Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2014年8月7日木曜日

あらゆるところで散逸/滲透する「イノベーションのジレンマ」について―「SPEC〜結〜」『漸ノ篇』&『爻ノ篇』を観て


テレビドラマシリーズからみてきた「SPEC」完結編の劇場版をようやくDVDで鑑賞。
一言でいうと、「残念」の一言。
そもそも前回の劇場版「〜天〜」からして、怪しい雲行きが漂っていて...。
これはドラマだったり、映画だったりの宿命のような気もしなくもないですが。
映画も人気が出れば続編がでるし、ドラマも同様に(とくにアメリカドラマは)シーズンが延々と続いていき、冗長になっていく。(『LOST』『プリズン・ブレイク』)
『LOST』は途中から島を出てしまってるし、『プリズン・ブレイク』も途中からプリズン(牢獄)関係なくなってるし...。
いずれにせよ、こういったドラマが袋小路に入ったサインとして、回想シーンが増えてくると要注意です。

「SPEC」に関しては、途中から明らかに製作陣が巨大になっていったのがうかがい知れるし、ステークホルダーが肥大化していった。
故に作品の初期に尖っていたエッジがどんどん削られていき、作品の目指す先もどんどん広漠になっていき、最後なんかはガイア理論、「シンプルプラン」なにやら、訳がわからなくなっていき、最後も結局収束できずじまいだったような...。

これってなんだか、飛ぶ鳥も落とす勢いで成長していくベンチャーが、ミドル、メガ、そして普通の大企業へ階段を歩んでいくステップに似てるな〜という感慨。
従業員が増えていき、株式公開してステークホルダーが一気に増大すると、桎梏まみれになって、自由に身動きできなくなっていき、ビジョンの共有も困難になっていく。
まさしく「イノベーションのジレンマ」のような...。

2014年8月6日水曜日

「自己暗示」に紐づく習慣について


日々を歩んでいくうえで、もっとも怖いのは「自己暗示」に紐づく"習慣"なのではないかと、夜道にコンビニで買った缶ビールを飲みながらふと思い当たりました。

最近、毎日ビールを飲んでることに気づき、なぜかといえば学校が夏休みに入ったからで。
タバコをやめられないのも、毎日お酒を飲んでることも、
「依存」「アル中」...社会に流布した既存の悪習慣に自分を紐付け、無意識のうちに(しばしば有意識に)正当化しているうちに...いよいよやめられなくなっていく。
裏返せば、自己暗示なので、ふとした瞬間にやめられるほど些細なことでもあるとは思うのですが。

ぽかんといつも頭に浮かぶのは、アリストテレスの箴言。
繰り返し行うことが、人間の本質であり、美徳は、行為に表われず、習慣に現われる。

2014年8月4日月曜日

ぼくが「テラスハウス」をみる理由


院生にもなると、行動パターンも会う人も限られてきます。
代わり映えのしない日々の閉塞感のなかで、沈んでいく感覚があります。
「テラスハウス」のリア充世界とはまったくの対極の位置しています。

だからこそ、イイ。
キラキラ眩しいくらいの生活を送る彼らに羨望のまなざしを投げかけながら、地元の友達と「あーだ、こーだ」いいながらテラスハウス談義するのも、ミーハー感覚=世間とズレないために必要だったりします。
広い社会にはいろんな人がいる。そういう広い視野を失わないように。
若い今しかできないこと、サーフィンに取り組む人、アートに打ち込む人、役者になりたい人、瞬間にダイブしていく彼らは人生を謳歌してる。(英語でいえば"live it up"かな)
そういう刹那が単純に美しいと思う。

「テラスハウス」といえば、アンチが多い気もしますが、僕からすればこのこちょばいというか、少し地に足ついてない感がすごくいい。
だからやらせだとか、どうとかっていうのは二の次で。
ただ目の前で繰り広げられる展開を微笑ましく眺めるのが毎週月曜の楽しみだったりします。

知り合いのTBSの方が新しくはじめた(テラスハウスのような)番組『恋んトス』(放送は毎週月曜深夜0:41〜)もあるし、もちろん『HERO』の新シーズンも観てるし、月曜日が忙しい。
考えてみれば、「あいのり」→「テラスハウス」<フジテレビ>/「未来日記」→「恋んトス」という微妙に系譜めいたものがありますね。
なので、ここ最近の月曜日は一週間で唯一ガッツリテレビDAYで、「HERO」→「テラスハウス」→「噺家が深夜にコソコソ」→「恋んトス」という流れができあがっています。