Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer
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2014年11月12日水曜日

「情熱」の見つけ方【翻訳】

私たちのあまりに多くが「情熱」と呼ばれる魔法めいたものを信じている。「情熱さえ見つけることができたなら」となげく。「情熱を見つければ幸せになれるのに」


まあ、じっさい情熱はリアルで、パワフルなもの。だけれども、それを見つけることについてのほとんど全ては間違っている。

ルール1: 情熱は成功からやってくる

僕らの感情の全ては正当な理由で存在する。飢餓にならないために空腹を感じたり、破裂しないように満腹を感じる。そして僕らは自分にとって最も褒章的なことに努力を集中させるために情熱を感じる

ダンスレッスンを始めたと想像してほしい。すぐに簡単だと思う。自分が他の人よりも上達が早くて、上手くなってると気づく。高まる興奮が君の情熱だ。その情熱は君のスキルを向上させるため、強みを伸ばすため、何度でも繰り返させるようになる。


情熱の敵はフラストレーションだ。もし何かが継続的にうまくいかないとき、決してそれに情熱的にはなれないだろう。完全にそれを避けようとするようになる、つまりは上達しないんだ。


多くの人がこれを逆に捉えてしまう。彼らはまず情熱を発見して、それが上達に導いてくれると考えているんだ。実際のところ上達がはじめにあって、その後に発見なんだ。情熱は成功からやってくるってわけだ

ルール2: 情熱は子供時代に死ぬ

理論的には、子供時代はまんべんなく多くのことにトライし、才能を見つけ、それとともに情熱を発見する恵まれた機会だとされる。

だけれど、考えてもみてほしい。どれほどシステムが悪弊を君にもたらしているかを。たとえば、学校が20個の科目を君に課すとして、他の数千の子供の中でランキング付けされる。なかなかに分が悪いだろう。本質的にいって、ほとんどの子供は平均値に位置づける。どれだけ教育をよりよきものにしたところで関係ない。なぜなら人は情熱を感じるためには“例外性”を感じなければならないから。つまり、教育をよりよきものにするということは単に平均値を上げることにしかならない。


君がラッキーだとしよう。君は中学校の数学の授業でトップにいる。けれども教育システムは君にとって、難しさを上げ続けるだろう。たとえば大学に入って、君が例外ではないレベルに達するまで。仮に君が客観的にみてもすばらしく優れていても、ひとたび平均に過ぎないことを感じると、情熱は薄れていくだろう。

しかもそれは君がラッキーな場合だ。もし君の情熱がアートだったら?早い年齢から社会通念によってその情熱は抑え付けられる。「画を描いて飯を食うのは厳しいぞ」と両親は言う。「いとこはエンジニアで活躍してるそうよ。なぜ彼のようにはなれないの?」こうやって君は情熱を手放して、枯れさせる。

何十億人の人がいるこの世界で、みんながみんなアカデミックな分野で傑出するのが難しいことは明らかだろう。もし君の才能がスピーチライティングやクリエティブなダンス、はたまたゲームのコマーシャルをYoutubeで制作することだったりしたら?これらのどれも学校のシラバスには載っていない。

だからほとんどの人は何に対しても情熱を持たないまま大人になっていく。

ルール3: 情熱は創り出せる

一般的に多くの成功者が情熱を棚から取り出していないということを知ることは為になるかもしれない。


実際のところ、世界的に成功している多くの人びとが教育を途中で完全にドロップアウトしている。彼らがバカだったからとかではなく、教育では気づくことのできなかった、自分自身がより輝けるエリアを見つけたのだ

彼らは自分自身の情熱を創り出したんだ。

ごく限られた人だけが、幼少時代に用意される狭い科目の中で秀でることができる。そして、このスペースで行われる競争は基本的に「学校に行った全ての人」で争われるから、僕らのチャンスはごくわずかだ。

でも君がそのスペースの外側に目を向けるなら、競争はそれほど激しくなく、他のオプションがあることに気づく。そしてこれが、自らの嗜好の中に情熱を見つける方法になるんだ。

オプション1: なにかを創る

なにか新しいものを創るとき、君は情熱を捧げられる何かを発明している。

新奇なクッションのデザイン、『バットマン』のストーリーを書くこと、はたまた政治家が真実を言っているかを精査するためだけのアカウントを作ることかもしれない。


新しいことは比較的に競争相手が少ない。新しいなにかを創造することによって、君が“例外”になれる確率はずっと、ずっと高くなる。

さて、これは【ルール1: 情熱は成功からやってくる】を無視することにはならないということに気をつけよう。だから、もし君がはじめた新しく始めたツイッターアカウントが一年経っても5人しかフォロワーがいないようなら、おそらく君はそれほど情熱を傾けることができないだろう。もし500万人のフォロワーがいるなら、仕事を辞めるだろう。情熱に燃料を注ぐような成功を見つけるのだ。


