2013年6月21日金曜日

ラディカルな発言をすること、それで飯を食べること

というセルジオさんのツイートを見かけて、思うところを書いておきます。

僕も今朝は早起きをして、友人たちと共にイタリア戦を観ていました。
ブラジル戦で完敗し、それでも腐らずに憤怒の念で懸命に戦った選手たちには賛辞を送りたいと思っています。 
べつに擁護をするつもりじゃありません。どれだけ内容が良くとも、結局勝てなければ、意味がないし、ケーヒルに指摘されるまでもなく、日本代表に必要なことは「勝ち切ること」です。イタリアには「勝者のメンタリティ」をまざまざと見せつけられました。
攻勢を続け、何度ポストやバーに当てたところで、シンプルに一点を入れたジョヴィンコの得点の方が遥かに価値があります。

ここで試合の感想を述べるつもりはありません。

はっきりいって、表情云々は知りませんが、この結果に満足している選手はいないと思います。
少なくともコンフェデ前には「W杯優勝を目指す」と公言していた選手たちです。
プレ大会である今大会が早々と敗退が決まって、それで満足するわけないんですから。

たしかに、日本のメディアには健闘を称えた論調がみえました。
あくまでそれは外野であるメディアの姿勢で、フィールドで戦っていた選手は誰よりも悔しかったと思います。

基本的に世論とは違った角度から断定的にモノを言うと、物議を醸します。
ラディカルな発言にはすぐにメディアは飛びつきます。
至極、真っ当な意見を言ったところで誰の耳にも残らないのです。
これは何もスポーツメディアに限ったことではなくて、あらゆる領域に当てはまることです。
北朝鮮の核実験があればすぐに戦争を煽るメディア。
政治の場面でも、極左だろうが極右だろうが、とにかくぶっ飛んだ発言、クレイジーなモノの見方は好まれて、いつしかそれが世論に浸透していく、これがメディアの怖いところです。(なんとなく田母神さんを想起しました)
この神浦さんのツイートはそれを嫌というほど裏書します。

学部生時代にある教授の退官記念の最終講義を受けました。
その教授の専門は国際政治なのですが、そのときに教授が話をしていたことがすごく印象に残っています。
研究者にとっても、至極当たり前な研究成果を真面目に発表し続けていては誰も注目できない=評価されずに、昇進もない。
現実を大袈裟に捉え、真理を拡張し、よりラディカルに書き立てる。
たとえば『文明の衝突』を書いたサミュエル・ハンチントン。
戦争を煽るかのような、過激な発言はメディアでも盛んに取り沙汰される。逆に慎重かつ冷静な現状分析は黙殺される。
過激な意見が人口に膾炙していくと、いつしかそれがマジョリティを形成していく。
イラク戦争に邁進していったアメリカの経緯を辿れば、それは明らかだと思います。
メディアは世論の脆弱さにつけ込んで、自己達成予言的な働きをする。
炎上マーケティングや芸能人の売名行為にも通底するものがあると思うんです。
要は目立ったもん勝ち。
団子から頭一個分出るためには、当たり前のことを当たり前に主張しても誰も聞きいってくれない。人が聞き耳を立てるように現実を拡大解釈し、ときには歪曲させる。
すると人は注目する。それが仕事になる。
こういった循環の論理がメディアやジャーナリズム覆い始めると、いよいよ世論も脆弱になっていきます。
お昼の情報番組の内容はかなり酷い。ニュースが伝えるべき題目は他にもかなりあるはずなのに、どうでも良い芸能人の情報がひっきりなしに伝えられる。
政治についても表層的かつ一面的な見方ばかりが伝えられる。
ポピュリズムの文化が浸透していき、ますます民衆の情報リテラシーは低下していく。

仕事欲しさにラディカルな発言をするコメンテーター、ジャーナリスト、それが大好物な視聴者、大衆。視聴率至上主義が蔓延るマスメディア。
これが構造化し、ますます受容サイドのリテラシーが低下していくから、それにつけ込むようにして発信側もよりラディカルに先鋭化していき、根も葉もないようなことを言い出す。この負の連鎖はとどまることを知らない。
社会におけるメディアの在り方の由々しき問題だと思います。
(今年の初めにも同じようなことをツイートしていました。上の発言は誤解を生みそうなので、一応補足すると、土屋さんもそういった体質に危機感を抱いているということだと思います)

情報元を多様化させて、主体的に情報を取り込んでいく必要があると思うのですが、「特異な日本のニュースメディア環境、高齢化がさらに際立てる」といった記事を読んでも、日本の特殊なメディア環境はかなり際立っています。

補記として「ラディカルな発言をしすぎると、飯が食えない」も参照ください。

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