Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer
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2014年4月15日火曜日

「グースハウス」と「テラスハウス」―"場"の多様化について


ぼくも毎週みてます、『テラスハウス』(やらせがどーとかは、とりあえずおいておきましょうよ)
一気にメンバーが入れ替わって、昨日の放送新鮮でしたね。

ユースト配信はなかなか時間が合わなくて、生では見られてませんが、たくさんのカバー動画で癒やしをもらってます『Goose house』
残念なニュースでいえば、設立当初から中心に居たリーダーのd-izeさんが脱退してしまうとのこと。

こういったメンバーの入れ替えはじめ、
考えてみたら、この二つのシェアハウスって共通点が多いと思ったんです。
まあ"シェアハウス"という「場」を基点に、どちらも活動しているので当たり前と言えばあたりまえなんですが。

シェアハウスにスポットライト当てると、テレビをはじめとしたエンタメだけじゃなくて、色んな可能性が生まれてくると個人的には思います。(ただ、そこにいち早く着目したフジのプロデューサーさんは凄いですよね。演出さんかな)

逆に『Goose house』をテラスハウス化させるのもおもしろくなるかも。
ふつうの生活がどうなってるのか気になっているリスナーも多数いると思うので。

世の中の潮流としては、シェアハウスのコンセプトが徐々に変わりつつあって、単なる共同生活というよりは、「同じ趣味趣向を持った人で集まろう」みたいなのが今流行ってますよね。
一番代表的なのは「ソーシャルアパートメント」ですが、ほかにもphaさんで有名な『ギークハウス』(ぼくはいつも新宿のギークハウスにお世話になってます)
スポーツ好きが集うという「ヒガコスポーツ」も面白そうです。
あとちょっと変わったものとしては、「企業寮をShare」しようという「月島荘」。
シェアハウスは都心が主ですが、家入さんが進めている「リバ邸」なんかは津々浦々にありますよね。(あ、でもそれで言ったらギークハウスなんてアフリカはじめ、世界展開しようとしてるんだった。笑)

"場"というものが多様化していくことで、新しい出会いがあり、そこから新たなムーブメントが生まれる。
そういった熱気がまた社会に還流していき、全体が盛り上がっていく。

「脱法ハウス」などの規制問題が立ち上がりましたが、それも一山越えた感があるなか、今後どんな動向になるのか関心があります。

2013年9月9日月曜日

読書『ネットがつながらなかったので本を1000冊読んで考えた』堀江貴文著

ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた  そしたら意外に役立った (ノンフィクション単行本)

約半年前に『金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの?』を読んで、それ以来のホリエモンの本を読了。
全部が全部というわけではないけども、ほとんどの本は目を通しているはず。けっきょく気になって手にとってしまう。
でも実際そのほとんどがサラリと読めてしまうので、燃費の良い読書ではある。
なんといっても文体がクリアカットで無駄な脚色はほとんどないから、実質知に対する無駄が少ない。省エネ。

獄中にいながらも、"情報脱獄"には成功していたといって憚らない氏。
というのも、刑務所内にある所蔵本などには目もくれず、ツイッターのTLをプリントアウトしたものや巷で話題の本、なによりも自身がもっとも注力している宇宙・ロケット関連の本は網羅的に読書したそう。

読書=インプットのさきになんらかの"アウトプット"を指向しなくては得られる情報の価値も減耗してしまうというのは読書論では常識ですが、(筋トレも一緒で闇雲にワークアウトするよりも、今どこに負荷をかけているのかを明確に意識するのとしないのとでは効果がまったく異なる)ホリエモンの場合は、かなりビジネスモデル・ジェネレイティング志向(business model generating oriented)といいますか、常に先端ビジネスモデルへの糸口をフックにしているのが行間から伝わってきます。

彼のようなマインドセットを持つことは最近では緩和されてきたのかもしれませんが、異端とされることが多いですよね。大手メディアの扱いなどを見れば明らかなように。
この本でも触れられているように、日本人の勤勉性(バブル期には"Japan As No.1"などと称揚されていたような)国民性は資本主義におけるアービトラージに敏感です。
だからホリエモンのようなアティチュードは忌避され、徹底的に叩き潰されます。

