かなり本を読む方だと思います。
いつからそんな風になったんだろう。
そうやって考えると、やっぱり高校生の時からなんだと思う。
中学の時はずっとサッカー部で、スポーツに打ち込んでいたので。
その時からちょくちょくは本を読んでいたけど、高校の時ほど多読はしていなかった。
やはりたくさん読むようになったのには電車通学が原因なんだと思う。
南北線に揺られながら王子駅まで45~50分の間。
ただなんとなく携帯を見たり、ボーっとするのが耐えられなかった。
なんとなく初めに手にとった小説、重松清の『疾走』。
頭をハンマーで殴られたかのような強い衝撃を受けて、それ以来、本と歩み続ける人生が始まったのです。たぶん。
そしてそれから深い深い「本の世界」へとボクを誘ったのが他でもない村上春樹だった。
中学生の頃に何冊か読んだことがあったけど、『ノルウェイの森』を読んで、彼の世界の虜になってしまった。
ノルウェイの森に関しては、何度読み返したかわからないくらい。
村上春樹の本で定期的に読み返すのは『やがて哀しき外国語』と『走ることについて語るときに僕の語ること』という二冊。
心が無意識に安らぎや、温かみを求めるとき、自然と手にとって読みふけってしまうのです。
高校卒業の時には村上春樹の小説、ノンフィクション、エッセイ・紀行文、翻訳関連、絵本そのすべてを読み切りました。だから今はほとんどその新刊を待って、出たら即読むということを繰り返しています。
最近では『雑文集』がすごく面白かったです。
村上春樹の他に著作のほとんどを読破した作家は上記した重松清さんや中島らもさん。
らもさんは僕の世界観を拡張してくれました。
高校生には多少、刺激の強い内容も多々ありましたが。笑
『今夜すべてのバーで』とか『ガダラの豚』とかを読めば、大体どんな作家かは掴めると思います。
その他に、村上龍も読んだし、古典では太宰治、谷崎潤一郎、夏目漱石、川端康成なども時々、読みました。
村上龍作品であえて一つオススメするなら『五分後の世界』。
血生臭くて、リアルで緊迫感が迫ってくる。
谷崎さんでは『春琴抄』、漱石ではやはり『こころ』、川端康成は『雪国』が印象に残っています。
この三者に共通してるのは文章の繊細さ、耽美さ。
古いものといえば、高校の担任の先生に勧められて読んだ中原中也の詩集『汚れつちまつた悲しみに』はインパクト強かったですね。
その他にも高校生が好きそうな作家もひと通り読みましたよ。
東野圭吾、伊坂幸太郎、石田衣良、よしもとばなな etc...
この中ではわりと伊坂さんが好きです、文体に整合性があって、文章もスマートですよね。
最近が専門書とか学術書を読むことが多くなって、あまり小説を読む機会に恵まれてないんですが、僕の小説の趣向はみずみずしくてキラキラした文章を書ける作家さんです。
そういう意味じゃ島本理生とか山崎ナオコーラとか。
最近読んだ島崎さんの『一千一秒の日々』なんてホントその典型なんです。
高校は3年間、担任が同じ先生でした。
テコンドーのの日本選手権を何度も制覇してるし、世界3位だし、とにかく強くてとにかくアツイ先生でした。
先生はテコンドー引退してから(30代を前にして)、一から猛勉強して大学に入って、教師になったのです。
そんな先生の初めての教え子が僕らでした。
先生はいつも口を酸っぱくしておっしゃっていました
「本は人を変える、人を豊かにする」
先生は大学時代に岩波新書をすべて読破したそうです。
いちおう先生が出した英語の参考書の宣伝しときます。笑
『5STEPアクティブ・リーディング』
アマゾンの評価★5です。すごいです、さすがです。笑
先生に感化されて僕もけっこう新書読みました。
でもたまに挫折することもありました。
先生はいつも柄谷行人を薦めてきたのですが、いかせん高校生のボクには難しすぎた。笑
今一度、読み返して、リベンジしてみたい。
高校2年から1年間アメリカに留学して、帰ってきてからは洋書も読むようになりました。
アメリカの英語の授業で読んだ、スコット・F・ジェラルドの『グレート・ギャツビー』や日本に帰ってきてから読んだカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』には圧倒されました。
そんなわけでアメリカ文学にも傾倒していって、終いには英米文学部まで受けてしまったのです。笑
一応受かったのですが、結局国際政治経済学部に入学しました。
ただ英米文学に入学してたシミュレーションとして「アメリカ文学」という通年の授業を1年生の時、受講しました。
そのとき出会ったのがエミリー・ディキンソンやハーマン・メルヴィルです。
たしか期末試験は「グレート・ギャツビー」ガッツリでたのですが、大好きな作品だったのでスラスラ内容要約・翻訳できたと記憶してます。
高校のとき、行きも帰りも電車にガタゴト揺られながら無我夢中で本を読み漁った日々。
そこには常にSigur Rósがありました。
シガーロスの静寂で荘厳な音楽に身を置きながら、ただただ文章を追っていた日々。
未だに本は読みますが、あの時ほど純粋に、ただ純粋に本を読むのが楽しくてどうしようもなかったときはないと思います。
