼が不快に感じることには一切答えてもらう必要はなかった。
(註2:米・ニューヨーク州にある、地域情報に特化した24時間ケーブルTV)

少しばかりおしゃべりに興じた後、彼が2011年にメットライフで職を失ったこと、数ブロック先に高級マンションが建ち、家賃が支払えなくなったことを語ってくれた。「ニューヨークの物価は高い」私がすでに知っていたことを再び教えてくれた。ホームレスネス(家がない状態)の彼の話が上記のような簡単な描写をゆうに越えたものであったとしても、問題は変わらない。

彼はマコンローグが2つのオプションを携え、彼に話しかけてきた時のことを語ってくれた。マコンローグがためらっていたかどうか、それとも批判家を黙らせるために後者のオプションを強く勧めてきたのかどうか訊ねた。

「$100で数日は食いっぱぐれなくて済む。いや1週間かな」「だけど、彼は言ったんだ。ラップトップが貰えて、なおかつ何かを学べる。それで思ったんだ。これは何か想像以上ものになるぞって」私たちを取り巻く街に向かって彼はジェスチャーをした。「時間がなくて学べないとかそういうことじゃないんだ」

レオは平日の様子を語ってくれた。だいたい午前8時頃、決まった場所にマコンローグ来て、1時間ばかし集中的に作業に取り組んだこと。そして彼はJavaScriptとNitorous.ioというサイトについて語り始め、いかにして50個ものファンクションを取り付け、そのうちわずか2つくらいしか完全にバグのないものであるのかを熱弁した。彼は自信満々に話を続け、何度か私が話を遮りながら、彼が本当に4週間しか"プログラミング"を習っていないことを確認しなければならないほどだった。

「ああ。というより"コーディング"ってデザートの上にあるやつだと思ってたんだ」彼は言った。

彼が言うのは"コーティング(お菓子の生地など)"のこと。

4週間で、二人は協働して8週間目には完成する手はずのアプリケーション作りを始めた。他の優れた起業家のように、レオはここでアプリについて書くことを許してはくれなかった。ただし、安心してほしい。それはきわめて優れたアプリケーションであるということだ。ただし、レオが地球温暖化と気候変動に大きな関心を抱いていることは心に留めておいてほしい。

マコンローグが仕事へ向かう間、レオや3〜4時間を独習に費やす。コードを練習したり、マコンローグがくれた3冊のJavaScriptの本にくわえサムソンのクロームブックを読み進めた。「ファンシーな建物」と彼が呼ぶ場所でラップトップを充電することに誰も文句を言わなかったし、彼はマコンローグがプレゼントしてくれたWi-Fiも持っていた。

インタビュー撮影を続ける中で、何度か立ち止まらねばならぬ場面があった。車のクラクション、工事現場、目に差さる太陽光。街の喧騒に苛立ちを覚える私たちをよそに、レオは平然としていた。結局のところ、このような環境すべてが彼にとっては当たり前のものだったのだ。想像してみてほしい、新しい何かを学ぶということを。もう一度。工事現場の真ん中で学ぶということを。

一度、物事のビジネスの側面を学んだ時、カップル(ちなみにジョークを好み、旧友のように振る舞う人たち)は翌日にグーグル・ハングアウトでテックブログのマッシャブルでビデオチャットするのだと教えてくれた。

「グーグルのオフィスってどんな感じ?」レオは前のめりで私に訊ねた。私が行ったことがないと告げると、たいそうショックを受けていた。グーグルに招かれることが普通の人にとっては彼が思うほど特別ではないことは、彼にとって理解しがたいことだった。

話を戻すと、私は本当に彼がこの出来事についてどう感じているのか知りたかったのだ。たんなるチェスのポーンに過ぎなかったのか。マコンローグが15分間の栄誉に浸るための踏み台にしか過ぎなかったのか。そもそもプログラミングなんて好きだったのか。マッシャブルなんて知っていたのか。

レオはただ微笑んだ。「そんなことどうだっていいんだ。それよりも、俺は学んでいる。そうだろ?俺はナニカを学んでいる、それが重要なことなんだ」そう言った。

最も重要なこととして、レオが私に知ってほしかったことはマコンローグが来る前から彼が決して惨めなんかではなかったということだ。彼にとって、パトリックとは銀鎧に身を包んだ騎士なんかではなくホームレスネスの先を見通し、彼にチャンスを与えた人だったのである。プログラミングなんか考えたこともなかった、彼は素直に認める。一ヶ月前までは何のことだかさっぱり分からなかったのだ。「誰かが悪人でも、アルコール依存症でも、クレイジーでもないことを説得するのはとても骨が折れることだ。自分自身がホームレスだったらどうする?だって、ホームレスはいつだってそうやって描かれるだろ。いつも悪いことだって限らない。ただ知らないだけなんだよ」

