Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer
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2015年7月14日火曜日

読書『旅のラゴス』筒井康隆著


テンポよく疾走感のあるプロットが読んでいて気持ちよかった。
『百年の孤独』のストーリーラインの骨子を”旅”に置き換え、極限まで冗長な部分は排除して、あっさりとさせたような。
ショートショートが数珠繋ぎのように続いていくようなストーリーなので、読んでいても飽きがこない。
かといって人物描写にひねりもないので、SFなようでいて、心象風景は現代にもありふれた普遍的な人間同士のやりとりだったりする。

2015年5月3日日曜日

読書『白本』『黒本』『青本』高城剛著

白本 黒本

歩きながらサクッと高城さんのメルマガ本を読む。内容的には高城さんのグローバルなノマドライフから得たライフハック的な知見から、断捨離的なマインド、徹底した日本のマスメディアへの不信感(とくに黒本ではテーマとなっています)、そしてときにスピリチュアルへと、軽やかに氏の私見を披瀝していきます。
良い悪いは抜きにして、迷える子羊にとっては箴言なまとめなんだろうなあ。


青本

『黒本』『白本』がオープンスタンスでジャンルを問わず回答されているのに対して、『青本』が話題にするのは旅に関連する質問のみ。
その中で、行ってみたいなと思ったのはスリランカのアーユルヴェーダですかね。

2014年10月8日水曜日

【翻訳記事】みんながもっと旅をすれば、世界はより平和な場所になる


幼いころから、いつも遠くの場所へ旅に出たいと夢見てきたんだ。心はいつだって訪れたことのない土地を歩いてた。未だ見ぬものに身を預けること以上に心躍ることはないし、不思議なことに旅をしているときほど心穏やかなこともない。

あたかも遠くへ行けばいくほど、宇宙のリズムとシンクロするかのように。きっと冒険したいという、この欲求は純粋に流浪の精神を持った人々が持ち合わせる上質な特徴なのかもしれないし、単に若さの産物なのかもしれない。いずれにしても、僕のような人は少なくないはずだ。

これと似たような精神性にあらゆるところで出逢った。きっとあなたも、折に触れ、奇妙すぎるような状況で出逢うことがあるだろう。

一度こんなことがあった。4日間のスコットランド高原ハイキングの前、僕と友達はスタート地点へ向かう道の途中でイタリア人のソロ・ハイカーに出くわしたんだ。あの出会いはまさしくセレンディピティという他ない。

ざっくばらんな会話を五分間ほどした後、共にハイクをするという無言の合意に達したことは明らかだった。

次の四日間、僕らはずっと共にいたんだ。食べ物、補給品、そして寝床をシェアして。一緒に高原の神話的でさえある美しさに見惚れ、一緒に木々の中で歌をうたい、一緒にスコットランドの星空の下でウィスキーを飲んだ。

ハイキングが終わったあと、僕らは別々の道を行った。そして僕と友人はそれ以来イタリア人のハイキング仲間に会っていない。

故郷を離れてしばらくすると、僕と同じように旅への情熱にとり憑かれた人びとを見分けることができるようになった。彼らは今まで気づくことのなかった―道の兄妹/姉妹―友人だということ。

彼らの多くはしばしば完全な他人だけど、ふとした瞬間、旧友のように感じるんだ。見知らぬ人には用心することを教える世界において、彼らは事もなくあなたの信頼と親交を手にするだろう。

これが旅が人びとにもたらす効用だ。あなたの心を世界に向け開く。あなたが心を開けば、その場所もあなたに心をひらいてくれるだろう。より多くの人が旅をするなら、世界は必ずより平和な場所になる。

まだ若く自由なうちに旅にでよう、いつかできなくなるから
もし君が22歳、身体は丈夫で健康、学びに貪欲で向上心を持つなら、できるだけ遠く、できるだけ広く旅することを強く勧める。どうやって他の人びとが料理を作り、食べ、そして生きているのかを見つけよう。どこへ行こうとも、彼らから学ぼう。(アンソニー・バーデン)
不幸なことに、高くついたり時間を食ったりで、僕たちの多くにとって旅は選択肢にならない。若者にとって、特に前者のお金はよりネックだ。だけど方法はないわけじゃない。生活が確立されている人にとっては、仕事、家族、そしてその他もろもろの責任があって旅に出られない。

純粋な旅をすることが可能な小さな狭間が人生にはある。君のたった一つの責任が世界の自発的運動に身を任せ、差し出され、教えられるその全てに身を投じるときだ。全ての若者には拘束されない冒険への説明のつかない欲望があるものだから、見て見ぬふりするのはやめよう。

もしまだ君が驚嘆するほど美しく、ダイナミックなこの地球を探検するチャンスを逃しているなら、私は強く勧める。今すぐに現在の快適な環境を飛び出すことを。

境界は幻想だ

グローバル化し結びついたこの世界で、旅をすることの重要性は日に日に増している。グローバル・コミュニティにあって、僕らの運命は今までのどんなときよりも本質的に結びついている。地球の市民の間で団結を高めるような方法を見つけることは不可欠で、さもなければ疑う余地もなく僕ら自身が崩壊への触媒になってしまう。

地図上の境界は歴史を反映したものにすぎず、だいたいにおいて戦争や紛争の産物にすぎないことに気づかなくてはならない。参照点として多少なりとも便利かもしれないけど、人類の複雑性については何も語ってくれない。

旅の体験が変わっていくように、地球との関係性も年々、変わってきている。例えば、五歳児にはシスティーナ礼拝堂の背景にある歴史やその美しさを味わうことはできないだろう。だけど、大人だって同じだ。いつまでも地球の神秘さに気づかない。

