Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2014年3月12日水曜日

読書『カラシニコフ』(Ⅰ・Ⅱ)松本仁一著


戦争/紛争・飢餓/貧困の渦の目にあった"カラシニコフ"に諸悪の根源の糸をみた筆者。
前巻ではアフリカ各地へ、後巻では南アメリカ、中東へ。
カラシニコフが氾濫する世界の紛争地帯へと踏み入り、カラシニコフを追い、その武器に翻弄される人々の人生に肉迫していく衝撃のルポタージュ。
一見、複雑きわまりなく混沌とした国際政治の論理。
カラシニコフという、旧ソ連の無骨で真面目、愛国者精神溢れる男が開発・設計した一丁の銃から前世紀は新たなる争いへと足を踏み入れていくことになる。

先日、筆者の松本仁一さんと神田で飲む機会に恵まれた。
大学の教室で「国際政治はパワーゲームである、武力こそがモノを言うのだ」というトゥキディデス以来、マキャベリやモーゲンソーまで滔々と語られてきた政治の基本理論。
頭でそれを分かっていても、教室でノートを片手に「ふむふむ」と頷きながら得心したつもりでも、本当のほんとうには分かっていない。

松本さんの本を読み、ご本人とお話をさせていただく中で、改めて武力の脅威を知った。
「権力」「武力」ともに英語では"power"である。
筆者本人の実体験から、とくに厄介だとおっしゃっていたのが青年兵である。
彼らは銃器を手に取るなり、居丈高に威圧してきて、思慮分別を持たぬ彼らはいつ発泡してきてもおかしくないのだという。

自らが開発したAK-47を構えるカラシニコフ氏

カラシニコフを作った張本人であるミハイル・カラシニコフ氏は残念ながら現在では逝去(享年94歳)なされているが、今ルポタージュでは二度にわたってインタビューが敢行されている。
11歳の少女ファトマタは、AKIRA47で三人の命を奪った。その物語から始まり、カラシニコフ銃が世界で何をしてきたか、その道筋を辿ってきた。設計者のミハイル・カラシニコフは84歳で健在だった。彼はAK47開発の動機について、「母国を守るためにより優れた銃をつくろうとしただけだ」と答えた。たしかにAKは故障が少なくて扱いやすく、信頼性の高い銃だ。それが第三世界に銃があふれる原因ともなった。(前巻あとがきより)
アフリカ諸国で問題となっている「破綻国家 failed state」について筆者は数カ所で言及しており、治安維持と教育に国家予算が適切に配分されているかが明確な基準となるという。

そういった義務を怠り、国家を支えるべき警察や教師の給与は遅配・欠配続きで、一部の国家幹部が甘い汁を吸い、既得権益にがんじがらめになっているような国家を果たして「国家」と呼びうるのか。

くわえて、西欧諸国によって恣意的に敷かれた国境線によって引き起こされ、解決の糸口が見えない民族紛争。
あらためて「国家とは何か?」について深考ざるを得ない。
私たち日本人の多くは「国家」という概念を違和感なく受け入れている。そこには同じような顔をして同じ言葉を話す人間が住んでいる。国家には「中央」があり、そこから「地方」を通じて「辺境」まで、色の濃淡の同心円でイメージされる。大和国家でいえば、色濃い円の中心が近畿にあり、そこから始まる同心円が地方に及び、やがて東北や九州まで端々まで行き渡る。そうした国家形成の過程を、私たちはほとんど当然のように理解してしまう。そして自分はその同心円の外ではなく、内部のどこかに位置すると思っている。しかしアフガニスタンは違う。同心円が三つも四つも、それ以上もあり、それぞれの円の中心が異なるのだ。そうした異質の同心円同士をひとくくりにして、国家を形成しようとしている。同心円の中心―国民意識の核―になるものがないかぎり、それは限りなく困難な作業なのである。
この点は僕の大学時代からのテーマであり、卒論でも真正面から取り組み、今なお追っているトピックでもあります。 




『カラシニコフ』を読んでから、岩波新書で既刊の『アフリカ・レポート』(筆者は同じく松本仁一氏)を読むと、いかにアフリカは変化のスピードが著しく速いかに驚嘆させられます。

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上述の問題と関連しますが、アフリカが見舞われてきた悲劇の裏にはある構図があるというのです。
指導者が「敵」をつくり出すことで自分への不満をすりかえる。アフリカでよく見られる構図だ。それは国内の対立を激化させることであり、国家的統一とは逆の方向に国民を駆り立てる。へたをすると国の将来が崩壊してしまう危険さえある。しかし権力者は将来のことなど考えていない。目の前の責任を回避し、権力の延命を図る。それだけなのだ。ルワンダの大虐殺もジンバブエの経済崩壊も、まさにそうして起きた。(『アフリカ・レポート』より)
指導者・権力者をこのような体質にしてしまうのはもちろん、地理的・歴史的コンテクストも理解しなければなりません。
明治維新直後の日本政府指導部には、早く国づくりをして近代化を達成しないと、西欧やロシアにのみこまれるという恐怖と危機感があった。アヘン戦争で西欧列強の食い物にされた中国を、彼らは目の当たりにしていた。いつまでも薩摩だの会津だのといっておられず、国民すべてが帰属感を持つ国家、国民国家を形成しなければならない。その危機感が国家形成を急がせた。
ぜひ、『カラシニコフ』と『アフリカ・レポート』はセットで立て続けに読んでほしいと思います。

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これらの本とは少しコンセプトが異なりますが、松本仁一さんの著書で特にオススメなのが『アフリカを食べる/アフリカで寝る』です。
松本さんが長年アフリカに滞在する中で出会った異文化体験、カルチャー・ショックをとくに寝食の観点から切り取ったエッセイ。
読書を通じて世界の広さを知る、まさにコレです。
たとえばエチオピアで、
宿屋の主人に、食事ができるか尋ねた。せめてスープとパンがあれば、と覚悟していたが、なんとインジェラが一食分あるという。街道筋の町では、よその土地でとれたテフがやみで手に入るらしい。羊肉のワットしかないと主人は恐縮していたが、それがあれば十分だ。腹がくうくう鳴った。食事を始めて、だれかに見られているような気がした。顔を上げると、食堂の窓ガラスに無数の子供たちの顔が張りつき、あえぐように口を開けて、私の手元を見つめている。難民の子供たちだった。ワットのにおいにひかれ、宿屋の石垣を乗り越えて入り込んだのだ。主人が竹ぼうきを振り回し、大声で追い払った。大好物のインジェラだが、私はそれ以上食事を続ける気にはなれなかった。(『アフリカを食べる』より)
この本を通読して、アフリカに行きたいと思うか否か、その人の好奇心のバロメーターはそこで計られるんじゃないか、そんな風に思う本です。
アフリカを食べる/アフリカで寝る (朝日文庫 ま 16-5)アフリカを食べる/アフリカで寝る
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