「この出来事がある前だって、俺の人生には素晴らしい瞬間があった」レオは私に語りかける。「今、思うことは新しい何かを学ぶということはきっと、より多くの素晴らしい瞬間に出会うためのチャンスが広がるってことさ」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――
Business Insiderの記事。
読んでいて面白かったので、翻訳してみることに。
ただ一気呵成で性急に書いたので、校正も確認もなにもせずに勢いだけで訳したので、そこらじゅうにミスや誤訳があると思います。ご指摘くださればと思います。
細かい文章の正誤よりも、ストーリーの本筋が分かれば、とりあえずそれで良いと思います。ボランティア・トランスレーションなので。
この話を読んで、真っ先に思い浮かぶ動画。



マイクロソフトのビル・ゲイツ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、ドロップボックスのドリュー・ヒューストンなど著名なプログラマーが勢ぞろいしたこの動画の中で、とりわけ面白いのがNBAのスタープレイヤー、クリス・ボッシュ。
学生時代にプログラミングを勉強した彼はこう言う。
プログラミングは勉強すればできる。手に負えないものにみたいに思うけど、だいたいのものがそうでしょ。そうじゃないものってある?Coding is something that can be learned. I know it can be intimidating. A lot of things are intimidating, but you know, what isn't?
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2013年9月26日木曜日

映画『オン・ザ・ロード』ウォルター・サレス監督 12'


有楽町TOHOシネマズシャンテにて鑑賞。

インドに持って行った数少ない本の中の一冊Jack Kerouniacの"On the Road"、その劇場版。
インドで瞑想を終えた後、長い長い列車での移動、索漠とした時間の中、寝台に横たわりながら、読んだ一冊。
この映画も見過ごすわけにはいかなかった。

ジャック・ケルアックの自伝的小説。
ホーボーのごとく西部へと、路上から路上へと流浪を続けるサル・パラダイス。
物語のキーパーソンとなる盟友ディーン。

セックス、ドラッグ、そしてジャズ。
若者たちが日々の饗宴を繰り広げるなかで、刻々と流れていく時間。
マリファナを吸うシーンが繰り返し表象される。
きっと何かを手にするには、何かを知らず知らずに手放しているわけで。
気付いた者から離脱していく。
最後まで父親の幻影に引っ張られながら、虚無から抜け出せなかったディーン。
そんな彼が、作家という志を捨てなかったサルの旅路の果てに描いた物語の主人公となる。

【完全主観採点】★★★☆☆

「半沢直樹」が50%で幕を閉じ、「リーガル・ハイ」シーズン2がはじまります


「半沢直樹」最終回が視聴率50%近くを叩き出しながら、ひとまず幕を閉じました。
平成では最高の数字だそうです。
僕は原作を追っていなかったので、純粋にエンディングは知りませんでした。
まあコッチのパターンもあるかとは一応想定していましたが、映画や続編への導線の意味も含めて。

ただまあ、原作者の池井戸さんがこうおっしゃっているので。 

つんく♂さんのような感想を持つ方がいても、それはそれで良いと思います。 
いずれにしても、映画や続編はあるでしょうね。それはほぼ確実とみていいとおもいます。(参考:「「半沢直樹」続編に意欲 福沢克雄監督「頭取になるまで描きたい」」- ハフィントン・ポスト」

ここでちょっとネタをいくつか。



先日の100時間TVで生で、目の前で松村さんのモノマネを見たのですが、衝撃でした。
なにより松村さんのモノマネは長台詞を空で言えるところが凄い。

あとツイッターでバズってたものをいくつか。

とまあ、このへんにして。
「リーガル・ハイ」のシーズン2が間もなく始まるのは、見る側も制作側も朗報ですよね。
情報は随時、フェイスブック・ページで更新しているので、そちらを参照すれば良いと思います。

【参考】

「ハゲタカ」に胎動する資本主義のリズム


「人生の悲劇は2つしかない。金のない悲劇か、金のある悲劇だ」

このオープニングで始まるNHKドラマ「ハゲタカ」。

バブル後、不良債権に苛まれる日本経済。
ダブついた債権を抱え込み、倒産間近の企業を徹底的に買い叩いていく、外資系ヘッジファンド「ホライズン」。
若くして当ヘッジファンドの日本法人代表に就任した大森南朋演じる鷲津政彦。
そして実質的に、というより構造的に腐敗した経済体制の構築に加担していた融資銀行。
ドラマでは三葉銀行のエース、柴田恭兵演じるが、鷲津と絡み合う運命を共に物語は進行していく。

「半沢直樹」を観てから今作を観ると、大なり小なり今作の影響が「半沢」にも垣間見えます。
なによりもメインのキャラクターたちの行動の奥底にある、原体験に銀行の貸し渋りで追い込まれた身内の自殺がある。
銀行は雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を貸す」という松下幸之助の言葉が銀行業の要諦を当意即妙に言い当てたように、資本主義社会において、銀行という巨大な経済主体が担う役割には常にパラドクスが付きまとう。

