2011年11月30日水曜日

INAC神戸vs. アーセナルレディース、そして川澄はキュート

The Pretender/ Foo Fighters


チケットを頂いたので、INAC神戸vsアーセナルレディースの試合観戦に国立競技場に行って来ました。
Toyota Bitz Cupというクラブ最強決定戦?でした。
サッカー観戦は「現代サッカーにおけるキングカズのシザース」で書いたFC東京対横浜FC以来でした。
女子サッカーを観るのはこれが初めて。

pic.twitter.com/XQ4fZA3M

シートもブロック指定席で普段は観れないような良い席でした。
女子サッカーとはいえ、スタメンの多くが日本代表で構成されるINACは相当強かった。
澤、大野、川澄、近賀、海堀それに韓国代表の選手も2人います。

特に澤はやはり別格でした、視野の広さ、パス精度、ボディーバランス、ワールドクラスですね。

試合はというと、川澄のアシストから韓国代表のチ・ソヨンがフィニッシュ。
彼女が試合のMVPを獲得。(もちろん賞品はBitz。笑)
アーセナルレディースもイギリスチャンピオンだけあって強かった。
まずガタイが全然違う、K-1だったら絶対クラス違う。笑

pic.twitter.com/VQjxvlUE

結果は1-1のドロー。
復興親善試合としてはナイスゲームでした。
でも寒かった...。

それにしてもスポーツ観戦の時に飲むビールってなんであんなに美味しいんでしょうね。


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2011年11月28日月曜日

ほっこり、ただただほっこり

昨日、ずっと見てずっと笑ってたほっこりすぎるビデオをふたつ。



チャーリーもお兄ちゃんも表情が最高すぎる。
将来は名俳優まちがいなし。



リリーの感激ぶりにコッチまで泣けてくる。笑
かわいいな、子ども欲しいってこうゆう時に思います。

いやいや、つらいことが何かあったらココに戻ってきます。
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2011年11月27日日曜日

ジャパンカップ、ブエナは現役最強を証明

When You Were Young/ The Killers


ジャパンカップがさきほど終わりました。
今月はずっとこのJCを楽しみにしてました。

ぼくが昨日、ツイッターに載せた予想は以下の通り。
◎ブエナビスタ
◯デインドリーム
▲トーセンジョーダン
△ウインバリアシオン

結果は◎-▲で馬連的中。デインドリーム以外の4頭が掲示板を確保。
ウインバリアシオンは早めの仕掛けで掲示板に残るのだから、相当実力馬であると同時に世代のレベルを示してくれましたね。
オルフェーブルも照準を合わしてると思われる有馬記念が本当に楽しみです。
先日「有馬記念ファン投票中間発表」が出ていましたね。
デインドリームは結果的に6着。
先月、書いたブログ「凱旋門賞がありましたね」でも書きましたが、LIVEでデインドリームのレコード勝ちをみていた身としては外せませんでした。

コチラがレース映像


まさかの3着はジャガーメイル。
三連複で8万円もつきました。
レースの結果はコチラ

いまこんな本を読んでいます『100万馬券の履歴書』


もう少し、血統を勉強してみようと思います。
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2011年11月26日土曜日

ボジョレーヌーヴォー解禁しました

Bow Chicka Wow Wow/ Mike Posner


ひそかに一昨日、ボジョレーヌーヴォーを解禁してみました。
コンビニで安く買えるし、味も飲みやすいのでいいですよね。
にしても毎年、常套句のように語られる「今年のボジョレーは上出来」
もうなんか常套句の常套句のようになっています。笑




ぼくは個人的にはワインよりもウイスキー派です。
部屋には常に「ジャックダニエル」がストックしてあります。笑



でも間違いなくお酒で何が一番好きかと聞かれたらビールですね。
メキシコのビーチ、マイアミのビーチで飲んだコロナの味は一生忘れることはないと思います。ライムを絞って飲む、至福ですよね。



メキシコのビールといえば、ソル、テカテ、モデロも美味しいです。







いままでもたくさんの種類のビールにトライしてきましたが、この前教えてもらったベルギーの青りんご味のビール、ニュートンはユニークな味で飲みやすかったです。多分、女性でも美味しく飲めると思います。



あとこの前、Instep Lightで飲んだスペインのビール、アルハンブラも深くてコクのある上品な味で気に入りました。



ビールではないのですが、この前教えてもらったお酒チンザノ・ロッソも飲みやすくて美味しかった。なんといっても安くて、気軽に飲める。



とまあ、とりとめもなくお酒を羅列してしまいました。
最後にひとつ、大好きなお酒をもう一つだけ。
ドイツのリキュールで56種類のハーブからできてるというイエガーマイスター。アメリカにいるときに聞いた噂では鹿の血が入ってるとか(※調べてみましたが、入っていないそうです笑)
でもパッケージには鹿の絵があります。
アメリカではイエガーをレッドブルで割った「イエガーボム」が大人気です。





みなさんも何かオススメのお酒があったら教えて下さいね。
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2011年11月25日金曜日

読書『アップルを創った怪物―もうひとりの創業者』スティーブ・ウォズニアック著

Shuffle/ Bombay Bicycle Club


アップルは二人の男が立ち上げ、築いた偉大な会社です。
二人の男、正確には「ふたりのスティーブ」とでも言いましょうか。
ひとりは周知のカリスマ、スティーブ・ジョブズ。
先日、自伝を読んだばかりです。そのことはブログにも書きました。

そしてもう一人、それがスティーブ・ウォズニアックです。
二人の天才が出会い、ガレージで完成させたのがアップルⅠであり、Appleです。
ただ、二人ともまったく違った人種でまったく違ったタイプの"天才"でした。

