Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2014年1月27日月曜日

2014 国際宝飾展(IJT)での通訳のお仕事を終えて


ご依頼を受け、東京ビッグサイトで行われる国際宝飾展(IJT)に通訳として4日間の全日程従事しました。
このような機会がなければなかなか出入りすることのない業界ということもあり、終始会場の雰囲気やきらびやかな人々の出で立ちにワクワクしていました。(2日目にはベストドレッサー賞の授賞式もありました)
僕は運営側ではなく、カナダの宝石店専属の通訳でしたので立場的には出展者ということになります。
基本的にこのイベントは一般には開かれていなく、宝飾業界関係者のみしか入場できません。
首から下げるタグには必ず小売商、卸商、メーカー、輸出入商、デザイナー/クラフトマン、宝飾専門学校者、大使館関係者などの属性が明記されています。

さながら小経済の渦の中にいるような感覚を覚えたのでした。

これは何も宝石に限ったことでもなく、たとえば漁業もそうです。
漁師がいる。卸売がいる。仲買い。運送屋、小売、加工業。
それが一堂に会すると、まさしく目の前で経済がうごめいている感覚を覚えるのです。

英語に関係した仕事はおかげさまでコンスタントに何かしらやっている状況がずっと続いているのですが、翻訳と通訳はまったくの別物です。(言わずもがなインストラクターとして英語を教えるのも然り)
それぞれにベストプラクティスがあり、TPOに応じた微妙な使い分けも体得していく必要があります。
その意味で、今回、このようなオフィシャルな場で経験を積めたことはこれからの財産になりました。

4日間ビックサイトへ向かうゆりかもめの中、iPhoneで読んでいた関谷英里子さんの『同時通訳者の頭の中』という本で参考になりそうなものを、30分後にはすぐに実践するようにしました。

あなたの英語勉強法がガラリと変わる 同時通訳者の頭の中あなたの英語勉強法がガラリと変わる 同時通訳者の頭の中
関谷英里子

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この本の要諦はたったひとつです。
語彙力をまずインプットすることで、「レスポンス力」を鍛える。これらをアウトプットして、繰り返し継続することで「イメージ力」に昇華させる。
この一点のみ。 

読書『動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』千葉雅也著



本書の叩き台になっているのは東大院総合文化研究科での博士論文で、主査は表象文化論の泰斗・小林康夫さん。副査も名の通った方ばかり。(小泉義之、高橋哲哉、中島隆博、松浦寿輝の各氏)

帯の推薦文も当該分野ではもっとも名前の知られるこの二人。
超越論的でも経験的でもなく、父でもなく母でもない「中途半端」な哲学。本書は『存在論的、郵便的』の、15年後に産まれた存在論的継承者だ。(―東浩紀)
ドゥルーズ哲学の正しい解説?そんなことは退屈な優等生どもに任せておけ。ドゥルーズ哲学を変奏し、自らもそれに従って変身しつつ、「その場にいるままでも速くある」ための、これは素敵にワイルドな導きの書だ。(―浅田彰) 
現代思想自体は一昨年から去年にかけて好んで読んでいたものの、ドゥルーズ本人の著作は未だ未読。
だけど引用の随所、そして千葉さんの大胆な解釈の端々にドゥルーズ独自の魅力が感じられた。


この本が掲げるテーゼは接続過剰つながりすぎの世界から「切断の哲学」へ
あとがきにもこの本が意図的に異質に書かれていることが書かれている。
僕は、ドゥルーズ(&ガタリ)の細かい言葉づかいにこだわることでむしろ、彼(ら)の側方に自分を転出させようとした。本書では、ドゥルーズ論であってドゥルーズ論でない中途半端な書物であることを、博士論文よりもさらに強く、方法的に、追求している。始まりでも終わりでもなく中間こそ重要であるというドゥルーズの主張を、僕は、中途半端であることについて徹底的に思考するという矛盾した課題として引き受けたのだった。
この方法論的姿勢にも浅田彰さんの影響がハッキリと見て取れる。
構造と力』から有名な一節を引いてみる。
要は、自ら「濁れる世」の只中をうろつき、危険に身をされしつつ、しかも、批判的な姿勢を崩さぬことである。対象と深くかかわり全面的に没入すると同時に、対象を容赦なく突き放し切って捨てること。同化と異化のこの鋭い緊張こそ、真に知と呼ぶに値するすぐれてクリティカルな体験の境位エレメントであることは、いまさら言うまでもない。簡単に言ってしまえば、シラケつつノリ、ノリつつシラケること、これである」 
くわえて、読み進めていくうちに佐々木中さんの影が僕の頭に浮かんできました。(もちろん、背骨になっている思想も違えば、筆致もまったく異なるのですが。参考⇒読書『切りとれ、あの祈る手を〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』佐々木中著

