Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer
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2013年10月22日火曜日

アイスランドという国に魅せられて


アイスランドに1ヶ月滞在した大学1年生の夏。
あれから、もう大学を卒業をして、かれこれ5年くらい経つ。
ときどき、アイスランドの草原、氷河、いくども架かる虹を思い出す。

そもそも"アイスランド"という土地がが心をとらえ始め、心に住み始めたのは、高校1年生のときにSigur Rósにどっぷり浸かり始めたのがキッカケだ。
これほど美しい旋律、景色が頭の中に立ち上る音楽を生み出せる彼らはどんな土地で、どのように育ったのか、自然と音楽の奥にある、彼らのバックグラウンドに興味が惹き付けられていった。


大学入学が無事に決まった春からお金を貯め初めて、夏には無事にアイスランドへ。
一ヶ月の滞在で、大いなる自然に囲まれ、のびやかにゆっくり日々を過ごした。

いつだったか「アイスランドの少年と幸せ」というメモも残していました。
とにもかくにも18歳の夏を過ごしたアイスランドでの1ヶ月は、今でも僕の思索の参照点になっているのです。



今日は、午前中にABC(青山ブックセンター本店)に足を運び、大学時代のゼミの後輩(彼も同様にアイスランドに魅せられたという)が薦めてくれた『BIRD』のアイスランド特集を購入して、六本木ヒルズへ。
BIRD (講談社MOOK)BIRD
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なんとか時間を工面して、東京国際映画祭に足を運びました。


アイスランド映画『馬々と人間たち』("Of Horses and Men")というフィルムを鑑賞するためです。

上映前に一緒に連れ立った友達と、なぜ英題の先頭部に"Of"が付くのかと話し合っていたのですが、鑑賞し終わって合点がいきました。

本映画の主人公ともいえるのが、劇中で草原、岩山を駆け回るアイスランド馬(Icelandic Horse)というアイスランド原産の馬。
日本語版のウィキペディアに項目がなかったので、英語版から翻訳しつつ引用してみます。
アイスランド馬はアイスランド原産の馬である。比較的、馬体は小さく、ときにポニーほどの大きさ。アイスランド馬は長寿で、丈夫である。アイスランドの法律では馬の輸入が禁じられており、輸出したあとの動物が戻ることも禁止されているため、アイスランドにおいては動物の伝染病がほとんどない。典型的な馬の歩き方に加え、独特のギャロップ(早歩き)をする。国際的にも知名度が高く、一定の繁殖数がヨーロッパや北アメリカでも確認される。アイスランドでは現在でも、伝統的な農耕に従事していたり、レジャーや見世物、レースにも用いられる。(Icelandic Horse - Wikipediaより)
劇中では、いきいきとしたその様が見れます。
アイスランドに魅せられ、馬も大好きな自分としてはたまらない作品。


頭の中のサウンドトラックはもちろんthe HIATUSの"Horse Riding"

賛否の分かれそうな作品ではあります。上映時間も1時間少々と、かなりショート。

交互に訪れる人間、そして馬の死。
美しい自然のなかで、営まれる人間と馬々の生活。


文字通り馬の中に入っていく人間。
種が違う二つの生き物が一体となったとき、遺った命はただひとつ。
向こう5年の間に、必ずもういちど足を運びたい。心はずっとあそこに置いてあるような。

2013年8月10日土曜日

読書『つながりすぎた世界―インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか』ウィリアム・H・ダビドウ

つながりすぎた世界


インテル、HP、ゼネラル・エレクトリックを経て現在はIT業界で経営者およびベンチャーキャピタリストとして活躍しているウィリアム・H・ダビドウさんの『つながりすぎた世界』を読みました。

先月、ジャレド・ダイアモンド『昨日までの世界』をブログで紹介したのですが、綺麗なほどに「昨日までの世界」(伝統的社会)=「つながりすぎた世界」(現代グローバル化社会)というコントラスト構図が浮かび上がってきます。

まずは表紙裏の帯にあった、キーワードを。


結合状態を以下の4つに区別した上で

過少結合状態
②結合状態
③高度結合状態
④過剰結合状態

現代社会は疑いなく最終段階の「過剰結合状態」にあることに警鐘を鳴らします。
そして、この状態にあっては緊密化した「正のフィードバック」が循環し、手が付けられなくなっていくことを指摘します。
※正のフィードバック:物事には因果性・連鎖性があり、つながりを強化すると自己増殖的に反応が進む。ある程度まではそれが効率を高め、ひいては生産性の改善や透明性の向上につながる。だが物事の連鎖性を強めすぎると、暴発的に連鎖反応が起こり、もはや手が付けられなくなる。(訳者あとがきより)