ジョブズも基礎的なプログラミング知識はありましたが、世界を変えられるほどの卓越さは持ち合わせていなかったのです。
人を惹きつけるカリスマ性、徹底的にナンバーワンを目指す情熱、未来を透視する千里眼、周知のマーケティング力・プレゼン力。
一方、ウォズニアックは対照的に、人前で話すのも苦手な極度のシャイな男でした。
温厚でいて、平和主義、上昇志向もほとんどありません。
ただ、彼は天才でした。正真正銘の天才でした。
プログラミングで世界のトップクラスの人間だったのです。

そんな二人がカリフォルニアで出会い、意気投合し、革新的なプロダクトが次々に生み出されました。
プロダクトの制作をウォズが、マーケティングをジョブズが。
二人の天才が出会ってイノベーションが生まれたのです。
対照的な二人だったからこそ、歯車が見事に合致したのかもしれません。


ただ、会社が肥大化するにつれてウォズは居場所を失っていきます。
もともと上昇志向に欠けていた彼は、ある日アップルを退社し、自らの会社CL9というユニバーサルチャンネルを設計する会社を立ち上げます。(アップルには一応、籍は置きつつ)

彼の人生哲学が伺える言葉がつぎのものです
物事をコントロールする人より、笑って過ごす人のほうが幸せだって、僕は思う。それが僕の考え方なんだ。僕は、人生で一番大切なのは幸せであり、どれだけ笑って過ごせるかだと思うんだ。頭がちょっといかれたやつのほうが幸せなんだ。僕はそうゆう人間だし、そうなりたいとずっと思ってきた

自伝では彼の性格が伝わってくるような、どことなくかわいい語り口で人生を振り返っています。
途中途中でプログラミングなどの技術面の話が多くありますが、素人でもわかるように噛み砕きながらわかりやすく彼なりの言葉で逐次説明を加えてくれます。

彼は生まれながらにしてプログラマーだったのかもしれません。
父はエンジニアだった。幼少期から様々な専門知識を噛み砕きながら、わかりやすく説明してくれた。ぼくは算数と理科が大好きになった。小学六年生の時はIQが200を越えていたよ。
父が教えてくれたことで最も重要なことは「エンジニアは世界を変えることができる」ということだ。
今も僕は、エンジニアとは世界の鍵を握る人種だと信じている。 
そして彼は世界をものの見事に変えてしまったのです。
一部の政府機関や機械オタクしか扱うことの出来なかったコンピューターを設計して、だれもが使えるパーソナルコンピューターにしました。
いまわたしたちの生活はパソコンなしに考えにくいものとなっています。
ぼくはMacユーザーですしね。



世界は白黒なんかじゃない。白と黒の間にはさまざまな濃さのグレーがあるんだ。「発明家なら、グレースケールで物事を見なきゃいけない」。すべてに対してオープンに。他人のあとをついて歩いてはいけない。
何か新しいもの、世界を変えるものを作るには、みんながとらわれている制約の外側で考えなきゃいけない。みんながそんなもんだと思っている人工的な限界の外側で考えなきゃいけない。白黒じゃなくてグレースケールで世界を見なきゃいけない。誰も考えつかなかったものを作りたいなら、そうする必要があるんだ。 
この哲学があって、アップルが生まれて、数々の名機が世に産み落とされ、ぼくはこうしてMacbook Proでブログを書いているんですね。



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2011年11月23日水曜日

"A World Of Pandemonium"

Deerhounds/ the HIATUS


今日、11/23にthe HIATUSのニューアルバム"A World Of Pandemonium"がリリースされました。
ぼくはというと、待ちきれずに昨日、渋谷TSUTAYAで学校の休み時間に1日はやくフラゲしました。
いやはやここ数ヶ月、この日を心待ちにしていたので。

アルバムの一曲目に収録されている"Deerhounds"のPVも同時にYoutubeに挙がっていましたね。



PVも素晴らしい仕上がりです、細美さんもやっぱりSigur Rosの影響を受けているのかなあ。
曲たちはどことなくThird Eye Blindみたいな雰囲気ですね。
素晴らしい楽曲ばかりです。
昨日の夜から、いまに至るまでエンドレスリピートして聞いてます。


しばらく聴きこんで、それこそぼくの血、骨、五臓六腑に染み渡るくらいに。笑
自分なりに音を、詞を味わって、咀嚼した上で日本語に和訳してみます。
いちおうぼくが管理しているツイッターBOTの@のに少しずつあげていきますのでよろしくお願いします。



ツアーもたのでしみですね。
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2011年11月21日月曜日

『国連の政治力学- 日本はどこにいるのか』、『国際関係論- 同時代史への羅針盤』

Belief/ John Mayer




本を2冊ほど読んだので、軽く紹介。

まず1冊目『国連の政治力学- 日本はどこにいるのか』
筆者の北岡伸一さんは日本政府国連代表部次席代表として、現場で勤務なさっていました。
その時の経験を元に、現場の視点を含んだ論考となっているので臨場感・リアリティがあってサクサク読み進められました。