ただし、あくまでもこの本(博士論文から継続して)が対峙しているのはドゥルーズ(&ガタリ)で、この点については以下の引用がわかり易い。
ドゥルーズの行った批判は、微妙な違い(マイナーな差異)のある事物や人々を粗雑に一緒くたにするルプレザンタシオン(代表、代理、表象)への批判であった。これを<代理―表象批判>と呼ぼう。ドゥルーズは、代理―表象されない差異それ自体の哲学を求めていた。 潜在的な差異が、ドゥルーズ(&ガタリ)にとっての「実在 réalité」である。その風景、世界の本当の姿は、どのように描かれるべきなのか。それは、渾然一体のめちゃくちゃではない。切断された、区別された、分離された、複数のめちゃくちゃによるコラージュである。世界には、いたるところに、非意味的切断が走っている。常識と良識による分かりから脱したとしても、渾然一体にはならず、別のしかたで(多様なめちゃくちゃさで)事物は、分かれなおすのである。
ドゥルーズ本人が『差異と反復』のなかで「強度=内包性の論理」を語った箇所にその基本的な思想的態度が表出している。
他人と共に自分を折り解き=説明しすぎないこと、他人を折り解き=説明しすぎないこと、暗黙の=折り込まれた諸々の価値を維持すること、その表現の外には存在しないあらゆる表現されるものを私たちの世界に住まわせることで、この私たちの世界を多様化すること

他にもベルクソン、ニーチェ、ハイデガーなどメジャーな思想家の理論なども参照しながら議論を進化させていくのですが、僕個人的に面白かったのはユクスキュルのダニを例にした"環世界"かんせかいの議論。(3年前にこのブログでもユクスキュルの『生物からみた世界』を紹介してますね)

思想的にもユクスキュルの生物論は看過できない視点で、これは動物の権利の問題、社会契約まで孕んでる一大問題なわけです。(参考⇒読書『正義のフロンティア:障碍者・外国人・動物という境界を越えて』マーサ・ヌスバウム著

2014年1月20日月曜日

2013年に読んだ250冊から選ぶ10冊のブックレビュー


新年あけまして、おめでとうございます。(今更ですが)
今回は、昨年に読んだ本から10冊ピックアップして、自分自身で振り返りつつ、ご紹介したいと思います。
新しい本を読む度にブログに書くとキリがないので、このように機会をみながら、まとめて紹介というか、キュレーションする方が効率が良いと思います。
(ですが、タイミングや、ぜひブログに書き残しておきたい場合は今まで通りに書きます)
くわえてどの本が自分にとって有益な血肉となったのかは、ある程度の時間を置かなくては分からないものです。(もちろん1年はそれでも短いのですが...)

さて、ログの方をみると昨年は250冊余りの読書をしました。
基本的にはブクログにメモや読書歴を書き残していますが、すべてという訳ではありません。

ではさっそく振り返りを。(尚、紹介する順序にとくに優劣はありません)

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1. 『昨日までの世界―文明の源流と人類の未来』(上・下)ジャレド・ダイアモンド著

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来昨日までの世界(下)―文明の源流と人類の未来

いままで基本的にジャレド・ダイアモンドの本はフォローしています。
いわゆる「ビッグヒストリー」の本で、局所的限定的な歴史本ではないので、人類学的視座から歴史を見通すことができ、マクロな歴史観を得られます。
ダイヤモンド博士が長年の人類学的フィールド・ワークから導出した一つの帰結は、以下の言及箇所から引き出せます。
食料とセックスでは、どちらのほうがより重要であるか。この問いについての答えは、シリオノ族と西洋人とでは全く逆である。シリオノ族は、とにかく食料が一番であり、セックスはしたいときにできることであり、空腹の埋め合わせにすぎない。われわれ西洋人にとって最大の関心事はセックスであり、食料は食べたい時に食べられるものであり、食べることは性的欲求不満の埋め合わせに過ぎない。
普遍的と思われる価値観も時代や場所で変わります。
突飛な話になりそうですが、これを無理やり敷衍すると、ニーチェも同じことを主張していたと思うのです。
彼が絶対価値の転覆を挑んだのは、当時(そして尚、今も強い影響力を持つ)キリスト教を始めとする、人の拠り所となる宗教でした。その他、もろもろの確信的疑念を投げかけました。

なおこの本については、昨年7月のブログで取り上げました⇒読書『昨日までの世界―文明の源流と人類の未来』(上・下)ジャレド・ダイアモンド著

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2. 『(株) 貧困大国アメリカ』堤未果著

(株)貧困大国アメリカ (岩波新書)

手軽だということもあり、新書も多量に読むのですが、昨年(2013年)に限っていえば、この本が僕的新書大賞です。
スティグリッツの一連の著作をはじめ、グローバル資本主義の悪弊や、それに真っ先に罹患し、格差が社会を巣食うアメリカ。
その内実をとことんまで抉った今著。
この本も昨年7月にブログで取り上げました。⇒読書『(株)貧困大国アメリカ』堤未果著
このエントリーから自分の感想の一部をいちおう引用
グローバル規模で資本主義が暴走していく中で、誰に「責任」を帰すこともできない。一度、この論理が作動して世界を覆っていく中で、国家なき「帝国化」とでもいえる様相が成立していく。軍産複合体、農業複合体、コングロマリット化は収まらない。とくに今著でも詳細にわたって、触れられている「強い農業」の錦の御旗の元に進められたアメリカにおける大規模農業が直面している問題群。たとえば養鶏業者の「デッドトラップ(借金の罠)。これは一つに収まり切らない数多くの問題が複合的に絡まり合いながら、存立している。
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3. 『ある広告人の告白』ディヴィッド・オグルヴィ著


