Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2014年3月31日月曜日

「金髪」であるということについて



「金髪」
なぜ髪や頭皮を痛めてまで、髪の毛の色を変える必要があるのでしょうか。

染髪することなんてわりかしポピュラーだし、何の気ないことのように思えるようで、実は背景や効用があるような気がするのです。

大学生のときにも、(ある意味並みの学生らしく)茶髪、金髪、パーマなど人並みのおめかしはしたのですが、大学を出てからなお「金髪」でいた事から、色々思うところがあったので、ここに少し記しておこうかと。

というのも、大学を出てからすぐに就職しなかったこともあり、昨年1年間はプラプラしてたぼくは各所で意図せずして「金髪東大野郎」という名誉か不名誉か、というニックネームで呼ばれるように。
名前は覚えられてないのに、「金髪」「東大」というラベルだけはしっかりと皆さんの記憶には残っているようで。

まずは「ラベル」という役割があるのです。
とりわけ黒髪、黄色人種と同質性の高い日本においては、表層的な個性を出すのはファッションであったり、髪型なわけです。(てなことも日本が独特のファッションカルチャーを育んでこれた要員かとも推察しています。きゃりーぱみゅぱみゅとかはその極致)
とりわけ大勢順応に反旗を翻すティーンエージャーほど髪を染めたり、ピアス等のアクセサリーを身につけたり、タトゥーを入れたがったりします。
その向こう側でレールの向こう側にいる"大人"たちからは白い目で見られるのです。

日本では社会のシステムとして同質性を強める装置が各所に埋め込まれています。
体育の時の「前へならえ」などのフィジカルな習慣など見えにくいものもありますが、基本的には制服の着用があって、ピアスや染髪の禁止が規定にある。

LIFEVIDEOの代表を務められている土屋プロデューサーといえば金髪がトレードマークでしたが、去年くらいから黒髪に戻されています。
先日、お会いしたときに理由を尋ねると「信用を得られないから」とおっしゃっています。
LIFEVIDEOのメイン顧客は経営者を中心とした高齢者層。
金髪でいると、彼らの"グループ"にカウントしてくれないというのです。
そういう意味で言うと、黒髪、スーツにネクタイというのは一つの「表明」でもあるわけです。
「わたしはあなた達と同じ"グループ"ですよ」という。

その一方、ぼく個人の昨年一年間を金髪で過ごした体験はポジティブなものでした。
もちろん立場や状況が違うので、こういう経験をするに至ったということなのですが。

まず冒頭に書いたように、覚えてもらいやすい。
「あー、金髪の君か」と。

「金髪」であるということは、「金髪にする奴」というカテゴライズをされます。
歳が上の人ほど、懐疑的な眼でみてきます。(これは色んなことに敷衍できて、タトゥーなんかはもうちょっと度を強くしたものでしょう)

たとえば大学にて。
金髪の僕に対する教授の内心は「どうせ中身のないやつ。不真面目なやつ」という印象をはじめに持たれるかもしれません。

ですが!です。
そこで逆に好印象を持たれるような所作をすれば、倍の効果をもたらすのではないかとも思うのです。
「人間中身だよ」とは言うものの、見た目・外見がもたらす心理的認知的効果というものももちろん看過できません。
金髪なんて生やさしいですが、個性的な外見をしているほど、外見からは意外な所作をすることによって、普通の格好の人と同じ所作であっても評価されたり、注目されることがあるのではないかと思うのです。

取っ掛かりというのはいつも大事なものです。
どれほど内容の優れた本であっても、書店で誰の目にもつかず、手にとってもらえなければ意味がありません。

例を挙げようと思えばたくさん挙げられるのですが、たとえば東進ハイスクールで古文を教えられている吉野敬介さんなんかはその好例で、(というか東進はそういう先生が多い)見た目は強面なのに、語り口は優しく、中身も分かりやすい。
自分次第で"正の落差"を作り出せるというのが金髪、ひいては外見的個性の醍醐味かな〜と思ったのでした。