第に「国連の政治力学」とあるように、国連のダイナミックスが描かれています。
国連に集まる各国にはそれぞれの国益があり、それを調整する場として国連は機能します。
微妙な駆け引き、心理戦、国連とはいえども国と国同士が話し合うわけではなく、各国から代表して送られてきた「人」と「人」が話し合います、当たり前ですが。
つまりそこには外交、交渉があります。
外交に関して北岡さんが興味深いことを書いていらっしゃいました。
外交は知的格闘技である。外交はお金と違う。お金は使えばなくなるが、外交は適度に使えば、さらに強化される。筋肉を適度に使えば発達するのと同じである。
北岡さんは国連改革推進派の急先鋒でもあります。現在のP5は周知の通り、米・中・露・英・仏ですが、ここに日本が入っていないのはおかしいというわけです。
日本のような、核を持たず、アジアの国であって、途上国経験を持つ、シヴィリアン・パワーが、安保理の常任理事国となることは、重要であり、むしろ日本の責任というべきだろう。それはたんなる日本の国益を超えた、世界秩序に対する日本の責任である。こうした大義があり、ある程度の展望があるとき、日本は当然、全力でこれに取り組むべきであろう。 
日本が常任理事国の中の国と比べても、多額の負担金を払っているという事実も当然挙げていらっしゃいます。
一部に、日本が常任理事国に入って、国連はどう変わるのか、あるいは、日本は常任理事国になれば、どのようなことをするのかと尋ねる人がある。私は、これは問題の立て方が間違っていると思う。現在、日本は、常任理事国のすべてとは言わないが、そのいくつかの国を上回る貢献を、すでに行っている。つまり、日本は常任理事国になっているのが当然なのであって、現状は差別を受けているといっても過言ではない。常任理事国入りは、この差別を是正するだけのことである。 
歴史認識・教科書問題にしてもそうですが、それほど歴史というものは重みがあり、変えるのが難しいということですかね。
あと、日本がこれまでODAなどを介して行なってきた海外援助に対しても、興味深い記述がありました。
日本の援助に哲学があるとすれば、それは「自助」である。明治以来、敗戦後の一時期を除き、日本は外国の援助なしに発展した。自ら努力する国を助けること、言い換えれば、主役は現地の人であって、国際社会ではないということが、重要だ。これをオーナーシップと呼んでいる。日本は堂々とオーナーシップを主張して、腐敗した政府はバイパスして、村おこし、教育、病院、井戸掘りなどをやっていくことがよいと思う。
続いて2冊目に『国際関係論- 同時代史への羅針盤』という中嶋嶺雄さんの本。



冷戦のすぐ後に書かれた著作だけあり、時代の切迫感と言うか自体の深刻さが新鮮でよかったです。
そもそも国際関係論とはなんなのか、国際政治学を敷衍したものではないのか。
博覧強記な筆者の知識に基づいた深い考察には脱帽です。専門は中国研究ということでしたが、射程が広い。


様々なディシプリンが重複し、マクロ視点として国際関係論はある。
そして個々がミクロ視点として特定の地域に根ざした専門的知識を持つことも奨励していらっしゃいます。
ミクロとマクロの両方の視点を見につけて、その両方を絶えず行き来きすることが重要だということです。


重層的に折り重なった国際政治の巨像を包括的に理解するためには上記のように適宜、諸相を切り取って検討・考察してはじめて全体像がつかめるということですね。
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2011年11月20日日曜日

調布でフットサル、夜は二郎。とても大学生らしい一日。

Sonny/ New Found Glory


調布・飛田給でお昼からフットサルをやりました。
体を動かすのもひさびさだったので、本当に良い汗を流せました。
「スポーツ」って素晴らしい、そう実感。

夜は野猿街道・二郎に行こうと思ったのですが、定休日ということで小滝橋通り・二郎で妥協。

人生初の大ブタ全増しをしばいたりました。

pic.twitter.com/LE8pfyCu

いやはや、フットサルで足はパンパン、二郎でお腹はパンパン。
なんだかとても大学生らしい一日でした。
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「保護する責任」は正当だったのか、押村・納家合同ゼミがありました

The Brainwasher/ the HIATUS


昨日、土曜日に押村ゼミと納家ゼミの合同ゼミがありました。
テーマは「リビアへの保護する責任の適用は正しかったか」
両ゼミ混合にした上で、賛成・反対にわかれ、ディベート形式で行いました。
自分は賛成側でした。

保護する責任が本当に国際社会がとりうるラストリゾートだったのか、というところが焦点になるとは思っていました。
そもそも何を持ってして「最後の手段」なのか。検討を重ね、見極めている間にも人民の命は失われていきます。
スピード感・迅速な判断は特に重要です。

「保護する責任(Responsibility to protect)」が誕生した背景は、ルワンダの大虐殺(1994)、スレブレニツァの虐殺(1995)などのジェノサイドに対し、国際社会が適切な処置をとることができなかった反省から、カナダ主導で国際委員会で2000年に打ち出されました。

ところが2011年に至るまで、この10年間運用されることは皆無でした。
この間にも、ガザ地区・ダルフール・コートジボワールなど危機的状況がいくつもあったのにも関わらずです。

しかし今回のリビアの件では、画期的とでもいうかのようなスピードで決議からわずか2週間で介入が実施され、自体は収束しました。(再建の問題などは別個にありますが)


このプロセスも適切なものであったと思っています。
資金凍結、経済制裁など武力行使以外に考えられる手段を実行した上で、効果がみられなかった。
そこで安全保障理事会は賛成15の完全なコンセンサスの元、安保理決議1970を可決します。
いわば、これが「最後の手段の予防線」、リビアに対する最後通牒だったのです。
ところがカダフィはこれを無視、空爆を続行します。

そして安保理決議1973が可決され、武力介入が行われたのです。
反対はありませんでしたが、ロシア・中国など伝統的に「内政不干渉」を訴え続けてきた国は「武力行使には慎重であるべき」だとして棄権しています。
これは自明ですが、両国ともチベット、グルジアなど自国内に人権問題を抱えているため、「介入」を認めるわけにはいかないのです。

今回の介入が、ウェストファリア体制の元、護持されてきた主権国家システムに揺らぎをもたらすのではないか、「保護する責任」が乱用されるのではないか。
という懸念が当然あります。
基本的には今回のケースのようにコンセンサスが前提条件になるべきです。
中国やロシアが拒否権(veto)を乱用するのでは、という指摘もありましたが、これもケースバイケースで、それらの国も権益と密接に関わりのある地域ではそのような可能性も否定できないかもしれませんが、それ以外の地域であからさまに人権が蹂躙されている場合に拒否権を発動するのはナンセンスで国際的に孤立してしまう恐れもあります。