どこに住もうと、何語を話そうと、他人が彼らをどう認識しようと、全ての人は根源的に自由に、そして幸福に生きたい。

国境とナショナリズムの支配下にある世界においては、文化相対主義は不可欠なコンセプトだ。

これを強調したうえで、この認識を得るために他の国へ移住したり旅する必要は必ずしもない。だけど、世界中には自分とまったく違う生活を送っている人が何百万といることは忘れてはならないだろう。

自文化と異なるからというだけで、自分の文化が“正しい”とは限らない。善悪の規準は主観的なもので、たいていは歴史と地理の産物だ。

アメリカ出身の人にとって、これを理解することはすごく大切なんじゃないかと思っている。僕らの国は世界のどの国にもましてパワーと影響力を持っている。もし僕らが外の世界を理解しないと、巻き戻せないくらいの混乱を生むかもしれない。あらゆる点で、もうすでに僕らはこれを犯しつつある。

旅は共感と寛容をうむ
目を閉じていれば、生きることは容易い。(ジョン・レノン)
旅は自分以外の人びとの何気ない生活にあなたの目を開かせる。他の文化の美しいほどの複雑性を明らかにし、あなたのなか深くにある多様性に対する審美眼を養う。

同じように、より多くのアメリカ人が旅をしたならば、外の世界に住む人びとをより深く気にかけるようになる。これはアメリカの外交政策におけるより大きな公的関わりに寄与するだろう。簡単に言ってしまえば、世界に対するより深い理解があれば、アメリカ人が馬鹿げた政策をサポートすることも少なくなるということだ。

世界のアメリカに対するイメージに正直でいることも同様に大事だ。アメリカの国外活動のせいで、世界の多くの人は僕らの国に好意的じゃない。僕の経験からいうと、ほとんどの人は国民よりも政府に責任を求めるくらいには洞察的だ。

世界のできるだけ広い範囲を旅すること、そしてこの国のために善行の大使になること。アメリカの正しい本質(友好的で楽観的な人々から成る)に世界の目を向けること。世界の大半の国がそうであるように、僕らにも多くの欠陥がある。だけど旅はそういったものを治癒するのに役立つ。

外国を旅するとき、他の文化を理解することに誠実に取り組むべきだ。単なる観光者に成り下がるのではなく、旅行者になる。文化のスポンジになろう。帰国したあとは、何を学んだのかを周りに伝えよう。

自分がどこからきたのか知るために旅にでよう、僕らは皆ほんの少しの自己反省が必要だ


現在、アメリカは数多くの難しい国内問題に直面している。二大政党からなる僕らの政治システムのせいで、国は公民権運動の頃のようにイデオロギー的に分極化している。暗い日々をくぐり抜けるために、僕らには深い自己反省が必要だ。

比較対象がなければ、自分の国や自分自身を真に理解することはできっこない。旅は生きる上でのオルタナティブに目を開いてくれる。

旅をすれば故郷で自分が享受しているものに気付かされたり、何を変えるべきなのかについてのよりクリアーなイメージを得られる。

アメリカ経済は世界の広い範囲の福利に結びついている。だったらまずアメリカ国内の状況を改善する必要がある。前進できない理由としては、政治的スペクトルの両側になかなか克服できない壁があるせいじゃないか。

歴史、地理、文化、そして教育の違いによって異なった地域に住む人々は単純に現実を違うように捉える。これは何も異なった国にのみならず、国内においても同様だ。

アメリカは広大な国で、人も地理も多様だ。僕らは人それぞれが違った考えを持っていることを尊重しなくてはならないし、僕らの意見が他の意見に優っているということもない。

だとすれば、進歩には妥協が伴うことになる。意見が一致しない相手にも共感できるなら妥協は断然簡単なものになる。旅はこうした理解を生む。

さらにいえば、旅は何も国境を越えたところだけではなく、その内でもいい。自分の州の外側に出て、この国が提供するすべてを探検しない限り、国を真に理解できるアメリカ人はいない。自己を孤立させることで助長されるのは誤解だけだし、結果として、憎悪と恐怖が生まれる。

もしより多くの人が旅をすれば、世界が抱える問題が解決されると信じるほど僕はナイーブじゃない。国土や資源に関する論争は尽きないものだし、現在のところ、地域をまたぐ宗教的な緊張が和らぐという見通しもない。

だけれど、旅が少しでも世界に暮らす市民の相互理解の助けになるならば、地球にとっては計り知れないインパクトを持つ。国際情勢で果たす役割を考えれば、とりわけアメリカ人に当てはまる。

アメリカの偉大な著述家マーク・トゥエインがこう記したように:
旅は偏見、頑迷、そして狭い心を解き放つ。こうしたものに塗れた我々にとってはなくてはならないものだ。広く、健全で、慈悲深い人間観や物は地球の隅だけで生育されるものではなく、すべての人々の人生で成し遂げられるものだ。
著者(Author): JOHN HALTIWANGER
(元記事:If More People Traveled, The World Would Be A More Peaceful Place - ELITE DAILY)

※大筋の本意が伝わればと思い、爆速で平易に訳しているので、多分に意訳を含んでいます。誤訳や内容での指摘があればコメントお願いします。

⇒前回の翻訳記事:「人生はゲーム これがあなたの戦略ガイド
⇒「旅」に関連する翻訳記事:「若いあいだに旅をすべき7つの理由

2014年1月20日月曜日

2013年に読んだ250冊から選ぶ10冊のブックレビュー


新年あけまして、おめでとうございます。(今更ですが)
今回は、昨年に読んだ本から10冊ピックアップして、自分自身で振り返りつつ、ご紹介したいと思います。
新しい本を読む度にブログに書くとキリがないので、このように機会をみながら、まとめて紹介というか、キュレーションする方が効率が良いと思います。
(ですが、タイミングや、ぜひブログに書き残しておきたい場合は今まで通りに書きます)
くわえてどの本が自分にとって有益な血肉となったのかは、ある程度の時間を置かなくては分からないものです。(もちろん1年はそれでも短いのですが...)