だけれど、少なくとも君は急激に確率を改善したことになる。なぜなら、君の競争はとても限られているから。ほんの一握りの人だけがおそれを知らずに新しいなにかにトライするんだ。そして君は彼らの一人になれる、ただ始めるだけで。

このパターンは歴史の偉人に共通して見られる。マークという少年が世界の偉大なプログラマーになることは決してなかっただろう。けれど彼はクールなウェブサイトを作りはじめた。そして、彼は自分がこれに異常に向いていることに気がついた。なぜなら有能なプログラマーでさえ、めったにトライしようとしなかったからだ。だから、彼の小さな実験が偶然にFacebookになったんだ。

オプション2: 流行の先頭に立つ

分野が古く、より確立されているものほど、競争することが厳しくなる。君が参入する頃には何百万人がいるし、君が勝ち抜ける確率が低ければ、君が情熱的になれる確率も低いものになる。

だけれど、フロンティアというものはいつでも生まれるものだ。それはみんな絶望的なほど下手で、まずまずのスキルでも優れることのできる場所のことだ。


仮に君が2005年にさかのぼって、YouTubeでビデオを作り始めた高校生だとしよう。まずまずの視聴者を得て積み重ねる成功が君を興奮させる。YouTubeが毎日40億再生されるバケモノだと“成長した”世界が気づく頃に、君は計り知れないほど貴重で、新しい技術の情熱的なマスターになっている。

ファンタジーなんかじゃない。めちゃめちゃ成功しているユーチューバーの一団がいる。彼らのほとんどは同じ方法で今のポジションを獲得した。つまり、誰よりも先に始めたってこと。初期のブロガー、ラッパー、そしてビデオゲーム・デザイナーも同様だ。

もしも君が急速に成長している何かを見つけて、早い段階でそれに習熟できれば、驚くほど簡単に秀でることができることに気づくだろう。なぜなら競争がないからだ。そして、そこに君の情熱が宿る。

オプション3: 凡庸を組み合わせる

教育の限界の一つは、君のスキルを狭めるように設計されていることだ。教育は通常、君の“もっとも優れた”一つを見つけ、君が耐えられる限界までそれを伸ばそうとする。



本質的な問題は僕らの大半が、ある一つの分野で一番になれないことだ。だけれど僕らも自分のコンビネーションの中では“例外”になれる。

たとえば君が、まずまずのユーモアを持ち合わせた平均的なアーティストだとしよう。音楽の学位では大した期待も抱けないし、“ユーモア”は科目として学ぶこともできない。だけれど、優れたマンガ家にはなれるかもしれない。

いくばくかのプログラミングスキル、なかなかの営業スキルのある経営専攻の学生の場合はどうだろう。この手の人間は他人の上につくのに向いている、他の分野では負けていたはずの他人だ。

もっとも成功している人々はほとんどの場合、ひとつのスキルで定義されない。彼らはスキルの組み合わせであり、たいていの場合それほど例外的なスキルではない。ようするに、彼らは組み合わせを例外にしたのだ。スティーブ・ジョブズは世界でもっとも偉大なエンジニアでも、セールスパーソンでも、デザイナーでも、ビジネスマンでもない。だけれども彼は、こうしたすべてに精通し、より飛びぬけたものへこれらを織り上げたのだ。

情熱を見つけるための最後のルートは、スキルを組み合わせより価値の高いものに変えることだ。情熱は成功からやってくることを忘れないように。もしも新しい組み合わせが君によりよい結果をもたらすようなら、それが情熱になる。

なぜ情熱が大切なのか

情熱は魅力的だ。自分がなにかに異常に優れていると信じることから情熱はやってくるように、情熱的であることは、とても誠実に「ところで、俺ってすげえんだ」と言える事だ。


情熱は人びとを君に従わせる。君を信じさせる。しかし最も重要なことは、情熱は君自身を納得させることだ。情熱は君をクレイジーにして、尻を叩くよう仕向けるように意図された感情なのだ。なぜなら君の脳は君の世界を左右できると信じているから。愛と同じように、戦うに値する感情なのだ。

そして愛と同様に、僕らが情熱的でいることは運命に翻弄されることなんかよりも重要なのだ。もし君がまだ情熱を見つけられずにいるなら、新しいものを創れ、流行の先頭に立て、そして新しいコンビネーションを組み合わせろ。だけれど、絶対に探すことを止めてはいけない。

著者(Author):Oliver Emberton
(元記事:How to find your passion - OLIVEREMBERTON)

※大筋の本意が伝わればと思い、爆速で平易に訳しているので、多分に意訳を含んでいます。誤訳や内容での指摘があればコメントお願いします。

2014年10月8日水曜日

【翻訳記事】みんながもっと旅をすれば、世界はより平和な場所になる


幼いころから、いつも遠くの場所へ旅に出たいと夢見てきたんだ。心はいつだって訪れたことのない土地を歩いてた。未だ見ぬものに身を預けること以上に心躍ることはないし、不思議なことに旅をしているときほど心穏やかなこともない。