「資本の論理」と「人間の情」の相剋、この辺りのテーゼは両ドラマで共有されているイシューだと思います。
本来、人を助ける立場にありながらも、採算の見込めない工場は切り捨てる。
間接的な殺人を犯しているかのように。
この狭間にあって、鷲津は「資本の論理」の本筋を学ぶため、アメリカに渡ったのでした。

ハーバードMBAを経て、実際にヘッジファンドに勤めていた現ライフネットCEO岩瀬大輔さんのエッセイ『金融資本主義を超えて』を読むと、俗世間で語られるイメージとは異なったヘッジファンドへの理解が深まります。
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鷲津が買収を通して、行おうとしていた本当の意図も見えてきます。

ドラマ自体6話しかないので、サクッとみれます。
引き続き、劇場版も視聴してみようと思います。
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2013年9月24日火曜日

読書『「統治」を創造する―新しい公共/オープンガバメント/リーク社会』西田亮介、塚越健司編

「統治」を創造する 新しい公共/オープンガバメント/リーク社会

発売が2年前なので、少しホットな時分からは間隔が開きましたが、積読してあったので読みました。
切り口は副題にある「新しい公共」「オープンガバメント(Gov2.0)」そして、「リーク社会」。
この編書のユニークな点は執筆陣が皆若手であり、かつ分野が多岐に渡っていること。
ソーシャルでよく聞く名前もチラホラ。たとえば、炎上がときたま俎上に載せられるイケダハヤトさん(@IHayato)、マッキンゼーを経て震災の際は復興支援にあたった藤沢列さん(@retz)。編者はネットメディアにも頻繁に顔を出している西田亮介さん(@Ryosuke_Nishida)。

序章 「統治を創造する時代」の幕開け [西田亮介]より

2章 政府/情報が開かれる世界とは―情報の透明化とリーク社会 [塚越健司]より

はじめやあとがきでは、執筆陣のバックグラウンドや活躍領域が混淆していることが、本著の強みというか、多角的に当該のイシューを分析するために有効であると書いてあったと思うのですが、やはり何事もトレードオフで、多様であるからこそ問題の焦点はぼやけてしまっているような印象が残りました。

2013年9月16日月曜日

凱旋門賞を前にして


去年の雪辱から1年、またこの季節がやって来ました。
去年のリベンジに燃える池江厩舎のオルフェーヴルに加え、今年はダービー馬のキズナも参戦と、過去に例をみないほど日本馬の凱旋門賞制覇が手元にあるように感じられます。

2012昨年のレース、一時先頭に立つも最後失速

さて昨日、一昨日と凱旋門賞の前哨戦となるニエル賞、フォア賞があり、それぞれにキズナ、オルフェーヴルが参戦しました。
結果は二頭とも勝利。
キズナは後方一気でハナ差勝ち。オルフェーヴルは危なげなく、調教の延長のような余力を残して大賞。このまま無事に凱旋門賞まで運んでもらいたいものです。

2013年ニエル賞、キズナ、英ダービー馬との叩き合いを制す


2013年フォア賞、馬なりで大勝。池添騎手に騎乗してほしかった...。

日本馬の挑戦の源流にあるのはエルコンドルパサーとモンジューの叩き合いでしょう。

1999年凱旋門賞、モンジューに屈する

「半沢直樹」にまつわる毀誉褒貶


さきほど録画しておいた本日放送の第9回を観ました。
展開としてはいつも通り前半は窮地、絶体絶命、そして後半は怒涛の盛り返し。(いわゆる「倍返し」)

地下室に隠蔵していたとみられる「疎開資料」を金融庁の目から欺き、事無きを得た半沢に対し、渡真利が言った「魔法か?笑」良かったですねー。
「灯台下暗し」の二重化。

今月のはじめに書いた「自己啓発ドラマとしての「半沢直樹」」では触れなかったのですが、けっこう批判的というか冷めた感想も散見されます。
たとえば藤沢数希さんが「半沢直樹の何が面白いかわからない」という記事を書いていたり。(まあドラマなんて当該の分野で実際に仕事している人からしたら絵空事に映るのでしょうが)
その辺の事情を斟酌した上で、包括的かつ興味深かった記事がプレジデント・オンラインの「心理診断「半沢直樹」でスカッとする人はなぜ二流か?」。