選書の多くがサイエンス系のノンフィクションで、ぼくも未読のものが多かったので、興味深く読ませていただいたのですが、あえて難点をいうとすればタイトルで1000冊と銘打っているわりには紹介されている本の数が少ない、ということ。
なにも本文中でその全てに言及してほしいというわけではなく、巻末にブックリストとして掲載してもよかったのではないかと。

いくつか既読のものもあって少し嬉しかったりしたのですが、phaさんの『ニートの歩き方』はつい先日、僕もブログで書いたばかりだったので。
この本に対するホリエモンの短評が爽快だった。
自殺対策が大変な官僚のみなさんにぜひ読んでほしい1冊である。
書評のなかには少なくないマンガも紹介されていて、いつ来るかなーと待っていたら案の定、後半で『グラゼニ』が取り上げられていました。
たしか以前、ダルビッシュが高給取りの野球選手を槍玉にあげて、ツイッター上で批判したファンを諭す形でプロ野球界について、その裏事情を語っていた記憶があるのですが、このマンガではそこらへんの事情がつぶさに笑うに笑えない形で描いています。
確実にナイターの見方が変わります。そして、一度くらいファームの試合に足を運んでみたくなります。

成毛眞さん

後半は『儲けたいなら科学なんじゃないの?』でもタッグを組んでいたHONZの成毛眞さんとの対談。
成毛さんのオススメ本まとめは岩波新書の『面白い本』ですね。

面白い本 (岩波新書)面白い本 (岩波新書)
成毛 眞

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<9/9追記>ご本人に御墨付きを頂きました。(SNSで何も流してないのに、ひとりでに本人の目に止まる。すんごい時代というか、なんというか)

2013年7月23日火曜日

読書『ニートの歩き方―お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』pha著

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニート界のカリスマ?phaさん(@pha)[ブログ:「phaの日記」]の『ニートの歩き方』をざっくり読みました。
たまには専門書ではなく、こういったゆるーい本も紹介。
じっさいこのブログで紹介しているのは、ごくわずかで、ぼく個人としてかなり幅広いジャンルの本を乱読しています。
「雑読」というからには、そんな色んなジャンルを適宜紹介できればと思います。

phaさんは京大の総合人間科学部卒。ヒャダインさん(@HyadainMaeyamad)と一緒ですね。
僕もphaさんが作ったとは知らなかったのですが、一時話題になった「村上春樹風に語るスレジェネレーター」はphaさんの作品だそうです。


phaさんは「ギークハウス」という最近ではわりと有名になってきたシェアハウスの発起人で、ソーシャルで有名な方々の界隈をフォローしている人は、一度くらいphaさんのことは耳にしたことがあると思うのですが、(以前書いた「メディア化する個人」で何人か取り上げてます)
ない人のためにちきりんさんと対談なさっている「このボクが、“日本一のニート”を目指すことができたワケ」という記事などがニートになるまでの経緯が分かるかと思います。

phaさんはネットを基軸に生活を送っているわけで、そんなネットには大きく3つの利点があると。
一つ目は「人とのつながり」。
これは特にツイッターとかフェイスブックとかソーシャルメディアが日常化、というか人口に膾炙していく中で、人と人とがつながるための手段が出てきた。場所を越えた。


つまり、ニートであろうが、引きこもりであろうが、人とは常につながっている実感があるから、孤絶感は特に感じない。
ソーシャルのつながりはリアルのつながりへと簡単に転化する。

二つ目はネットは遊びの宝庫で、暇することがほとんどない。

三つ目に生存するための最低限のお金を稼ぐことができる。アフィがその筆頭ですね。
このブログでもささやかながら、アフィリエイトでお金を生み出しています。(本当に雀の涙程度ですが)

とにもかくにも、なぜ定職に就かずに、ニートとして「自由に」生きていくことを選んだのか。その思想背景を説明するために、ネットで前に拡散されていたあるメキシコの漁師の話を冒頭で引用されていました。