あたかも遠くへ行けばいくほど、宇宙のリズムとシンクロするかのように。きっと冒険したいという、この欲求は純粋に流浪の精神を持った人々が持ち合わせる上質な特徴なのかもしれないし、単に若さの産物なのかもしれない。いずれにしても、僕のような人は少なくないはずだ。

これと似たような精神性にあらゆるところで出逢った。きっとあなたも、折に触れ、奇妙すぎるような状況で出逢うことがあるだろう。

一度こんなことがあった。4日間のスコットランド高原ハイキングの前、僕と友達はスタート地点へ向かう道の途中でイタリア人のソロ・ハイカーに出くわしたんだ。あの出会いはまさしくセレンディピティという他ない。

ざっくばらんな会話を五分間ほどした後、共にハイクをするという無言の合意に達したことは明らかだった。

次の四日間、僕らはずっと共にいたんだ。食べ物、補給品、そして寝床をシェアして。一緒に高原の神話的でさえある美しさに見惚れ、一緒に木々の中で歌をうたい、一緒にスコットランドの星空の下でウィスキーを飲んだ。

ハイキングが終わったあと、僕らは別々の道を行った。そして僕と友人はそれ以来イタリア人のハイキング仲間に会っていない。

故郷を離れてしばらくすると、僕と同じように旅への情熱にとり憑かれた人びとを見分けることができるようになった。彼らは今まで気づくことのなかった―道の兄妹/姉妹―友人だということ。

彼らの多くはしばしば完全な他人だけど、ふとした瞬間、旧友のように感じるんだ。見知らぬ人には用心することを教える世界において、彼らは事もなくあなたの信頼と親交を手にするだろう。

これが旅が人びとにもたらす効用だ。あなたの心を世界に向け開く。あなたが心を開けば、その場所もあなたに心をひらいてくれるだろう。より多くの人が旅をするなら、世界は必ずより平和な場所になる。

まだ若く自由なうちに旅にでよう、いつかできなくなるから
もし君が22歳、身体は丈夫で健康、学びに貪欲で向上心を持つなら、できるだけ遠く、できるだけ広く旅することを強く勧める。どうやって他の人びとが料理を作り、食べ、そして生きているのかを見つけよう。どこへ行こうとも、彼らから学ぼう。(アンソニー・バーデン)
不幸なことに、高くついたり時間を食ったりで、僕たちの多くにとって旅は選択肢にならない。若者にとって、特に前者のお金はよりネックだ。だけど方法はないわけじゃない。生活が確立されている人にとっては、仕事、家族、そしてその他もろもろの責任があって旅に出られない。

純粋な旅をすることが可能な小さな狭間が人生にはある。君のたった一つの責任が世界の自発的運動に身を任せ、差し出され、教えられるその全てに身を投じるときだ。全ての若者には拘束されない冒険への説明のつかない欲望があるものだから、見て見ぬふりするのはやめよう。

もしまだ君が驚嘆するほど美しく、ダイナミックなこの地球を探検するチャンスを逃しているなら、私は強く勧める。今すぐに現在の快適な環境を飛び出すことを。

境界は幻想だ

グローバル化し結びついたこの世界で、旅をすることの重要性は日に日に増している。グローバル・コミュニティにあって、僕らの運命は今までのどんなときよりも本質的に結びついている。地球の市民の間で団結を高めるような方法を見つけることは不可欠で、さもなければ疑う余地もなく僕ら自身が崩壊への触媒になってしまう。

地図上の境界は歴史を反映したものにすぎず、だいたいにおいて戦争や紛争の産物にすぎないことに気づかなくてはならない。参照点として多少なりとも便利かもしれないけど、人類の複雑性については何も語ってくれない。

旅の体験が変わっていくように、地球との関係性も年々、変わってきている。例えば、五歳児にはシスティーナ礼拝堂の背景にある歴史やその美しさを味わうことはできないだろう。だけど、大人だって同じだ。いつまでも地球の神秘さに気づかない。

どこに住もうと、何語を話そうと、他人が彼らをどう認識しようと、全ての人は根源的に自由に、そして幸福に生きたい。

国境とナショナリズムの支配下にある世界においては、文化相対主義は不可欠なコンセプトだ。

これを強調したうえで、この認識を得るために他の国へ移住したり旅する必要は必ずしもない。だけど、世界中には自分とまったく違う生活を送っている人が何百万といることは忘れてはならないだろう。

自文化と異なるからというだけで、自分の文化が“正しい”とは限らない。善悪の規準は主観的なもので、たいていは歴史と地理の産物だ。

アメリカ出身の人にとって、これを理解することはすごく大切なんじゃないかと思っている。僕らの国は世界のどの国にもましてパワーと影響力を持っている。もし僕らが外の世界を理解しないと、巻き戻せないくらいの混乱を生むかもしれない。あらゆる点で、もうすでに僕らはこれを犯しつつある。