Sunset Off The Coastline / the HIATUS <和訳>


ぼくが生まれた年
ヴェトナム戦争が終結した
"解放の時がきた"
そんな風になるんだって思ってた

うまく思い出せない
どうやってこの街に行き着いたのか
今でも思うんだ
まるで君と初めて会った日かのように

来ては過ぎ去っていく電車を君は見てた
古い街から取り残されたもの
僕の中で花は育つ

少しずつ学びながら僕も歳をとった
うんざりして 褪せてった
海岸線に沈んでいく夕陽のような
僕らのハッピーエンディングを信じながら

決して裏切らなかった
僕らは嘘をついたことさえなかった
彼らに憎まれる前に僕らが忌み嫌ってた
彼女はとても強かった
そして彼女はとても悲しげだった
きっと僕も同じだったんだと思う

ただ目を閉じないで
ただ目を閉じないで

これが僕の行く方角なのかもしれない
君は平気だって言う
僕らはただ答えを望んでいるだけなのに
一方向に風が吹いている
君は平気だって言う
僕らはただ答えを望んでいるだけなのに

僕は考えを書き残してる
守るべきものかのように追いかけてる
頼るべきものかのように
帆を上げ旅立つとき
君は賭けるためのものをくれた
進み続けていくためのものを

全てが過ぎ去って僕はなんとか凌いだ
君の頬 朝が僕に思い起こさせる
闇を切り裂いた
君が立つ場所に種を残して
僕の心情を君が覗きこめば
君の花は育つ
元詩

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【前回和訳したハイエイタスの曲】⇒Unhurt / the HIATUS <和訳>

2014年3月30日日曜日

読書『ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング』赤羽雄二著


学生時代、applim+に出場したときにお世話になった赤羽雄二さんの『ゼロ秒思考』を読んだ。
アプリムとは学生のマーケティング・コンテストのことで、たしか赤羽さんは審査委員長だったような。

タイトルの「ゼロ秒思考」とは物事を"深く"考えないことを指す。
つまり沈思黙考とはまったく逆のベクトルから思考をするということ。
反射的に思考を回転させていく。



そのために本著の大部分を割いて提唱されているのが、毎日A4の紙に10分程度の時間を設け、自分の頭に浮かぶトピックについて深く考えることなく、素早く言語化していく作業。
これを繰り返すことで、思考が研ぎ澄まされ、文字通り"ゼロ秒"で思考処理していけるという。

その意味で外山滋比古さんの『思考の整理学』に代表されるようないわゆる思考術本ではないかもしれない。
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外山 滋比古

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具体的なメソッドはひとまず措いといて、僕も能動的に言語化・文章化(output)する作業が思考をアジャイルにしていくのには不可避だという考えをもっている。

雲散した思考の断片やアイディアの束をとらえ、言語化する環境は今ほど整理されていないのではないかと思う。
ブログはまさにそのプラットフォームに最適で、こうしてぼくも読書ログや断想のメモに使っている。それを公開することで、文章の向こうに読者を想定し、なるべく独善的なモノローグにならないように気を配る。
村上春樹さんが常々「自分はモノを書きながら、考えをすすめていく」というように、言葉を吐き出し、文章に落としこんでいくことで「ああ、こういう風に自分は考えていたのか」という自身の思考回路の配列を発見することもある。

いちおうぼくの中でもザックリとしたアウトプットの場のカテゴライズがあって、一番即応的に吐き出す場としてはTwitter。気になったフィードやちょっとした呟きなどを吐き出す。ブログで拾い出すときはTwilogで検索。
パーソナルなものならLINEのグループやPathに。
英語のログや気になった動画はTumblrに投げる。
節目節目の報告や特に重要だと思った情報はFacebookでシェアする。
その他のシェアするには値しないけれどもストックしておきたい情報や自分の規範となるような心得はスタック分けしたEvernoteで保存。仕事関係などファイルの類はもちろんDropboxに。

