Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2013年4月15日月曜日

インド瞑想記① 思索の旅へ―Cut and Roll Out


箱崎から成田へ向かうリムジンバスの中。
Bon Joviの'Who Says You Can't Go Home'ノリノリに聴きながら、ブログでも書こうかと。

今日からしばらくの間、インドへ行ってきます。
オープンチケットのため、帰国日は未だ確定していません。(おそらく1ヶ月半から2ヶ月くらいかと)

いくつかプランは立ててはいるものの、基本的にはかなりルーズなフリープラン。
着いて、まず向かうのは釈迦が悟りを開いた地ブッダガヤ(Bodh Gaya)。
そこで、ヴィパッサナー瞑想(Vipassana Meditation)を行うことになっています。
ヴィパッサナー瞑想とは、10日間、外部からシャットアウトされた状態で、人と話すことはもちろん目を合わすことも禁じられた状態で瞑想を行うもの。酒・タバコはもちろんのこと、読書や運動、すべてが禁止です。持ち込める持ち物は一切ありません。朝4時半に起床し、21時半に起床です。その間、ひたすら己との対話、瞑想に打ち込むわけです

もともとはインドへ行くことよりも、この"瞑想"に興味があり、千葉の瞑想センターに申し込んでいたのですが、定員いっぱいで断念。
それならフットワーク軽く発祥地のインドへ、ということで今回の渡航を決めました。
(ちなみに瞑想センターは世界に点在しており、日本にも京都・千葉の二箇所にあります)

なぜ瞑想なのか、どうして今なのか、詳しい話は追々書いていこうと思います。
(その一端が分かるものとして「配られたカード、振られていたサイコロ」)
おそらく当地では、有り余るほどの時間があるので。

昨日読み終えた村上春樹新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の中で灰田という青年が口にした言葉に、今の自分の中にある茫漠とした思いとリンクする箇所があったので引用。
「自由にものを考えるというのは、つまるところ自分の肉体を離れるということでもあります。自分の肉体という限定された檻を出て、鎖から解き放たれ、純粋に論理を飛翔させる。論理に自然な生命を与える。それが思考における自由の中核にあるものです」
続けて彼はこう言います
「どんなことにも必ず枠というものがあります。思考についても同じです。枠をいちいち恐れることはないけど、枠を壊すことも恐れてもならない。人が自由になるためには、それが何より大事になります。枠に対する敬意と憎悪。人生における重要なものごとというのは常に二義的なものです。僕に言えるのはそれくらいです」 

一応、備忘録としても<持ち物のメモ>を残しておこうかと。

「持っていくものはできるだけ最小限に。」バックパッカーとしては鉄則です。

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《準備(preparation)》
VISA(2012年から手順が変わったらしく、多少煩雑なので、余裕を持って取得することをオススメします)
パスポート
予防接種(インドに関していうと、感染病のリスクは多岐にわたっていて、キリがないのですが、肝炎系は押さえた方がベターかと。料金の目安などはコチラ
※関連して言うと、インドは周知の通り、かなりの確率でお腹を壊します。(とくに赤痢は法定伝染病に指定されているほどなので怖いです)僕も当然、やれる予防はしますが、覚悟しています。よく正露丸などを持参したほうがいいともアドバイスもありますが、実際にはほとんど効力がないらしいです。
なので、現地の薬局で抗生物質(anti-biotics)を調達するのがベストな方策だと思います。

海外保険(これはインドなら必須じゃないかと。僕は一応、三井住友海上に加入。盗難の補償もケアしておいた方が良いと思います)
クレジットカード、外貨、トラベラーズチェック(一応今回はT/Cも持って行ってみることにしました)

《服(cloth/ attire》
瞑想中の服(到着してすぐに施設へ向かわなくてはならず、買う時間がなさそうなので持参。簡素な白・長袖のもの)
捨てても構わないUNIQLOのパーカー
簡易下着(100均で購入)
・サンダル(現地調達だとクオリティが低すぎる恐れがあるため)
マネーベルト(盗難防止のため。スリは防げても、強盗は防げませんが。最低限)