今回のケースに限っては、成功したように思えますが、これをいいことに介入を軽視し、簡単に「保護する責任」を使うことは国際政治に混乱を招きます。
個々のケースごとに慎重な分析を加え、最適の手段と思われる場合にのみ限定されるべきだと思います。
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2011年11月18日金曜日

仲畑貴志さんのコピーワーク、こころを射ぬくようなコトバ

When You Sleep/ My Bloody Valentine


ぼくが尊敬するコピーライターの一人、仲畑貴志の秀逸なコピーワークをいくつか集めて紹介してみたいと思います。
主に先日読んだ本『日本のコピーベスト500』から引っ張ってきたものです。



どんな無法者でも、口ずさむ歌を持っている。(マルオ被服/ BIG JOHN)
異常も、日々続くと、正常になる。(ロンドンレコード)
一緒なら、きっと、うまく行くさ。(西部流通グループ)
昨日は、何時間生きていましたか。(パルコ)
ウィスキーも音楽がなかったら、心がグジャグジャになるなあ。(サントリー)
人柄募集。(住友林業ホーム/ 求人)
ようこそ、キミは音楽のある星に生まれたんだよ。(SONY)
目的があるから、弾丸は速く飛ぶ。(パルコ)
小さいところが、大きいのですね。(毎日新聞社)
死ぬほど好きという脅迫。(岩田屋)
こんなに憎み合うのは、あんなに愛し合っていたからですか。(パルコ)
家族の顔を思い浮かべると、生きていけると思う。(味の素ゼネラルフーヅ)
目の付けどころがシャープでしょ。(シャープ)
私は、あなたの、おかげです。(岩田屋)
なんだ、ぜんぶ人間のせいじゃないか。(毎日新聞社)

ひとの心を貫く熱を帯びたコトバたち。
仲畑さんのコピーの真髄は一貫して、端的に突き詰め、余分な言葉が削ぎ落とされていていること。
一言でぼくらのこころを射ぬくような洗練されたコトバ。

もっともっとコトバをつかみとるのが上手になりたい。
大学生ブログ選手権

2011年11月17日木曜日

AKBを使った安易なマス広告こそ、ソーシャルメディア時代に輝くのかもしれない

ヘビーローテーション/ AKB48


もはや社会現象とまでになってしまった、日本でのAKB旋風。
そこかしこで見かけます。街を歩いていても、テレビを見ていても、雑誌をめくっていても。
もううんざりするくらい。
でも冷静に考えてみたら、マス広告からソーシャルメディア時代の新しい広告にパラダイムシフトがおこっている今こそ、マス広告に国民的アイドルを起用する意義があるのかもしれません。

いくつか例を挙げて考えてみたいと思います。

まず最近、話題になった「わたしと赤ちゃんを作らない?」の大島優子のCM。



センセーショナルなコトバでだれもが気になったはず。
AKBメンバーと自分で仮想の赤ちゃんの画像が作れちゃうというフルキャストマーケティングのキャンペーン。

ぼくも普段、テレビは見ませんが、すぐにツイッターのタイムラインに流れてきました。
瞬く間にバズっていたのを記憶しています。

続いて、カゴメのCM。



メンバーそれぞれがそれぞれの野菜にふんした衣装を着ます。
これでどれがいいだとかの話題ができるわけですね。

そして今も流れてるスクエアエニックスのCM。



あたかもスクエニに大島優子が就職したかのように進んでいくストーリー。
回を重ねるごとに進行していくので、毎回先が気になる仕組みになっています。
テストプレイヤーとして、または計画立案者として参画している様子が描かれています。
なるべくリアル感をだそうとしています。

さて、AKBをCMに起用すればいいのかというと決してそうゆうことはありません。
既存のマス広告の枠組みの中だけでPRが完結してしまってはダメなんです。
ようは「話題性」を打ち出すこと。
それは今までもそうだったのですが、話題があれば誰かに口コミする。(無意識、有意識を問わず)
ただSNS隆盛時代の今は、口コミがもっと広範囲、つまり不特定多数の人の間でシェアされます。プラットフォームもツイッター、フェイスブックなど多岐にわたります。
つまりTVで流れた広告も「話題性」さえあれば、それがSNS上に持ち込まれ一気に拡散していき、SNSから流れてTVを実際に見て、確認する人も出てくるのです。

では具体的に話題性とは何でしょうか。
もうひとつ参考となるCMを見てみます。



AKBの大型新メンバーとして突如現れる「江口愛実」。
「コイツは一体誰なんだ?」「なぜこのタイミングで?」「オーディションを経ずに」
などと、随分ツイッターも賑わせました。
本物か偽物か賭ける人もたくさんいました。ぼくもその一人ですが。笑
議論が巻き起こった時点で、とりあえず成功なんでしょう。
これはいささか強引でしたが。

要するにただ単に、起用して会社のサービス、プロダクトを宣伝してもらうだけでは不十分だということです。
意外性、サプライズ感、ストーリー性、どれでもいいからとりあえずはバズが巻き起こるような「話題の種」がソースとして組み込まれていなければならないということです。
特に賛否両論を呼びそうなものはSNSで拡散されやすい傾向にあると思います。

逆に言えば、AKBなどのビッグアイドルを使わなくても、「話題性」さえあれば、SNS上にまでマーケティングが飛び火するということです。
ただ、AKBのほうが話題になりやすいということでしょう。