でも思うんですが、みんなが「キャーキャー」一喜一憂している中、冷めたように斬り捨てるのはある意味で容易だし、ビューを集めることでしょう。
別に褒めちぎるのではもなく、disり倒すのでもなく、事実として驚異的な視聴率を叩き出していることを認め、なにがマスを焚きつける導火線となっているのか、その要因を探る方がよっぽど建設的だと思います。
そのためにはドラマの脚色性を糾弾するより、虚心坦懐に感動・共感する落とし所を敏感に感じ取ることが大切ではないのかということ。
群盲象を撫ず」とは言いますが、それを指摘した悦に浸るのではなく、そこから一歩思考のセンサーをもっと深部へと働かせ、その動因を沈思し、人間に(少なくとも"マス"に)宿る普遍性を探る方がよっぽど生産的かと思います。

たとえば視聴者は様々な職層の人がいるとは思いますが、どこかで大勢順応に反旗を翻し、サラリーマン=(雇われの身)でありながらも「矜持」を捨てないその姿に共感もしくは憧憬の念を感じているのではないでしょうか。

2013年9月15日日曜日

「リッチマン、プアウーマン」に埋め込まれたネット・ベンチャーの精髄


スキマ時間に「リッチマン、プアウーマン」の全ドラマ、SPの「in ニューヨーク」を観ました。
取り立てて好きな役者が出てるわけではないのですが、あえて言えば『ピンポン』で好演した井浦新は今作でも小栗旬演じる日向徹とのパートナーとして、かなり大事な役で出ています。
石原さとみといえば、CMでかなり見かけることが多いですね。(個人的には鏡月のCMがツボです)




このドラマをみていると随所にネットベンチャーの精髄が埋め込まれているというか、表象されている気がしました。
一番根っこのベースにはザッカーバーグがFacebookを興した『ソーシャル・ネットワーク』的なストーリーがあるとは思うのですが、とはいえ日本でもかなりの事例が蓄積されているので、それらもドラマに使えそうな上澄みはふんだんにつめ込まれてます。
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自由闊達なベンチャーの風土と世間からの俗物扱いの描写の超克がうまくバランスよく描かれてたと思います。
オフィスのつくりもGoogleのように娯楽施設が併設されていたり、チームラボとかFreakOutのオフィスみたく、広々とかつ革新的なデザイン重視の内装。(参考:「株式会社フリークアウト に行ってきた!」)
美人社員が云々といったあたりはサイバーエージェントの匂いも。
藤田社長と日向徹では自身がコーディングをするか否かといった違いはありつつも、経営者としてベンチャーがぶち当たる壁の共通項はあると思うし、実際いくつか藤田社長が出している自伝からも参考としているような印象。
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藤田 晋

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この関連でいうと、去年か一昨年だったか学生時代にmy365というアプリをリリースしていた学生を単なる新卒社員としてではなく、上記のアプリを開発したチーム自体をCAの子会社化して、事実上社長として迎え入れるという奇策にでました。(参考:「My365開発の学生チームがサイバーエージェント子会社へ」)
「リッチマン、プアウーマン(以下R・P)」でも類似の出来事があります。
中野裕太演じる坂口は学生時代に大ヒットアプリを生み出すも、あとが続かず、自他共に認める"一発屋"的存在になっており、協調性もない彼は3ヶ月に一度訪れる契約更改で切られてしまう。
ところが横柄な態度の裏にある彼の実力を認めていた日向は彼に出資し、会社の社長になることの後ろ支えをする。(後に成功をおさめ、逆に日向がピンチに陥った際に助けを乞うことに)
スティーブ・ジョブズ Iスティーブ・ジョブズ I
ウォルター・アイザックソン,井口 耕二

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あとは当然、ウォルター・アイザックソンの『スティーブ・ジョブズⅠ』にも参考にしているとは思うのですが、具体的な事象は細かな差というか違いはあれど、ベンチャー独特の熱感とか波に乗る感じ、飲まれそうになる感じ、今読み終える所に差し掛かっているDeNAの元・社長南場智子さん初の自著『不格好経営』でもかなり濃密に描かれています。
不格好経営―チームDeNAの挑戦不格好経営―チームDeNAの挑戦
南場 智子

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基本的にドラマの中でスポットライトが当てられるNEXT INNOVATIONのプロダクトはパーソナル・ファイルという雑多な個人情報を一元的に管理するソフトウェアのみですが、ところどころに最先端のガジェットやらソフトウェアが表象されています。
イメージ的には前に『ここ最近気になったCM等―アルゴリズムとセレンディピティ』というエントリーで紹介したOglivyのビッグデータを活用したショッピングの事例。


通常放送終了後のSP「R・P in NY」でも引き続き「Personal File」の動向が会社の事業の中心にあります。
JIテックという大手との連携、オープンソース化への舵取り、既述の南場さんの本でも同じようなルートをDeNAも辿っています。

2013年9月13日金曜日

深夜2:50に何が起きるのか―Youtubeエンタメウィークをお見逃しなく



9/14-23日の10日間Youtubeがエンタメウィークと称して、さまざまなオモシロ企画をやります。
ぼくも隅っこの方で、裏方的なお手伝いをできることになりました。
実際問題、僕も詳細はほとんど知らされていないので、楽しみな一人ではあります。