ある広告人の告白[新版]

国境を問わず、世界のアドマンの間で読み継がれるディヴィッド・オグルヴィの自伝的広告マンの指南書。
書かれたのが大分昔ということもあって、題材自体は古いのですが、彼の怜悧な視点は本質的なもので通時的に当てはまる指摘が多い。

この本のなかなかパラパラとよく聞く箴言が散見されるのですが、ひとつ引いておくと、これもよく聞く言葉ですよね。
犬を飼っているのに自分で吠える奴がいるか?
ようは代理店の取り巻きに対しての言葉なのですが、クリエイティブな面をして広告会社の敵になるなということでして。
たとえばこれの実例をあげると、今月公開になった若手アドマンを描いた映画『ジャッジ!』のトレーラーにまさしくというところがありました。



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4. 『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

2013年は時流に乗っかる形で、思いがけずマッキンゼー関連本を読むことが多かったです。
その中でも群を抜いて有益だったのがこの本。
「知的生産」や「思考法」を扱った本は梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』や外山滋比古さんの『思考の整理学』などこれまでずっと読み継がれてきたものもあります。
"新旧"と言い切るのも憚られますが、今著はコンサルタントという思考のフレームワークを扱うプロが執筆した本ということもあり、新しい知見がふんだんに詰め込まれてます。


あとは安宅さんの専門が脳神経科学にあるということで、そちらからアプリカブルな思考法もいくつか紹介されてます、たとえば....
「情報をつなげることが記憶に変わる」⇒「理解することのことの本質は既知の2つ以上の情報をつなげること」を説明する項で、
マイクロレベルの神経間のつなぎ、すなわちシナプスに由来する特性として「つなぎを何度も使うとつながりが強くなる」ことが知られている。たとえてみれば、紙を何度も折ると、折れ線がどんどんはっきりしてくることに似ている。(Cf. 「ヘッブの法則」)
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5. 『なめらかな社会とその敵』鈴木健著

なめらかな社会とその敵

勁草書房という、わりと固めな出版社から出された、わりと難度の高い書でありながら、昨年、読書会で話題をさらった鈴木健さんの『なめらかな社会とその敵』。
タイトルは言わずもがな、カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』から。

開かれた社会とその敵 第1部 プラトンの呪文開かれた社会とその敵
カール・ライムント・ポパー,内田 詔夫,小河原 誠

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昨年3月にこのブログでも取り上げました⇒読書『なめらかな社会とその敵』鈴木健著
そこから要諦というか感想というかを抜粋。
「なめらかな社会」が近代をアップデートするという確信の元、PICSYや分人民主主義・構成的社会契約論など、古くから受け継がれてきた諸思想・諸概念(貨幣論、間接民主主義、社会契約論)のアップデートを図りつつ、一つの大きな命題へと収斂させていく。 
「理系」・「文系」という狭隘なマインドを超越した筆者の知性と情熱は、人類の叡智が学際的に集積されていくプロセスをダイナミックに描き出す。
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6. 『カラマーゾフの兄弟』フョードル・ドストエフスキー著

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)

きっと生涯でもっとも影響を受けた1冊の一つとなるであろう小説。
きっとこれまでも、これからもぼくと同じような人はたくさんいるであろう時代を超えた不朽の名作。

昨年3月にブログで取り上げました。⇒読書『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー著
そこから感想と所感を引用。
本の世界に自我を忘れ、没入して、読了後にすっかり心に風穴が空いたかのような感覚を覚えるのは、おそらく数年に一度あるかないか。認知の限界を越えた世界を覆う幾つもの疑問。それらを振動させて、価値観が根底からぐらつくような予感。中学三年生のときに、村上春樹の『ノルウェイの森』をはじめて読んだ時に、全身から揺さぶられたとき以来の感覚。(質的な性質は違いますが)
嬰児から信仰の中で育ってしまえば、かなり強固な信仰心が根を張ると思うのですが、『カラマーゾフの兄弟』を読んでから信仰心を身につけようと思うと、少し難しくなるのではないかと、それほどまでに「信仰」とは「赦し」とはなんなのか深く考えさせられる。 
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7. 『プラグマティズムの思想』魚津郁夫著

プラグマティズムの思想 (ちくま学芸文庫)