大学生ブログ選手権

2011年11月15日火曜日

スーパーファミコンをめぐる小学生たちの戦争

In The Garage/ Weezer



ぼくの周りで先月、最高に流行っていた動画。
@ブログで取り上げていましたが、ぼくもこの爆裂動画をシェアしておきます。笑

リアル放送事故とでも言うかのような古き良き時代の番組。
小学生たちが優勝賞品のスーパーファミコンを賭けて、叡智を持ってしてクイズ対決を繰り広げます。

ここからネタバレになっていますので、ぜひぜひ、まずは映像を御覧ください。後悔はしません。笑
必ずキャプションはオンのままで。

完全に前嶋崇之の独断場ですww そして渡辺徹と横の女性の名司会ぶり。圧巻ww

いくつか名言を拾っておきます

  • 前嶋が下唇を鼻につけるという特技を披瀝したときの解説「後のクッキングパパである」
  • 金澤のマッチのモノマネの下りで「末期でーす」
  • 堀井の解答「裸アナル」
  • 堀井の解答2「カゼエロ☆クリスタル」
  • 前嶋の解答「デスピ太郎」
  • 遠藤の解答「ンパー」
職人さんたちのコピーライト技術には脱帽です。笑

そして、オチがいくつもあるんですねww
前嶋の雄叫びはもちろんなんですが、堀井が〈デビルカード〉を引いた時の不条理具合はマジでえげつないww
最後の最後の前嶋のクラッカーを出すタイミングも秀逸。

この企画の一番の矛盾は彼らがこれだけ問題に答えられる時点で、もうすでにスーファミを持っているだろうという事実。



彼らの今がとても気になりますw
大学生ブログ選手権

2011年11月14日月曜日

「アルマゲドン」、そして「宇宙兄弟」

I Don't Want To Miss A Thing/ Aerosmith


小さい頃から大好きでたまらない映画「アルマゲドン」を観ました。
これまで何度観たか数えきれないです。
観るたびに魂が震えるほどの感動を受けます。
主題歌であるエアロスミスの「I Don't Want To Miss A Thing」はとてもとても有名な曲ですが、一度ぼくの言葉で日本語に訳してみようと思います。



I could stay awake just to hear you breathing
(ぼくは起きていられる、ただ君の呼吸を聞くためだけに)
Watch you smile while you are sleeping
(君が眠っている間にみせる笑顔をながめてる)
While you are far away and dreaming
(きみが遠くのところで夢をみている間に)
I could spend my life in this sweet surrender
(この甘いやすらぎに人生をささげられる)
I could stay lost in this moment forever
(この瞬間に埋もれていたい、永遠に)
Well, every moment spent with you is a moment of treasure
(君と過ごす一瞬一瞬がぼくの宝物なんだ)

I don't want to close my eyes
(目を閉じたくない)
I don't want to fall asleep
(眠りにおちたくない)
'Cuz I'd miss you, babe
(君が愛しいから)
and I don't want to miss a thing
(だから何一つ見逃したくない)
'Cuz even when I dream of you
(君の夢を見ている時でさえ)
The sweetest dream will never do
(どんなに甘い夢でも足りないんだ)
I'd still miss you, babe
(君が今も愛しい)
and I don't want to miss a thing
(そして、何一つ見逃したくない)

Lying close to you
(きみのそばに寄り添って)
Feeling your heart beating
(きみの胸の鼓動に耳を澄ませてる)
and I'm wondering what you're dreaming
(きみは何を夢見ているんだろう)
Wondering if it's me you are seeing
(それはぼくなのかなあ)
Then I kiss your eyes
(それからきみの瞳にキスをする)
and thank god we're together
(神様、ふたりの出会いに感謝します)
and I just want to stay with you
(ただきみと二人でいたい)
In this moment forever, forever and ever
(この瞬間の中に、永遠にずっと)

I don't want to miss one smile
(きみの笑顔ひとつを見逃したくない)
I don't want to miss one kiss
(きみのキスひとつを見逃したくない)
Well, I just want to be with you
(きみと一緒にいたい)
Right here with you, just like this
(ここで君と、ただこうやって)
I just want to hold you close
(ただ強く抱きしめたい)
Feel your heart so close to mine
(きみの心をぼくの近くに感じて)
and stay here in this moment
(この瞬間、ここにいて)
For all the rest of time
(残りのすべての時間も)

I don't want to close my eyes
(目を閉じたくない)
I don't want to fall asleep
(眠りにつきたくない)
and I don't want to miss a thing
(そして、何一つとして見逃したくない)

簡単に訳してみました。
映画を観ておもうのは、この歌詞がふたつの立場から解釈できるということです。
娘を心から想う父の気持ち、ブルース・ウィルス演じるハリーがリブ・タイラー演じるグレイスを大事にしている様子。
そしてもうひとりはグレイスの恋人、ベン・アフレック演じるAJが彼女を強く想う気持ち。
どちらも正解なのだと思います、この楽曲自体がこの映画のために書かれたということもあるので。
奇しくも、エアロスミスのボーカル、スティーブン・タイラーはリブ・タイラーの実のお父さんなのですよね。
アメリカらしい、粋な演出です。



そして映画を通して思ったのは、マンガ「宇宙兄弟」のストーリーの多くの着想にアルマゲドンからの影響がうかがい知れたことです。
特にパイロット教官のデニール・ヤングの話なんかは、そのまんまという感じで。笑





この映画を観ると、大切な人をもっと大切に感じるようになります。
大学生ブログ選手権

「速さは自由か、孤独か」サイレンススズカのプレゼンをしました

Sound of Silence/ Simon&Garfunkel


下北沢で学部の友人@友がやっているカフェ「Instep Light」で「サイレンススズカ」についてのプレゼンをやってきました。
企画自体が、それぞれの趣味やフェチ、それも普通のことではなくてだれも知らないようなニッチでマニアックなものを各々がプレゼンするというものだったので、「競馬」ではなくてスズカをあえて選びました。
ほかの人達は
  • 「スターウォーズ、ヨーダのライトセーバーの出し方」
  • 「日本の職人(宮大工や砲丸作りの名人など)」
  • 「好きなブロガー、シトウレイ」
  • 「筆跡フェチ」「女の子がご飯食べているとき」
  • 「ジョジョ立ち」「仮面ライダー、ガンダムは実は深い」
など、普通じゃありえない題ばかりでした。笑
どれもみなさんの熱が入っていて、すべてに興味がわきました。
思ったのは、ぼくらが持っている興味ってどれも偶然から構築されていったものがほとんどでキッカケさえあればって感じなんだろうと思います。
たまたま友人に勧められたりだとか。
とりあえずぼくは「ジョジョ」を読むことからはじめてみようと思います。