僕がお手伝いするのは、コチラの企画です。


コチラがスケジュールになります。

「NGO化」する世界


ここ1~2ヶ月ほど、学部時代のゼミ生で院に進学する数名が集まり、ゼミの先生を囲んで勉強会を何度かやってきました。
今日がその最終回で今日はAmitav Acharyaの"Regionalism and Integration: EU and Southeast Asian Experiences"をテクストに進行していきました。

途中で模擬試験という意味合いを込めて論述対策をするわけですが、そこで考えた内容を改めてここでまとめておきたいと思います。

Q. なぜアジアでは経済的相互依存の深化が外交に結びつかないのか。

ここでの目的は試験に正しく解答し、100点を得ることではないので、最初の「なぜアジア」では括弧に入れて、より一般化した経済と外交の関係について考えてみたいと思います。



これまでの歴史を紐解くと、ウェストファリア以前・以後、帝国、バランス・オブ・パワー(勢力均衡)、冷戦(二極)、ヘゲモニー(米国覇権)、国家の在り方や国家間の枠組みに常に変動はありながらも、基本的に経済と外交は表裏のものであったのではないか。
ここでいう"経済"は原始レベルの交易活動のようなコミュニティー・ベースのものというよりは、国対国のより大きなレベルでの「経済」を指します。

過去から現在までの時間軸を辿ると、着々とグローバライゼーションが歩を進めてきたのが分かります。
「グローバル化」はメディア論の文脈で捉えると分かりやすいのですが、まず15-16世紀の印刷技術と流通、それに絡まる出版資本主義、つまりアンダーソンのいう「想像の共同体」の誕生です。この枠組はかなり強固に、基本的に現在までその基本的な基盤であり続けてきました。
それ以後のメディアの変遷(電信、ラジオ、テレビなど)も基本的に国民国家を強化する装置として機能してきました。



たとえばラジオははじめマニアたちの間で電波の送受信が行われ、一種の公共圏のようなものを創出していましたが、やがて送信部は切り取られ、受信部のみが残り、現在のラジオの形へと変貌してきました。(詳しくは水越伸『メディアの生成―アメリカ・ラジオの動態史』など)
これはラジオに限った話ではなく、電話も同様ではじめは現在のようなコミュニケーション・ツールとしてはではなく、遠隔地のコンサートのような演奏会から流れてくる音楽を聞くための道具であったりなど、新しいメディアには常に開かれた"可能的様態"があり、それを規定する要因は様々ですが、往々にして時代の権力側、エスタブリッシュメントと言い換えてもいいかもしれませんがその様態を決定してきました。(メディア史の総論としては吉見俊哉『メディア文化論』が断然オススメです)
いちばん顕著な例がテレビです。
テレビは与えたインパクトは計り知れないものがありますが、皇室、天皇巡幸をはじめ、国民が国家の象徴を共有することを可能にしたメディアとしては決定的な役割を果たしました。メディアの話はこの辺にします。



畢竟するに、テレビまでのメディアの変遷は国民国家の基盤を強化するように作用してきたのに対し、インターネットの誕生ははじめてその存在に揺らぎを与えることとなります。時間・空間的距離を短縮化もしくは無化したのです。

ここで予め、質問の答えとなるのではないかと考えている僕の仮説を呈示しておきたいと思います。
上記で簡単に述べたようなテクノロジーの進展に伴うメディアの変遷、国境を越えたグローバライゼーションの深化、多国籍企業の台頭、これらを一括りに「グローバル資本主義」としておきます。
やや弁証法的な見方になりますが、こういった背景の元、誤解を恐れずに言うと、世界はリバタリアン的世界観に染まりつつあるのでないか、というのが僕の仮説です。
つまり主権が断片化していく中で相対的に国家の役割も縮減している。
国家の手に負えなくなりつつある。さらには国家間の協力でも間に合わない。
たとえば、リーマン・ショック、ヨーロッパ経済危機。
これまでプラザ合意なりワシントン・コンセンサスなり、G20なり、国家首脳が集まり、なんとか経済を操作というかコントロールしようと努めてきたわけですが、いよいよ手に負えなくなってきた。野に放たれた資本主義という野獣、国家を越えた有象無象は国の管理下に置けなくなった。


