Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer
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2015年7月31日金曜日

読書『きみはポラリス』三浦しをん著


『舟を編む』以来だったか、三浦しをん先生の本を読む。
恋愛もののアンソロジー。
きっとど直球の恋愛ものは受け付けないのだけど、そこはさすが三浦先生。
広い読者に読ませる捻りのあるプロットは物語の書き手にとっては大いに勉強になるのではないか。
個人的には「森を歩く」が一番ツボでした。
彼氏の素性を特に気にとめることもなく1年以上も過ごして、ドラッグディーラーかと思いきや、実はプラント・ハンターだったりする。
悲しいわけでも、ハッピーエンディングでも、なんとなくふんわりとした終わり方が新しくて良かった。

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2015年7月18日土曜日

読書『イニシエーション・ラブ』乾くるみ著


「最後の二行が衝撃」と言われ続けていたので、注意して読んでいたつもりなのですが...。
最後の解説文があるため、「まだ終わらんだろう...」と思っていたら...オワリ!
「え、え」と15秒間戸惑う...。Aサイド・Bサイドで読んだプロットを繋ぎ合わせる。
「うおー!そういうことか」というアハ体験にも似たスパーク。
10人いたら8人は途中では気づかないんじゃないか。
物の見事に練り上げられた構成。とくに時代背景の描写が秀逸ですね。
筆者の実体験なのか、そうではないとしたら恋愛に相当コンプレックスを抱いていて、周りの恋愛を相当集中して観察したとしか思えない。
映画も観たい!です。

2014年4月18日金曜日

読書『女のいない男たち』村上春樹著


今朝、出社前に小走りで向かうは書店。
大好きなアーティストの新譜、好きな作家の新著はどうしてだが店頭で、手に取りたい。
遅配や誤送をおそれず、直接、自分の手でとりたい。
ワクワクして店に向かう。
開店前に平積みされたであろうお目当ての作品を見つける。
まずは手に取り、全体的な装幀、帯の広告文にゆっくり目を通す。
レジへ向かう。一連の動作にワクワク感が詰まっていて、こういう瞬間があるから、淀みなく流れる日々に楽しみが加わる。

就業前にザックリ1/3ほど読み、残りは電車、そして自宅で読み終える。
文庫本で上・中・下に分かれるようなボリュームではないかぎり、一気呵成にその日に読み終えてしまうことが慣例となっている。
べつに取り決めているわけではないのだけれども、たんじゅんに中断できない。

さて、今日発売された村上春樹9年ぶりとなる短編小説『女のいない男たち』。
僕自身ショートそのものを読むのが久しぶりだった。

村上春樹の短編といえば、それぞれの作品の独立性が高いという印象があった。
ところが今回のコンセプトはそれとは異なり、表題になっている「女のいない男たち」という通底するテーマがそれぞれの作品を貫き、最終的に最後の物語に収斂する。

絡み合い、響きあう6編の物語」という裏帯の一文はしごく正しい。
もちろん今回の短篇集もこれまでの作品と同様、セックスが重要な役割を担い、"喪失"が常に影を潜める。

誰の目にも明らかな浅いスパッと切れ味鋭いものから深遠で瞬時には文意を取れない難儀なものまで、村上春樹といえばメタファー使いとして知られるが、今回もそれぞれの作品に、もはや意図的とも思えるくらい彼らしい比喩が散見された。
あまりにも明朗としているので、ここにいくつか引っ張っておきたい。
「マニュアル・シフトは好きです」と彼女は冷ややかな声で言った。まるで筋金入りの菜食主義者がレタスは食べれるかと質問されたときのように。(「ドライブ・マイ・カー」より)
何を言っても良い効果は生みそうになかったので、僕は沈黙を守っていた。コーヒー・スプーンを手にとって、その柄の模様を興味深そうに眺めていた。エジプトの古墳の出土品を精査する博物館の学芸員みたいに。 (「イエスタデイ」より)
おれは一人で孤島にいるわけではない、と羽原は思った。そうではなく、おれ自身が孤島なのだ。 (「シェエラザード」より) 
「独立器官」という個人的には今回の短篇集で最もお気に入りの作品で、恋煩いから拒食症になり、最後は心不全で死ぬ整形外科医の渡会が言うセリフ。
これは小説のみならず、今までもエッセイでもよく村上春樹が好んで使う言い回しなのだけれど、
紳士とは、払った税金と、寝た女性について多くを語らない人のことです。
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2013年3月25日月曜日

