映画『ソーシャル・ネットワーク』が公開したころくらいか、日本でもFacebookユーザーが加速度的に増えました。
思えば、ぼくがFacebookを初めて使い始めたのは2007年。高校2年生の頃。
その時、アメリカはオハイオ州の高校に留学していました。当時、アメリカではFacebookよりもMyspaceが主流でしたが、今となっては完全に形勢が逆転しています。
参考記事:TechCrunch Japan「少なくとも米国ではMySpaceも死んではいない。ただ利用者ゼロに漸近しているだけ…」
大学2年生になって、再びアメリカへ留学に渡った時、もう完全にFacebookが全土を支配していて、Myspaceは跡形もなく廃れていました。
初めて会う人でも、だいたい会話のはじめか、終わりに「Facebook持ってる?」があり、そこで繋がり合う。
それからはもうずっと、どこにいっても、いつでもコンタクトを取れる。
アイスランドの一人旅で出会ったスペイン人の友達たち、メキシコで出会った友達たち、アメリカで出会ったたくさんの友達、はたまた日本の友達たち。
Facebookの上に国境はなくて、ひとつのプラットフォームの上にみんながいる。
ふとした瞬間に気付かされるんですよね。
例えば、あの地震があった日。
Facebookには世界各国の友達から「大丈夫か?」「家族は無事か?」など安否を心配するメッセージが多く寄せられました。
誕生日の時には、ウォールがバースデイウィッシュでいっぱいになります。
そういったときに、どこにいても、何をしていても、「繋がっている」ことを感じます。
そういえば、面白いサイトがあったので紹介しておきます。
インテルのサービスの一環なんだそうですが
自分のFacebookアカウントでログインすると、自動処理されて自分のFacebookが博物館のようになるというユニークなもの。
これを見て、これまで出会った来た人、過ごした場所、交わした言葉、あたかもそれは走馬灯のようにぼくの眼前を一気に通りすぎて行きました。
世界レベルのクリエイターさんがやっぱり凄いです、感服。
今までは旅路で出逢う人、それは本当の意味で「一期一会」だったのかもしれません。
だけど今は繋がれる。もう会うこともないのかもしれないけど、お互いを気遣い合ったり、何気ない会話をすることもできる。
「見えない鎖」でかたく繋がっているから。
0 件のコメント:
コメントを投稿