シガーロスに導かれて、大学入学してすぐにアイスランドに行きました。
その話はまた近いうちにまた出来たらなと思います。
そしてそれから深い深い「本の世界」へとボクを誘ったのが他でもない村上春樹だった。
中学生の頃に何冊か読んだことがあったけど、『ノルウェイの森』を読んで、彼の世界の虜になってしまった。
ノルウェイの森に関しては、何度読み返したかわからないくらい。
村上春樹の本で定期的に読み返すのは『やがて哀しき外国語』と『走ることについて語るときに僕の語ること』という二冊。
心が無意識に安らぎや、温かみを求めるとき、自然と手にとって読みふけってしまうのです。
高校卒業の時には村上春樹の小説、ノンフィクション、エッセイ・紀行文、翻訳関連、絵本そのすべてを読み切りました。だから今はほとんどその新刊を待って、出たら即読むということを繰り返しています。
最近では『雑文集』がすごく面白かったです。
村上春樹の他に著作のほとんどを読破した作家は上記した重松清さんや中島らもさん。
らもさんは僕の世界観を拡張してくれました。
高校生には多少、刺激の強い内容も多々ありましたが。笑
『今夜すべてのバーで』とか『ガダラの豚』とかを読めば、大体どんな作家かは掴めると思います。
その他に、村上龍も読んだし、古典では太宰治、谷崎潤一郎、夏目漱石、川端康成なども時々、読みました。
村上龍作品であえて一つオススメするなら『五分後の世界』。
血生臭くて、リアルで緊迫感が迫ってくる。
谷崎さんでは『春琴抄』、漱石ではやはり『こころ』、川端康成は『雪国』が印象に残っています。
この三者に共通してるのは文章の繊細さ、耽美さ。
古いものといえば、高校の担任の先生に勧められて読んだ中原中也の詩集『汚れつちまつた悲しみに』はインパクト強かったですね。
その他にも高校生が好きそうな作家もひと通り読みましたよ。
東野圭吾、伊坂幸太郎、石田衣良、よしもとばなな etc...
この中ではわりと伊坂さんが好きです、文体に整合性があって、文章もスマートですよね。
最近が専門書とか学術書を読むことが多くなって、あまり小説を読む機会に恵まれてないんですが、僕の小説の趣向はみずみずしくてキラキラした文章を書ける作家さんです。
そういう意味じゃ島本理生とか山崎ナオコーラとか。
最近読んだ島崎さんの『一千一秒の日々』なんてホントその典型なんです。
一千一秒というのはつまり、本当は、コーヒーを淹れて飲むような短い時間なのだ。何もしなければ気付かずに過ぎて行くような時間。だけどそれは人が本当に大切にできる、ぎりぎりいっぱいの時間なのかもしれない。大切で、愛おしくて、けれども永遠の一部として過ぎ去っていく日々を捉えたい。(解説・中村航)
高校は3年間、担任が同じ先生でした。
テコンドーのの日本選手権を何度も制覇してるし、世界3位だし、とにかく強くてとにかくアツイ先生でした。
先生はテコンドー引退してから(30代を前にして)、一から猛勉強して大学に入って、教師になったのです。
そんな先生の初めての教え子が僕らでした。
先生はいつも口を酸っぱくしておっしゃっていました
「本は人を変える、人を豊かにする」
先生は大学時代に岩波新書をすべて読破したそうです。
いちおう先生が出した英語の参考書の宣伝しときます。笑
『5STEPアクティブ・リーディング』
アマゾンの評価★5です。すごいです、さすがです。笑
先生に感化されて僕もけっこう新書読みました。
でもたまに挫折することもありました。
先生はいつも柄谷行人を薦めてきたのですが、いかせん高校生のボクには難しすぎた。笑
今一度、読み返して、リベンジしてみたい。
高校2年から1年間アメリカに留学して、帰ってきてからは洋書も読むようになりました。
アメリカの英語の授業で読んだ、スコット・F・ジェラルドの『グレート・ギャツビー』や日本に帰ってきてから読んだカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』には圧倒されました。
そんなわけでアメリカ文学にも傾倒していって、終いには英米文学部まで受けてしまったのです。笑
一応受かったのですが、結局国際政治経済学部に入学しました。
ただ英米文学に入学してたシミュレーションとして「アメリカ文学」という通年の授業を1年生の時、受講しました。
そのとき出会ったのがエミリー・ディキンソンやハーマン・メルヴィルです。
たしか期末試験は「グレート・ギャツビー」ガッツリでたのですが、大好きな作品だったのでスラスラ内容要約・翻訳できたと記憶してます。
高校のとき、行きも帰りも電車にガタゴト揺られながら無我夢中で本を読み漁った日々。
そこには常にSigur Rósがありました。
シガーロスの静寂で荘厳な音楽に身を置きながら、ただただ文章を追っていた日々。
未だに本は読みますが、あの時ほど純粋に、ただ純粋に本を読むのが楽しくてどうしようもなかったときはないと思います。
シガーロスに導かれて、大学入学してすぐにアイスランドに行きました。
その話はまた近いうちにまた出来たらなと思います。
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