2012年3月7日水曜日

「共鳴装置」としてのツイッター、MAKE TVからフト思ったこと


昨晩、深夜TLが活気づいていました。
#dotswitchが大いに湧いていました。
PARTYが仕掛けたソーシャル×インタラクティブ×ライブ番組がTBSで放送されたんですね。
MAKE TVって何なの。Dot Switchって何なの。って方はコチラを参照。


ソニー"Dot Switch"のティーザーCM

その時、TLが#dotswitchでにぎわっていたのは間違いないんですが、よくよく見返してみるとざわめいていたのは結局広告界隈の人だけであった気がします。
これを継続したときにうねりが出るかどうかが問題なのだとは思いますが。



PARTY自体が代理店じゃなくLabって名乗ってるんだから、ビューがうんぬんとか、視聴者層が云々を言うのはフェアーじゃないというようなことを言ってる人も散見されました。
実験的な試みそのものを考えようじゃないかと。


僕自身は別にどちらでもよくて、MAKE TVがあって改めてツイッターについてちょっと考えさせられたなぁと。
もともとツイッターとTVの親和性の高さは顕著だったわけですが。
例えば、ラピュタの「バルス」の一件は記憶に新しいかと思います。
ついこの前も深夜にテレビで二郎特集が組まれていて、一斉にTLが賑わいました。

ただ昨日の一件はちょっと様相が違いました。
上述したように、それをつぶやいている人が著しく広告系クラスタに限定されていたのです。



「共鳴」の範囲が全体まで波及するときと、特定のクラスタに限定されるとき。
ティッピングポイントはどこなのか。もう少し、深堀りしてみたいです。

ただ、ツイッターの凄いところは、どこまで範囲を波及させるかはひとまず置いておいても、同一クラスタ内に盛んな議論を喚起したり、膨張性をもたらすことではないかと。
たぶん同じような理由から書籍などの購買率も上がったりするのかと思ったり、以前からフォローしていた人が本を刊行しましたとなると割りとナチュラルに買ってしまったりしてる。
僕はそうやって古市さん(@poe1985)さんの本を買ってしまった経緯があります。
【参考エントリー】『絶望の国の幸福な若者たち

ツイッターそのものについては、こんなふうにも思いました。
ツイッター上の生態系を社会学的に鳥瞰すると、その構造的な多様性に気付く。クラスタごとに樹形図みたく連関してたり。メディア化してRSSみたく機能してたり。あるいはあくまでコミュニケーションツールとして友達とリプライ飛ばし合ってたり。もしくは完黙を貫いてただタイムラインをなぞってる。なんだか社会の縮図みたい。(3/2)


大学生ブログ選手権

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