さてぼくは「サイレンススズカ」についてプレゼンしたわけですが、好きすぎてどこから説明すればいいのか苦慮しました。
とりわけ相手が競馬にもともと興味のない人たちだったので。笑
なのでぼくがなぜ競馬をはじめたのかや競馬の基礎的な知識などを説いた上でスズカについて熱弁をふるいました。



この動画をみてもらえればわかりやすいかと思います。
あと個人的に大好きなのがこのJRAのCM。



「最速の機能美、サイレンススズカ」「速さは自由か、孤独か」
かっこよすぎるコピー。だれが書いたんだろう。ちょっと調べてみます。

たぶん最後は自分の気持や情熱に体が追いつかなかったのだと思います。
体をすり減らしてまでも前へ進み続けた、そして最後は左前脚が粉砕骨折してしまう。
武豊騎手はいまでもスズカのことを思い出すそうです。
そしてディープと対戦させるなら?という質問に「スズカ」と即答しています。



競馬にはドラマがつきものですが、とりわけぼくはスズカが大好きだし、これからもずっと大好きでい続けると思っています。
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2011年11月13日日曜日

読書『電通の正体―マスコミ最大のタブー』『週刊金曜日』取材班著

Mouse Molding/ ELLEGARDEN



巷で噂を聞くことはあっても、テレビで触れられることはほとんどない電通。
社会を牛耳ってるだとか、ブラック企業だとか悪い噂を良く耳にします。
べつにぼくは何も内部事情を知らないので、すべてを鵜呑みにして事実を受け入れることはできませんが、どうなんでしょうか。

この本では実際に電通の内部の人間へのインタビュー、電通の圧力に屈したとされる人々の体験談などに基づいて書かれています。
まあ、それ自体が本当だという根拠は示されていませんが。

公正取引委員会委員長の竹島一彦さんの言葉がマスコミ、広告業界の実態を如実にあらわしていると思いました。
「広告業界の寡占状態は問題である。上位三社で総広告費の40%を占めているが、影響力の大きいメディアであるテレビの場合は、三社で90%を握り、そのうち電通が半分のシェアを持っている。広告枠を多く持っているという優越的な地位を利用して、新規広告会社の参入を防ぐようなことがあれば、私的独占行為として、われわれの感心事項になっていくだろう」
「電博」、電通と博報堂のことですね。とくに電通がシェアのほとんどを持っていることが寡占状態であるとして、規則に反する可能性があると指摘しています。
寡占状態は健全ではない競争状態の時に適用されます、つまり新規参入などが阻害されている場合などです。
電通にしても博報堂にしても、尊敬する人たちがたくさんいます。優秀なクリエイターの方々が数々在籍していらっしゃいます。
だから実力の結果、電通、博報堂がシェアの多くを得ている側面ももちろんあると思います。
ただ、両社が長きの歴史を持っており、クライアントとの信頼関係を築いてきたことで、既得権益のようにみえる構造になってしまっていることもなくはないでしょうね。

広告業界自体が相当に複雑な構図になっています。


広告会社自体が単体で活動するものではなく、おおくのステークホルダーとの関わり合いの中で仕事を進めるものなので、一度固まった構造を変化させるのは容易ではないですよね。

「電通金太郎アメ説」という、業界では聞く言葉があるそうです。
日本中で開かれたイベントの舞台裏をのぞくと、必ず電通の影があるというもの。実際、電通は1970年の大阪万博から90年代の長野オリンピックに至るまで、各種イベントで黒子として動いてきた。
コンペの末に勝ち取った実力なのか、古くからの利権構造の帰結なのかわかりませんが、まあ両方なのかもしれません。

この本を読んでみたぼくの率直な感想としては、「週刊誌」のような文体、構成であったという印象です。まず導きたい結論があって、それに繋げられるように文章が組み立てられている、それを根拠付けるためのインタビューの継ぎ接ぎが見える。このようなケースでは、読者である我々は一歩引いた客観的な視点で読むことが求められると思います。批判の批判を行うようなイメージですかね。
大学生ブログ選手権

2011年11月10日木曜日

不可抗力のなかで、どこまで羽根をのばせるか

Whatever/ Oasis


「期限切れかけの電池で鈍る毎日、絶縁。リセットしたアラームタイマー、愛想もなく過ぎる日々だけ」(十二進法の夕景/ Asian Kung-Fu Generation)
「たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする。きっと悪い種が芽を出して、もうさよならなんだ」(ソラニン/ Asian Kung-Fu Generation)
日々は加速して、気づけば一週間が過ぎる。月曜日から、フト我にかえると次の月曜日の中に自分はいる。
過ぎた日々を振り返ると怖くもなる、言葉にできない刹那が思い出や過ぎた時間に靄をかけていくように。

朝起きると、準備・支度をして学校に向かう。何を考えるわけでもなく、いつもどおりの動作を繰り返しながら。ときどきミスも起こるけど。
授業に出席する、課題をこなす、合間の時間に読書をする。
自由なはずなのに、自由ではないこの感じ。
見えない足枷に、見えない鎖にかたく繋がれているように。

積まれた煩雑な事務手続きの書類、遊ぶためのお金を稼ぐアルバイト、 単位を落とさないための最低限の勉強、友達との他愛のない会話。

ぷかぷかと浮かぶ空白の時間。
そこに本当の「自由」があるのかもしれない。
忙しく過ぎていく日々のそれぞれに埋め込まれた、いや穴がぽっかり空いた自分だけの時間がある。
どんなに忙しくても。
不可抗力の楔から解き放たれる瞬間が。