イエール大の組織理論の大家チャールズ・ペローらにもヒントを求めつつ、歴史を紐解きながら、数多くの結合例を引証し、分析を精緻化していきます。
ペローの主張を一言に集約すると、
非常に複雑で高度に結合したシステムでは、事故が発生するのは不可避である。(Cf. 『Normal Accidents: Living with High Risk Technologies』)
ピッツバーグの製鉄業が辿った脆弱段階、コップ一杯の水が引き起こしたスリーマイル島の原発事故(もちろん東日本大震災を経験した私たちにも多くの示唆があります)、モリスのワーム(この件に関して筆者は「私たちの社会には"内なる幽霊"が存在するのだとみんなが気付かされた瞬間だった」と述べています。Cf. インターネット・ワームの原点「Morris Worm」の脅威」- IT pro

第7〜8章にかけてアイスランドの経済危機にフォーカスし、例証していくのですが、経済危機の最中にアイスランドに1ヶ月滞在していた自分としては、実体感とかなり符号する分析結果でかなり頷けました。
なにより、バーでビールを飲もうとしたら1杯1000円近くしたのを記憶しています。

アイスランドで撮った写真

アイスランドが辿った危機までの経過、端末を分かりやすく簡明に知るためにウォール・ストリート・ジャーナルの銀行業の『寓話』が終わり、海へと戻っていくアイスランド人」という記事があります。

さらにそこからサブプライムローンを仔細に抉り出していくわけですが、例に漏れず今件も過去に遡及すればミシシッピ計画、チューリップ・バブル、南海泡沫事件など、同質も問題はいつも時代もあり得たわけです。(こういった問題に通底する構造として「カトリーナ効果」を引き合いに出しています。Cf. ブライアン・フェイガン『古代文明と気候大変動』)
サブプライムローンに関してはファニーメイ、フレディマック、AIGなど「大きすぎてつぶせない(too big to fail)」が背景にあったと思われ、これがモラルハザードの温床になっていたのではないかと、というか今でもそれはあります。(日本のJALなども同様かと)
そして経済学者や政治学者たちは人間本性への悲観論を述べ続けてきたのです。
たとえばカントは
人間性という曲がった材木から、真っ直ぐなものがつくられたためしはない。
とまあ、幾つもの例を引き合いにだしながら、警戒の念を強めていくダビドウ氏。
とくに開眼するような類のものではないですが、一応3つの対応策を挙げています。

①正のフィードバックの水準を下げ、それが引き起こす事故を減らし、思考感染を緩和し、予期せぬ結果を全体的に減らす。
②より強固なシステムを設計し、事故を起きにくくする。
③すでに存在する結びつきの強さを自覚し、既存の制度を改革してより効率的かつ適応度の高いものにする。


訳者あとがきでは過剰結合状態にない状態を考察しています。
例えば、日本の鎖国時代、現代でいえば中国のフレキシブルな社会主義体制。
ただし、このグローバル資本主義の網の目に一度でもかかれば、もう逃れられないではないかというのが私見です。
ときたま聞く議論で、宇宙人の強襲で地球滅亡の危機に直面する以外、究極の世界平和(たとえば世界政府の設立)はありえないのではないかという...あながち、間違っていないのかもしれません。

2013年5月23日木曜日

インド瞑想記⑪ 10 DAYS WONDERの終焉

#⑩続編

いよいよ瞑想も実質的な最終日を迎える。(今日のam10に沈黙"noble silence"が解かれることとなる)
この10日間、全身から朝日を浴びることの気持ちよさを感じながら過ごしてきた。
なんとなく、この施設から外へ一歩を踏み出し、雑踏のなかにスムーズに適応できるか不安がよぎる。
この施設自体は"街"から離れた郊外に閉鎖的にあるし、この10日間一度たりともセンターの外へ出ていないわけで、そういう意味で「日本」も「インド」もなく、自分はただ「瞑想」の内にあった。

〜〜〜〜〜〜続きは「note」で公開中。

#⑫では総括として、プログラムを通しての振り返りを書きたいと思っています。

2011年10月24日月曜日

applimメンバーで草津温泉に慰安旅行に行って来ました


電通、Microsoft Japan、mixiさんから頂いた賞金を利用して群馬・草津にapplimメンバーで旅行に行って来ました。
週末を利用して、1泊2日の旅。
レンタカーを借りて群馬まで。
道中も景色がキレイで、何度か立ち止まり、車外に出て紅葉を楽しみました。