さて、ログの方をみると昨年は250冊余りの読書をしました。
基本的にはブクログにメモや読書歴を書き残していますが、すべてという訳ではありません。

ではさっそく振り返りを。(尚、紹介する順序にとくに優劣はありません)

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1. 『昨日までの世界―文明の源流と人類の未来』(上・下)ジャレド・ダイアモンド著

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来昨日までの世界(下)―文明の源流と人類の未来

いままで基本的にジャレド・ダイアモンドの本はフォローしています。
いわゆる「ビッグヒストリー」の本で、局所的限定的な歴史本ではないので、人類学的視座から歴史を見通すことができ、マクロな歴史観を得られます。
ダイヤモンド博士が長年の人類学的フィールド・ワークから導出した一つの帰結は、以下の言及箇所から引き出せます。
食料とセックスでは、どちらのほうがより重要であるか。この問いについての答えは、シリオノ族と西洋人とでは全く逆である。シリオノ族は、とにかく食料が一番であり、セックスはしたいときにできることであり、空腹の埋め合わせにすぎない。われわれ西洋人にとって最大の関心事はセックスであり、食料は食べたい時に食べられるものであり、食べることは性的欲求不満の埋め合わせに過ぎない。
普遍的と思われる価値観も時代や場所で変わります。
突飛な話になりそうですが、これを無理やり敷衍すると、ニーチェも同じことを主張していたと思うのです。
彼が絶対価値の転覆を挑んだのは、当時(そして尚、今も強い影響力を持つ)キリスト教を始めとする、人の拠り所となる宗教でした。その他、もろもろの確信的疑念を投げかけました。

なおこの本については、昨年7月のブログで取り上げました⇒読書『昨日までの世界―文明の源流と人類の未来』(上・下)ジャレド・ダイアモンド著

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2. 『(株) 貧困大国アメリカ』堤未果著

(株)貧困大国アメリカ (岩波新書)

手軽だということもあり、新書も多量に読むのですが、昨年(2013年)に限っていえば、この本が僕的新書大賞です。
スティグリッツの一連の著作をはじめ、グローバル資本主義の悪弊や、それに真っ先に罹患し、格差が社会を巣食うアメリカ。
その内実をとことんまで抉った今著。
この本も昨年7月にブログで取り上げました。⇒読書『(株)貧困大国アメリカ』堤未果著
このエントリーから自分の感想の一部をいちおう引用
グローバル規模で資本主義が暴走していく中で、誰に「責任」を帰すこともできない。一度、この論理が作動して世界を覆っていく中で、国家なき「帝国化」とでもいえる様相が成立していく。軍産複合体、農業複合体、コングロマリット化は収まらない。とくに今著でも詳細にわたって、触れられている「強い農業」の錦の御旗の元に進められたアメリカにおける大規模農業が直面している問題群。たとえば養鶏業者の「デッドトラップ(借金の罠)。これは一つに収まり切らない数多くの問題が複合的に絡まり合いながら、存立している。
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3. 『ある広告人の告白』ディヴィッド・オグルヴィ著


ある広告人の告白[新版]

国境を問わず、世界のアドマンの間で読み継がれるディヴィッド・オグルヴィの自伝的広告マンの指南書。
書かれたのが大分昔ということもあって、題材自体は古いのですが、彼の怜悧な視点は本質的なもので通時的に当てはまる指摘が多い。

この本のなかなかパラパラとよく聞く箴言が散見されるのですが、ひとつ引いておくと、これもよく聞く言葉ですよね。
犬を飼っているのに自分で吠える奴がいるか?
ようは代理店の取り巻きに対しての言葉なのですが、クリエイティブな面をして広告会社の敵になるなということでして。
たとえばこれの実例をあげると、今月公開になった若手アドマンを描いた映画『ジャッジ!』のトレーラーにまさしくというところがありました。



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4. 『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

2013年は時流に乗っかる形で、思いがけずマッキンゼー関連本を読むことが多かったです。
その中でも群を抜いて有益だったのがこの本。
「知的生産」や「思考法」を扱った本は梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』や外山滋比古さんの『思考の整理学』などこれまでずっと読み継がれてきたものもあります。
"新旧"と言い切るのも憚られますが、今著はコンサルタントという思考のフレームワークを扱うプロが執筆した本ということもあり、新しい知見がふんだんに詰め込まれてます。


あとは安宅さんの専門が脳神経科学にあるということで、そちらからアプリカブルな思考法もいくつか紹介されてます、たとえば....
「情報をつなげることが記憶に変わる」⇒「理解することのことの本質は既知の2つ以上の情報をつなげること」を説明する項で、
マイクロレベルの神経間のつなぎ、すなわちシナプスに由来する特性として「つなぎを何度も使うとつながりが強くなる」ことが知られている。たとえてみれば、紙を何度も折ると、折れ線がどんどんはっきりしてくることに似ている。(Cf. 「ヘッブの法則」)
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5. 『なめらかな社会とその敵』鈴木健著

なめらかな社会とその敵

勁草書房という、わりと固めな出版社から出された、わりと難度の高い書でありながら、昨年、読書会で話題をさらった鈴木健さんの『なめらかな社会とその敵』。
タイトルは言わずもがな、カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』から。

開かれた社会とその敵 第1部 プラトンの呪文開かれた社会とその敵
カール・ライムント・ポパー,内田 詔夫,小河原 誠

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昨年3月にこのブログでも取り上げました⇒読書『なめらかな社会とその敵』鈴木健著
そこから要諦というか感想というかを抜粋。
「なめらかな社会」が近代をアップデートするという確信の元、PICSYや分人民主主義・構成的社会契約論など、古くから受け継がれてきた諸思想・諸概念(貨幣論、間接民主主義、社会契約論)のアップデートを図りつつ、一つの大きな命題へと収斂させていく。 
「理系」・「文系」という狭隘なマインドを超越した筆者の知性と情熱は、人類の叡智が学際的に集積されていくプロセスをダイナミックに描き出す。
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6. 『カラマーゾフの兄弟』フョードル・ドストエフスキー著