旅は共感と寛容をうむ
目を閉じていれば、生きることは容易い。(ジョン・レノン)
旅は自分以外の人びとの何気ない生活にあなたの目を開かせる。他の文化の美しいほどの複雑性を明らかにし、あなたのなか深くにある多様性に対する審美眼を養う。

同じように、より多くのアメリカ人が旅をしたならば、外の世界に住む人びとをより深く気にかけるようになる。これはアメリカの外交政策におけるより大きな公的関わりに寄与するだろう。簡単に言ってしまえば、世界に対するより深い理解があれば、アメリカ人が馬鹿げた政策をサポートすることも少なくなるということだ。

世界のアメリカに対するイメージに正直でいることも同様に大事だ。アメリカの国外活動のせいで、世界の多くの人は僕らの国に好意的じゃない。僕の経験からいうと、ほとんどの人は国民よりも政府に責任を求めるくらいには洞察的だ。

世界のできるだけ広い範囲を旅すること、そしてこの国のために善行の大使になること。アメリカの正しい本質(友好的で楽観的な人々から成る)に世界の目を向けること。世界の大半の国がそうであるように、僕らにも多くの欠陥がある。だけど旅はそういったものを治癒するのに役立つ。

外国を旅するとき、他の文化を理解することに誠実に取り組むべきだ。単なる観光者に成り下がるのではなく、旅行者になる。文化のスポンジになろう。帰国したあとは、何を学んだのかを周りに伝えよう。

自分がどこからきたのか知るために旅にでよう、僕らは皆ほんの少しの自己反省が必要だ


現在、アメリカは数多くの難しい国内問題に直面している。二大政党からなる僕らの政治システムのせいで、国は公民権運動の頃のようにイデオロギー的に分極化している。暗い日々をくぐり抜けるために、僕らには深い自己反省が必要だ。

比較対象がなければ、自分の国や自分自身を真に理解することはできっこない。旅は生きる上でのオルタナティブに目を開いてくれる。

旅をすれば故郷で自分が享受しているものに気付かされたり、何を変えるべきなのかについてのよりクリアーなイメージを得られる。

アメリカ経済は世界の広い範囲の福利に結びついている。だったらまずアメリカ国内の状況を改善する必要がある。前進できない理由としては、政治的スペクトルの両側になかなか克服できない壁があるせいじゃないか。

歴史、地理、文化、そして教育の違いによって異なった地域に住む人々は単純に現実を違うように捉える。これは何も異なった国にのみならず、国内においても同様だ。

アメリカは広大な国で、人も地理も多様だ。僕らは人それぞれが違った考えを持っていることを尊重しなくてはならないし、僕らの意見が他の意見に優っているということもない。

だとすれば、進歩には妥協が伴うことになる。意見が一致しない相手にも共感できるなら妥協は断然簡単なものになる。旅はこうした理解を生む。

さらにいえば、旅は何も国境を越えたところだけではなく、その内でもいい。自分の州の外側に出て、この国が提供するすべてを探検しない限り、国を真に理解できるアメリカ人はいない。自己を孤立させることで助長されるのは誤解だけだし、結果として、憎悪と恐怖が生まれる。

もしより多くの人が旅をすれば、世界が抱える問題が解決されると信じるほど僕はナイーブじゃない。国土や資源に関する論争は尽きないものだし、現在のところ、地域をまたぐ宗教的な緊張が和らぐという見通しもない。

だけれど、旅が少しでも世界に暮らす市民の相互理解の助けになるならば、地球にとっては計り知れないインパクトを持つ。国際情勢で果たす役割を考えれば、とりわけアメリカ人に当てはまる。

アメリカの偉大な著述家マーク・トゥエインがこう記したように:
旅は偏見、頑迷、そして狭い心を解き放つ。こうしたものに塗れた我々にとってはなくてはならないものだ。広く、健全で、慈悲深い人間観や物は地球の隅だけで生育されるものではなく、すべての人々の人生で成し遂げられるものだ。
著者(Author): JOHN HALTIWANGER
(元記事:If More People Traveled, The World Would Be A More Peaceful Place - ELITE DAILY)

※大筋の本意が伝わればと思い、爆速で平易に訳しているので、多分に意訳を含んでいます。誤訳や内容での指摘があればコメントお願いします。

⇒前回の翻訳記事:「人生はゲーム これがあなたの戦略ガイド
⇒「旅」に関連する翻訳記事:「若いあいだに旅をすべき7つの理由

2014年2月7日金曜日

あの頃の自分に生かされてる


ここのところ、おかげさまで、毎日、何かに追われている忙しない日々を送らせていただいています。

記事原稿の入稿に追われていたり、一分でも早い翻訳文の返答、通訳の仕事のダブルブッキング、生徒のテスト期間、時間の渦のド真ん中で漂流している感覚。

考えてみれば、いま従事している多くの仕事のうち、英語の占めるウェイトが半分を超えていると思うのです。
たとえばこの前もブログで書いた「2014 国際宝飾展(IJT)での通訳のお仕事を終えて」など通訳のお仕事。
あるテレビ番組の製作スタッフとして翻訳、PR会社でも海外クライアントとのやりとりは英語ですし、たとえばGQ記事の執筆にしても英語で情報収集することが多い。
家庭教師として英語を教えているのはその最たる例です。