《紙、書類の類(papers)》
Lonely Planet
パスポートのコピー
・メモ帳、ペン(誕生日に友人から頂いたNASA規格のもの)
本を4冊(捨てても構わないもの。読み終わったら後は、デリーのバザールで古本を何冊か買い足す予定)
Kindle Paperを持って行こうかとも思ったのですが、ゼッタイ失くしそうなので、やめました。

《電子機器類(electronics)》
iPhone 5(デジカメは持って行かないので)+充電器
・外部携帯充電器を2つ eneloopJust Mobile Gum Plus(これだけ持っていけば、まず充電が無いという事態は避けられるでしょう)
変換プラグC(インドだと一応、B3、BF、B、Cが主流らしいのですが、実際Cで十分とのことだったのでCのみを、クラッシュに備えて2つ。尚、変圧器は必要ないようです)

《その他<others>》
南京錠(用途:ドーミトリーやホステルに泊まるときなど)
S字フック(用途:トイレの際や、洗濯にも使える)
・日本のタバコ(お土産用に)
コンタクト、眼鏡
トイレットペーパー

もちろん、コレ以外にも薬類などいくつでも必要になりそうなものは思いつくのですが、ほとんど現地調達する算段なので、これくらいに抑えました。
<現地調達する予定のもの>
・シャンプーなどバス用具(必要最低限)
・洗濯用洗剤

滞在中に書けるのか、帰国後になってしまうのかはわかりませんが、インドでの滞在についてもブログを書く予定です。

車中、そしてインドへ向かう機内はKindleでダウンロードしておいたJack Kerouacの'On the Road'をiPhoneで読みながらいこうかと。(ほかにも数冊電子書籍もダウンロードしておきました)

【瞑想記一覧】
■出発する直前
■インドへ到着
■いよいよ修行開始
■修行の後半戦
■最終日

もんじゃ放談#2

#1に引き続き。


3/13 NYからみた東京
NYから来たというアメリカ人カップル。
ぼくも3年前にニューヨークを訪れ、一週間弱、国連本部で研修というかお勉強会に行っていたので、そのときの話などを。
東京で生まれ育った自分としては、正直、NYに行った所で、街としてのNYCには別段驚くべきことはないだろうとたかをくくっていたのですが、夜のタイムズ・スクエアには度肝を抜かれました。
なんと明るいことか。夜なのに、看板の明るさで空がネオンに照らしだされている。
NY出身に彼らからしたら、東京はまだ人が散らばっている(sparse)ように感じるそう。
たしかにそうかも。でも、渋谷のスクランブル(shibuya crossing)とかは世界的にみても異常ですよね。

3/14 TVでみない芸能人
なんか最近、この人TVで見かけないなーっていう芸能人いますよね。
今日来たお客さんによると、そーゆー人の多くが舞台で生活をしのいでるそうです。
舞台は一ヶ月でおおよそ100〜200万円もらえるそうです。(もちろんそれなりにネームがある人なんでしょうけど)
なぜか、サッカーの武田さんをこき下ろしていました...。笑

3/15 日本ではじめて東野圭吾の新作を読んだ女
編集者とおぼしき女性客が、私は日本ではじめて東野圭吾の『さまよう刃』に目を通した人間だと豪語していた。
真偽のほどは定かじゃないが。

3/16 防衛大オーケ版「女々しくて」
防衛大の卒業式かなんかで、自衛隊がオーケストラ版「女々しくて」を演奏したらしいのですが、これがぜんぜん女々しくないんです。笑




「女々しくて」といえば、WiiのCMの西川貴教さん、めっちゃ上手いっすね。わらいました。



3/20 パパアフィリエイター
感じのよさそうな、子供を二人連れたお父さん。
お母さんに「最近ブログはじめたんだよねー」
ママ「何ブロ?」
パパ「いや、5つくらい。一つはウェブで企業したい若者向け。もう一つは、投資家向け。もう一つは〜」
などなど、「うん?」と、なんだか雲行きが怪しくなってきた。
ママ「なんそれ?なんで?」
パパ「今、かなり売れてる情報商材の中身を一部変えて、そのまま使う。そのリンクをペタペタ貼り付けるんだよ」
という、かなりグレイな話をしていました。
改めて人は外見では分からないし、肚で何を企んでいるかなんてわかりっこないと思いました。