ケイマン諸島

最近、取り沙汰されているタックス・ヘイブンを迂回した「租税回避」の問題でも、国家の網の目を潜り抜け、多国籍企業が法律という名の人工物を欺いていく。

例証しようとすればいくらでもできます。
このブログでも何度も言及している堤未果さんの『(株)貧困大国アメリカ』には目を覆いたくなるような実例が数多く挙げられており、民主主義の脆弱性が露呈されています。
金の論理を駆動力に展開されるロビー活動が立法を牛耳り、企業にとって耳の痛い法案はアンチ・キャンペーンで徹底的に叩き潰す。
アメリカでは全州で遺伝子組換え食品の表示義務がありません。
失業率が高まっているのに雇用創出のために予算は使われずに、フードスタンプ(簡単にいえば生活保護)のPRに予算がつぎ込まれています。
こういった倒錯の裏には安価の加工食品を生産する大企業が暗躍しています。
過去に類をみない程に肥大化したグローバル多国籍企業の収益はゆうに小国の予算規模を超えるものです。
一方で莫大な金を動かす大企業がせっせと租税回避に躍起になるなかで、国は増税を踏み切る。ただし、このしわ寄せを喰らうのは市民です。
根本的な解決足り得ない空理に終わるのです。
ただし、権力が国家から金の論理を盾にした多国籍企業に単純に移ったと断定するのも早計でしょう。



なぜなら国家という隠れ蓑に隠れて莫大な収益を上げている産業も存在するからです。
言わずもがなですが、とくにアメリカで巨大な「軍産複合体」。
アメリカは戦争で成長してきたといっても過言ではありません。
なにもアメリカのみならず、中国やロシア、フランスなど国連で常任理事国を務める大国では武器の輸出が立派な産業として確立されています。
戦争や核兵器の廃絶、環境問題への取り組み、国際レジームを構想する際に、大国の参加は必要不可欠なファクターですが、なぜ簡単に一致団結できないかというえば、既述のような大企業の存在があるのです。
今、『統治を創造』するという著作を読んでいますが、いまいちテンションが上がってこない背景にはこういった暗澹たる現況があります。
「統治」を創造する 新しい公共/オープンガバメント/リーク社会「統治」を創造する 新しい公共/オープンガバメント/リーク社会
谷本 晴樹,淵田 仁,吉野 裕介,藤沢 烈,生貝 直人,イケダハヤト,円堂 都司昭,西田 亮介,塚越 健司

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話をはじめの問いに近づけます。
従来まで一蓮托生で表裏の関係にあった経済と外交。両者が「国家レベル」で一致していた。ところがグローバル資本主義の波に飲まれる形で、経済の部分の主要な担い手が国家から企業、グループ、個人へと下降してきた。
ただし、外交は未だに国家の手中にある。ここで乖離が生じている。
オリジナルのクエスチョンでは「なぜアジアでは」という文言がありました。
この問題に紐つけて考えると、日・韓・中の間には溝の深い歴史問題があります。
いわゆる反日感情、反韓感情といった類のものです。



なんとなく空気感としてそういったものはあるものの、自分の実体験や友達の話を聞く限りでは、韓国にはあまり良いイメージはないが、韓国人の友達はみんな良い奴だ、などと首尾一貫しない考えを持っている人が数多くいることに気付かされます。
でも、本当の気持ちというか実体性があるのは後者なのではないかと思います。
反日、反韓などといったとき、そこになるのは「顔のない」日本人であり、韓国人であるわけです。
スポーツはよりむき出しのナショナリズムが表象されます。
個人ベースでは友好なのに、国家となると犬猿の仲になる。このパラドックスには、経済と外交の不一致と似た構造があるのではないかと。
外交が国内問題から目を逸らさせるために、対外ナショナリズムを煽るだけの道具化しているのではないか。



国家が国家たりえたGovernmentとしての役割が担えなくなりつつある中で、リバタリアンが希求するような国家の形態へと収斂していくという見方にはまだまだ異論があるとは思いますが、TPPなど国家間連携協定の枠組を幾つ打ち立てても、濁流の中を下流から上流へ必死に泳ぐ鮭と変わらないのではないかと、思ってしまうわけですが。
夜警国家のように国家の機能が最小化されていくなかで、ラディカルなリバタリアン(アナルコ・キャピタリスト)のように司法も民営化されるべきだとする立場もありますが、僕は国家の最終審級はしばらくは(僕らが生きている間は)保持されるだろうと思います。
いずれにせよ、国家や行政府と区別するための"non-governmental"のNGOと国家の間の距離が縮まっていることに疑いはないのではないかということ。



最後に外交の話を。
再び日中韓の問題に限定すると、どちらが正しいかの議論をしていても平行線を打開できないのではないかということが一つ。
バイラテラルな堂々巡りを続けるよりも、よりメタな次元、政治的意志の統合といいますか、国が担うべきイニシアチブとして世界としてのコンセンサスを探る場として捉え返すほうが賢明ではないかということ。(もちろん安易かつ極めてオプティミスティックな物言いであることは承知です)
なによりも現況のデッドロックから脱却するためには「外交」という概念そのものを捉え返す時機なのではないかということです。