読書『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー著


本の世界に自我を忘れ、没入して、読了後にすっかり心に風穴が空いたかのような感覚を覚えるのは、おそらく数年に一度あるかないか。
認知の限界を越えた世界を覆う幾つもの疑問。それらを振動させて、価値観が根底からぐらつくような予感。
中学三年生のときに、村上春樹の『ノルウェイの森』をはじめて読んだ時に、全身から揺さぶられたとき以来の感覚。(質的な性質は違いますが)

訳者あとがきで
『カラマーゾフの兄弟』は、彼が終生テーマとしてきた思想上、宗教上の問題を集大成した作品で、世界文学の中でも最高傑作の一つと言ってよいだろう。
そして、村上春樹さん自身もスコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』、チャンドラー『ロング・グッドバイ』とともに最も影響を受けた3冊として『カラマーゾフの兄弟の兄弟』を挙げていました。

『カラマーゾフの兄弟』の上・中・下を通して、なによりも圧巻なのは「大審問官」の場面だと思うのですが(松岡正剛さんの千夜千冊でも詳しい考察がなされてます)
とりわけ僕が立ち止まって考えさせられたのは
「そして本当に人間は神を考えだした。人間みたいな野蛮で邪悪な動物の頭にそういう考えが、つまり神の必要性という考えが、入りこみえたという点が、実におどろくべきことなんだよ。それほどその考えは神聖なんだし、それほど感動的で、聡明で、人間に名誉をもたらすもんなんだな。俺自身に関して言えば、俺はもうずっと前から、人間が神を創りだしたのか、それとも神が人間を創ったのか、なんて問題は考えないことにしている」
宗教の本質は「解釈」にあるのではないか、という考えに至ったんですね。
ふと、神が存在するのならば、「どうして神は無神論者をつくったのだろう」と思ったのだけれど、信者にその人々を啓蒙し布教する使命を与えたのだという解釈さえも成り立つ。

佐藤優さんも立花隆さんとの対談の中で、『カラマーゾフの兄弟』なんて読むもんじゃないと切り捨ててましたが、やはりキリスト教信者からすると邪悪な書と化してるような。
逆に僕は無神論者のバイブル思えてしまったのですが。
嬰児から信仰の中で育ってしまえば、かなり強固な信仰心が根を張ると思うのですが、『カラマーゾフの兄弟』を読んでから信仰心を身につけようと思うと、少し難しくなるのではないかと、それほどまでに「信仰」とは「赦し」とはなんなのか深く考えさせられる。

『カラマーゾフの兄弟』に通底しているのは、せせら笑うかのような宗教への猜疑心と嫌悪感。

順番が前後してしまいましたが、映画『愛のむきだし』も今考えてみると完全に『カラマーゾフの兄弟』のオマージュな気がします。
ミーチャとグルーシェニカは映画の西島くんと満島ひかりの関係性のようだと感じました。

100年以上も前にロシアで書かれた本が、21世紀に生きる異国の青年に響くなんて、なんだか本当に不思議なものです。(おそらく世界中で僕と同じような衝撃を少年少女、成年男女が感じているのだとは思うんですが)

いつの時代も人の中枢というか、理性の在り方とか、人間関係の難しさ、とかは普遍なのかなあと。
神経衰弱状態のイワンに幻影が言った
「愛が満足させるのは人生の一瞬にすぎないが、その刹那性の自覚だけで愛の炎は、かつて死後の不滅の愛という期待に燃えさかったのと同じくらい、はげしく燃え上がることだろう」
いつでも人が激しく揺さぶられるのは、情炎によるもので。