ほんとうに人生とは不思議なものです。
そのときの自分の何の気無しの気持ち・判断・心の移ろいが5年後、10年後の自分のやっていること、立っている場所を決めるのです。

英語が苦手すぎて、高校に行かずに就職するか、偏差値最低底の商業高校に行こうとぼんやり考えていたのに、
結局はある恩師との出会いをキッカケに英語科の高校に入り、すぐに留学、春からは大学院に行くという。そして今やっている仕事のほとんどは英語にまつわるもの。

あのとき、「doなのかdoesなのか」も分からず、「三人称単数」が中3の夏でも分かっていなかったのに、とりあえず腹をくくって全精力を注ぎ込んで一から取り組んでみたからこそ今の自分がいる。

「あー、あのとき、ひとつひとつ机で単語を覚えた自分がいるから、今の自分がここにいるんだなあ」とビッグサイトで通訳をしているときにふと思ったのでした。

イマの自分は、未来の自分から見た「アノ頃の自分」
イマの苦しみや努力は、アノ頃の自分から未来の自分への時間をこえた"プレゼント"

2013年10月24日木曜日

【翻訳記事】ツイッター共同創始者ジャック・ドーシーが掲げる成功のために「すべきこと」「すべきでないこと」習慣リスト


シリコンバレーでもっとも注目を集めるテック・カンパニーのツイッター(Twitter)スクエア(Square)の共同創始者であるジャック・ドーシー。彼が成功する企業の築き方について、すくなくとも何らかの賢者の智恵を述べることに異論はないだろう。


最近、彼がテック・イノベーターとして、いくつかアドバイスを提言したミーティングは、たんに彼の会社に既得権益を持つ層のみならず、"自称"テック界の大物の注目も集めた。

(以下に紹介する)こういった彼のコメントは『ツイッターの発明―金、権力、友情、そして裏切りの真相』(Hatching Twitter)が発表された数週間後に寄せられた。この本は、ある点において彼の評価を落とすこととなった。

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土曜日にカリフォルニア州・クパチーノで行われたY Combinatorのスタートアップ・スクールのイベントで、以下のリストが挙げられた。
ビジネスと人生にいかにアプローチしていくのかに関して、大胆な考えを披瀝するするのに彼ほどの適任もいないだろう。ドーシーは集まった聴衆に向けて、「すべきこと」「すべきでないこと」のチェックリストを説明した。

Techcrunchによれば、「すべきこと」(Dos)のリストは以下の事柄を含む:
  • "イマ"にしがみつけ。
  • 脆弱たれ。
  • レモンウォーターと赤ワインのみを飲め。
  • スクワット、腕立て伏せそれぞれ20回×6セットを毎日せよ。
  • 3マイル(約5km)走れ。
  • このリストを熟考せよ。
  • 真っ直ぐ立て。
  • 10分は重いバッグをに時間を費やせ。
  • みんなに挨拶をせよ。
  • 7時間の睡眠を確保せよ。
つぎの短いリストは「すべきでないこと」(Don'ts)である:
  • アイコンタクトを避けるな。
  • 遅刻するな。
  • 達成できもしない目標を立てるな
  • 砂糖を摂るな。
  • アルコール度数の強い酒やビールを平日に飲むな。
ドーシーが掲げたリストは部分的には極度に禁欲的なライフスタイルに映る一方で、ほかの部分はきわめてシンプルかつ一般的な事柄ともとれる。

とは言うものの、ドーシーがリスト化した「すべきこと」「すべきでないこと」には、共通項として実践的一貫性が映しだされている。批判家がなにを言おうとも、こうした習慣がテック業界で最も強力な企業のテーブルの椅子に彼を導いたのだから。

AppleプロダクトUIの直観性は、日本語でこそ表現しやすいのかもしれない


今回もうっくんが"はやい"仕事をしてくれました。

みてて、思ったのは
「"ぐりぐり"動く」とか、「めっさ」「バリ」「ちょいちょい」「ごっつ」「ガチな」

など
日本語ならではの、機微を表す多様な語彙は、イントゥーイティブな製品を説明するさいに強力だということ。
腑に落ちるというか、製品を触っていなくても、感覚的にタンジブルな気がします。

話は変わりますが、Mac Proの製造過程のビデオが物凄かった。




見せつけるかのような「Designed by Apple in California Assembled in the USA」でフレームアウト


2013年9月28日土曜日

【翻訳記事】たった4週間でプログラミングを学んだホームレスがアプリをほぼ完成させた


私が1ヶ月前、はじめてミディアム(註1)で「可哀想なホームレスとの出会い、彼らにプログラミングを教えること」という題のマコンローグのポストを見かけたとき、私は懐疑的だったことを白状しなければならない。
(註1:Mediumとは「重要なことを読み、そして書くよりよき場所」を標榜した言論プラットフォーム)