当時、院試の勉強をゴリゴリしてたのですが、その中にあって、休憩中に軽い、だけど有益な本と思って、手に取ったのが魚津郁夫さんの『プラグマティズムの思想』でした。
学問領域を問わず、その影響を及ぼしているプラグマティズムという思想潮流。
なんとなく断片的な知識はもっていても、どこかまとまりがない。
そんな「体系性」をもとめる人には必読かと。
ジェイムズ、パース「記号論」、ミード「自我論」、デューイ「道具主義」、モリス、クワイン、そしてその知の潮流がローティまで流れ込んでくる。
この一連の流れが過不足なく把握できる。とっても丁寧な筆致に沿って。

そもそも「プラグマティズム」っていうのは、
プラグマティズムの特徴は、思考を行動(もしくは行為)およびその結果との関連においてとらえる点にある。
思考とは、それにもとづいて行動できる信念を形成するプロセスであり、信念は行動への前段階であった。 
ジェイムズの思索の背骨にあるのは当然「プラグマティズム」に他ならないと思われるのですが、僕がとりわけ興味深く思ったのがそんな彼の宗教観です。
そもそも宗教とは「私たちは、宗教をこういう意味に理解したい。すなわち宗教とは、孤独の状態にある個々の人間が、たとえなんであれ、自分が神的な存在と考えるものと関係していることをさとるかぎりにおいて生じる感情、行為、経験である、と」(『宗教的経験の諸相』 )
この本に関しては、たしかブログで取り上げなかったので、一応メモを付記。 

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8. 『沈黙』遠藤周作著

沈黙 (新潮文庫)

インドでの瞑想修行の旅を終え、日本へ帰る機内で読んだ一冊。
6つ目に紹介した『カラマーゾフの兄弟』と対照的に、徹底的に生を超えて"信仰"を貫き通す宣教師の話。

再び自分の中で揺らぎ生じる。"赦し"とは何か、"信仰"とはなにか。
無限に広がる宗教という世界の広さを再び思い知らされる。浅はかな自分を知る。
とりわけ、孤絶な修行生活のあとで空っぽになってたからこそ、再び自分の立ち位置を相対化することができた。

ちなみにアメリカで映画化の話が進んでいるそうなので、そちらもすごく楽しみしてます。 


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9. 『ワーク・シフト―孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>』リンダ・グラットン著

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

多くの人が年間ブックレビューで選んでいた今著。
どの国の人が読んでも有用な、新しい労働観がふんだんに詰め込まれているわけですが、とりわけ、知識集約型労働が進んだ先進国民のホワイトカラー層は必読かと思われます。

このブログでこの本を直接は取り上げませんでしたが、翻訳記事「今、もっとも将来性ある10の大学の学部とは」の後記で触れています。

向こう数十年の世界を形作る5つの要因として、

1. テクノロジーの進化
2. グローバル化の進展
3. 人口構成の変化と長寿化
4. 社会の変化
5. エネルギー・環境問題の深刻化

を挙げた上で、それぞれについて詳述していくわけですが、じっさいどうすべきか。
あらゆることを無難にそつなくこなすゼネラリストよりも、短期集中でスペシャリティを育み、また次のスペシャリティへとスライドさせていく「連続スペシャリスト」になることを奨励しています。

どうしても一つの環境に身を置いていると、マクロの世界の地殻変動に気づきにくくなってしまう。それをグラットン氏は「ゆでガエル」のわかり易い喩え話で説明しています。
煮えたぎるお湯の中にカエルを放り込めば、あまりの熱さにカエルはすぐ鍋の外に飛び出す。では、カエルを冷たい水の入った鍋に入れて、ゆっくり加熱していくと、どうなるか。カエルはお湯の熱さに慣れて、逃げようとしない。しかし、しまいには生きたままゆで上がって死ぬ。鍋の中のカエルと同じように、私たちは仕事の世界で「気づかないうちに積み重なる既成事実」に慣らされてはいないか。
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10. 『森の生活 ウォールデン』(上・下)ヘンリー・デイヴィッド・ソロー著

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)

最後に紹介したいのが、H・D・ソローの『森の生活』。
喧騒を離れ、ウォールデンの森に小さな小屋を自ら拵え、一人孤独のうちに生活を送る中で、紡ぎ出された彼の思索が日記と共にまとめられています。

そもそも電気もガスもない、都会人からすれば圧倒的に不便に映る森でなぜ彼はわざわざ生活をしようと考えたのか。
私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。
これはぼくがインドへ行こうと思い立った気持ちと通底するものがあります。
迷子になってはじめて、つまりこの世界を見失ってはじめて、われわれは自己を発見しはじめるのであり、また、われわれの置かれた位置や、われわれと世界との関係の無限のひろがりを認識するようにもなるのである。
インド修行から、東大に受かるまで」というエントリーの中でこんなことを書きました。
あまりにも多すぎて、見えにくくなっていること。「すべてを投げ捨てて、それでも残るもの」をみきわめること。
今から考えると、ソローの以下の言葉とまったくその通りに共振している気がしてならないのです。
私にはほんとうの豊かさが味わえる貧しさを与えてほしいものだ。
本当の豊かさに、物質的な富はどれほど本質的に必要なものなのか。