あとは法廷での弁護士フェチュコーヴィチと検事イッポリート論戦では映画『それでもボクはやってない』を思い出さずにはいられませんでした。
イッポリートの
「何より確かだったことは、最初の場合に彼(ミーチャ)が心底から高潔だったのであり、第二の場合には同じように心底から卑劣だったということであります。これはなぜか?ほかでもありません、彼が広大なカラマーゾフ的天性の持主だったからであり―わたしの言いたいのは、まさにこの点なんですが、ありとあらゆる矛盾を併呑して、頭上にひろがる高邁な理想の深淵と、眼下にひらけるきわめて低劣な悪臭ふんぷんたる堕落の深淵とを、両方に見つめることができるからであります」
という言葉も
ラキーチンの 
「あの放埒な奔放な気質にとっては、堕落の低劣さの感覚と、気高い高潔さの感覚とが、ともに同じくらい必要なのである」
という言葉も、弁護士フェチュコーヴィチが「心理学は両刃の剣」であるという点を実は華麗に例証している。

三兄弟とも、それぞれがまったく違う人間であること、
その誰かに自分を知らず知らずのうちに投影しているんですね(読み進めながら)
自分はなんとなくアリョーシャに自分を重ねていましたが。
アリョーシャは数々の印象に残る言葉を言っていましたが、とくに一番自分の中に残響を残した言葉は
人生の意味よりも、人生そのものを愛せ。


ちなみにフジのドラマで市原隼人主演でやっていた『カラマーゾフの兄弟』は、サッと観た感じかなり期待はずれでした。チャレンジとしての着眼点は素晴らしいと思いますが。
そういう意味でいうとやはり『愛のむきだし』は良かった。

2012年12月24日月曜日

読書『ジェノサイド』高野和明著


ながらく積読していた高野和明さんの『ジェノサイド』。
昨晩、なかなか眠りにつけなくて、何の気なしに手にとって、気付いたら朝。
その時点で二部の途中で、翌日にはすべて読み終えてしまいました。
この本はけっこう分厚くて約600ページほどあります。
長編を読む時にはページ数が目減りしていくと、物悲しさを覚えます。(『1Q84』を読んでいたときは、特にそれを覚えました)
ずっとこの物語を漂流していたい、追憶体験をしていたいと。
この目に見えてページが終焉に近づいていくのが感じれるのは、紙の書籍ならではですよね。

緻密に組み立てられたストーリーライン、圧倒的な研究に裏付けされたプロット。
絡み合っていく登場人物たち。
その中心に伏流しているのは「大量虐殺(ジェノサイド)」という核心的テーマ。
物語の途中でこんなセリフがあります。

「すべての生物種の中で、人間だけが同種間のジェノサイドを行う唯一の動物なんだ。それがヒトという生き物の定義だよ。人間性とは、残虐性なのさ。かつて地球上にいた別種の人類、原人やネアンデルタール人も、現世人類によって滅ぼされたと私は見ている」

文系・理系問わず楽しめる作品。
帯の書評には「やや大袈裟ではないか」と辟易していたのですが、まさしくその通りでした。
「この作品に出逢えた以上、今年読む本はもう全部ハズレでもいい」


徹底的に取りこぼしがないように裏付け取材を行なっているのが伝わって来ました。
作品の出版スパンも約1年に一回と早くはありません。
どこかで立花隆さんインスパイヤの影がみえたのですが、案の定でした。
巻末の参考図書のはじめにありました。
(立花さんといえばこの前『宇宙からの帰還』を読んで感銘を受けたばかりでした)

エシュロンはじめ、ほんとうにぼくらの知らない所で、どんどん世界は構築されているのだなーと。たった一度の人生ですべてを把握しようだなんて無知にも程がある。


おそらく『ハッカーと画家』と合わせて読めばより楽しめるんじゃないでしょうか。

続いて高野さんの死刑制度を扱った『13階段』に取り掛かろうと思います。

2012年6月18日月曜日

小説みたいな楽曲『ドラゴンと勇者の剣』



眠り姫/ SEKAI NO OWARI

「君はいつの日か、深い眠りに落ちてしまうんだね
そしたらもう目を覚まさないんだね
僕らがいままで冒険してきた世界と僕は一人で戦わなきゃいけないんだね」


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