とまあほとんどハードで保存することはなくなっていて、本著の提言とまったく逆行しているのですが。
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2014年3月26日水曜日

Unhurt / the HIATUS <和訳>


こんな日を迎えるなんて思ってもみなかった
ここまで遠くにこれるほど強いなんて思ってもなかった
焼け跡を取り除けるなんて思ったこともない
また呼吸ができるなんて思いもしなかった

こうやって生きるために
多くのものが過ぎ去っていった
こうやって生きるために
地面に叩き付けられることもあった
でもまだ未完成だ、傷も負ってない
そして呼ぶよ、君の名前を呼ぶよ、太陽に向けて
振り落とせ
僕らにはこのゲームを誰がまた制するかなんて分からない

心を落ち着けて
罠にかけられたなんて思わないで
君は自身の途を選ぶ
気持ちを包んで
怖がらないで
君がそう言ったんだ

飛び上がるよ
今日を生き切れるから
多くのものが過ぎ去っていった
こうやって生きるために
君が来るなんて思ってもみなかった
そしてまだ未完成だ、傷も負ってない
呼ぶよ、君の名前を呼ぶよ、太陽に向けて
振り落とそうぜ
僕らがこのゲームをまた制すなんて思ってもみなかった
このゲームをまた制すなんて

僕は分かってる君が近くにいること
僕は分かってる君が近くにいること
僕は分かってる君が近くにいること
元詩

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【前回和訳したハイエイタスの曲】⇒Thirst / the HIATUS <和訳>
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2014年3月25日火曜日

読書『MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体』田端信太郎著


LINE株式会社で執行役員を務める田端信太郎さん(@tabbata)の『MEDIA MAKERS』を読みました。
先月・今月読んだ『ITビジネスの原理』にしても『5年後、メディアは稼げるか?』にしても今著の影響が色濃く読み取れます。

紙媒体から電子書籍へ、テレビからネットへ。
メディアにパラダイムシフトが起きるとき、旧メディア側=既得権益層の守旧派は一般的な傾向として新しいメディアを一過性であったり、表層的なものとして唾棄します。(顔を背けるというか)
これは敷衍すればあらゆる原理に当てはまることで、例えば商店街で魚屋や八百屋を営む個人商店の店主がいくら「真面目にしっかりとした仕事をこなしていれば必ずお客は来てくれる」と主張してたとしても、大型量販店には太刀打ち出来ない。


このへんのアーキテクチャ論をCDを例にすごく分かりやすく説明なされていました。
アナログ盤からCDへの変化に象徴される、ユーザー主権的なノンリニア化(つまり、前後の文脈に関係なく、コンテンツの受け手がコンテンツ内を自由かつ瞬時にスキップして移動すること)は、今のあらゆるメディア消費の変化の底流にあるものです。現状のネットビジネスにおいても検索エンジン、スマートフォン、ソーシャルメディアという3点セットの浸透と普及は、全てのメディアを断片的なものに刻み込み、コンテンツは、その作り手側が想定した文脈などは無視して、好き勝手に、ユーザーから「つまみ食い」されるものへと変化していくことを要求してきます。
僕は観たことないのですが、『山猫』という映画の中でこんなセリフがあるそうです。
変わらずに生きていくためには、変わらなければならない。 
MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体
田端信太郎