そんな時、翻って、自分は何をしているか。してきたか。していくのか。

ぼくは天才でもなんでもない、ただの凡人なのだから、ただ小さく小さく積み上げていくことしかできない。
I'm free to be whatever I. Whatever I choose and I'll sing the blues if I want. (Whatever/ Oasis)
大学生ブログ選手権

読書『明日へのコミュニケーション―「関与する生活者」に愛される方法』佐藤尚之著

Champagne Supernova/ Oasis



先日、青山ブックセンターで購入したさとなおさん@の本を読みました。
かなり話題になっているようで、店頭の書籍売上ランキングでも上位に位置していました。

中身は隆盛を続けるソーシャルメディア、それに伴い変容する広告形態のダイナミックな変化、またそれへの適切な対処方法。
構え方を抜本的に変える必要性への提言。
概念的な話が中心になっていきますが、折に触れて事例も混ぜて説明なさってくれます。


本著で中心となる概念はソーシャルメディア時代における広告のあり方をさとなおさんが定式化した「SIPS」という方程式です。
Sとは"共感する"、Iとは"確認する"、Pとは"参加する"、Sとは"共有する&拡散する"をそれぞれ意味します。
ソーシャルメディア自体が複層的な代物であるので単純化しすぎることは誤謬を招くとさとなおさん自身認めていますが、概念として基本的なフローを抑えておくことは重要です。

SIPSを根気強く繰り返す中で、カスタマーをエバンジェリスト又はロイヤルカスタマーに育て上げ、顧客とのロング・エンゲージメントを築くことを最終到達点に据えます。

SIPSの全段階において、キーとして常に意識しなくてはならないのは「共感」です。
マスメディアがメイン広告形態だった時代とは対照的に、現在では広告の先にいるのがただの受信者ではなく、アクティブに関与する人々である、つまり小手先の口車では身も蓋もない結果を生みます。
そこで、さとなおさんはこのように言っています
ソーシャルメディアは「人」と「人」のつながりでできているから、そこで生活者とコミュニケーションをとりたいなら、企業といえども、ひとりの「人」としてそのつながりに入っていかないといけない。
たとえば、企業が開設するツイッターアカウント一つをとっても、マシーンがツイートして、リプライして、ってことは不可能なんですね。無理やりBOT化をすれば話は別ですが。
ソーシャルメディア時代には「とても真っ当な恋愛関係」になることが必要である。いままでのが、「一晩限りのナンパ」だったとすると、これからは「結婚を前提にした長い付き合い」といってもいいのかもしれない。真面目で真摯なおつきあいである。 
つまり単発で何か話題性のあることをぶちあげて、一時的なバズりが発生したとしても、それはロング・エンゲージメントには必ずしも繋がらない。
ポイントは極上のコンテンツを練り上げ、感動するコンテクストを構築することであると、さとなおさんは力説します。


終章で示唆深い言葉をわたしたちに投げかけます。
「白鳥蘆花に入らず」
真っ白な鳥が、真っ白な蘆原の中に舞い込む。すると、その姿は見えなくなる。しかし、その羽風のために、今まで眠っていた蘆原が一面にそよぎだす。
この言葉こそがいまのメディア、広告、ソーシャルメディアを描写しているのではないかとさとなおさんは言います。
一見、わかりにくい、でも確かに目を凝らしてみると一滴の水が大海を揺らすように波及していく。
一筋の情報の一端が、うねりを起こして世界中を駆け巡っていく。
企業がそんな潮の目を作ろうと画策するとき、自分本意な大儀な「うざい」広告ではなく、消費者の側に即した「愛のある」広告こそが効果を生み出していくのだと思います。
大学生ブログ選手権

2011年11月8日火曜日

読書『スティーブ・ジョブズII』ウォルター・アイザックソン著

Forever Young/ Bob Dylan

「革命を起こしたいと君はいう」


ジョブズがこの世を去ってから一ヶ月あまりが過ぎました。
おとといAmazonから届いた予約しておいた彼の評伝の下巻を一気に読み終えました。

上巻の時にも増して、ぼくは一心不乱にページをめくりました。
時々、立ち止まっては目を閉じて彼の言葉を何度も頭の中で反芻し、咀嚼してみながら。

スティーブ・ジョブズの物語は、そのまま、シリコンバレーの創造神話となる- ガレージで起業し、世界一の会社に育て上げたのだから。
筆者はわたしたちにこのように問いかけます。
彼の生い立ち、生き様、生き抜いた轍はシリコンバレーに刻み込まれ、これまでもこれからも若者たちを魅了してやまないでしょう。

ぼくはこの本から大きく2つのことを学びました「集中と選択」「死と向き合うことです」

まずは前者から。
「何をしないか決めるのは、何をするのか決めるのと同じくらい大事だ」
ジョブズはこう言います。
誰一人としてスーパーマンでなければ聖徳太子のように一度に複数の動作を器用にこなせないのです。
適切に選択し、注力することが肝要なのです。
また彼は終始の哲学として「シンプルさ」を追い求めました。
「シンプルなものが良いと感じるのはなぜでしょうか?我々は、物理的なモノに対し、それが自分の支配下にあると感じる必要があるからです。複雑さを整理し、秩序をもたらせば、人を尊重する製品にできます」 
筆者はこのように彼を評します。
集中力もシンプルさに対する愛も、「禅によるものだ」とジョブズは言う。禅を通じてジョブズは直感力を研ぎ澄まし、注意をそらす存在や不要なものを意識から追い出す方法を学び、ミニマリズムに基づく美的感覚を身につけたのだ。 
「より少なく、しかしより良く」を追い続けたのです。
だからこそ彼は上辺だけの飾りを嫌います。
「考えもせずにスライドプレゼンテーションをしようとするのが嫌でねぇ。プレゼンテーションをするのが問題への対処だと思ってる。次々とスライドなんか見せず、ちゃんと問題に向き合ってほしい。課題を徹底的に吟味してほしいんだ。自分の仕事をちゃんとわかっている人はパワーポイントなんかいらないよ」 
彼の経営哲学から導きだされたアップルの綱領は
詩心と工学の融合、芸術・創造性と技術の交わり、大胆でシンプルなデザイン。 
ビル・ゲイツもこのように賛辞します。
「大きな意味をもつごく少数のものに集中する力、優れたインターフェイスを作る人材を確保する力、製品を革新的にしてマーケティングする力という意味でスティーブ・ジョブズはとにかくすごい」 
書き始めるとキリがありません。多くの人々が彼に敬意を評し、畏怖をも抱いていました。
それでは「死と向き合うこと」に話を移します。