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)

きっと生涯でもっとも影響を受けた1冊の一つとなるであろう小説。
きっとこれまでも、これからもぼくと同じような人はたくさんいるであろう時代を超えた不朽の名作。

昨年3月にブログで取り上げました。⇒読書『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー著
そこから感想と所感を引用。
本の世界に自我を忘れ、没入して、読了後にすっかり心に風穴が空いたかのような感覚を覚えるのは、おそらく数年に一度あるかないか。認知の限界を越えた世界を覆う幾つもの疑問。それらを振動させて、価値観が根底からぐらつくような予感。中学三年生のときに、村上春樹の『ノルウェイの森』をはじめて読んだ時に、全身から揺さぶられたとき以来の感覚。(質的な性質は違いますが)
嬰児から信仰の中で育ってしまえば、かなり強固な信仰心が根を張ると思うのですが、『カラマーゾフの兄弟』を読んでから信仰心を身につけようと思うと、少し難しくなるのではないかと、それほどまでに「信仰」とは「赦し」とはなんなのか深く考えさせられる。 
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7. 『プラグマティズムの思想』魚津郁夫著

プラグマティズムの思想 (ちくま学芸文庫)

当時、院試の勉強をゴリゴリしてたのですが、その中にあって、休憩中に軽い、だけど有益な本と思って、手に取ったのが魚津郁夫さんの『プラグマティズムの思想』でした。
学問領域を問わず、その影響を及ぼしているプラグマティズムという思想潮流。
なんとなく断片的な知識はもっていても、どこかまとまりがない。
そんな「体系性」をもとめる人には必読かと。
ジェイムズ、パース「記号論」、ミード「自我論」、デューイ「道具主義」、モリス、クワイン、そしてその知の潮流がローティまで流れ込んでくる。
この一連の流れが過不足なく把握できる。とっても丁寧な筆致に沿って。

そもそも「プラグマティズム」っていうのは、
プラグマティズムの特徴は、思考を行動(もしくは行為)およびその結果との関連においてとらえる点にある。
思考とは、それにもとづいて行動できる信念を形成するプロセスであり、信念は行動への前段階であった。 
ジェイムズの思索の背骨にあるのは当然「プラグマティズム」に他ならないと思われるのですが、僕がとりわけ興味深く思ったのがそんな彼の宗教観です。
そもそも宗教とは「私たちは、宗教をこういう意味に理解したい。すなわち宗教とは、孤独の状態にある個々の人間が、たとえなんであれ、自分が神的な存在と考えるものと関係していることをさとるかぎりにおいて生じる感情、行為、経験である、と」(『宗教的経験の諸相』 )
この本に関しては、たしかブログで取り上げなかったので、一応メモを付記。 

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8. 『沈黙』遠藤周作著

沈黙 (新潮文庫)

インドでの瞑想修行の旅を終え、日本へ帰る機内で読んだ一冊。
6つ目に紹介した『カラマーゾフの兄弟』と対照的に、徹底的に生を超えて"信仰"を貫き通す宣教師の話。

再び自分の中で揺らぎ生じる。"赦し"とは何か、"信仰"とはなにか。
無限に広がる宗教という世界の広さを再び思い知らされる。浅はかな自分を知る。
とりわけ、孤絶な修行生活のあとで空っぽになってたからこそ、再び自分の立ち位置を相対化することができた。

ちなみにアメリカで映画化の話が進んでいるそうなので、そちらもすごく楽しみしてます。 


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9. 『ワーク・シフト―孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>』リンダ・グラットン著

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

多くの人が年間ブックレビューで選んでいた今著。
どの国の人が読んでも有用な、新しい労働観がふんだんに詰め込まれているわけですが、とりわけ、知識集約型労働が進んだ先進国民のホワイトカラー層は必読かと思われます。

このブログでこの本を直接は取り上げませんでしたが、翻訳記事「今、もっとも将来性ある10の大学の学部とは」の後記で触れています。

向こう数十年の世界を形作る5つの要因として、

1. テクノロジーの進化
2. グローバル化の進展
3. 人口構成の変化と長寿化
4. 社会の変化
5. エネルギー・環境問題の深刻化

を挙げた上で、それぞれについて詳述していくわけですが、じっさいどうすべきか。
あらゆることを無難にそつなくこなすゼネラリストよりも、短期集中でスペシャリティを育み、また次のスペシャリティへとスライドさせていく「連続スペシャリスト」になることを奨励しています。

どうしても一つの環境に身を置いていると、マクロの世界の地殻変動に気づきにくくなってしまう。それをグラットン氏は「ゆでガエル」のわかり易い喩え話で説明しています。
煮えたぎるお湯の中にカエルを放り込めば、あまりの熱さにカエルはすぐ鍋の外に飛び出す。では、カエルを冷たい水の入った鍋に入れて、ゆっくり加熱していくと、どうなるか。カエルはお湯の熱さに慣れて、逃げようとしない。しかし、しまいには生きたままゆで上がって死ぬ。鍋の中のカエルと同じように、私たちは仕事の世界で「気づかないうちに積み重なる既成事実」に慣らされてはいないか。
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10. 『森の生活 ウォールデン』(上・下)ヘンリー・デイヴィッド・ソロー著

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)

最後に紹介したいのが、H・D・ソローの『森の生活』。
喧騒を離れ、ウォールデンの森に小さな小屋を自ら拵え、一人孤独のうちに生活を送る中で、紡ぎ出された彼の思索が日記と共にまとめられています。

