Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2012年1月11日水曜日

読書『一般意志2.0- ルソー、フロイト、グーグル』東浩紀著

Schism/ Tool


東さんの本を読みました。
まずは本のテーゼを切り取ってみます。

①近代民主主義の基礎である「一般意志」は集合的な 
無意識を意味する概念だということ。

②情報技術は集合的な無意識化を可視化する技術であ 
り、したがってこれからの統治はその分析に活かすべ 
きだということ
これが本著の中核をなす2つのテーゼです。
著者は抽象論に陥らないために逐次、具体的事例に則りながら論を進めていきます。

ソーシャルメディアの台頭に伴い、わたしたちは日常で無数の「無意識」をバラまくようになりました 。
ツイッターでは「なう」に代表されるように、今現在自分がいる場所を何の気なしに呟き。ニュースや政治にぼやく。ネットが無意識の可視化装置として機能するようになってきたということです。
それらの「無意識」の塊を集積することは同時に、それらを「集合知」「群れの知恵」に変換できる時代になったのだと東さんは指摘しています。
「一般意志は政府の意志ではない。個人の意思の総和でもない。そして単なる理念でもない。一般意志は数学的存在である」
ということには「一般意志」の提唱者、ルソーは気づいていましたが、ルソーが生きた時代にその一般意志を可視化する手段はなかったのです。グーグルもなければ、もちろんツイッターもありません。

グーグルを手にしたわたしたち現代人。政治は停滞を迎えて久しくなった状況の中で、情報技術は変革をもたらせるのか。東さんは提案をします。
「これからの政府は、市民の明示的で意識的な意思表示(選挙、公聴会、パブリックコメントなどなど)だけに頼らずに、ネットワークにばらまかれた無意識の欲望を積極的に掬い上げ制作に活かすべきである。」
「21世紀の国家は、熟議の限界をデータベースの拡大により補い、データベースの専制を熟議により抑え込む国家となるべきではないか」 
「政府1.0は一般意志の代行機関だった。しかし政府2.0は、意識と無意識、熟議とデータベース、複数の「小さな公共」と可視化した一般意志が衝突し、抗争する場として構想される」
「現代においては、選良と大衆という人間集団の対立があるというよりは、ひとりの人間が、あるときは選良として、またあるときは大衆として社会と関わっていると理解したほうがよい。「大衆の欲望」は、その各人の大衆的な部分の集合として形作られている」
情報技術の文脈で語られる民主主義として紋切り型に語られるイメージは「電子投票」のように現代のような間接選挙、議会制を脱却した「真の意味での国民主権」を強調したものがありますが、本書ではそういった論ではないのだということを繰り返し強調します。
もちろん政治が大衆の手に渡るということは「衆愚政治」に陥る可能性が高いからです。
しかし、世論とあまりにも乖離した選良による統治も理想の政治とは到底言えません。
そこで筆者は上記のようなその二つを接合する、中立的なシステム(アーキテクチャ)を構築する必要がある、構築できる段階に至ったことを説明します。
「来るべき国家においては、有権者が責任をもって民意を託す選挙、およびそのまわりに張り巡らされる熟議の空間(各種審議会、委員会、討論会、パブリックコメント、さらには論壇誌やブログ、そしてテレビ- すなわち国政を頂点として組織される膨大な言論空間)とは別に、大衆の不定形な欲望を対象とする巨大な可視化装置が準備されなければならない」
「人間と動物、論理と数理、理性と感情、ヘーゲルとグーグル- それらさまざまな対立を「アイロニー」で併存させ、接合したところに、本書が構想する民主主義2.0は立ち現れる」
「動物的な生の安全は国家が保障し、人間的な生の自由は市場が提供する。それが本書が構想する未来世界の公理である」
去年ジョン・キム先生の『逆パノプティコン社会の到来』という本を読んだ時に、キム先生は緻密な分析からソーシャルメディアの変革で社会の構造的変化を描き出していました。



本書では、そういった状況の中で何をどうすれば政治のあり方を変えられるのか、もう一歩上の未来志向な議論であると感じました。
「日本人は「空気を読む」ことに長けている。そして情報技術の扱いにも長けている。それならば、わたしたちは、もはや、自分たちに向かない熟議の理想を追い求めるのをやめて、むしろ「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据えるような新しい民主主義を構想したほうがいいのではないか」
といった問題意識を出発点に論を書き始めたそうです。
専門が思想ということで縦横無尽に先人たちを参照しながら、豊富な情報技術論の知識と接合しながら政治を論じています。このように対照的な領域を不自由なく横断的に論ぜることの出来る論客は日本ではわずかだと思います。
時代と照らしてみると、東さんのように一つの専門から抜け出し、インターディシプリナリーに事象を捉えないことには「カオスの泥濘」から一歩を突き出すことが難しくなりつつあるのではないかと感じた次第でした。



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