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Thirst / the HIATUS <和訳>


そして渇きにとらわれる
頭から飛び込んでいくみたいに
物語のペーパーバッグにすべり込む
誰も抗わない

どうすれば逃れられるのか
君の声が頭に今もこびりついてる
まるで丘に響き渡る遠吠えみたいに
いつの日か同じになるかな

すべてを吐き出した方が良いみたいだ
バラバラに散った落ち葉を傷跡に押し込んで
火の門番(keeper of the flame)がやってくる

あなたはずっと待望されてる
明け方の夢で落ち着かない
神々の慈悲を求めても
とっくに昔に僕らは置き去りにされた

いまこの時 忘却の瞬間に 待っている
いまこの時 忘却の瞬間に 待っている
いまこの時 忘却の瞬間に 待っている

いまこの時 忘却の瞬間に 待っている
静寂の夢
暴力の叫び
血を流すよ
敗者はすすり泣く
ぼくらは思い起こすかな

ぼくらの過ちを
エッジまで来たときには
剃刀の傷みたく思い出が噛み付く
守護者たちはアークに

雨が降り止む頃に
理由が褪せていく
逃げ道はない
だけどぼくらは愛を紡ぐ
いまこの時 忘却の瞬間に 待っている

いまこの時 忘却の瞬間に 待っている
いまこの時 忘却の瞬間に 待っている
いまこの時 忘却の瞬間に 待っている

守護者はアークに
雨が降り止む頃に
元詩

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【前回和訳したハイエイタスの曲】⇒Horse Riding / the HIATUS <和訳>

2014年3月19日水曜日

読書『5年後、メディアは稼げるか―Monetize or Die?』佐々木紀彦著


東洋経済オンライン」編集長・佐々木紀彦さんの『5年後、メディアは稼げるか?』読了。

先日みたNHK「日本のジレンマ―今読者はどこに?2014年 編集者の挑戦」に出演されていたこと、若干のバズを見せたイケダハヤトさんの「紙のライターよ、「文章の巧さ」を誇る暇があるなら「マネタイズ」を頑張りなさい」という記事を読み、一読してみることに。

新書のような体裁で、一日かからずササッと読めます。

<序章―メディア新世界で起きる7つの変化>では

①紙が主役→デジタルが主役
②文系人材の独壇場→理系人材も参入
③コンテンツが王様→コンテンツとデータが王様
④個人より会社→会社より個人
⑤平等主義+年功序列→競争主義+待遇はバラバラ
⑥書き手はジャーナリストのみ→読者も企業もみなが筆者
⑦編集とビジネスの分離→編集とビジネスの融合

とのこと。

ウェブメディアにおいては、"一貫性"よりも"多様性"が重要だとの記述の中で、個人的に面白かったのがテレビ局との喩え。
ウェブメディアの記事構成は、テレビ局の番組構成に似ています。テレビ番組には、堅い報道番組もあれば、お笑い番組もあれば、ドラマもあれば、スポーツ中継もあります。同じようにウェブメディアでも、多様性がポイントになります。「東洋経済オンライン」でも、恋愛ネタからお堅い経済ネタまでを網羅した、バラエティに富んだラインナップを意識しています。
フィナンシャル・タイムズやニューヨーク・タイムズのように、足場をウェブへ移してからも成功しているところに戦略を学ぶのはもちろんなんですが、日本というメディア環境が特殊なコンテクストの中で、「新聞」に思うところは上記の引用でいうところの"中間地点"という気も。

国産メディアでやっぱり課金の仕組みも含めて、先進的な取り組みをしてるのはcakes(ケイクス)になるんでしょうか。(経済系メディアではないですが)

メディア論とは離れたところで佐々木さんは古典の重要性を説いておられましたが、これはライフネットの出口さん、田村耕太郎さんなど多くの著名人と同じ主張。

というようなこともあって、本著内でも引用されていたショーペンハウアーの影響は行間から窺い知れました。
最後はメディアとは関係ないところで、(ショーペンハウアーの『孤独と人生』にもつながりそうな)元イェール大准教授で文芸家ウィリアム・デレズウィッツが語るリーダーシップについての講演の一部で閉じます。
リーダーシップにとって、真に重要なのは想像力であり、新規かつ逆張り的な物の見方を考え出し、それを表現する勇気です。よきリーダーであるためには、いかにしてひとりの時間をつくるか、ひとりで思考に集中できるか、大多数の一致した意見に左右されないか、をわかっていなければなりません。"孤独”とは、ひとりで静かな時をすごすことへの自信と心地よさです。
5年後、メディアは稼げるか――Monetize or Die?5年後、メディアは稼げるか――Monetize or Die?
佐々木 紀彦