アメリカ人の投資家がメキシコの小さな漁村の埠頭についたとき、小さなボートに一人の漁師が乗っていた。ボートの中には数匹のキハダマグロが釣られていた。そのアメリカ人はメキシコ人に魚の品質を褒めて、釣り上げるのにどれくらい時間がかかったのか尋ねた。メキシコ人は答えた。「ほんの少しの間さ」「何故、もう少し続けてもっと魚を釣らないのかい?」「これだけあれば、家族が食べるのには十分だ。」「でも、君は残った時間に何をするんだい?」メキシコの漁師は答えた。「朝はゆっくり目を覚まし、少し釣りをして、子供たちと遊び、妻のマリアと昼寝し、夕方には村を散策し、ワインを味わい、アミーゴ(仲間)とギターを弾くのさ。それで人生は一杯さ。」アメリカ人は小馬鹿にし、「私はハーバード大のMBAを取得しててね、きっと君を助けることが出来ると思うよ。」「君は、もっと釣りに時間を割いて、その収益で大きなボートを買うんだ。大きなボートでまた釣りをして、その収益で今度はボートを何台も買うんだ。次第に、君は漁船の一団を率いるようになるだろう。そして釣った魚を仲介者に売る代わりに、製造業者に直接売るんだ。次第に、君は自分の缶詰工場を始めるようになるだろう。君は生産・配給量をコントロールするようになる。この沿岸の小さな漁村を離れてメキシコシティに移る必要が出てくる。それからロスアンゼルスへ引っ越し、次第にニューヨークへ移り、君はこれまで拡大してきた君の企業を運営するんだ。」メキシコの漁師は尋ねた。「でも、一体どれくらい時間がかかるんだ?」それに対して、アメリカ人は答えた。「15年から20年だろうな。」「で、それからどうなるんだ?」メキシコ人は尋ねた。アメリカ人は笑って「時に合えば、君は株式公開をし、君の会社の株を売って、大金持ちになるのさ、億万長者にね。」「億万長者?…で、それからどうなる?」アメリカ人は言った。「それから君は引退して、小さな沿岸の漁村に引っ越し、朝はゆっくり目覚め、少しだけ釣りをして、子供たちと遊び、妻と昼寝し、夕方には村を散策し、ワインを味わい、アミーゴとギターを弾くのさ………」(引用元)
 
当たり前は当たり前じゃない。常識は社会が徐々に構築していく。
「規律権力」に憤然と立ち向かっていくフーコーはそのシステムの虚構性を系譜学的にアカデミズムにおいて暴き出すことに生涯を捧げたわけですが、phaさんはもっとゆるくでも自分の生得的な直観に従って、実践しているような。
なんだか坂口恭平さんと考えは近いような。アプローチはぜんぜん違いますが。
坂口さんの『独立国家のつくりかた』を読んだ時にこんなツイートをしていました。
去年の8月でしたか。衝撃的ではあったんですが、やはりどことなく中島らもの香りのようなものをその文体に感じずにはいられなかったというか。 
ハイな状態で書かれた文章ってやっぱり分かるんですね。なんだかクリエイティビティがほとばしっているというか。(アメリカに居た時、こんな文章残してました「クリエイティビティとマリファナ」)

phaさんも、中島らもを愛読しているようで、ギークハウスと比較したうえでらもの「ヘルハウス(地獄の家)」について触れていました。(参照:『バンド・オブ・ザ・ナイト』)
少なからず、みんな体制とか「当たり前とされていること」に対する疑問や違和は抱いていると思うんです。ようは程度の差であって。


マーク・ボイル

phaさんのさらに極限刑がウェブをも捨てた『ぼくはお金を使わずに生きることにした』のマーク・ボイルですよね。
彼のように自然に帰る人。ネットに居場所を見つける人。
選択肢は一つじゃない。この事は僕自身もずっと考え続けてきたことで、前に「就職、進学、そして生きていく事」で考えをまとめて書きました。

気になるのは、どうやってその分岐が生まれるのか。
大部分の人は疑念は抱きながらも、それが唯一のベストプラクティスであると自分自身に思い込ませる形で、大勢順応していく。
だけど、phaさんやボイルのように道を切り拓こうとする人もいる。
月並みな言い方をするならば、やはり出会いや環境によるのかなと。(Cf. 「ぼくらの興味は絶えずつくりだされていく」)
phaさん自身が紹介していた中では「セブ島で大喜利をするニートの話」など、少なからず、体制から飛び出して、自分で生きていこうとユニークな試みをしている人はいるそうです。