2013年9月10日火曜日

読書『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?―身近な疑問からはじめる会計学』山田真哉

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

150万部を越えるベストセラーとなった山田真哉さんの『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』、新風賞も受賞した今著。
新書ということもありますが、会計といっても、決算書の読み解き、簿記、会計学など裾野は広いですが、今著の位置づけとしてはそれらの門を叩く前段階の「入門の入門」といったところ。
タイトルにもなっている「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」はある一章の題で、ほかの章もこういった会計学的な日常の疑問に応答する形で成っています。
巻末には初歩的な会計用語の解説も附録してあるので、本著で会計学に挫折するということはまずないでしょう。
べつに会計士でもないんだから、「会計」なんて学ぶ必要はないと侮るなかれ。
日常で役立つちょっとした数字のレトリックのリテラシーは不可欠ではないでしょうか。
これはなんでも言えることですが、プログラミングにしても、エンジニアでなくとも、PHPやJavaの初歩が分かっているのとまったくの無知であるのとは、アイディアの導火線がまったく異なるのでは。

会計の入門書の入門書という意味では、本著を読んだあと、國貞克則さんの『財務3表一体分析法 「経営」がわかる決算書の読み方』に進むのが一番、効率良いのではないかと。

財務3表一体分析法 (朝日新書)財務3表一体分析法 (朝日新書)
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2013年9月9日月曜日

リーガル・ドラマはなぜかくもこうおもしろいのか


数あるジャンルの中でも訴訟もののドラマ、映画は大好物でついつい見てしまいます。
まあ現実の訴訟よりも脚色され、単純化されているのは否めないですが、だからこそ取っ付き易くのめり込みやすいのでしょう。
とはいえ『それでもボクはやってない』など、いつ自分の身に降りかかるかもしれない事案などは、一度自分を主人公に憑依させることで、擬似的に経験しておくことで、万が一痴漢事件に巻き込まれた時に正しい行動をできる蓋然性は高まりそうです。

べつに話題のテレビドラマや映画などのすべてを追って、時勢をの波から取り残されないようにしているわけではないですが、ある程度、今の世間の趨勢を把握しておくという意味ではそういったコンテンツをうまい具合につまみ食いするというのが僕のやり方です。
たしかに視聴率などの数値は数々の批判がつきまとうように絶対的な指標とは言いがたいものの、やはり相対的には参考になる値です。
視聴率が高いには高いなりの理由がある。他を出し抜きそれなりの数字の叩きだす背景にはバズ要因が必ず伏在している。それで一見してみようとなるわけです。
こういった数値を手がかかりにコンテンツを漁るのも一手法ですが、映画・ドラマ等に限らず、読書でも舞台でもなんでも、その界の自分の嗜好に合ったキュレーターを幾人かフォローしておくのが一番スマートなやり方な気がします。
自分で全方位をフォローするのはいかせん能率が悪いし、必ず"こぼれ"が出てしまう。
RSSリーダー、GunosyAntennaのような感覚を、インフルエンサーに付与する、というより見出す。


という前置きを説明した上で、あくまで世俗的なバラエティやドラマ方面のアンテナ感度がかなり高いのが南海キャンディーズの山ちゃん。
彼がアイドル業界に深い造詣を持っているのは周知ですが、それに限らずジャンルを問わないバラエティ、ドラマ類にも広いアンテナを張り巡らし、面白いと思ったものをすぐにメディアで発言しているので、僕もたまに参考にしてます。
リーガル・ハイ』はラジオで山ちゃんが推していたもので、むしろ『半沢直樹』以上に役者・堺雅人が全面に出ているとオススメしていたので、僕も3日くらいでSPも含めた通常放送を見てしまいました。

『リーガル・ハイ』を観ていて思うのは、弁が立つものが正義というか、周りの群衆を飲み込んでいくということ。時代は常にそうあり続けたのではないかということ。
最近でいえば、大阪市長の橋下徹さん、自民党の小泉進次郎さん。雄弁な語り口の人の周りには人が集まってくる。

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このドラマで主人公・古美門研介を演じる堺雅人も人格は最低でありながらも、マシンガンのように繰り出す理路整然かつ根拠に基づく弁証は見事というほかない。
そして度々、諜報員を雇い法律すれすれの工作活動をしたり、巧みにお金を使ったり、「法」や「裁判」が腹蔵する脆弱性を逆手にとり、無敗神話を築き上げていく。
その法律事務所に新人弁護士として入るのが新垣結衣演じる黛真知子。彼女は生来の真面目な女性で、無垢な正義心の塊、本当の「真理」の探求のため、あえて古美門事務所の門を叩く。
と、まあこのドラマの内容をつらつら述べてても仕方ないのですが、キャッチコピーで「愛も、法も、嘘がすき。」と掲げられているように、古美門に言わせれば、正義に基づく真理などあり得ないということ。


