Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer
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2013年6月25日火曜日

「剛力彩芽」と「広告」を考える


いつ頃からからだったか、テレビでの露出が増えて、今では目にすることがない日がないくらいによく見かけます。
その裏で芸能界の黒いなにか「大きな力」が暗躍しているのではないかと、勘ぐるくらいに。
自分の周りというきわめて狭い限定的な話になってしまうわけですが、少なくとも僕の周りで彼女の熱狂的なファンは見当たらないわけです。
「可愛い」と直接誰から聞いたこともないです。(繰り返しますが、あくまでも僕個人の話です)極端なケースでいえば、ツイッターで露骨に嫌悪感を抱いている友達もいました。(もちろん、純粋なファンの皆さんも多くいるでしょう。大衆の中のある見方の違った層からの意見としてお捉えください)
全体的な彼女を取り巻く言説をみてみると、新垣結衣とか上戸彩とかいった、これまでCMで目にすることの多かった女優とは何か違う雰囲気がそこに漂っている。
"実体的"な人気はあるのか、あるならば何がその核心なのか。

オスカー所属といえば他に最近みる機会が多いのは武井咲、忽那汐里。
まあたしかにこの二人、特に武井咲も画面に映る回数は多いと思うのですが、剛力彩芽も凄まじい。
ギャラが低価格なのか、営業をゴリ押しているのか、そんな事情はもちろん分かりません。

ただ一つ言えるのは、僕がこうして彼女を取り上げ、話題にしている時点で広告的には「勝ち」なわけです。ようするにバズ(buzz)ですね。
ただ可愛いだけでは「話題」として表出することはありません。
ディス、疑問、切り口はいろいろですが、それらが一つの言説を形成していく。
俎上に載ればのるほど、意識下に彼女の存在が刷り込まれていく。
これって要するに"サブリミナル"ですよね。
企業は普通、苦心してどうにか、消費者の目に止まろうと、意識に潜り込んでいこうと手練手管の広告装置を仕掛けていきます。
サブリミナル・ケースで最も有名なのは映画館におけるポップコーンのアレですね。
「ポップコーンを食べろ」「コカ・コーラを飲め」など1秒に満たない細かいフレームをスクリーンの中にそういったメッセージを滑りこませていく。

ただ今回の話はぜんぜん趣旨が違います。
あくまで大々的なのです。あけっぴろげに組織的に展開しているのです。
冒頭でなにか陰鬱な「黒い」力が働いているかもしれないとの疑義を呈しましたが、たぶんそれは間違いでしょう。
単純にバンドワゴンの応酬なのかもしれません。
企業からしてみれば、起用する人物が可愛いかどうか、女優としての器量があるかどうかは副次的で、あくまでどれほど消費者の意識下に働きかけを出来るかどうかが焦点なわけです。

そういう意味で、普段ネットしか使わない人が、突然テレビをみてあまりの剛力彩芽の露出頻度の多さに目が点になるのは否めない。
それで、ネットにそれを持ち帰る。「え、なんでなんで?」と。これがバズのループで、テレビの視聴者層とネットユーザーのフィードバック的討議が始まる。
この過程でサブリミナルは集積的にその効果を深化させていく。

事務所的な位置づけとしては上戸彩の後釜ということになるんでしょうか、同じ事務所ということもあって。
ただ、今日発表された24時間テレビのパーソナリティに、もしかしたら彼女が選ばれるのではないかという予見を持っていたのですが、それに反して実際に選ばれたのは上戸彩。
うーん、芸能界がどう動いているのか、深遠です。


7/9追記:Mステ出演
この記事を書いた後に、Mステに出演してましたね。


「放送事故レベル」などかなり叩かれていましたが...。
「もうランチパック食べたくなくなったwww」など辛辣なコメントも目立ちました。
あとみんな寄ってたかって指弾してたのは、サビからいきなり「口パク」になったのではないかということ。
個人的には「口パク」だろうが、生歌だろうが、別にテレビだし、ライブならまだしも、別にどうでもいいとは思うのですが。
たとえば、これが最初から口パクだったり、終始貫徹して生歌だったら、ここまで話題にもならなかったのかもしれませんが、、もしこれが「バス」の計算の上に仕掛けられた計略ならば、それをプロデュースした人は真に「バイラル」の構造とかを理解している人だと敬服します。
昔まではあくまでイメージ墨守だった芸能界も、最近は炎上を逆手に取った「バズ」、そこから全方位拡散していく「バイラル」が重視されているというのが私見。
AKBも次から次へと驚くべき施策が行われているような。峯岸「坊主」騒動しかり、指原総選挙まさかの1位しかり。
ようはイメージ云々でどんぐりの背比べ的な差異化を計るよりも、単純明快に分かりやすく話題性を着火剤としたバズ戦略の方が、数字・露出につながる。
この動画がまっさきに削除されていないことから忖度するように、やっぱりそれはわかっているということなのでしょうか。本当にどーでも良い話題ばかりすみません。


2013年1月3日木曜日

映画『るろうに剣心』


「緋村剣心は人斬りという運命から逃れられぬのか」
それが物語を通しての主題だった気がします。
単純な勧善懲悪、輩成敗というよりは剣心の心情の移り変わりとか、人との関わりで遊動するアイデンティティの変化とか、そっちにスポットライトを当てた映画かと。

恨みは新たな恨みを産み出し、報復の連鎖は続いていく。
そんな「怨恨の連なり」を断ち切るため、剣心は戊辰戦争以後、刀を置き、代わりに逆刃刀を帯同することにする。
明治維新、文明開化の「新しい時代」で剣心は人助けを信条として生きていたが、

江口洋介演じる斎藤一が「剣に生き、剣に死ぬしかないのだ」というように一度、人を殺めて戦いの螺旋に足を踏み入れた人間が足を洗う難しさに気付かされる。
ここでもやはり『ハンター×ハンター』の冨樫さん言葉を想起せずにはいられません。
「善人も悪人もいつの世も人はくり返す。膿むには余りに長く、学ぶには余りにも短い時の螺旋上」


武井咲演じる薫が吉川晃司演じる鵜堂刃衛に連れ去られたとき、剣心のなかに人斬り抜刀斎としてのかつての自我が芽生えかけるが、やはり薫の「斬らないで」という一言で踏みとどまる。

おそらく『カイジ』での演技が評価されてのことだと思うんですが、今回も武田観柳を演じた香川照之さんの演技が光っていました。

鵜堂刃衛の目を使った幻術にしろ、ナルトのカカシの写輪眼にしろ、バジリスクの弦之介の瞳術にしろ、やたら忍法の名残みたいなものが描かれますよね。



少し残念だったのは原作で一番好きだった蒼紫が登場しなかったことかな。



ラストシーンの前くらいで、佐藤健(剣心)が武井咲(薫)をおんぶしてたんですが、もうなんか「あっちゃんをおんぶ事件」をフィーチャーしてるようにしか見えなかった。笑

いちおうテーマソングがワンオクの'The Beginning'なんですが、ワンオクファンじゃないとちょっと戸惑うかもしれませんね。ぼくは好きだからいいんですが。笑