2012年2月2日木曜日

読書『暇と退屈の倫理学』國分功一郎著

アンチクローン/ RADWIMPS


國分功一郎さんの本を読みました。
考えてみたら、ここのところ若い社会学者の方の本を読むことが多いような気がします。
10冊本を読んだなら、「面白い!」って思えるような本って1冊あるかないかっていう程度だと思うんですが、この本は間違いなく面白い方にカテゴライズされます。
 何をしてもいいのに、何もすることがない。だから、没頭したい、打ち込みたい...。でも、ほんとうに 大切なのは、自分らしく、自分だけの生き方のルールを見つけること」
と、まず帯にあります。どうやらコレが本著の問題設定だそうです。

國分さんの専門はスピノザ研究などをはじめとした哲学だそうで、この本の中でも縦横無尽に多くの哲学者たちの先行研究に言及します。
哲学に限らず、生物学・人類学・心理学、広範な学問領域をインテーディシプリナリーに行き来しながら論を深めていきます。
アインシュタインが「おばあさんに分かるように説明できなければ、当人も理解しているとは言えない」というようなことを言っていたような気がしますが、國分さんは難しい哲学概念を噛み砕いてわかりやすく説明するのがとてもうまい。

本自体も決して短くなく、内容も濃いものとなっているのですが、本文全体を貫く言葉としてウィリアム・モリスの言葉を紹介したいと思います。

「わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られなければならない」
こんな風に思えるのは、おそらくこの地球の上で人間だけでしょう。
動物は生きていくためにパン(肉かも草かもしれませんが)は必要でも、バラは必要ではありません。
「本能にしたがって、より長く生きながらえる。そして、生殖し、子孫を後世に繁栄させていく」これが一義的にインプットされ行動してると思われます。

しかし、人間はそれでいいでしょうか。
食事をし、排泄をし、睡眠をする。このサイクルの繰り返しで満たされるでしょうか。
そもそも「満たされる」を求めるのは人間だけなのかもしれません。

モノが溢れた飽食の時代の中にあって、身動きを取れなくなっている人々は多くいると思います。
物質的に豊かになればなるほど、精神は乖離していく。よく聞く議論です。
以前読んだ本『絶望の国の若者たち』でも展開されていた論旨だと思います。

人間も例外なく動物であると認識すると同時に、「例外的な動物」であると言うことも認識するとまた景色が違って見えるようになります。



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