マコンローグは毎日、仕事へ向かう途中にみるホームレスについて綴っている。彼にはやる気があった、そうマコンローグは読者に語りかける。23歳、マンハッタンに居を構えるプログラマーは以下のことを思い付いた:
アイデアはシンプルだ。彼を侮蔑することなく、二つのオプションを提示すること:
1. 明日また戻ってきて、現金$100差し出す。
2. 明日また戻ってきて、三冊のJavaScriptの本(初級/中級/上級)とめちゃくちゃ安いラップトップを差し出す。  
この男は誰なんだ?」記事の残りを注意深く読みながら、考えた。彼らに食事を与えたり、家を提供する方がよっぽど合理的なんじゃないだろうか、プログラムなんかよりも。

案の定、私以外にもこのように思った人はいたようだ。大衆はすぐにマコンローグのアイデアをバカにした。「ホームレス解決済み」とはバリーワグの見出しだ。

私はマコンローグに電話をかけてみた。

「みんながお前の記事を訝しがっているのに気付いているのか」私は訊ねた。

彼も知っていたようだ。

「タイトルに使った言葉を後悔してるんだ」そう洩らした。

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるべし」という古い諺がある。マコンローグはこの理論を試してみたかったのだと私に語った。彼個人の利得や名声ではなくて、いかなる理由であろうと、この特定のホームレスの男性が挑戦を受けて立とうとすることを見抜いていたのだった。

翌日、男性に声をかけてみる旨を私に伝えた。あとの状況も報告してほしいと私は頼んだ。

翌日になりマコンローグは「ホームレス男性(レオ)はプログラムの勉強を始める」という記事をミディアムにあげた。私は受話器を取り、数週間後になってもまだ計画が続いていればまた私にコンタクトを取ってほしいと伝えた。この実験がどうなるのか知りたかったのだ。

それから、レオの許可の元、マコンローグは私と撮影クルーを先週の月曜日に行われたプログラミング講座に招待した。この時、ちょうどマコンローグがレオにプログラミングを教える期間と定めた8週間の折り返し地点に差し掛かっていた。

2000年以降の最低気温を記録した朝であったと後にNY1註2が報道した日に、私はウェスト・サイドのローグ・パークに足を運んだ。撮影クルーが撮影の準備を始めてすぐにマコンローグとレオが私に近づいてきた。レオの横に座り、20分ほど、彼に簡単な質問を投げかけた。私は基本的なことが知りたいと説明した。ただしもちろん、彼が不快に感じることには一切答えてもらう必要はなかった。
(註2:米・ニューヨーク州にある、地域情報に特化した24時間ケーブルTV)

少しばかりおしゃべりに興じた後、彼が2011年にメットライフで職を失ったこと、数ブロック先に高級マンションが建ち、家賃が支払えなくなったことを語ってくれた。「ニューヨークの物価は高い」私がすでに知っていたことを再び教えてくれた。ホームレスネス(家がない状態)の彼の話が上記のような簡単な描写をゆうに越えたものであったとしても、問題は変わらない。

彼はマコンローグが2つのオプションを携え、彼に話しかけてきた時のことを語ってくれた。マコンローグがためらっていたかどうか、それとも批判家を黙らせるために後者のオプションを強く勧めてきたのかどうか訊ねた。

「$100で数日は食いっぱぐれなくて済む。いや1週間かな」「だけど、彼は言ったんだ。ラップトップが貰えて、なおかつ何かを学べる。それで思ったんだ。これは何か想像以上ものになるぞって」私たちを取り巻く街に向かって彼はジェスチャーをした。「時間がなくて学べないとかそういうことじゃないんだ」

レオは平日の様子を語ってくれた。だいたい午前8時頃、決まった場所にマコンローグ来て、1時間ばかし集中的に作業に取り組んだこと。そして彼はJavaScriptとNitorous.ioというサイトについて語り始め、いかにして50個ものファンクションを取り付け、そのうちわずか2つくらいしか完全にバグのないものであるのかを熱弁した。彼は自信満々に話を続け、何度か私が話を遮りながら、彼が本当に4週間しか"プログラミング"を習っていないことを確認しなければならないほどだった。

「ああ。というより"コーディング"ってデザートの上にあるやつだと思ってたんだ」彼は言った。

彼が言うのは"コーティング(お菓子の生地など)"のこと。

4週間で、二人は協働して8週間目には完成する手はずのアプリケーション作りを始めた。他の優れた起業家のように、レオはここでアプリについて書くことを許してはくれなかった。ただし、安心してほしい。それはきわめて優れたアプリケーションであるということだ。ただし、レオが地球温暖化と気候変動に大きな関心を抱いていることは心に留めておいてほしい。