そもそも電気もガスもない、都会人からすれば圧倒的に不便に映る森でなぜ彼はわざわざ生活をしようと考えたのか。
私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。
これはぼくがインドへ行こうと思い立った気持ちと通底するものがあります。
迷子になってはじめて、つまりこの世界を見失ってはじめて、われわれは自己を発見しはじめるのであり、また、われわれの置かれた位置や、われわれと世界との関係の無限のひろがりを認識するようにもなるのである。
インド修行から、東大に受かるまで」というエントリーの中でこんなことを書きました。
あまりにも多すぎて、見えにくくなっていること。「すべてを投げ捨てて、それでも残るもの」をみきわめること。
今から考えると、ソローの以下の言葉とまったくその通りに共振している気がしてならないのです。
私にはほんとうの豊かさが味わえる貧しさを与えてほしいものだ。
本当の豊かさに、物質的な富はどれほど本質的に必要なものなのか。

最後に、いささか尊大だけど、力強さみなぎる彼の文章を
汝の視力を内部に向けよ。やがてそこには、いまだ発見されざる、千もの領域が見つかるだろう。その世界を経巡り、身近な宇宙地理学の最高権威者となれ。
己と対話するため、孤絶と対峙するため、この言葉を身体で経験するため、瞑想に行ったのでした。 
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このように一年間経ったうえで、読書遍歴を振り返ると面白いことが分かります。
読書とは流動的かつ動的な体験であるということ。
置かれた状況や、自分が置かれた立場で、本の中の言葉の輝度が変わる。
心に響く言葉は常に絶え間なく動いている。
なにげなく読み飛ばしてしまう言葉も、立ち止まって噛み締めたくなる言葉も、"イマの自分"次第で変転する。
言葉で行動が変わり、行動で言葉が変わっていく。
去年の12月に「本を読むということは、"ヴィークル"に乗り込み、旅にでるということ」に書いたように、物理的ではない旅を届けてくれる。
旅を通して世界の見方が変わったり、狭隘な価値観が拡張されるように、まったく同じことが読書を通して自分を変えていく。

2014年もたくさん言葉を飲み込んでいきたい。


2013年12月22日日曜日

本を読むということは、"ヴィークル"に乗り込み、旅にでるということ


ジブンはたしかにココにいるのに、「心ここに在らず」というふうな感覚を覚えることがある。
思考が遥か彼方へ飛翔していく。
そんな本に出会えたとき、言い表しがたい"幸福感"を覚える。

本を読み始め、気がついた時には、夜が明けている。
本の世界に忘我没入し、思考が縦横無尽に駆け巡る。
本のページを開き始めると同時に、ヴィークル(vehicle=輸送手段)に乗り込み、物理的境界とは別次元で、旅路を進めていく感覚。

どんな景色が待ち受けているか、
跳梁する期待感を押し殺しながら、また次のページを捲っていく。

2013年11月17日日曜日

【翻訳記事】若いあいだに旅をすべき7つの理由



私は、若いあいだに世界中の広範囲を旅する幸運に恵まれてきました。アメリカのほとんどの地域を訪れ、ハワイとアラスカの多くの街にも足を運びました。それから、アフリカ、スイス、アイルランド、イギリス、スコットランド、フランス、メキシコ、ボネール島などの諸外国も訪れました。西インド諸島・グレナダにも数年住みました。世界を旅して得た経験は何ものにも代えがたいものであり、まだまだ訪れるべき地域があります。自身の経験に基づき、すべての若い人に伝えたい。生まれ故郷を出て、外の世界に飛び込むこと。私の人生を変えた7つのことがらを紹介したいと思います。

1. 旅は世界に対する接し方を変える

私は田舎町で育ちました。もしも若いときに旅をする機会を得ていなかったとすれば、心地良い田舎の生活の外にある世界に思いを巡らすこともなかったでしょう。旅をすれば息を飲むほど美しい数々の景色に思いがけず遭遇します。海にかかる夕暮れ、山脈を飛翔する鷹、熱帯雨林を縦横無尽に駆け巡る猿の群れ、急流で鮭を捕らえるグリズリー、壮大な滝、火山が激しく呼吸するように噴き出す煙、人生で出会うことのできる数々の美しい情景を思い知らされることでしょう。それを探求したいという激しい情炎に駆られることでしょう。

こういったものに若いときに触れなければ、歳をとり、家族得た時には欲望の種は縮小したものとなり、探求への欲求は少なくなるかもしれません。自分が見落としていたものを知らずにいれば、あえて努力してまで旅をしようという欲求に駆られることもありません。旅の過程を通して、後世の世代へと地上の美を守り続けていかなければならないという義務感のようなものも育まれていくでしょう。まずはそれをじっさいに目にすることから、守ることは始まるのです。

2. 旅は他人に対する接し方を変える

不幸なことに、私の育った場所は多様性に欠けていました。皆が同じような見た目で、基本的に同じような行動をするのです。旅を通じて、他の文化を学びました。私とは違う見た目で、私とは違うような行動をする人たちと友情を築く中で私自身の人生がより豊饒なものになると思ったのです。故郷を遠く離れ、私とはまったく違う価値観を持つ人と友情を育むことこそ私が求めていたことだったのです。コンフォート・ゾーン(居心地の良い場所)を離れ、関係を築き、経験を積むことは恐るるべきことでなく、大切にすべきものだということを教えてくれたのです。同時に、コミュニケーション・スキルがいかに大事なものであるかも実感しました。こう言えばより分かりやすいでしょうか。メキシコを訪れたあとは、大学のスペイン語のクラスをより真剣に取り組むようになりましたし、フランスやアフリカに旅したあとは、フランス語のクラスにより熱心に耳を傾けるようになったのです。