3/25 知る人ぞ知る薬
滋養強壮に、「キヨーレオピン

3/31 女性が牛丼屋に一人で入ること
これが、以外に抵抗感が強いらしく、グループの一人の女性「私ぜんぜん平気だよ」ということに対して、他の女性達はすごく驚いていた。
そして、一緒にいた年配の女性は最近やっとカフェに一人で入れるようになったらしい。
そして、小学1年生くらいの女の子が「あたしセブンに一人で行くのも緊張しちゃう」と言っていたのが、可愛くて仕方なかった。

4/5 銀座のネズミ
は以上にデカいらしい。人も鼠も良い物たべてりゃ、太るってわけですね。

4/14 ディズニーおじさん
ディズニーの年間パスを持つというおじさん。それもランドとシー両方とも。
週に1度は必ず足を運ぶし、多い時には週に3度も行くそう。
昔は娘たちを引き連れていってたけど、彼女たちも大人になり、今では一人きりで行くそう。
年間パスホルダーともなると、もう乗り物には乗らないらしい。その場の雰囲気やパレードを愉しむだけだという。
聞いた話だと、年間パスホルダーの方々は往々にして、ご飯を食べるためだけにディズニーランドへ行くそうですね。

#3へ続く予定。(かなり先になりそうですが...)

2013年4月14日日曜日

読書『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹著


文藝春秋がほんの数行から成る、村上春樹新刊のお知らせをポストしたその日に予約してあった『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読みました。
この歳にもなると(まだ20代といえばそれまでなのですが)、日常でワクワクすることって徐々に減っていって、中学生の頃などはサッカー部の試合の前日や友達と新しいゲームをプレイするときとか、いくらでもあったような気がするのですが、今でも変わらずにワクワクすることって好きなアーティストの新譜を手にした時や好きな作家の新刊を手にした時くらいな気がします。

パッとタイトルをみたとき、「多崎つくる」が男性の名前を意味するとは瞬間的に理解出来なかった。


という予想は概ね正しかった。
タイトルを耳にした瞬間に『国境の南、太陽の西』『スプートニクの恋人』もしくは『アフターダーク』くらいの分量になるのではないかと思った。

これまですべての作品を読んでいると、やはり今回も大枠は同じであったのかと。
もちろん、作品ごとに骨子となるメッセージは違うのですが、作品の形、いいかえるとフレームワークはずっと同じな気が。(パターンとは言いたくないですが)
自分の内部が損なわれる(喪失)、基本的に主人公は几帳面かつ内省的、セックスが物語で重要な意味を持つ、だいたい精神的な欠けがあるときは、どれほど相手を求めていても勃起しない。中盤では抽象的かつ高次なメタファーが物語にヴェールを覆う。

ぜんぜん関係ないんですが、新刊が発刊される度に


っていうような「村上春樹」というワードを使って微細なバズを起こそうとしている人散見される気がします。
あ、あと「もし村上春樹が桃太郎を書いたら~ノルウェイの桃~」はさすがに笑いました。ものの見事に文体、筆致のクセを掴んでる。これはかなり読み込まないと難しいのでは。

上みたいなツイートとか、この桃太郎のイミテーションとか、Amazonのレビューとか、こうゆうブログ書評的なものとか、物知り顔で批評や模倣することは出来ても、実際に自分で無から(from the scratch)緻密かつ濃密な物語を拵えることができるのか。まず、出来ないですよね。

読み始めてから、自宅にいるときはなるべく、というかなんとなく、小説でも重要な意味合いをもつフランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』を垂れ流しながら読んでいました。