マコンローグが仕事へ向かう間、レオや3〜4時間を独習に費やす。コードを練習したり、マコンローグがくれた3冊のJavaScriptの本にくわえサムソンのクロームブックを読み進めた。「ファンシーな建物」と彼が呼ぶ場所でラップトップを充電することに誰も文句を言わなかったし、彼はマコンローグがプレゼントしてくれたWi-Fiも持っていた。

インタビュー撮影を続ける中で、何度か立ち止まらねばならぬ場面があった。車のクラクション、工事現場、目に差さる太陽光。街の喧騒に苛立ちを覚える私たちをよそに、レオは平然としていた。結局のところ、このような環境すべてが彼にとっては当たり前のものだったのだ。想像してみてほしい、新しい何かを学ぶということを。もう一度。工事現場の真ん中で学ぶということを。

一度、物事のビジネスの側面を学んだ時、カップル(ちなみにジョークを好み、旧友のように振る舞う人たち)は翌日にグーグル・ハングアウトでテックブログのマッシャブルでビデオチャットするのだと教えてくれた。

「グーグルのオフィスってどんな感じ?」レオは前のめりで私に訊ねた。私が行ったことがないと告げると、たいそうショックを受けていた。グーグルに招かれることが普通の人にとっては彼が思うほど特別ではないことは、彼にとって理解しがたいことだった。

話を戻すと、私は本当に彼がこの出来事についてどう感じているのか知りたかったのだ。たんなるチェスのポーンに過ぎなかったのか。マコンローグが15分間の栄誉に浸るための踏み台にしか過ぎなかったのか。そもそもプログラミングなんて好きだったのか。マッシャブルなんて知っていたのか。

レオはただ微笑んだ。「そんなことどうだっていいんだ。それよりも、俺は学んでいる。そうだろ?俺はナニカを学んでいる、それが重要なことなんだ」そう言った。

最も重要なこととして、レオが私に知ってほしかったことはマコンローグが来る前から彼が決して惨めなんかではなかったということだ。彼にとって、パトリックとは銀鎧に身を包んだ騎士なんかではなくホームレスネスの先を見通し、彼にチャンスを与えた人だったのである。プログラミングなんか考えたこともなかった、彼は素直に認める。一ヶ月前までは何のことだかさっぱり分からなかったのだ。「誰かが悪人でも、アルコール依存症でも、クレイジーでもないことを説得するのはとても骨が折れることだ。自分自身がホームレスだったらどうする?だって、ホームレスはいつだってそうやって描かれるだろ。いつも悪いことだって限らない。ただ知らないだけなんだよ」

「この出来事がある前だって、俺の人生には素晴らしい瞬間があった」レオは私に語りかける。「今、思うことは新しい何かを学ぶということはきっと、より多くの素晴らしい瞬間に出会うためのチャンスが広がるってことさ」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――
Business Insiderの記事。
読んでいて面白かったので、翻訳してみることに。
ただ一気呵成で性急に書いたので、校正も確認もなにもせずに勢いだけで訳したので、そこらじゅうにミスや誤訳があると思います。ご指摘くださればと思います。
細かい文章の正誤よりも、ストーリーの本筋が分かれば、とりあえずそれで良いと思います。ボランティア・トランスレーションなので。
この話を読んで、真っ先に思い浮かぶ動画。



マイクロソフトのビル・ゲイツ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、ドロップボックスのドリュー・ヒューストンなど著名なプログラマーが勢ぞろいしたこの動画の中で、とりわけ面白いのがNBAのスタープレイヤー、クリス・ボッシュ。
学生時代にプログラミングを勉強した彼はこう言う。
プログラミングは勉強すればできる。手に負えないものにみたいに思うけど、だいたいのものがそうでしょ。そうじゃないものってある?Coding is something that can be learned. I know it can be intimidating. A lot of things are intimidating, but you know, what isn't?
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2013年8月13日火曜日

読書『日本辺境論』内田樹著

日本辺境論 (新潮新書)

2010年の新書大賞である内田樹さんの『日本辺境論』を今頃読みました。
内田樹さんの文体独特の丸みというか、文章がスーッと浸潤していくタッチについてはこれまでにも何度か触れているのですが、やはり村上春樹の影があるんですよね、どこか。
(これまでにこのブログで取り上げたもの『日本の文脈』『疲れすぎて眠れぬ夜のために』)

日本人論でよく聞くものに「日本人は空気を読む」というのがありますね。
これをもっとも的確かつ精緻に分析しているのが内田樹さんによれば、丸山眞男の「超国家主義の心理」の定式化ということです。(Cf. 『現代政治の思想と行動』)
おのれの思想と行動の一貫性よりも、場の親密性を優先させる態度、とりあえず「長いものには巻かれ」てみせ、その受動的なありようを恭順と親しみのメッセージとして差し出す態度。
あとはこれまでの著作でも度々登場するレヴィ=ストロースの「ブリトコール」を日本の文脈に当てはめてみたり。(Cf. 『野生の思考 )