3. 旅はあなたを謙虚にする

歳を取るにつれ、人生について私がいかに無知であるかを思い知らされるようになりました。すべてを悟ったのかのような感覚に陥るのは、どうやら若さの産物であるかのようです。そうは言うものの、そうした幻想はなるべく早く砕け散るにこしたことはないのです。(少なくとも私の場合はそうでした)旅をすると、困難な状況に陥ることがあります。世界は自分が思っていたよりも、ずっと巨大なのです。世界は自分を中心になんか回っていないとすぐに気づくことでしょう。自分が大海を優雅に泳ぐ大きな魚などではなく、穴でもがく小さなちいさな小魚にすぎないと学ぶのです。

さて、だからといってあなたが取るに足りない存在かというと、そんなこともありません。ただそうした意識における変容はあなたの視野を拡張し、他人から学ぶことを厭わず、あなたが持ちうる知見を他人と分かち合うことを促すことでしょう。旅は自分の内に長らく住まっていた固定概念を取り払うでしょう。自分をコントロールするというシンプルなこと、そして地球という広い視野から自制心を持つことがいかに難しいことかを悟るでしょう。

4. 旅はあなたを新たなる挑戦へと誘う

旅はあなたを謙虚にすると同時に、自信も付けてくれます。今までなら出来るなんて思ってもみなかったことを実現できるようになっている自分に気づくことでしょう。例えば、私は過去二年間、西インド諸島・グレナダに住んでいます。きちんと舗装されたアメリカのオープンロードの右側を運転することに、私は慣れきっていました。グレナダでは、複雑に入り組んだ未舗装の山道の左側を運転しなければならなかったのです。加えて、ほとんどの道路にはレールガードが付いておらず、崖の下にはいくつもの家の屋根が立ち並んでいるのが見えます。

つまり、もし運転をミスすれば、私自身が死ぬという問題ではなくて、夕食を囲んでいる家族をも巻き込んでしまうのです。すごいプレッシャーですよね。何度か肝を冷やすことはありましたが、今ではすっかりこういった運転環境にも慣れ、地元の人や、道を通る家畜、空いた穴を見落とすことはありません。この恐怖を克服する経験を通して学んだことは、人は適応できるということです。思うにこうした経験に年齢の早い遅いはないと思います。ですが、若いときに適応できれば、残りの人生をより充実したものにできるのではないでしょうか。

5. 旅は世界の苦しみに共感を呼び起こす

旅を通じて、あなたにとっての「当たり前が」世界の当たり前ではないことに気付かされます。じっさいに目にしたことのない人には分かりづらいかもしれませんが、多くの場所で考えられないくらい劣悪な環境で飢餓に苦しんでいる人々がいます。そうした人々とリアルな、個人的な人としての人間関係を取り結んだときにはじめて、ニュースに映し出される戦争や飢饉の真の意味が感じ取れるというものです。世界の諸地域で暮らす人の実情に共感を呼び起こすことができないエゴイスティックで冷淡な態度や感情といったものは立ち消えるでしょう。他者に救いの手を差し出さずにはいられなくなるのです。

6. 旅は教育上の地平を押し広げる

悲しいかな、私は学校で習う歴史が好きになれませんでした。ただ本の字面を追うことが退屈で仕方なかったのです。しかしながら、実際にフランスでヴェルサイユ宮殿、アフリカでバシリカ聖堂を目にしたとき、アイルランドの廃城を登ったとき、ホワイトハウスを訪れ、ルーヴルの廊下を歩いたとき、歴史に対して深い恩恵の意を表さずにはいられなかったのです。旅は歴史を生きたものへ変位させます。ストーリーはもはや本の挿絵ではなく、学校でならう陳腐な絵空事なぞではなく、あなたの記憶にきわめて具体的なイメージを伴って残るのです。

7. 明日は保証されていない、人生を"今"楽しもう!

多くの若い人は様々な理由を立てて、旅に出ようとしません。責任を持ちたい、もっと働きたい、結婚したい、子供が欲しい、人生をしっかり組み立てたい。しかしどうでしょうか、退職してから老後の時間をそれに充てる、だから今は我慢する、私はこうした考えを退けます。もちろん私だって老後は旅を続ける予定ですが、長く生きられるかなんて誰にも分からない、明日は誰にも保証されていないのです。もし40代、50代、あるいは60代で何か起こり、長く生きられないとしても、私は後悔は何一つありません。旅を通じて、私は自分の感性や能力を最大限に振り絞りながら、一瞬一瞬、目の前にある機会を体感・経験し、地球の壮麗な景色をいくつも目にしました。旅が今の私を作ったのです。こうしたヴィジョンを蔵し、まだまだ多く残る人生の時間の中で旅路を続けられることを喜ばしく思います。

著者(Author):Sarah Hansen
(元記事:7 Reasons You Should Travel While You’re Young - Lifehack)

大筋の本意が伝わればと思い、爆速で平易に訳しているので、多分に意訳を含んでいます。誤訳や内容での指摘があればコメントお願いします。

前回の翻訳記事:「ツイッター共同創始者ジャック・ドーシーが掲げる成功のために「すべきこと」「すべきでないこと」習慣リスト

2013年10月22日火曜日

アイスランドという国に魅せられて


アイスランドに1ヶ月滞在した大学1年生の夏。
あれから、もう大学を卒業をして、かれこれ5年くらい経つ。
ときどき、アイスランドの草原、氷河、いくども架かる虹を思い出す。

そもそも"アイスランド"という土地がが心をとらえ始め、心に住み始めたのは、高校1年生のときにSigur Rósにどっぷり浸かり始めたのがキッカケだ。
これほど美しい旋律、景色が頭の中に立ち上る音楽を生み出せる彼らはどんな土地で、どのように育ったのか、自然と音楽の奥にある、彼らのバックグラウンドに興味が惹き付けられていった。