最後に、いささか尊大だけど、力強さみなぎる彼の文章を
汝の視力を内部に向けよ。やがてそこには、いまだ発見されざる、千もの領域が見つかるだろう。その世界を経巡り、身近な宇宙地理学の最高権威者となれ。
己と対話するため、孤絶と対峙するため、この言葉を身体で経験するため、瞑想に行ったのでした。 
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このように一年間経ったうえで、読書遍歴を振り返ると面白いことが分かります。
読書とは流動的かつ動的な体験であるということ。
置かれた状況や、自分が置かれた立場で、本の中の言葉の輝度が変わる。
心に響く言葉は常に絶え間なく動いている。
なにげなく読み飛ばしてしまう言葉も、立ち止まって噛み締めたくなる言葉も、"イマの自分"次第で変転する。
言葉で行動が変わり、行動で言葉が変わっていく。
去年の12月に「本を読むということは、"ヴィークル"に乗り込み、旅にでるということ」に書いたように、物理的ではない旅を届けてくれる。
旅を通して世界の見方が変わったり、狭隘な価値観が拡張されるように、まったく同じことが読書を通して自分を変えていく。

2014年もたくさん言葉を飲み込んでいきたい。


映画『ジャッジ!』永井聡監督作 14'


学生時代にインターンしていたこともあったり、友人の多くが従事しているという、何かとゆかりの多い広告業界。
国際広告祭を舞台にした映画『ジャッジ!』をレイトショーで鑑賞。
フェイスブックやツイッターなど周りで何度もなんども見ていたので、「さすがに、見とくか」ということで。

劇中でも、一文字変えるくらいで、ほとんど「電通」と「博報堂」まんま。
クライアントはエースコックだったり、TOYOTAだったりとそのまんま。


というケトル木村さんの感想はじめ、Facebookで購読してる広告クラスタの皆さんの感想が次々と流れてきて、「ふむふむ」と内部関係者の意見を眺めるのがすごく楽しい。

そもそも、わざわざ映画館でみようという気持ちの最後のひと押しになったのは、北川景子が主演だからではなく、澤本さんが脚本を書いたからなのでした。


舞台がサンタモニカということもあって、セリフの多くで英語が出てきて、脚本家からした日本語とのバランスをうまいこと保つのはすごく難しいとは思うのですが、途中、ちょっとシーンが淀んだり、冗長に感じてしまう場面が何度かありましたが、基本的にはテンポよく、ウィットが織り交ぜながら進んでいくのですごく楽しめました。
(映画って、英語できる役設定でも、「うーん」と首をかしげざるをえない人が多いのですが、北川景子さんの英語は言うことなしのピカ一でした)

というより、彼女は年々その魅力が増していると思うのですが、気のせいでしょうか...。

【完全主観採点】★★★☆☆

2014年1月9日木曜日

2014年の地図―揺るぎないプリンシプルを打ち立てること


なりたい"ジブン"を描くこと
旅にでるとき、ヒトは「地図」を手に取る。
いくつかのメルクマールをたどっていきながら、目指す先へと歩を進めていく。

部活をやっていたひとならば、よく分かると思う
具体的に何周かを告げられず、ただただグラウンドを走り続けさせられるのは辛い。

いみじくも『バガボンド』で宝蔵院胤栄が斯くの如く語るように。
目的のない稽古に
人は耐えられん 

まずは、「なりたい"ジブン"」を描くこと、それに向けた揺るぎない"プリンシプル"(行動原理)を確立して離さないこと。
きっとコレさえ打ち立てることができれば、これから下につらつらと書いていくであろう小目標のたぐいは泡沫に消えるでしょう。




マスタープラン=(思考+習慣)× 反復
目標をたてるときに参考になりそうなのが、友人のレイカちゃんがブログで紹介していた「SMART(Specific、Measurable、Achievable、Realistic、Time)」という目標設定の基準。
そもそも新年の抱負ブログを1年ぶりに書こうと思い立ったのも、彼女を含めた友人と新年会をして、インスパイアされたからなのでした。

lifehackerの数日前の記事「先延ばしグセを解消するために大切な2つのポイント」にもあったように、一見、複雑で膨大な目標も分解・整理して、具体性を持たせながらチャンクダウンするのが有効だと思います。
それは承知した上でなお、僕はもっと根本の部分、行動準則=規範=習慣が大事だという確信を持っています。(「マスタープラン」と言い換えてもいいかもしれません)

行動の反復によってのみ偏在的傾向の普遍化は可能なのだ」という村上春樹の箴言も、アリストテレスの「繰り返し行うことが、人間の本質であり、美徳は、行為に表われず、習慣に現われる」という有名な言葉も同じことを含意しています。
「思考は現実化する」―迷ったときに常に立ち返る行動規範のレファレンス・ポイントを習慣と結びつけること。
その意味で自己満足で完結しそうな新年の抱負(New Year's Resolution)は年に一度の良い機会なのかもしれません。