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2014年3月17日月曜日

木村拓哉主演『宮本武蔵』


テレ朝開局55周年スペシャルドラマ、二夜連続『宮本武蔵』をみました。
宮本武蔵をキムタク、佐々木小次郎を沢村一樹、吉岡清十郎を松田翔太、沢庵を香川照之など豪華なキャスト。
個人的に気に入ったのは夏帆が演じた朱実と、福くんが演じた伊織。

内容としては吉川英治原作よりも、『バガボンド』のようでした。(もちろん小次郎は聾啞などではないのですが)

「生殺与奪」人を斬り殺め、功名をあげ、士官になるため「天下無双」へと邁進する武蔵。
ターニングポイントがいくつかある。
まずはたけ蔵から「宮本武蔵」へと沢庵から名を授かるところ。
そして、妙秀尼に剣の意味を問われてから、自問自答の末、一度は剣を置き、「農」自給自足の生活に入るところ。(『バガボンド』では今このへんが描かれてますね)

今作ではここがユニークなのですが、
武蔵が自給自足する小屋の近くの村が賊の襲撃に遭う。
ここで小次郎と武蔵が背中を合わせながら、共に討伐する。

功名をあげるために剣を取るのではなく、大切なものを守るために剣をとるでもなく、「限界のその先に何があるのか」それを知るため船島へと向かう武蔵。

武士の一分』も観てみようかな、と。

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バガボンド(1)(モーニングKC)バガボンド(1)
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2014年3月15日土曜日

映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』マーティン・スコセッシ監督作 14'


上映最終日に飛び込む形で鑑賞。
周囲のレビューを数多く聞いていたこともあり、かなり覚悟していたつもりでしたが、それをゆうに越えるR18指定感とぶっ飛び感。

1000回くらい「ファック」を聞いた気がする。(『アウトレイジ』の「コノヤロー」の何倍も多く...)
そして10回以上はガッツリなセックスシーン。(局部が映ってないだけで、ほとんどAV...)
劇中8割はディカプリオがハイという...。

容姿端麗さを除けば、ホリエモンのライブドア時代の成り上がりとオーバラップするような...。
その意味でいうと、規模感さえ違えど、先進国共通のストーリーであることは間違いなさそう。

上映時間は3時間と長いですが、スコセッシ作品特有のエフェクトが効いててすごく見応えありました。
このクレイジーさはスクリーンで観てこそかと思います。

【完全主観採点】
★★★★☆
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【前回の映画の話題】⇒映画『ジャッジ!』永井聡監督作 14'

2014年3月12日水曜日

読書『カラシニコフ』(Ⅰ・Ⅱ)松本仁一著


戦争/紛争・飢餓/貧困の渦の目にあった"カラシニコフ"に諸悪の根源の糸をみた筆者。
前巻ではアフリカ各地へ、後巻では南アメリカ、中東へ。
カラシニコフが氾濫する世界の紛争地帯へと踏み入り、カラシニコフを追い、その武器に翻弄される人々の人生に肉迫していく衝撃のルポタージュ。
一見、複雑きわまりなく混沌とした国際政治の論理。
カラシニコフという、旧ソ連の無骨で真面目、愛国者精神溢れる男が開発・設計した一丁の銃から前世紀は新たなる争いへと足を踏み入れていくことになる。

先日、筆者の松本仁一さんと神田で飲む機会に恵まれた。
大学の教室で「国際政治はパワーゲームである、武力こそがモノを言うのだ」というトゥキディデス以来、マキャベリやモーゲンソーまで滔々と語られてきた政治の基本理論。
頭でそれを分かっていても、教室でノートを片手に「ふむふむ」と頷きながら得心したつもりでも、本当のほんとうには分かっていない。

