幼いころから、いつも遠くの場所へ旅に出たいと夢見てきたんだ。心はいつだって訪れたことのない土地を歩いてた。未だ見ぬものに身を預けること以上に心躍ることはないし、不思議なことに旅をしているときほど心穏やかなこともない。
あたかも遠くへ行けばいくほど、宇宙のリズムとシンクロするかのように。きっと冒険したいという、この欲求は純粋に流浪の精神を持った人々が持ち合わせる上質な特徴なのかもしれないし、単に若さの産物なのかもしれない。いずれにしても、僕のような人は少なくないはずだ。
これと似たような精神性にあらゆるところで出逢った。きっとあなたも、折に触れ、奇妙すぎるような状況で出逢うことがあるだろう。
一度こんなことがあった。4日間のスコットランド高原ハイキングの前、僕と友達はスタート地点へ向かう道の途中でイタリア人のソロ・ハイカーに出くわしたんだ。あの出会いはまさしくセレンディピティという他ない。
ざっくばらんな会話を五分間ほどした後、共にハイクをするという無言の合意に達したことは明らかだった。
次の四日間、僕らはずっと共にいたんだ。食べ物、補給品、そして寝床をシェアして。一緒に高原の神話的でさえある美しさに見惚れ、一緒に木々の中で歌をうたい、一緒にスコットランドの星空の下でウィスキーを飲んだ。
ハイキングが終わったあと、僕らは別々の道を行った。そして僕と友人はそれ以来イタリア人のハイキング仲間に会っていない。
故郷を離れてしばらくすると、僕と同じように旅への情熱にとり憑かれた人びとを見分けることができるようになった。彼らは今まで気づくことのなかった―道の兄妹/姉妹―友人だということ。
彼らの多くはしばしば完全な他人だけど、ふとした瞬間、旧友のように感じるんだ。見知らぬ人には用心することを教える世界において、彼らは事もなくあなたの信頼と親交を手にするだろう。
これが旅が人びとにもたらす効用だ。あなたの心を世界に向け開く。あなたが心を開けば、その場所もあなたに心をひらいてくれるだろう。より多くの人が旅をするなら、世界は必ずより平和な場所になる。
まだ若く自由なうちに旅にでよう、いつかできなくなるから
もし君が22歳、身体は丈夫で健康、学びに貪欲で向上心を持つなら、できるだけ遠く、できるだけ広く旅することを強く勧める。どうやって他の人びとが料理を作り、食べ、そして生きているのかを見つけよう。どこへ行こうとも、彼らから学ぼう。(アンソニー・バーデン)不幸なことに、高くついたり時間を食ったりで、僕たちの多くにとって旅は選択肢にならない。若者にとって、特に前者のお金はよりネックだ。だけど方法はないわけじゃない。生活が確立されている人にとっては、仕事、家族、そしてその他もろもろの責任があって旅に出られない。
純粋な旅をすることが可能な小さな狭間が人生にはある。君のたった一つの責任が世界の自発的運動に身を任せ、差し出され、教えられるその全てに身を投じるときだ。全ての若者には拘束されない冒険への説明のつかない欲望があるものだから、見て見ぬふりするのはやめよう。
もしまだ君が驚嘆するほど美しく、ダイナミックなこの地球を探検するチャンスを逃しているなら、私は強く勧める。今すぐに現在の快適な環境を飛び出すことを。
境界は幻想だ
グローバル化し結びついたこの世界で、旅をすることの重要性は日に日に増している。グローバル・コミュニティにあって、僕らの運命は今までのどんなときよりも本質的に結びついている。地球の市民の間で団結を高めるような方法を見つけることは不可欠で、さもなければ疑う余地もなく僕ら自身が崩壊への触媒になってしまう。
地図上の境界は歴史を反映したものにすぎず、だいたいにおいて戦争や紛争の産物にすぎないことに気づかなくてはならない。参照点として多少なりとも便利かもしれないけど、人類の複雑性については何も語ってくれない。
旅の体験が変わっていくように、地球との関係性も年々、変わってきている。例えば、五歳児にはシスティーナ礼拝堂の背景にある歴史やその美しさを味わうことはできないだろう。だけど、大人だって同じだ。いつまでも地球の神秘さに気づかない。
どこに住もうと、何語を話そうと、他人が彼らをどう認識しようと、全ての人は根源的に自由に、そして幸福に生きたい。
国境とナショナリズムの支配下にある世界においては、文化相対主義は不可欠なコンセプトだ。
これを強調したうえで、この認識を得るために他の国へ移住したり旅する必要は必ずしもない。だけど、世界中には自分とまったく違う生活を送っている人が何百万といることは忘れてはならないだろう。
自文化と異なるからというだけで、自分の文化が“正しい”とは限らない。善悪の規準は主観的なもので、たいていは歴史と地理の産物だ。