「一生続くペイン」はない
痛みは避けられない。でも苦しみは自分次第だ」(Pain is inevitable. Suffering is optional)村上春樹のエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』の冒頭から引用です。大好きな本で、これまでに日本語で3回、英語で1回読んだ本です。
受け売りばかりですが、中学生の頃からずっと愛読してきた氏の作品や著作からは計り知れない影響を受けていることは認めざるを得ないです。

とくにこの一文が意味するところを身を持って感じたのは、僕の場合、走ることを通してではなく自己との対話=瞑想を通してのことでした。
単身インドへ修行に行き、圧倒的な"孤絶"のなかで、時間の感覚から遠く離れた場所でひとり来る日も来る日もただ瞑想を続けたことでやっと分かったことです。(このへんの詳しい話は「インド修業から、東大に受かるまで」というエントリーに書きました)
ショーペンハウアーは『意志と表象としての世界』でこれを一言で言い尽くしています。
継続こそ時間の全本質である

「万物は流転している」―連続性を意識すること。たとえばこの類の目標計画を立てるときも、常に大局観を持つことが肝要だと思うのです。

インドでの旅を通して以前にも増して、仏教に興味を持つようになりました。
滞在中も列車移動のさいに『ブッダのことば―スッタニパータ』に目を通していました。
数ある金言の中でも「自分の心を支配しなさい、さもなければ心があなたを支配するでしょう」(Rule your mind or it will rule you)という言葉が肺腑を衝きました。




セレンディピティ/オープンマインド
先日、バイト先にて、ある年配の男性のお客さんとメディアの話で盛り上がりました。

「大学院でメディア研究をするんです」

「おお、そうかい。おじさんもメディアの仕事をしてるんだ。今度ゆっくりまた話そう」

と誘っていただきました。
それがある新聞社の会長さんだったのです。

「尊縁・結縁・随縁」僕はこういうものを大切に生きています。
棚からぼた餅=僥倖という風には思いません。
というよりは「計画された偶発」(Planned Happenstance)により近いスタンスをとっています。
まあそんな御託は脇に置きます。

出会いやコミュニケーションにおいて、大切なことは「まずコチラから心を開く」ことではないかと感じています。
オープンマインドな開陳性を常に持っていれば、セレンディピティの窓はいつでも広く開かれてると思うのです。




❏自分自身に誠実であること。
最後に具体的な目標を3つ掲げておきます。
来年の今頃、「バーカ、やっぱできてねーじゃねーか。」と自分を責め立てるためにも。

<1. 小説をひとつ書く>
でもこれに関してはべつに焦りはありません。言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、こればっかりは人生の濃度が関係してくるのだと思うのです。たとえば村上春樹は30歳を過ぎてから、百田尚樹さんも50歳を過ぎてから執筆を始めていますし、ドストエフスキーのよく知られた著作のほとんどは晩年に書かれたものです。

ただ書くならば内容がペラペラの稀薄なものでなく、(欲を言えば)国を越えて広く普遍的に愛される息の長い作品、例を挙げればサン=テグジュペリの『星の王子さま』やパウロ・コエーリョの『アルケミスト』など。
夢は大きい方がいい。笑
とりあえずまずは1本書く。

<2. トライアスロンに挑戦する>
これ去年けっきょくできなかったので。ジムにはかれこれ5年位行ってるのですが(多忙になると散発的になることもありますが)、けっきょくジムのワークアウトはインプットで、アウトプットが必要だと思うのです。
ネックなのは道具集めですよね。お金がかかります。
それもどうにかしましょう。

<3. 研究の骨子を固める>
今でも週に1度ゼミだけ参加していますが、春からは正式に大学院に入り研究を始めるので、本分は学生ということを忘れずに勉学に励みたいです。
学部時代にも卒論は書きましたが、修論はそれ以上にはりきって取り組む所存です。
そういう意味で今まで以上に読書に精を出しつつも、研究計画に沿った、能動的なリサーチ・リーディングを進めていきます。(読書について「読書考―「本を読む」ということについて本気で考えてみる」)


とまあ、抽象論に傾いてしまいましたが、今年も新しい環境で色んなことに挑戦していきますので、よろしくお願いします!

2014年1月4日土曜日

読書『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』高橋昌一郎著


國學院大學教授・高橋昌一郎先生の講談社現代新書の「限界」シリーズ3冊を一気通読。
出版順序でいうと、「理性」→「知性」→「感性」ということになるのですが、僕が初めに手にとったのは『知性の限界―不可測性・不確実性・不可知性』でした。
読む順番はべつにランダムで構わないと思います。

1冊手に取ったら、続けざまに続編に触手を伸ばさざるをえないこと請負いです。

おそらく読者の知識量にも依るとは思うのですが、科学や哲学、自分のなかにバラバラに散逸していた知識の破片がパッチワークのように、滑らかに繋がっていく感覚。
継ぎ接ぎだらけで体系性の欠如した知識系に秩序がもたらされていく感覚。
知的好奇心の水平が一段階上がる感覚。
(小飼弾さんもそれぞれブログで紹介されてましたね⇒理性知性感性