松本さんの本を読み、ご本人とお話をさせていただく中で、改めて武力の脅威を知った。
「権力」「武力」ともに英語では"power"である。
筆者本人の実体験から、とくに厄介だとおっしゃっていたのが青年兵である。
彼らは銃器を手に取るなり、居丈高に威圧してきて、思慮分別を持たぬ彼らはいつ発泡してきてもおかしくないのだという。

自らが開発したAK-47を構えるカラシニコフ氏

カラシニコフを作った張本人であるミハイル・カラシニコフ氏は残念ながら現在では逝去(享年94歳)なされているが、今ルポタージュでは二度にわたってインタビューが敢行されている。
11歳の少女ファトマタは、AKIRA47で三人の命を奪った。その物語から始まり、カラシニコフ銃が世界で何をしてきたか、その道筋を辿ってきた。設計者のミハイル・カラシニコフは84歳で健在だった。彼はAK47開発の動機について、「母国を守るためにより優れた銃をつくろうとしただけだ」と答えた。たしかにAKは故障が少なくて扱いやすく、信頼性の高い銃だ。それが第三世界に銃があふれる原因ともなった。(前巻あとがきより)
アフリカ諸国で問題となっている「破綻国家 failed state」について筆者は数カ所で言及しており、治安維持と教育に国家予算が適切に配分されているかが明確な基準となるという。

そういった義務を怠り、国家を支えるべき警察や教師の給与は遅配・欠配続きで、一部の国家幹部が甘い汁を吸い、既得権益にがんじがらめになっているような国家を果たして「国家」と呼びうるのか。

くわえて、西欧諸国によって恣意的に敷かれた国境線によって引き起こされ、解決の糸口が見えない民族紛争。
あらためて「国家とは何か?」について深考ざるを得ない。
私たち日本人の多くは「国家」という概念を違和感なく受け入れている。そこには同じような顔をして同じ言葉を話す人間が住んでいる。国家には「中央」があり、そこから「地方」を通じて「辺境」まで、色の濃淡の同心円でイメージされる。大和国家でいえば、色濃い円の中心が近畿にあり、そこから始まる同心円が地方に及び、やがて東北や九州まで端々まで行き渡る。そうした国家形成の過程を、私たちはほとんど当然のように理解してしまう。そして自分はその同心円の外ではなく、内部のどこかに位置すると思っている。しかしアフガニスタンは違う。同心円が三つも四つも、それ以上もあり、それぞれの円の中心が異なるのだ。そうした異質の同心円同士をひとくくりにして、国家を形成しようとしている。同心円の中心―国民意識の核―になるものがないかぎり、それは限りなく困難な作業なのである。
この点は僕の大学時代からのテーマであり、卒論でも真正面から取り組み、今なお追っているトピックでもあります。 




『カラシニコフ』を読んでから、岩波新書で既刊の『アフリカ・レポート』(筆者は同じく松本仁一氏)を読むと、いかにアフリカは変化のスピードが著しく速いかに驚嘆させられます。

アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々 (岩波新書)アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々
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上述の問題と関連しますが、アフリカが見舞われてきた悲劇の裏にはある構図があるというのです。
指導者が「敵」をつくり出すことで自分への不満をすりかえる。アフリカでよく見られる構図だ。それは国内の対立を激化させることであり、国家的統一とは逆の方向に国民を駆り立てる。へたをすると国の将来が崩壊してしまう危険さえある。しかし権力者は将来のことなど考えていない。目の前の責任を回避し、権力の延命を図る。それだけなのだ。ルワンダの大虐殺もジンバブエの経済崩壊も、まさにそうして起きた。(『アフリカ・レポート』より)
指導者・権力者をこのような体質にしてしまうのはもちろん、地理的・歴史的コンテクストも理解しなければなりません。
明治維新直後の日本政府指導部には、早く国づくりをして近代化を達成しないと、西欧やロシアにのみこまれるという恐怖と危機感があった。アヘン戦争で西欧列強の食い物にされた中国を、彼らは目の当たりにしていた。いつまでも薩摩だの会津だのといっておられず、国民すべてが帰属感を持つ国家、国民国家を形成しなければならない。その危機感が国家形成を急がせた。
ぜひ、『カラシニコフ』と『アフリカ・レポート』はセットで立て続けに読んでほしいと思います。