とはいえほとんどはバイトや用事へ向かう移動中に大部分を読みました。
iPhoneをランダム再生で垂れ流しながら本を読むのですが、ものすごく懐かしい曲が流れて、懐かしくなり、聴いていたら歌詞がなんとなくリンクしていたような。
あらすじをダラダラ書くよりも、その歌詞の一部を載せようかと。
ぼくたちは過ちを犯す。ぼくたちはすぐに立ち止まる。ささいな小石にさえも躓いて。誰かの言葉を信じ、誰かの手の中にいる。最後は一人なのに。自分が気付いてる弱さ。自分に耐えられない脆さ。見えないふりをしたまま生きていく。 
アカがこう言う
「・・・なあ、こういうのって大いなるパラドックスだと思わないか?おれたちは人生の過程で真の自分を少しづつ発見していく。そして発見すればするほど自分を喪失していく」 
ダリの「完璧に恐れを抱くな。決して辿り着くことはないのだから」("Have no fear of perfection- you'll never reach it")という言葉を思い出さずにはいられない。



書評っぽいことをまったく書いていないので、というかハナから書くつもりないので
他のエントリーを少し掲載。
村上春樹氏新刊「超速」レビュー 人生取り戻す男の物語 / 朝日新聞DIGITAL
最速レビュー。村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に驚いた / excite ニュース
[書評]色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(村上春樹)/ 極東ブログ

2013年4月10日水曜日

世界は一つのアナロジーから成るのかもしれない


たとえば、英語を勉強すること、ジムで筋トレをすること、はたまた本を読むこと。

すべての物事には枝葉末節がある。そして、順序がある。
長文を読むことにしても、文法・単語を知っている必要がある。もっと細かく言えば、冠詞や前置詞、熟語・コロケーションなど単語と一括りにしてしまうには、あまりにも細かく独立している諸々の末節がある。これらを体系づけて学ぶことで、はじめて文章という一つの像を掴める。どれか一つを極めたところで、枝葉自体が成長を遂げていることにはならない。勉強・トレーニングには常に広量的な視野が求められる。

筋トレも、まずは入念にストレッチする必要がある。下半身から始まり、上半身をゆっくり、そして確実にほぐしていく。この工程を無視して、いきなり筋トレに入ると、結局は故障してしまう。
ストレッチも長いこと継続して続けていくと、体も順応してきて、体が柔軟になっていき、より気持ちの良い状態でトレーニングをこなせるようになっていく。
筋トレにしても、いきなり重たい重量をセットするのではなく、徐々に負荷を増やしていく。そもそも筋肉が組成するプロセス自体が、筋肉組織を破壊し、そこに新しい筋肉が加わっていくというものであるから。ステップを踏まずして、筋トレをすれば体自体を破壊しかねない。

読書も同様に外国語学習のみならず、母国語で書かれた文章も結局はボキャブラリーや表現が豊富であればあるほど、当該の文章をより味わえる。
一つの言語を真の意味でマスターすることなど、一つの生涯で不可能で、母国語でさえ、死ぬまで学習は続いていく。
意識的に「言葉」そのものを吸収していかなくては、表現は増えていかないのではないかと思う。
漫画からはじまり、新書へ、そして専門書。多くの書物には段階的な難易度がある。
結局、読書量と共に、基礎体力も上がっていく。これは筋トレとかなり類似してて、はじめて筋トレをはじめてから、(継続的に行ったとして)一ヶ月にもなると、はじめ辛いと感じていたウェイトも余裕に感じる。読書も語学学習も筋トレも、設定した目標に向けて、負荷を継続的にかけていき、閾値を微増させ、基礎体力を増していく作業に他ならない。

そこで有効になるのが、いわゆる「高地トレーニング」。
これは上記のいずれもに当てはまる。
筋トレならちょっと辛いくらいにウェイトを設定する、本なら理解度が完全には足りなくとも知的好奇心を掻き立てられる程度のもの、語学も簡単な参考書ばかりをこなしていても身にならない。

