目に映るモノ、耳を通り抜けていく音、手に取り感じる感触。
意識していても、しなくても、趣向は導かれ興味の幅は選定されていく。
同じ人間でも目を向ける方向、音の聞こえ方、モノの捉え方は違う。
Nirvanaのサウンドが耳に馴染む人もいれば、毛嫌いする人もいる。
ふと、よく思います。
あの「赤」は隣にいる人には「オレンジ」に見えているのかもしれない。
それは大げさでも微妙に色合いの違う赤に。
寿司が大好きな人もいれば、僕のように苦手な人もいる。
舌、味蕾(味を感じる部分)はみんな持っているのに、それが全く同じではないということ。
それは遺伝もあるのでしょうが、大部分は環境に依拠するものと推測されます。
自分を取り巻く環境、運命的であがらえない部分は多くあります(出生地の選択など)。
ただ、次の行動の選択から導かれる選択。そのまた選択と、連鎖的に自分で環境を選び続けていることもまた事実です。
一瞬の何気ない判断、努力で10年後立っている場所、見ている景色が違う。
少し話が突飛ですが、目にするもの、耳にするもの、その多くに広告が介在しています。
時には否応なく、というかほとんどがそうですが。
面白いと思ってもらえるアド、興味に導いていくアド、10年後だれかの立っている場所を変えてしまうかもしれない「広告」というものには底知れない魅力を感じます。
なんてことを昨日、面接で答えたのでした。
「きみは国際政治を勉強しているそうだけど、広告にはどうして興味があるの?」
せっかく頂いたこのインターンというチャンス、全身全霊で挑みたいと考えています。
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