Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2012年12月17日月曜日

ブログを書き続ける3つの意味



ぼくはこれまで多くの日記、ログ、回想記を書き続けてきました。
手書きの日記からmixiの日記、そしてブログ。アメリカに留学している間に書いたブログ「Pieces of my thoughts」そして現在の「言葉を手にしていく感覚」(最初は「国際政治と広告」というタイトルでした)
プラットフォームは変わっても、自分自身と対峙すること、自分の中にあることを文字に書き起こすことを続けてきました。
自分の中にあることしか文字にはなりません。それに関してだけは背伸びすることはできない。
自分が今までに読んだ本、目にした文章、心を貫いた言葉、自分の中で生成された言葉の宇宙空間は自分しかのぞき見ることが許されない言論世界。存在証明のために。



①アウトプット/ 吐き出すこと

徹底的に自分自身と対峙する。自分の奥底へとダイブして潜り込んでいく。そしてシャベルでそれを掘り起こしていく。時に深呼吸しながら。
自分の「再発見」。際限のないインプットを吐き出すための集積場、でもそれは単なるゴミ置き場じゃない。

基本的にウェブ上は壁のないカオティックな空間で、不特定多数の人々の目に触れることになります。その点に関しては以前、「オープンとクローズドの緩衝点」で書きました。
集合知がひとりでに結合する。まるでアメーバの如くゴソゴソと肥大化していく。
知らない人が知らないことをそっと僕に知らせて、名前も告げずに去っていく。

言葉を手にしていく感覚」「言葉を交わすことについてぼくらは言葉を食べて生きている」で書いたことは基本的に食べ物や水と同じように「言葉」は僕たち人間にとってなくてはならないものだということです。
それは人と人を媒介するコミュニケーションツールであり、人を一喜一憂させるトーイでもある。生活を回す車輪でもある。

読書、音楽、映画、円心を貫くのはいつだってコトバ。
それを飲み込み退蔵させるのではなく、積極的に吐き出していく、自分の中の工場で加工してリクリエイトして送り出していく。それがいつ、どうやって、スパークするかは誰にも分からない。

<メソドロジー> ブログを書く時に意識しているのは、スピード。
基本的に下書きに書き貯めることは、ほとんどしないで、だいたい10分以下で一気呵成で書いています。
とはいえ、書くにしてはあまりに内容が乏しいときはアイディアだけポンと置いておいたり、ざーっとラフドラフトだけ書いておいて寝かせることもあります。
アイディアが創発するのは、だいたいバイトしてるときだったり、ぼーっとしてるときだったりするので、オフラインでメモパッドとしてClearというアプリを使っています。(Evernoteでもいいのですが、コネクションに少々時間かかったりもするので)



②ログ/ 決して忘れないように

外部脳として、決して忘れないように。
書くという事自体が、記憶に焼き付ける作業そのもの。
後に振り返った時に、自分の筆力の未熟さを懐かしんだり、単純に書き貯めた情報に立ち返ったり、クラウドには無尽蔵の容量があるから。

SNSに関していうと以前まではMomentというアプリまで使っていました。
それでTwitter、Facebook各種ソーシャルメディアの情報を一元的に管理していたわけですが、それも今では完全に放置しています。
忘れていくということはある意味必要なことであって、「忘れられたもの」はある意味で「忘れてもいいこと」だというわけで。
だからこそ、ブログはまあそれなりに実りのある内容にしたいと思っているわけで。
そーいえばTwitterがいままでのツイートアーカイブを取得可能にするとのアナウンスが先日ありましたね。

そーいえばMemolaneという面白いサービスがあって、アトランダムに過去の自分のソーシャルメディアで起きた出来事を通知してくれるんですね。
「あー、こんなことあったな」「もうこんなに時間経ったのか」ということが毎朝送られてきてて、刮目するわけです。


③アフィリエイト/ ちいさな慈善事業

ぼくはだいたい内容に関連付けてアフィリエイトを細々と貼っています。
売上は雀の涙程度なわけですが。それでもゼロではないです。
けっきょくウェブ上の情報もロングテールの側面があって、とりあえず放り投げておくとだれかしらが拾い上げる。
たとえば書評も新譜紹介も和訳もだいたいそれを意図してたり。

とまあ、なんだかうだうだ書き連ねてみたものの、けっきょく自分のためでしかないんですね。
そもそもぼくのdigり習性に起因してて、ある程度まとまった情報を吐き出さないと消化不良を起こしてしまうと思うんです。
アウトプットが視座にないインプットに意味はないと思うわけです。

ただただコンテンツを消費するのは不健康だと思うんです。
人間は食べて、排泄しますよね。
だったら情報だってそのサイクル(循環)に乗せるべきだと思うんです。
受容したものを吐き出していく、じゃないと消化不良だと思うんです。
そうしたら自分を起点にまた新たな循環が始まるといったことだってある。
こんな素敵なことってだれもが発信者になれる今だからこそだとも思うわけで。



【参考】
心機一転。学生がブログを始めるべき7つの理由
・人気ブログをゼロから短期間で作るための10の手順
・「ブログを成功させるための12のチェックリスト」
ブログを続けるコツは心・書・友の3つではないかと思う
これからブログを頑張ろうと思う人へ。まずは三ヶ月毎日書く。話はそれからだ。

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