そう考えていくと、どんなものに取り組むにせよ、そこには共通の「アナロジー」があるような気がしてならない。法則と言い換えても良い気がするが、それはちょっと言い過ぎな気もする。
何も考えずにボーッと作業に没頭するのではなくて、こういった一種の普遍性というか、あらゆる物事に通底する要諦を探すと、別の作業に取り掛かるときに応用して、作業能率を倍化できる。

2013年4月6日土曜日

杉村太郎さんがご逝去されていたことを今知る


杉村太郎さんがご逝去されていたことを今日、知りました。

杉村さんといえば、ハーバード・ケネディスクール卒で数々の英語関連の書籍、「死ぬ気でやれよ、死なないから」などの『アツイコトバ』や『絶対内定』シリーズなど数々のベストセラーを著してきた方です。
住商時代に同僚だったという堀義人さん(@YoshitoHori)の哀悼ツイートに杉村さんの人間性がよく表れています。「杉村太郎さん死去 -グロービス代表、堀義人氏のツイートまとめ

高校時代にアメリカへ1年間の留学をしたわけですが、それまで海外経験がなかった僕としては、相当不安に苛まれ、躊躇していたわけです。
ところが、杉村さんの著書に背中を押される形で、最後の一歩を踏み出すことができました。
もちろん具体的な方法論も提示されているのですが、それ以上にモチベーション論が凄まじくて、「やってやろう」っていう気持ちになります。
アスリート気質の人にはぜひお薦めしたいです。
そんなわけで、懐かしくなり当時、衝撃的だった『新TOEICテスト900点 新TOEFLテスト100点への王道』を数年ぶりにKindleの最新版で読んでみました。
やはり、アツイです。
一応、ぼく個人のスコアとしてはTOEIC900、TOEFL100はスコアとしては所持しているので、英語の勉強面というよりはメンタルの面で参考になる箇所が未だにいくつもありました。

ご冥福をお祈りします。

2013年4月4日木曜日

スペイン語とドロンズ


電波少年・ヒッチハイクの旅、「猿岩石のユーラシア大陸編」「ドロンズの南アメリカ大陸編」「パンヤオのアフリカ・ヨーロッパ編」がある中で、とくにこの回は凄まじい。

この旅をみていて、とくに思うのはドロンズの二人、とくに石本さんが日に日にスペイン語を身につけていくプロセス。
とうぜん、生きていくために必死なわけです。
猿岩石はどちらかといえばボディーランゲージだけで乗り切り、パンヤオはチューヤンが香港出身ということもあって、英語が流暢だった。

おそらく、ドロンズにとって幸運だったのは、旅の序盤(たしか、アルゼンチンだった)で小学生に混じって、学校でスペイン語を学んだこと。
それから、チリのテレビ番組にタレントとして1ヶ月弱出演したり、その土地毎に生活の中に溶け込んで、生活をしたことが一番語学上達に役立ったのではないかと。
この前、石本さん自身に質問したら、すぐに返ってきました。


僕もこれまでに英語、スペイン語、中国語、韓国語を勉強したことがあって、肌感として一番スペイン語がスッと覚えられた経験があります。
語感として日本語にも近いし、(活用が多いのはよく指摘されることではあるのですが)英語を知っていると、特に文法も問題ない。

それにしても、電波少年はおもしろい。
企画の突飛さばかりに注目がいきがちなのですが、実はドキュメンタリーとしてみると、その面白さがよくわかる。
もちろん、猿岩石やドロンズなどの特定の人間に注目しても面白いし、その土地ごとの住民に注目しても面白い。
どんな土地に行っても、優しい人が必ずいる。
そして、3日なにも口にせず、ようやく食べ物にありつくと、食べ物のありがたみに気付かされる。
3〜5日仕事がみつからなかったときに、大島さんがふと「もうこうなったら、盗人でもなんでもやってやる」と言ったときに、人間だれでも苦境に陥ると、罪人に転落しかけない可能性があるということがわかる。
犯罪率が低く、治安が悪いとされている国は、ほとんど例外なく経済が低迷し、失業率が高い。
大人になったいまだからこそ「電波少年」がたのしい。