ニートを自称するだけあって、組織に縛られていないからなのか、かなりの読書量が文体から伝わってきました。そして実際、本書では数多くの本や漫画が紹介されています。
その中で、かなり説得力があったのは長谷川英祐さんの『働かないアリには意義がある』の議論。
真社会性生物として知られる蟻ですが、個体間には労働に対する反応閾値の違いがあるらしく、まあ簡単にいえば8割は働きものなんだけど、残りの2割は怠惰である。
これを敷衍して「個と全体の生物学」としてもう少し巨視的に観察すると、全体で一つの超個体(=社会)が成り立っている。これは単純な類似というよりも、かなり精確なアナロジーとして人間にも当てはまるのではないか、というのがphaさんの考え。
で、ぼくも(これもアメリカにいたときに書いたものなのですが)以前「Society and Diversity」と何故か英題のブログで書きました。
「天才もクズも社会の一部」だと、その通りだと思います。



ぼくも大好きだったアリケンというテレ東の番組で「しゃべり場」というパロディチックなコーナーがあって、上の回の題は「テレビには駄目人間を出すな」という有吉の提起が議論されるんですが、その中で
くりーむしちゅーの有田が昨今の(最近はヘキサゴンの時ほどは酷くないと思いますが)おバカタレントブームには視聴者はそれをみて、「自分より劣っている人がいる」という優越感を感じさせるための構造があるから、それが数字に繋がっているんだということを言っています。

これは再び敷衍するなら、なぜ日本の自殺者は約3万人で推移し続けているのかのヒントになるかもしれない。いきなり10万人になったりしない、ということをphaさんは言っていました。

ホリエモン

そして、環境で人は常に変わり得るということは、たとえば自分が今、総合職の商社マンでエリート街道を突っ走っているという確信のもと、ニートの人たちを社会の害悪として卑下したとしても、常に自分が彼で、彼が自分だったかもしれない蓋然性は免れない。
社会や自分という存在は大いなる"偶有性"の所産でしかないのだから。
ホリエモンがたしか『金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの?』でだったのだと思うのですが、刑務所での経験で驚いたことの一つとして、収監されている人が凶悪な人だという大方の予想に反して、案外みんな塀の外にいる人と変わりのない"普通の"人であったということを言ってました。
なにより人は最初、ニートであった、とphaさんは後半で言います。
『ベンジャミン・バトン』ではそれを逆方向から描いているように、赤ん坊は一人で生きていけないのと同様に、高齢になると独りで生きていくのが困難になっていく。

もしみんなニートだったら、そんな社会は成り立たないですが、
なんの脈絡もなく安藤昌益は『自然真営道』で語った思想が頭をよぎったんですね。
貪りとる者もなければ,貪られる者もなく,自然も社会も一体となり,自然の営みの中で社会全体で耕し,それ以外に何一つ人為的な行いはない。これが自然の世の有様である。
みんな農業すれば、ハッピー。妬みも恨みもないただ、その日を家族や友人と過ごす。 
アイスランドにいたときに感じたこと。(Cf. 「アイスランドの少年と幸せ」)
そもそもこういった考え方自体がマルクス主義の労働=疎外論と共振性があるのですが。
たとえば有名な一節がありますね。
朝には狩をし、午後には魚をとり、夕には家畜を飼い、食後には批判をすることができるようになり、しかも猟師や漁夫や牧人または批判家になることはない。(『ドイツ・イデオロギー』)


家入さんとイケダさん

家入さんのリバ邸(Cf. 『お金が教えてくれること』)とか、イケダハヤトさんがプロブロガーと自称することや(僕自身は未読ですが『年収150万円で僕らは自由に生きていく』という本でその背景が書いてあるのだと思います)、安藤美冬さんが『冒険に出よう』で提唱するようなノマドワーキングなど、中島義道さんの『働くことがイヤな人のための本』などを思わず手にとってしまう人にとっては、実践的なヒントになるであろう、アクチュアルな生き方が多様化してきているのは間違いないかと。