Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2012年12月4日火曜日

「秒速5センチメートル」をみて感じた、抗えない"時間の檻"(みずみずしいコトバのもろもろ)


どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。
1「桜花抄」、2「コスモナウト」、3「秒速5センチメートル」を貫くテーマ。というか、コピー。

主題歌である山崎まさよし「One more time, One more chance」の
季節よ、移ろわないで。
映画を通底する雰囲気や 空気感に共鳴していく。

一部の終盤で心をえぐられるようなコトバ。
僕たちはこの先もずっと一緒に居ることは出来ないと、はっきりとわかった。 僕たちの前にはいまだ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間が、どうしようもなく横たわっていた。 でも、僕を捕らえたその不安は、やがてゆるやかに溶けていき、後には明里のやわらかな唇だけが残っていた。
映画をみている間、ぼくの頭ではいくつもの歌のフレーズが無作為にこだましているようでした。



夜ごとの花火はもう上がらなくていい。心に消えない光が咲いているから。「もっと」/ Mr.Children
君にあげた服を、君は脱ぎ捨てたけど、心まで脱ぎ捨てられないだろう。「休みの日」/ JUN SKY WALKERS
"記憶のなかで ずっと二人は 生きていける" 
Hello Again〜昔からある場所〜/ My Little Lover
明るい場面では(Owl Cityの"Dreams Don't Turn to Dust)、底流には(Jay-ZとMr. Hudsonの"Young Forever")が頭の中できわめて小さい音量ではありますが、響いていたような。

どこまでいっても逃げられない、抗えない一直線になだらかに進み、淀む川のように。
どれほど後ろにクロールしても進めない"時の檻"のなか。

小説でいえば、島本理生さんの『一千一秒の日々』や『星の王子さま』のようにチクチクするようなみずみずしいコトバ。




『星の王子さま』にこんなコトバがあります。
でも目では見えないんだ。心でさがさなくちゃ。
たとえば、AくんはBさんの為に生きているとする。
BさんもAくんの為に生きてる。
そうすると、二人の間には誰も介在できない、これ以上ないほどの"生きる意味"が溢れ出していることになると思うんです。



オーロラをふたりだけで見に行ったのだとしたら、そのときその場に流れていった空気や共存感のようなものは、ふたりの中だけにしか残存しないし、どれだけ他者に伝えようとしても言葉や身振りでは役不足なのです。
映像も写真もなにひとつ本当は伝えることはできないんじゃないか、そう思います。

踏切を境に"分断された二人"、これがこの物語の端緒であり世界観であったと思います。

3部の無言で滔々と走馬灯のように流れていく記憶の回想はまるで、スラムダンクの山王戦、セリフなしで流れていくページのようでした。笑

自分の今置かれている状況を鑑みると、自己成就予言のようでちょっぴり怖くなりました。
小説も買ってみようと思います。




【参考】
「秒速」と「時かけ」の切なさはなぜ違うのか。あと新海誠を天才だと思う理由について。/ All For Unknow
これを読んで、またみようとおもいました。

1 件のコメント:

  1. 良い記事ですね。今日、加納さんが書いた秒速5センチメートルを読みおわりました。自分の中でこの作品に対する見方が少し、変わりました。

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