吾妻渓谷

和風旅館やまもと、という場所に宿泊しました。
着いた直後は街一帯が霧がかっていて視界が不良でとまどいましたが、自然に囲まれた素晴らしい旅館でした。
100%源泉かけ流しで、露天風呂も気持ちよくて、ひさびさにゆっくりとして時間を過ごせたと思います。

夕ごはんも上州牛、カニ、など豪勢で量も多くて、食べ切れないくらいでした。


翌日は、白根山に行きました。
山を登るにつれて、街が小さくなっていき、温度も下がり、硫黄の匂いに包まれていきます。
車を降りて、山頂まで軽いハイキング、若干酸素も薄くて息が上がってしまいました。
富士山を最後に登ったのは中学生の頃です。


大自然を前にして、自分が抱えていた悩みは不安は小さなものだなあと思わずにはいられませんでした。
アイスランドを旅した時のことを思い起こしました。

草津の中心地、湯畑にも足を運びました。


群馬を出る前に、高崎競馬場に寄って、みんなで菊花賞を観戦しました。


ご飯は登利平という群馬では有名な鳥料理のお店へ。
とりカツは衣がサクッサクでほんとうに美味しかった。

心身ともに癒された旅でしたね。
applimは間違いなく、学生時代の大きな思い出の一つです。

2011年10月12日水曜日

アーミッシュとの邂逅

Generator^1st/ Freelance Whales


↑の歌はアメリカのインディーズバンドの曲です。
フロリダでタクシーに乗っていたときに、タクシーの運ちゃんが聞いていた曲です。
歌詞の世界観に吸い込まれてしまいます。

今日は「アーミッシュ」について自身の経験を述懐しながら書いてみたいと思います。

というのも、今日のAcademic Englishという授業が「Amish」についてだったのです。

Amish cover.jpg

アーミッシュとはアメリカやカナダの一部の地域にいまも暮らす宗教集団のことです。
文明から一切の距離を置き、電力を使用せず農耕や牧畜で自給自足をしています。
人口は現在でも20万人いるとされています。

基本的に大家族主義であり、ひとつのコミュニティは深く互助的な関係で結ばれている。新しい家を建てるときには親戚・隣近所が集まって取り組む。服装は極めて質素。子供は多少色のあるものを着るが、成人は決められた色のものしか着ない。洗濯物を見ればその家の住人がアーミッシュかどうかわかる。一頭立て四輪馬車(バギー)に乗るアーミッシュの夫婦(オハイオ州 2004年9月)アーミッシュの日常生活では近代以前の伝統的な技術しか使わない。そのため、自動車は運転しない。商用電源は使用せず、わずかに、風車、水車によって蓄電池に充電した電気を利用する程度である。移動手段は馬車によっているものの[5]、ウィンカーをつけることが法規上義務付けられているため、充電した蓄電池を利用しているとされる。しかし、メノナイトは自動車運転免許を持つことが許されており、家電製品も使用している。アーミッシュは現代文明を完全に否定しているわけではなく、自らのアイデンティティを喪失しないかどうか慎重に検討したうえで必要なものだけを導入しているのである。
アーミッシュがあまり生活について語らないため謎に包まれている部分もある。写真撮影は宗教上の理由から拒否されることが多い。ただし、これらの宗教上の制限は成人になるまでは猶予される。アーミッシュの子供は16歳になると一度親元を離れて俗世で暮らす「ラムスプリンガ(rumspringa)」という期間に入る。ラムスプリンガではアーミッシュの掟から完全に解放され、特に時間制限もない。子供達はその間に酒・タバコ・ドラッグなどを含む多くの快楽を経験するといわれる。そして、成人になる(ラムスプリンガを終える)際に、アーミッシュであり続けるか、アーミッシュと絶縁して俗世で暮らすかを選択する。ほとんどのアーミッシュの新成人はそのままアーミッシュであり続けることを選択するといわれる。この模様は『Devil's Playground』というドキュメンタリー映画の中で語られている。ただし、2004年のアメリカのテレビ番組『アーミッシュ・イン・ザ・シティ』の中で、アーミッシュの子供達をアーミッシュの居住地域から離れた大都会であるロサンゼルスに連れて行き大学生の生活をさせると、自分の人生の可能性に気付き、彼らの内9割以上が俗世に出ることを選択したという出来事もある。