三部で「日本語」論に分け入っていくのですが、そこで明治期の西周や加藤弘之はたまた中江兆民におのずと話は及ぶのですが、そこで面白い記述がありました。
西欧語を、たとえば"philosophy"を西周は「哲学」と訳したんですが、中国では自前で西欧語の翻訳をしないで、日本で翻訳されたものを輸入するという迂回戦略が取られているらしいのです。
というのも、中国語でそのまま西欧語をインポート=翻訳するとなると、自国語の劣等性(そういった概念が存在しなかった事実)を認めることになりかねないからと。
日本ではそういったことはありえない。

西周

内田樹さんの推測を交えた考察によると、そもそも日本列島は無文字社会である。
原日本語は音声でしか存在しなかった。そこに漢字(真名)が入ってきて、漢字から二種類のかな(仮名)が発明された。原日本語は「音声」でしか存在しなかった。そこに外来の文字が入ってきたとき、それが「真」の、すなわち「正統」の座を領した。そしてもともとあった音声言語は「仮」の、すなわち「暫定」の座に置かれた。外来のものが正統の地位を占め、土着のものが隷属的な地位に退く。これが日本語の辺境語的構造であるというのです。

これ考えてみたら、2年前に「ゲーミフィケーションの病理」というエントリーでこのブログに書いたこと、そのまんまですね。
内田さんの論を継承するなら、僕の直観そのものが日本語の「辺境的構造」に棹さしていたということになりそうです。

そういえば、今月初めにこのツイートを見かけました。

2012年7月4日水曜日

映画『美女と野獣』


「翻訳の理論と実践」という授業の中で、字幕翻訳の一例として観ました。
もう何度も観たことのあった映画でしたが、文芸翻訳の観点からみるとまた違った見え方をします。

いや、でもやっぱりディズニー映画はこころが純化されますね。
アメリカでラプンツェルを観て以来でした。

なんだか頭の中でがミスチルの"Simple"が流れていました。





大学生ブログ選手権

2012年5月27日日曜日

Deerhounds/ the HIATUS <和訳>



朝の霜
犬が吠えてる
ゴミ箱を空にして、煙草に火を点ける

唇を舐めるとまだオートミールの味がする

遠くの孤島、太古の聖歌が
決して語られぬことない歴史と物語をこだまさせる
空っぽの魂が叫び声を上げる
混乱に満ちた世界へとぼくは旅立つ

あの日、手はデッキにあった
なぜかは分からないけど、まだ頭に残ってる

唇を舐めるとまだ君とのキスの味がする

遠くの孤島、太古の聖歌が
決して語られぬことない歴史と物語をこだまさせる
空っぽの魂が叫び声を上げる
混乱に満ちた世界へと今、飛び出す

天から地上へ
ここから去っていったのを分かってる
戴冠なき人生
西を指す看板
けたたましく走っていくディアハウンドを再び見た
もう一度
もう一度
もう一度

ハイエイタスの和訳BOTも運営してます。@_the_HIATUS



大学生ブログ選手権
元詩

2012年3月17日土曜日

Souls feat. Jamie Blake/ the HIATUS <和訳>



頭に大きな声でこだましてる、ぼくらが言ったこと
この胸の中で
君に手を伸ばす
ベッドはまだあたたかいくて
寂れた部屋と空っぽのタンスがぼくの時間を奪い去っていく

きみはぼくの心を置き去りにした
きみの鼓動、きみの呼吸
きみの声、ぼくの汗
君の嘘
ぼくの口、きみの感触
ぼくの夢、きみの瞳
ぼくらが失ったもの、ぼくらの愛、ぼくらの命

前に思ったことを思い返してみると
きみが好きだった笑顔、それはここにもっと多くある 

いつだってきみが過去を振り返り、思い出を感じる時
それはきみの中で膨らんで、ぼくを飲み込んでいく
ぼくらの魂に突きつける
過去を振り返り、昔を感じようとするたびに
それはきみの中で膨らんで、ぼくを飲み込んでいく
きみの魂をぼくに連れてくるように

たぶん、これを投げ出すことは間違ってない
お願い、心を决めて
一日中、歌をうたって
一晩中、泣いて
ぼくは一日中、車を走らせる
眠れないんだ
きみはここにいない
一日中、歌って
夜通し、泣いて
どこへも行かないで
今夜はここにいて
でもきみの鍵がささることはない、今夜は
鍵にささることは、今晩は

いつだってきみが過去を振り返り、思い出を感じる時
それはきみの中で膨らんで、ぼくを飲み込んでいく
ぼくらの魂に突きつける
過去を振り返り、昔を感じようとするたびに
それはきみの中で膨らんで、ぼくを飲み込んでいく
きみの魂をぼくに連れてくるように

きみの魂をぼくに連れてくるように
きみの魂をぼくに突きつけるように



大学生ブログ選手権
元詩
【参考エントリー】「A World of Pandemonium