あえてこの本の中に二項対立を持ち込むなら、広義の"科学"vs形而上学を含む哲学ということになると思います。
僕の読書遍歴からいっても、間違いなく自分は哲学よりの人間なので、自分の哲学・思想系の思索のストックを科学的見地から照らし返してみたときに、一気に視界が開けたというか、支え棒が取れたような気がしました。

以下では各書の中で印象に残った箇所や言葉を紹介しつつ、考えも拾い置きしておきます。

理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性
高橋昌一郎

講談社
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シリーズの初刊となる「理性」はおそらく3冊の中でも最も難度が高い内容ですが、それでも新書に相応しく専門外の人間でも読みやすい砕かれた文章となっています。
高橋先生の広範にわたる知識に瞠目するのはもちろん、良質なライターとしても稀有な科学者であることは間違いないと思われます。

いつだったかこんなツイートしてましたが、高橋昌一郎先生も間違いなくその一人でしょう。


アインシュタインのかの有名な「E=mc²」方程式に関して、あらためてこのごくごく短い式が世界、人類に与えた影響を再確認。
相対性理論は、時間と空間ばかりではなく、質量やエネルギーの概念も根本的に変革しました。アインシュタインの有名な方程式「E=mc²」は、物体の質量に光速度の二乗を掛けた結果がエネルギーと同等であることを示しています。原子力発電所では、ごく微量のウランの核分裂反応を利用して、膨大な原子力エネルギーを取り出しているわけですが、質量が膨大なエネルギーを秘めているという発想も、相対性理論に基づくものです。
科学や宗教、哲学、それぞれの領野の泰斗がぶち当たった理性という壁。
分野にとらわれずに多くの実例を上げてらっしゃるのですが、あえてパスカルの『パンセ』の引用だけひいておきます。
「理性の最後の一歩は、理性を超える事物が無限にあるということを認めること」
知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性
高橋昌一郎

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シリーズを通してゲーデルの不完全性定理、アロウの不可能性定理が重要なキーファクターとなっていきますが、むしろ脇道から矢を放っていくニヒリスティックなファイヤアーベントの視座が僕には響きました。
「方法論的アナーキズム」を唱道した彼がポパーの『果てしなき探求』に対置させて発表した『暇つぶし』はその極致だと思われます。


あとは誰しもが考えたことがあるであろう、決定論と自由意志論の議論。
僕も子供の頃から漠然と、だけどずっとしつこく考え続けてきたことです。
一級の科学者や哲学者が考えてきた蓄積を体系的に把握できたのは嬉しかった。
「目的論的証明」とインテリジェント・デザインに際して、18世紀のイギリスの神学者ウィリアム・ペイリーが草原で拾った腕時計、虫や植物を例に喩えながら考察した『盲目の時計職人』の話は誰もが一度は目を通し、沈思してみる価値のある論究ですよね。

とまあ徹底的に決定論について考えているところで、ノーベル賞を受賞した物理学者スティーヴン・ワインバーグのこの言葉をポッと紹介されちゃうわけです。
「宇宙が明確になるにつれ、宇宙に意味がないこともますます明確になってくる」
感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)
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現時点で最終刊となっている「感性」は前2著と比べ、若干趣向が異なります。
以前、科学的な見地から批判的視座を交えつつ考察していくのですが、議論の中核を占めるテーマが愛、自由、死などより根源的な形而上学的なトピックなのです。
そういう意味では読みやすく、読みにくいと言えるかもしれません。

個人的には「形而上学的反抗」を取り巻くカミュ=サルトル論争の項などにも新しい発見があったのですが、やはり最後はファイヤアーベントの科学への見方を紹介して閉じましょう。
「(科学は)最も新しく、最も攻撃的で、最も教条的な宗教的制度である」

2014年1月3日金曜日

映画『ゼロ・グラビティ』アルフォンソ・キュアロン 13'


本当は公開直後の年末に観ておきたかったのですが、年を跨いでしまいました。
周りの強い勧めもあって、IMAX 3Dで鑑賞。
もちろん映像美や高品質の3Dもそうなんですが、IMAXは何よりサウンドシステムが素晴らしい。
『ゼロ・グラビティ』にはピッタリのシアター・システムですよね。
この作品はおそらくDVDで観ると、魅力が半減してしまうのではないでしょうか。

細かい内容の話は脇において、僕個人としてこの映画に埋め込まれたメッセージは「生と死」、それも人間個人のようなミクロなスケールではなくて、宇宙という一個の人間にとっては壮大過ぎる空間との対置において、人類ひいては時間・空間の誕生をも描き出そうとしたのではないか。

サンドラ・ブロック演じるライアンが、なんとかソユースに辿り着いたときに、まっさきに宇宙服を脱ぎ捨て、膝を抱え、空中に浮遊します。
あそこは赤ん坊が母親の胎内、羊水の中で静かに呼吸を打ってるメタファーに他ならないのではないでしょうか。
加えて、中国の宇宙ステーション「天宮」から神舟で無事に地球に着水し、沈んだ宇宙船から抜け出し、水面に向かって泳いでいくシーン。それにクロスオーバーする、「カエル」。
これもまた精子、卵子の結合受精、胚胎を暗喩しているのではないか。