以上がざっくりとしたアーミッシュの全容です。
アーミッシュには驚くべき数々の戒律もあります。

屋根付きの馬車 は大人にならないと使えない。子供、青年には許されていない。
交通手段は馬車(バギー)を用いる。これはアーミッシュの唯一の交通手段である。自動車の行き交う道をこれで走るために交通事故が多い。
アーミッシュの家庭においては、家族のいずれかがアーミッシュから離脱した場合、たとえ親兄弟の仲でも絶縁され互いの交流が疎遠になる。
怒ってはいけない。
喧嘩をしてはいけない。
読書をしてはいけない(聖書と、聖書を学ぶための参考書のみ許可される)。
賛美歌以外の音楽は聴いてはいけない。
避雷針を立ててはいけない(雷は神の怒りであり、それを避けることは神への反抗と見なされる)。
義務教育以上の高等教育を受けてはいけない(大学への進学など)。
化粧をしてはいけない。
派手な服を着てはいけない。
保険に加入してはいけない(予定説に反するから)。
離婚してはいけない。
男性は口ひげを生やしてはいけない(口ひげは男性の魅力の象徴とされる歴史があったから)。ただし、顎ひげや頬ひげは許される。
上記の内容はWikipediaから抜粋しました。
「怒ってはいけない」「避雷針を作ってはいけない」とかすごいですね。笑
個人的には「読書してはいけない」が辛いですね。


ぼくは高校時代の1年間をアメリカはオハイオ州の田舎町で過ごしました。
その時、近所というか、家から15分くらい行けばアーミッシュの人々が多く暮らしているコミュニティがあったのです。
はじめて彼らを目にしたときは度肝を抜かれました。
まずはその風貌、長いヒゲに特徴的な帽子、そして簡素な服装。移動手段は馬車。
21世紀を迎えた今なお、古代的な生活を送って暮らす人がいることに驚嘆しました。

興味を抱いたぼくはその日のうちにパソコンでアーミッシュの歴史を探ったり、図書館で関連文献を斜め読みしてみたりして、知れば知るたびに興味は深まりました。

ある時、こんなことがありました。
アーミッシュの青年がうちの家にきたのです。
「電話を貸してくれないか?」ということでした。
笑ってしまいましたが、「そんなものなんだろう」という気もします。

アーミッシュの人々は強い宗教心、強い家族の絆、強いコミュニティの絆で結ばれているといいます。

ぼくは文明・世俗に生きるか、牧歌的なアーミッシュの暮らしをするのかどちらが幸せなのかはわかりません。
ただ、一度文明に足を突っ込んでしまうと戻るのは大変に困難なことだとも思います。
「モノ」を手にすることは新たな物欲を人間の内に表出させます。
物質的に満たされることはほとんど困難なことでしょう。
文明にはあちらこちらで強欲(greed)がのさばっています。
それが妬み・憎しみを人々の間に生み、衝突を生み出している気もします。

アーミッシュの人々は物質的に出はなく精神的な幸せを目指しているのかもしれません。
つまるところ、家族がいて、友達がいて、恋人がいる充足感を抱きながらゆっくりと流れていく日々を慈しみながら生きていくほうが平穏の内に生まれ、生き、死んでいけるのかもしれません。
このことは一人でアイスランドに行ったときにも感じたことでした。

そして、昨日ブログにも書いた本の最後の言葉が胸に突き刺さります。
「君たちはどう生きるか」
大学生ブログ選手権

2011年9月24日土曜日

Play that sound of silence loud.

Gobbledigook/ Sigur Rós


別世界、草原がどこまでも広がっていて、音なんて存在しなくて、自然と自分以外に何にもなくて、そんな世界に行ってしまいたい。
アイスランドに行きたい。

体調が悪くて、靴擦れMAXで、財布を落として最悪な日でした。昨日は。
だから今日も基本はじっとしていました。

さすがに夕方になってお外に出かけましたが、体調は優れません。
渋谷のJelly Jelly Cafeという新しいカフェでまったり。


立て続けに不幸が起こるとオチるところまでオチますね。
そんな折に『ウシジマくん』なんて読んでしまった日にはもう大変です。
それでもウシジマくんの世界の人々の苦労に比べたら自分なんて天国にいるわけで、カイジの地下帝国に比べたら自分は極楽浄土にいるわけで。
なんとなく気が楽になりますね。笑


学校もついにはじまり、ゆるい生活をしていた日々もとりあえず小休止な感じ。
インターンもゼミもいま取り組んでるプロジェクトもバイトも全力で取り組みたいですね。

とまあなんだか取り留めのない内容になってしまいましたが。
大学生ブログ選手権