2013年5月11日土曜日

「どーでもいい感情」の受け皿はツイッターからLINEへ


ツイッターには二つの使い方がある。

①つぶやく
本来的な使い方。その時々のランダムな感情のはけ口として。
最初はこういう使い方をする人が多かった。
前略プロフィールの「リアル」やmixiボイスなど、常にこの受け皿となるようなサービスの需要はあり続けた。

②情報発信 / 収集
その情報の即時性や拡散性が認識されるようになってからは、情報発信/受信ツールとして利用する人が増えた。大手新聞会社なども公式アカウントを持つようになったのは、かなりそれを裏付けている。

最近、ツイッターのアクティブユーザーが減少しているらしい。
おそらくそれは全体値でみたら正しいと思うのだけれども、それはあくまで①の使い方をしてきた人が、ツイッターを「つぶやき」の場として使わなくなったからではないかと思う。
上にも書いたように、「お腹空いたー」「暑い」など、誰にとってもどうでもいいこと、でも本人は吐露したいことの受け皿は常に求められている。
そしてそのプラットフォームは常に流動化してきた。
個人的には、LINEがその受け皿になってきたのだと思う。
とくにLINEのグループ機能に集約されつつあるのではないかと。

そもそもツイッターで②のような使い方がなされてきてから、①の使い方をする人が煙たがられ始めたような印象を受けるし、往々にしてそれはフォロワー数に反映されている。

有名人アカウントの①は歓迎されるが、一般人の①はどうでもいい。
これがおおかたの所感だと思う。

②の使い方をしている人は、いまでも普通にツイッターを使っているのではないか。

フェイスブックに関しては、ツイッターやLINEと性質が根本的に異なるので競合はせず、時間のパイの取り合いは起きないと思う。
ザッカーバーグさんがライフログとなるようなサービスを目指しているというように、フェイスブックでは自分の「リア充」の側面だけをみせる場となっている気がする。
フェイスブックをツイッターのつぶやきのように使う人はKYとさえ言われる。

とまあ、なんとなく最近のSNSをみていて思ったことをいくつか書いてみました。
たぶん数カ月後、いや1か月後にこの文章みたら、ほとんど正しくないと思ったり、思わなかったり。

【その他、昔に書いたSNS関連】
LINE POP、パズドラ、それでも時間は流れていく
ソーシャルメディアで位相転換が起こっているのかもしれない
ソーシャルグラフの膨張への反発としてのクローズド渇望

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