大学入学が無事に決まった春からお金を貯め初めて、夏には無事にアイスランドへ。
一ヶ月の滞在で、大いなる自然に囲まれ、のびやかにゆっくり日々を過ごした。

いつだったか「アイスランドの少年と幸せ」というメモも残していました。
とにもかくにも18歳の夏を過ごしたアイスランドでの1ヶ月は、今でも僕の思索の参照点になっているのです。



今日は、午前中にABC(青山ブックセンター本店)に足を運び、大学時代のゼミの後輩(彼も同様にアイスランドに魅せられたという)が薦めてくれた『BIRD』のアイスランド特集を購入して、六本木ヒルズへ。
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なんとか時間を工面して、東京国際映画祭に足を運びました。


アイスランド映画『馬々と人間たち』("Of Horses and Men")というフィルムを鑑賞するためです。

上映前に一緒に連れ立った友達と、なぜ英題の先頭部に"Of"が付くのかと話し合っていたのですが、鑑賞し終わって合点がいきました。

本映画の主人公ともいえるのが、劇中で草原、岩山を駆け回るアイスランド馬(Icelandic Horse)というアイスランド原産の馬。
日本語版のウィキペディアに項目がなかったので、英語版から翻訳しつつ引用してみます。
アイスランド馬はアイスランド原産の馬である。比較的、馬体は小さく、ときにポニーほどの大きさ。アイスランド馬は長寿で、丈夫である。アイスランドの法律では馬の輸入が禁じられており、輸出したあとの動物が戻ることも禁止されているため、アイスランドにおいては動物の伝染病がほとんどない。典型的な馬の歩き方に加え、独特のギャロップ(早歩き)をする。国際的にも知名度が高く、一定の繁殖数がヨーロッパや北アメリカでも確認される。アイスランドでは現在でも、伝統的な農耕に従事していたり、レジャーや見世物、レースにも用いられる。(Icelandic Horse - Wikipediaより)
劇中では、いきいきとしたその様が見れます。
アイスランドに魅せられ、馬も大好きな自分としてはたまらない作品。


頭の中のサウンドトラックはもちろんthe HIATUSの"Horse Riding"

賛否の分かれそうな作品ではあります。上映時間も1時間少々と、かなりショート。

交互に訪れる人間、そして馬の死。
美しい自然のなかで、営まれる人間と馬々の生活。


文字通り馬の中に入っていく人間。
種が違う二つの生き物が一体となったとき、遺った命はただひとつ。
向こう5年の間に、必ずもういちど足を運びたい。心はずっとあそこに置いてあるような。

2013年4月4日木曜日

スペイン語とドロンズ


電波少年・ヒッチハイクの旅、「猿岩石のユーラシア大陸編」「ドロンズの南アメリカ大陸編」「パンヤオのアフリカ・ヨーロッパ編」がある中で、とくにこの回は凄まじい。

この旅をみていて、とくに思うのはドロンズの二人、とくに石本さんが日に日にスペイン語を身につけていくプロセス。
とうぜん、生きていくために必死なわけです。
猿岩石はどちらかといえばボディーランゲージだけで乗り切り、パンヤオはチューヤンが香港出身ということもあって、英語が流暢だった。

おそらく、ドロンズにとって幸運だったのは、旅の序盤(たしか、アルゼンチンだった)で小学生に混じって、学校でスペイン語を学んだこと。
それから、チリのテレビ番組にタレントとして1ヶ月弱出演したり、その土地毎に生活の中に溶け込んで、生活をしたことが一番語学上達に役立ったのではないかと。
この前、石本さん自身に質問したら、すぐに返ってきました。


僕もこれまでに英語、スペイン語、中国語、韓国語を勉強したことがあって、肌感として一番スペイン語がスッと覚えられた経験があります。
語感として日本語にも近いし、(活用が多いのはよく指摘されることではあるのですが)英語を知っていると、特に文法も問題ない。

それにしても、電波少年はおもしろい。
企画の突飛さばかりに注目がいきがちなのですが、実はドキュメンタリーとしてみると、その面白さがよくわかる。
もちろん、猿岩石やドロンズなどの特定の人間に注目しても面白いし、その土地ごとの住民に注目しても面白い。
どんな土地に行っても、優しい人が必ずいる。
そして、3日なにも口にせず、ようやく食べ物にありつくと、食べ物のありがたみに気付かされる。
3〜5日仕事がみつからなかったときに、大島さんがふと「もうこうなったら、盗人でもなんでもやってやる」と言ったときに、人間だれでも苦境に陥ると、罪人に転落しかけない可能性があるということがわかる。
犯罪率が低く、治安が悪いとされている国は、ほとんど例外なく経済が低迷し、失業率が高い。
大人になったいまだからこそ「電波少年」がたのしい。

2012年9月23日日曜日

今夏も広島へ


今夏も昨年に引き続き、広島へ。想定外だったんですが笑
昨年は夜間に訪れた原爆ドーム。今年は昼間に。そして修学旅行ぶりに資料館へも足を運びました。


広島滞在中、二度お好み焼きを食べました。
本当は去年行って美味しかった平野というお店に行きたかったのですがあいにく閉まっていたので、二度ともお好み焼き村へ。


ビアガーデンにも行きました。ここでフローズン生飲めるとは。



そして昨年行きそびれた宮島・厳島神社へ。天気にも恵まれて、とても気持ちよく観光できました。

三日目からはレンタカーを借りて、県内のいろいろなところを巡りました。

千光寺公園

灰ヶ峰展望台

海猿の舞台でもある呉に宿泊しました











2012年4月21日土曜日

「首なし鶏マイク」から思い出すカンボジアでの一日


首なし鶏マイク(Mike the Headless Chicken)は、首をはねられた後も18か月間生存していたことで知られるアメリカの雄鶏である。
コロラド州Fruitaの農家ロイド・オルセンの家で、1945年9月10日に夕食用として1羽の鶏が首をはねられた。通常ならそのまま絶命するはずであったが、その鶏は首の無いままふらふらと歩き回り、それまでと変わらない羽づくろいや餌をついばむようなしぐさをし始めた。翌日になってもこの鶏は生存し続け、その有様に家族は食することをあきらめ、切断した首の穴からスポイトで水と餌を与えた。(Wikiより)
マイクは約二年間生存を続け、その間、飼い主と共に全米を興行周遊し、当時としては相当の富を主にもたらしたとのこと。
それをみて、多くの人が鶏の首を断ち切って生存させようと試みたが、2日以上を生きた鶏はいなかった。
マイクは今もギネスに認定された首なしで長期間存命を続けた鶏として記載されているそう。