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これらの本とは少しコンセプトが異なりますが、松本仁一さんの著書で特にオススメなのが『アフリカを食べる/アフリカで寝る』です。
松本さんが長年アフリカに滞在する中で出会った異文化体験、カルチャー・ショックをとくに寝食の観点から切り取ったエッセイ。
読書を通じて世界の広さを知る、まさにコレです。
たとえばエチオピアで、
宿屋の主人に、食事ができるか尋ねた。せめてスープとパンがあれば、と覚悟していたが、なんとインジェラが一食分あるという。街道筋の町では、よその土地でとれたテフがやみで手に入るらしい。羊肉のワットしかないと主人は恐縮していたが、それがあれば十分だ。腹がくうくう鳴った。食事を始めて、だれかに見られているような気がした。顔を上げると、食堂の窓ガラスに無数の子供たちの顔が張りつき、あえぐように口を開けて、私の手元を見つめている。難民の子供たちだった。ワットのにおいにひかれ、宿屋の石垣を乗り越えて入り込んだのだ。主人が竹ぼうきを振り回し、大声で追い払った。大好物のインジェラだが、私はそれ以上食事を続ける気にはなれなかった。(『アフリカを食べる』より)
この本を通読して、アフリカに行きたいと思うか否か、その人の好奇心のバロメーターはそこで計られるんじゃないか、そんな風に思う本です。
アフリカを食べる/アフリカで寝る (朝日文庫 ま 16-5)アフリカを食べる/アフリカで寝る
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2014年3月11日火曜日

読書『未来は言葉でつくられる』細田高広著


TBWA\HAKUHODOのコピーライター・細田高広さんの『未来は言葉でつくられる』を勤務の合間、休憩時間にサクッと読了。

帯の楠木建氏の推薦文「言葉でしか考えられない。考えられないことは実行できない

この類の名言の束は数知れずあって、
ジュール・ヴェルヌの
人間が想像できることは、人間が必ず実現できる。
アラン・ケイの
未来を予測する最良の方法は、それを発明してしまうことだ。 
もしくはウィトゲンシュタインのかの有名な
私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。 
時代を先導してきたビジョナリーたちにとってはもはや了解事項であったわけです。 
(ぼくの思考の根底にもこの考えは強く根付いていて、このブログを書く訳もそこにあるし、Mediumに常時書き足している「言葉を手にしていく感覚」もその糸を少しずつ手繰り寄せるために加筆し続けているというわけです)

いわゆるコピーライティングやPRのための文言のような上澄みではなく、"言葉がまず先にあり"リアリティを先導していく、イノベーションのコアになる言葉を追求することに主眼をおいた今著。




<言葉をつくる5つの技法>として
①呼び名を変える
②ひっくり返す
③喩える
④ずらす
⑤反対を組み合わせる

テクニックやメソドロジーにももちろん言及がありますが、そのへんはむしろ『ひらめきスイッチ大全』のような網羅的な本に詳しいです。


ひらめきスイッチ大全 (Sanctuary books)ひらめきスイッチ大全


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「言葉は未来の骨格。肉づけされて初めて命を吹き込まれるもの」
という記述があり、それはまさしくそうだよなーと。

たとえば紹介されていた元東大総長の小宮山宏さんの考え方。
日本を「課題山積みの国」というネガティブなイメージで捉えるのではなく、「課題先進国」というポジティブなイメージで捉え返すこともそう。
たしかに概念を反転させることで、まさしく「不満をひっくり返すと、希望が生まれる」の法則が導ける。だけどそれもまた内実がともなって初めて賞賛されるべきものであって。

未来は言葉でつくられる 突破する1行の戦略未来は言葉でつくられる 突破する1行の戦略
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