アメリカ出身の人にとって、これを理解することはすごく大切なんじゃないかと思っている。僕らの国は世界のどの国にもましてパワーと影響力を持っている。もし僕らが外の世界を理解しないと、巻き戻せないくらいの混乱を生むかもしれない。あらゆる点で、もうすでに僕らはこれを犯しつつある。
旅は共感と寛容をうむ
目を閉じていれば、生きることは容易い。(ジョン・レノン)旅は自分以外の人びとの何気ない生活にあなたの目を開かせる。他の文化の美しいほどの複雑性を明らかにし、あなたのなか深くにある多様性に対する審美眼を養う。
同じように、より多くのアメリカ人が旅をしたならば、外の世界に住む人びとをより深く気にかけるようになる。これはアメリカの外交政策におけるより大きな公的関わりに寄与するだろう。簡単に言ってしまえば、世界に対するより深い理解があれば、アメリカ人が馬鹿げた政策をサポートすることも少なくなるということだ。
世界のアメリカに対するイメージに正直でいることも同様に大事だ。アメリカの国外活動のせいで、世界の多くの人は僕らの国に好意的じゃない。僕の経験からいうと、ほとんどの人は国民よりも政府に責任を求めるくらいには洞察的だ。
世界のできるだけ広い範囲を旅すること、そしてこの国のために善行の大使になること。アメリカの正しい本質(友好的で楽観的な人々から成る)に世界の目を向けること。世界の大半の国がそうであるように、僕らにも多くの欠陥がある。だけど旅はそういったものを治癒するのに役立つ。
外国を旅するとき、他の文化を理解することに誠実に取り組むべきだ。単なる観光者に成り下がるのではなく、旅行者になる。文化のスポンジになろう。帰国したあとは、何を学んだのかを周りに伝えよう。
自分がどこからきたのか知るために旅にでよう、僕らは皆ほんの少しの自己反省が必要だ
現在、アメリカは数多くの難しい国内問題に直面している。二大政党からなる僕らの政治システムのせいで、国は公民権運動の頃のようにイデオロギー的に分極化している。暗い日々をくぐり抜けるために、僕らには深い自己反省が必要だ。
比較対象がなければ、自分の国や自分自身を真に理解することはできっこない。旅は生きる上でのオルタナティブに目を開いてくれる。
旅をすれば故郷で自分が享受しているものに気付かされたり、何を変えるべきなのかについてのよりクリアーなイメージを得られる。
アメリカ経済は世界の広い範囲の福利に結びついている。だったらまずアメリカ国内の状況を改善する必要がある。前進できない理由としては、政治的スペクトルの両側になかなか克服できない壁があるせいじゃないか。
歴史、地理、文化、そして教育の違いによって異なった地域に住む人々は単純に現実を違うように捉える。これは何も異なった国にのみならず、国内においても同様だ。
アメリカは広大な国で、人も地理も多様だ。僕らは人それぞれが違った考えを持っていることを尊重しなくてはならないし、僕らの意見が他の意見に優っているということもない。
だとすれば、進歩には妥協が伴うことになる。意見が一致しない相手にも共感できるなら妥協は断然簡単なものになる。旅はこうした理解を生む。
さらにいえば、旅は何も国境を越えたところだけではなく、その内でもいい。自分の州の外側に出て、この国が提供するすべてを探検しない限り、国を真に理解できるアメリカ人はいない。自己を孤立させることで助長されるのは誤解だけだし、結果として、憎悪と恐怖が生まれる。
もしより多くの人が旅をすれば、世界が抱える問題が解決されると信じるほど僕はナイーブじゃない。国土や資源に関する論争は尽きないものだし、現在のところ、地域をまたぐ宗教的な緊張が和らぐという見通しもない。
だけれど、旅が少しでも世界に暮らす市民の相互理解の助けになるならば、地球にとっては計り知れないインパクトを持つ。国際情勢で果たす役割を考えれば、とりわけアメリカ人に当てはまる。
アメリカの偉大な著述家マーク・トゥエインがこう記したように:
(元記事:If More People Traveled, The World Would Be A More Peaceful Place - ELITE DAILY)
※大筋の本意が伝わればと思い、爆速で平易に訳しているので、多分に意訳を含んでいます。誤訳や内容での指摘があればコメントお願いします。
⇒前回の翻訳記事:「人生はゲーム これがあなたの戦略ガイド」
⇒「旅」に関連する翻訳記事:「若いあいだに旅をすべき7つの理由」
前回、翻訳してからだいぶ時間が空いてしまいました。
この記事は僕がフロリダ大学に留学していたときに、「国際政治と文化(World Politics and Culture)」という講義で仲良くなった友達がフェイスブックでシェアしていた記事です。
彼は大学卒業後、現在までイスラエルで生活をしています。
シリア情勢、ウクライナ情勢、人一倍強い危機意識を持ちながら注視しているようです。
彼とディスカッションするとき、彼はいつも「自分はアメリカ人」というパースペクティブを持っています。