本編通して、出てくるキャストはほぼサンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニーの二人のみ。
キャストを最小限に留めることで、どこまでも広がる宇宙空間の御胸に抱かれた人間の微小さを明示している。

すぐに立花隆さんの『宇宙からの帰還』を読み返したくてたまらなくなってしまいました。

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立花 隆

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【完全主観採点】★★★★☆

2014年1月2日木曜日

【翻訳記事】ハーバードの卒業生を75年間追跡調査してわかった、幸福な人生を送る方法


2009年6月、『The Atlantic』は表紙で大々的に、人間の形成過程を追った最も長い調査のひとつである「グラント・スタディ」を扱った号を発刊した。

このプロジェクトが開始されたのは1938年。ハーバード大の卒業生の男性268名を75年にわたって追跡調査し、人生の繁栄にとって何がもっとも大切な要素なのかを見極めるために心理的、人類学的、またはその人の性格やIQ、飲酒習慣、家族との関係性、はたまた陰嚢(註1)の長さに及ぶ身体的な特徴など驚くべき広範囲で調査は行われた。

註1: 陰嚢とは精巣(睾丸(こうがん))を包む皮膚の袋。

つい最近、この調査を30年以上に渡って主導してきたジョージ・ヴァイラントは研究から引き出された洞察をまとめた『経験の勝利』を出版した。その本の中でこのような一節がある「酒が大きな破壊を導く不秩序の原因である」。グラント・スタディの中で明らかになったのはアルコール(飲酒)が離婚の最も多い要因であったということ―これは神経症や鬱とも強い関係性がある(飲酒の度合いが過ぎると上記の症状を起こしやすい)。加えて、喫煙も悪い要因となりうる―タバコ単独でも種々の病気の罹患率を高めるし、寿命を縮めることになる。ある一定のレベルを越えると、知性は関係なくなるのである

IQ数値が110〜115の男性とIQ数値が150以上の男性の間の生涯年収に有意差は認められなかった。年老いた自由主義者はより多くのセックスをする。政治的イデオロギーは人生の満足度とそれほど関係がないようだ。しかし、最保守層の男性が女性と肉体関係を平均68歳で断つのに対し、最もリベラルな層の男性は80代に入っても活発にセックスを行なっていた。「泌尿器科医に相談してみたんだ」ヴァイラントは語る。「だけど彼らにはまったくもってなぜか分からないらしい」。

ひるがえって、ヴァイラントが立ち返り強調するのは"老年期の健康"と"あたたかな人間関係"の強力な相関性が幸福を形成するということである。2009年に出版された『The Atlantic』紙上の記事への批判を受け、1960年代より集積してきたデータを見直した結果、以前にも増して人との関わりが人生で最も大切な要素であることを確信していった。

たとえば、「あたたかな人間関係」という項目で最高得点を獲得した58歳の男性は給与が最高に達する時点(一般的に55歳から60歳の間)で最低得点をだった31歳の男性よりも平均で年間141,000ドルも多く稼いでいた。前者は後者に比べ、職業上で3倍ほどの成功を上げており、これはWho's Who(註2)に収まる価値がある。

註2: 米国の出版社による紳士録。1899年以降の著名人を収録。

導かれた結論はきっとフロイトを喜ばせることだろう。研究結果によると、母親とのあたたかな関係性が大人になった後も持続的な影響を持つというのだ。具体的には:
  • 母親とのコミュニケーションが希薄だった男性に比べ、母親と親密な関係を持って幼少期を過ごした男性は平均で年間87,000ドル多く稼いでいた。
  • 母親との関係性が乏しかった幼年期を過ごした男性は認知症にかかる可能性が圧倒的に高かった。
  • 職業上の生活も半ばを過ぎてくると、父親ではなく母親との幼年期の関係性が仕事での能率性に影響を与えていることが明らかになっていった。
  • 一方で、父親との良好な関係は大人になったときに不安感を抱きにくくなり、休暇により多くの楽しみを見出し、75歳時点でより多くの満足感を人生に覚えている。逆に、母親との幼年期におけるあたたかな関係性は75歳時点の人生における満足感にはそれほど大きな影響を持っていなかった。
ヴァイラントの研究におけるキーワードは彼の次の言葉に集約される。「この75年間とグラント・スタディに費やされた2,000万ドルはたった5つの言葉からなる結論に行き着く」:「幸せは愛である。たったそれだけ(Happiness is love. Full stop.)」


著者(Author):Scott Stossel

※大筋の本意が伝わればと思い、爆速でザックリとに訳しているので、多分に意訳を含んでいます。誤訳や内容での指摘があればコメントお願いします。なお註釈は、僕が個人的に加えたものであり、BUSINESS INSIDERの原文にはありません