なにも日本だけに特有の問題なのではなく、とくにアメリカではより深刻にそういった脆弱性が表出しているといっていいと思います。
このドラマでもお金を持つものが弱者を握りつぶそうとする描写は幾度となく出てきますが、アメリカでもこの問題は根深く、大企業を相手にしたとき、個人が戦える素地はほぼないのが現状となっています。この辺の話はやはり堤未果さんの『(株)貧困大国アメリカ』に譲ります。

パスカル

力=資本(金)の論理の前に、司法も民主主義も無力ということでしょうか。
怜悧な炯眼に満ちた随想録『パンセ』でパスカルは以下の様なことを述べています。
「正義。力。正しい者に従うのは、正しいことであり、最も強い者に従うのは必然のことである。力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的であるこのようにして人は、正しい者を強くできなかったので、強い者を正しいとしたのである」
身震いします。

『リーガル・ハイ』ではあらゆる争点領域で古美門研介が顔を出し、見事に勝利を収めていきますが、じっさいの弁護士稼業としては、あり得ないことではないかと思います。
普通は得意とする領野が決まっているのが定石ではないかと。
たとえば第9〜10話にかけては村人たちが団結して、環境問題を理由として大企業を訴える訴訟を起こすのですが、これはジュリア・ロバーツ主演の実話に基づく映画『エリン・ブロコビッチ』で描かれていたような内容に近いです。

検察側の視点のドラマの筆頭ではやはりキムタク主演の『HERO』ですかね。
古典としては、僕も大学時代の英語の授業の教材で観た『十二人の怒れる男』が有名どころでしょうか。

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読書『ネットがつながらなかったので本を1000冊読んで考えた』堀江貴文著

ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた  そしたら意外に役立った (ノンフィクション単行本)

約半年前に『金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの?』を読んで、それ以来のホリエモンの本を読了。
全部が全部というわけではないけども、ほとんどの本は目を通しているはず。けっきょく気になって手にとってしまう。
でも実際そのほとんどがサラリと読めてしまうので、燃費の良い読書ではある。
なんといっても文体がクリアカットで無駄な脚色はほとんどないから、実質知に対する無駄が少ない。省エネ。

獄中にいながらも、"情報脱獄"には成功していたといって憚らない氏。
というのも、刑務所内にある所蔵本などには目もくれず、ツイッターのTLをプリントアウトしたものや巷で話題の本、なによりも自身がもっとも注力している宇宙・ロケット関連の本は網羅的に読書したそう。

読書=インプットのさきになんらかの"アウトプット"を指向しなくては得られる情報の価値も減耗してしまうというのは読書論では常識ですが、(筋トレも一緒で闇雲にワークアウトするよりも、今どこに負荷をかけているのかを明確に意識するのとしないのとでは効果がまったく異なる)ホリエモンの場合は、かなりビジネスモデル・ジェネレイティング志向(business model generating oriented)といいますか、常に先端ビジネスモデルへの糸口をフックにしているのが行間から伝わってきます。

彼のようなマインドセットを持つことは最近では緩和されてきたのかもしれませんが、異端とされることが多いですよね。大手メディアの扱いなどを見れば明らかなように。
この本でも触れられているように、日本人の勤勉性(バブル期には"Japan As No.1"などと称揚されていたような)国民性は資本主義におけるアービトラージに敏感です。
だからホリエモンのようなアティチュードは忌避され、徹底的に叩き潰されます。

選書の多くがサイエンス系のノンフィクションで、ぼくも未読のものが多かったので、興味深く読ませていただいたのですが、あえて難点をいうとすればタイトルで1000冊と銘打っているわりには紹介されている本の数が少ない、ということ。
なにも本文中でその全てに言及してほしいというわけではなく、巻末にブックリストとして掲載してもよかったのではないかと。

いくつか既読のものもあって少し嬉しかったりしたのですが、phaさんの『ニートの歩き方』はつい先日、僕もブログで書いたばかりだったので。
この本に対するホリエモンの短評が爽快だった。
自殺対策が大変な官僚のみなさんにぜひ読んでほしい1冊である。
書評のなかには少なくないマンガも紹介されていて、いつ来るかなーと待っていたら案の定、後半で『グラゼニ』が取り上げられていました。
たしか以前、ダルビッシュが高給取りの野球選手を槍玉にあげて、ツイッター上で批判したファンを諭す形でプロ野球界について、その裏事情を語っていた記憶があるのですが、このマンガではそこらへんの事情がつぶさに笑うに笑えない形で描いています。
確実にナイターの見方が変わります。そして、一度くらいファームの試合に足を運んでみたくなります。

成毛眞さん

後半は『儲けたいなら科学なんじゃないの?』でもタッグを組んでいたHONZの成毛眞さんとの対談。
成毛さんのオススメ本まとめは岩波新書の『面白い本』ですね。

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成毛 眞

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<9/9追記>ご本人に御墨付きを頂きました。(SNSで何も流してないのに、ひとりでに本人の目に止まる。すんごい時代というか、なんというか)