その裏には、誇りや矜持というものよりも、前面に“責任”が見え隠れします。
この記事の著者も同じように、アメリカ人というアイデンティティを持ちつつも、内向きになることなく、外へ目を向け、世界へ出て行くことを説いています。
これはまったく僕も同感で、旅をする旅、価値観が揺さぶられます。(たとえば、「インド修業から、東大に受かるまで」など)
そういえば、昨日だったかWieden+Kennedyからファーストリテイリングへの移籍が発表された伝説的クリエイティブ・ディレクターのジョン・ジェイが若いデザイナーに向けた10個のレッスンの5番目でこんなことを言っていました。
比較対象がなければ、自分の国や自分自身を真に理解することはできっこない。旅は生きる上でのオルタナティブに目を開いてくれる。
旅をすれば故郷で自分が享受しているものに気付かされたり、何を変えるべきなのかについてのよりクリアーなイメージを得られる。
アメリカ経済は世界の広い範囲の福利に結びついている。だったらまずアメリカ国内の状況を改善する必要がある。前進できない理由としては、政治的スペクトルの両側になかなか克服できない壁があるせいじゃないか。
歴史、地理、文化、そして教育の違いによって異なった地域に住む人々は単純に現実を違うように捉える。これは何も異なった国にのみならず、国内においても同様だ。
アメリカは広大な国で、人も地理も多様だ。僕らは人それぞれが違った考えを持っていることを尊重しなくてはならないし、僕らの意見が他の意見に優っているということもない。
だとすれば、進歩には妥協が伴うことになる。意見が一致しない相手にも共感できるなら妥協は断然簡単なものになる。旅はこうした理解を生む。
さらにいえば、旅は何も国境を越えたところだけではなく、その内でもいい。自分の州の外側に出て、この国が提供するすべてを探検しない限り、国を真に理解できるアメリカ人はいない。自己を孤立させることで助長されるのは誤解だけだし、結果として、憎悪と恐怖が生まれる。
もしより多くの人が旅をすれば、世界が抱える問題が解決されると信じるほど僕はナイーブじゃない。国土や資源に関する論争は尽きないものだし、現在のところ、地域をまたぐ宗教的な緊張が和らぐという見通しもない。
だけれど、旅が少しでも世界に暮らす市民の相互理解の助けになるならば、地球にとっては計り知れないインパクトを持つ。国際情勢で果たす役割を考えれば、とりわけアメリカ人に当てはまる。
アメリカの偉大な著述家マーク・トゥエインがこう記したように:
旅は偏見、頑迷、そして狭い心を解き放つ。こうしたものに塗れた我々にとってはなくてはならないものだ。広く、健全で、慈悲深い人間観や物は地球の隅だけで生育されるものではなく、すべての人々の人生で成し遂げられるものだ。著者(Author): JOHN HALTIWANGER
(元記事:If More People Traveled, The World Would Be A More Peaceful Place - ELITE DAILY)
※大筋の本意が伝わればと思い、爆速で平易に訳しているので、多分に意訳を含んでいます。誤訳や内容での指摘があればコメントお願いします。
⇒前回の翻訳記事:「人生はゲーム これがあなたの戦略ガイド」
⇒「旅」に関連する翻訳記事:「若いあいだに旅をすべき7つの理由」
前回、翻訳してからだいぶ時間が空いてしまいました。
この記事は僕がフロリダ大学に留学していたときに、「国際政治と文化(World Politics and Culture)」という講義で仲良くなった友達がフェイスブックでシェアしていた記事です。
彼は大学卒業後、現在までイスラエルで生活をしています。
シリア情勢、ウクライナ情勢、人一倍強い危機意識を持ちながら注視しているようです。
彼とディスカッションするとき、彼はいつも「自分はアメリカ人」というパースペクティブを持っています。
その裏には、誇りや矜持というものよりも、前面に“責任”が見え隠れします。
この記事の著者も同じように、アメリカ人というアイデンティティを持ちつつも、内向きになることなく、外へ目を向け、世界へ出て行くことを説いています。
これはまったく僕も同感で、旅をする旅、価値観が揺さぶられます。(たとえば、「インド修業から、東大に受かるまで」など)
可能なかぎり旅に出なさい。旅先で自分の無知を再確認することは、とても謙虚で刺激的な経験である。(Travel as much as you can. It is a humbling and inspiring experience to learn just how much you don't know.)
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