なんだか、カンボジアでの一日を思い出します。
あれはたしか大学二年生の春。
3~4日くらいだったか、カンボジアに旅行に行きました。
着くなり早々、トゥクトゥクのドライバーを雇い、結局最終日まで同じドライバーと過ごしました。


最終日も予定していた日程を終え、飛行機の時間まで数時間余りました。
そしたらドライバーだったポー(この時までにかなり仲良くなっていた)が、「じゃあ、ウチに来なよ。おもてなししたいんだ」と言い出しました。
行きの飛行機でパラパラ読んでいた「地球の歩き方- カンボジア」に記載されていた事項が脳裏をよぎります。
「親しくなった現地人・ドライバーなどに自宅へ招かれても決して付いていかぬこと」
ぎくっ。
ただ、やっぱり直感を信じたかった。
ポーは心の底から良い奴だと。
そこで身ぐるみ剥がされて全部持ってかれたって、死んだって。それはそれだと。
腹をくくり、バイクの後ろ、徐々に徐々に都市部を離れて郊外へ。
だんだん人口建築物もないような、鬱蒼とした茂みの中へ。深く深く。



ついに到着。
電気・ガス・水道などはなく、それこそ葉っぱと木だけで作ったような竪穴式住居のような家。同じような家がいくつか立ち並ぶ、ちょっとした集落がそこにありました。
辺りもゆっくりと暗くなっていきます。
ひと通り、近所さんたち(おそらくほとんどが親類)に挨拶を済ませると、庭にいた鶏をいきなりナイフで屠ると、嬉しそうにそれを僕に見せながら「今日はご馳走だ」と言いました。





それからお湯を沸かし、羽根などを剥いだ鶏をそこにぶち込み、茹で上がるのを待ちます。
その間、野草のようなものを板の上で擦り潰しながら、ソースをつくります。

夕食が出来上がる頃には近所さんたちもぞろぞろと集まりはじめました。
鶏の腹を切り、内蔵を取り出し「ほら、ここが一番おいしいとこなんだ」と言って僕に差し出してきました。
それは今までみたこともないような内臓でした。
断るわけにもいかず、意を決して口へ。
味は覚えていません。
肉の部位も食べましたが、恐らく急に殺されたから筋肉が硬直していてとても固かった。


夜は更け、辺り照らすのは小さなキャンドルのみ。
ビールを片手にささやかな宴はゆっくりとした時間の中ですぎていきました。
上を見上げると無数の星が僕らを見下ろしていました。
みんなに日本語を教えてあげたり、カンボジア語を教わったり、日本のことをどう思うか聞いたり、将来のことはどう考えているかお互いの悩みを打ち明け合ったり、本当に素敵な時間でした。
こうやって自宅に連れてくるのは観光客が集まるような場所が「カンボジア」なのではなく、こういった貧困層もたしかにカンボジアを構成する一部分なのだということをわかってもらいたいと言っていました。


カンボジアで出会った人々との出逢いを通して本当に多くの事を考えました。
ここには書ききれないくらい。
たとえばポーが僕で、僕がポーで生まれていたなら?
僕は日本に生まれることを選んだわけではないし、ポーもカンボジアで生まれることを選んだわけでもない。



目を閉じて、頭を空っぽにする。
スーッとゆっくり呼吸して、そっとポーになってみる、なろうとしてみる。
生まれた瞬間をイメージして、友達と遊び、成長して、大人になる、その過程。
老い、次の世代を思いながら過ごすさりげない日々を想像する。

彼が彼女だったかもしれない、僕があの子だったかもしれない。
そう思うと、目の前の人、隣にいる人、遠くで何か作業をしている人、そのすべてが愛おしくなるような気持ちをおぼえます。

たとえば鶏、家畜はどうだろうか。
家畜として(死にいく宿命として)人間によって交配が行われ、飼育されなければその生命はなかった。
遅かれ早かれ家畜として屠られることを知っていたとしても、その間で人間と同じように小さな出逢いがいくつかあって、そこで恋をするかもしれないし、感動を体験して、生まれてきたことの奇跡を感じることができるのかもしれない。



映画「わたしを離さないで」を観た時もでも同じ事を考えました。
臓器提供のためだけに生まれてくる子供たち、その絶対的な宿命と真正面から対峙しながら、生きていること、生きていくことの意味を掴もうともがく姿。

そういえば、ハンターハンターの最新巻の中の冨樫さんの言葉も印象的でした。
「乾杯しやうぢゃないか。人といふものどもに。善人も悪人もいつの世も人はくり返す。膿むには余りに長く、学ぶには余りにも短い時の螺旋上。だからこそ好く欲し、好く発するのだろう?命など陽と地と詩とで満たされるほどのものなのに」

偶有性の海の中を泳ぎ続けていくこと、やみくもにパドリングし続けること。
それ以外に僕に何ができるだろう。

フロリダにいても、東京にいても、バハマにいても、北極にいても、宇宙にいても、自分は"ココ"にいるということ、それだけは忘れずにいたい。

You've got to let go of who you are, to become who you will be.
Keep crawling.
Peace.

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