「受け継がれていくもの、輝く創造の天空」

 

死はいつでも彼の側にいました、とりわけ膵臓癌が彼を蝕み始めた時から特に強く死を意識しはじめます。
有名なスタンフォードでのスピーチにもそのことが主題としてあらわれます。
人生を左右する分かれ道を選ぶ時、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと思います。ほとんどのことが- 周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恋の恐怖など- そういうものすべてが、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。自分はいつか死ぬという意識があれば、なにかを失うと心配する落とし穴にはまらずにすむのです。人とは脆弱なものです。自分の心に従わない理由などありません。
ジョブズは毎朝、鏡に向き合い、自分自身に問いかけることを日課にしていたそうです。
「いま自分がしていることを、今日が人生最後に日だったとしてもやるだろうか」
村上春樹さんが言うように「死は生の対極にあるのではなく、生の一部としてあるのだ」まさしくジョブズは肌身をもってこれを知っていました。

ジョブズはボブ・ディランにも強い影響を受けています。
ディランの有名な言葉に次の一説があります。
「生きるのに忙しくなければ、死ぬのに忙しくなってしまう」 
メメント・モリ=死を忘れるなかれ 」を瞬間、瞬間に刻み、自身に問いながら邁進し、決断を下し、数々のプロダクトを産み落としていったのでしょう。


ジョブズはいくつも示唆的で尊い言葉を残していますが、ぼくのお気に入りは妻ローリーンとの結婚20周年のとき、彼女に手紙で綴った言葉です。
「20年前はお互い、あまりよく知らなかったよね。あのころ僕らは自分の心に導かれていた。僕は一目で君に夢中になったんだ。アワニーで結婚したとき、外は雪が降っていたね。月日が流れ、子どもたちが生まれた。いいときも厳しい時もあった。でも悪い時はなかった。僕らの愛も敬意も時の流れに耐えて成長した。ふたりでいろいろなことを経験してきたね。そしていま、僕らは、20年前にふたりで歩きはじめた場所に戻ってきた。年を取り、賢くなって、顔にも心にもたくさんのシワを刻んでね。僕らは人生の喜びも苦しみも秘め事も驚きもたくさん経験して、その上でこうしていっしょにいるんだ。僕はいまも君に夢中だ」
ジョブズはわたしたちに生きていくことのヒントをいくつも与えてくれます。
だれだって死ぬのです。ジョブズも死ぬのです。不老不死のスーパーマンはスクリーンの中だけで、だれもがいつかは死ぬのです。
生きていくことは、先の見えない暗がりをゆっくり進んでいく不安でたまらないことです。
それもみんな一緒です。本当に悩みのない人などいないのです。
もがいて、生きている意味を考えて、価値を見出して、大切な人ができて、何かをやり遂げて、逝く。
ジョブズはいくつもの過去に類をみないプロダクトをうみだしては、わたしたちの生活を向上させてきました。
彼もたくさんのことを犠牲にしたことでしょう。
それでも彼は人生に意味を見出していたし、わたしたちに、世界に、人類に、「新たな価値」を創造しました。
さて、ぼくはどうでしょうか。



参考エントリー:『スティーブ・ジョブズ I 』
大学生ブログ選手権

映画『カイジ2』を観てきました

漂流教室/ 銀杏BOYZ


昨日、おととい公開されたばかりの映画「カイジ2- 人生奪回ゲーム」を六本木ヒルズTOHOシネマズで鑑賞してきました。
「カイジ1」も3回みたくらいなので、2ももちろん楽しみでした。



登場人物の構成、プロットの内容が原作とは大幅に変わっていました。
制作側の思い切った作戦には唸らせられます。
ちゃんと練られている。
これならマンガを読んだことない人も、1を観てない人も、マンガも1も好きだった人にも楽しめる内容。

スピード感も適切だったと思うし、所々に感動的な場面も混ぜ込んできます。


でも映画ならではの見所はやはり、素晴らしい役者さんたちの渾身の演技だと思います。
特に香川照之さんは素晴らしい。
表情、顔に浮かぶ一つ一つのシワにまで神経を尖らせているかのよう。
期待は裏切りませんでした。
伊勢谷友介さんも素晴らしかった。
あとは吉高由里子さん。1で天海祐希さんが素晴らしい演技を見せたので、2でも続投かと思っていたのですが、吉高さんとのバランスを考えてあえてこのような演出になったのではないかと推測します。
吉高さんへの期待も大きかったのではないでしょうか。
今作から登場の生瀬勝久さんの演技もいぶし銀でよかったです。


藤原竜也さんは言わずもがな、毎回期待通りの演技。
定番のビールを飲むシーン「悪魔的にうまい」もちゃんとあります。



続編もあるのかなあ。
映画完全オリジナルでも相当いいものが作れると思います。
それくらい今作もよく作りこまれていました。
そういえば、おととい「スティーブ・ジョブズⅡ」を読み終えたので、次のブログで扱います。
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