Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2014年5月19日月曜日

読書『社会を変えるには』小熊英二著


運動とは、広い意味での、人間の表現行為です。仕事も、政治も、芸術も、言論も、研究も、家事も、恋愛も、人間の表現行為であり、社会を作る行為です。それが思ったように行なえないと、人間は枯渇します。 
「デモをやって何が変わるのか」という問いに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいましたが、それはある意味で至言です。「対話をして何が変わるのか」といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。 
 SFCで社会学を教えられている小熊英二さんの『社会を変えるには』を読みました。
新書とは思えない、517頁という重厚な分量。
小熊さんといえば膨大な資料を渉猟しつつ、傍証を加えながら著述していくスタイルで知られていますよね。


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ただ、この本は新書ということもあり、基本的に参考文献はほぼなく(中間の思想史や政治制度を扱うところでは出てきますが)小熊さんのこれまでの研究、思索、デモへ実際に出かけたときの経験談などからなっています。文も平易です。

日本の置かれた状況を冷静に分析したうえで、じゃあ個々の私たちは何ができるのか。
タイトルにあるように、「社会を変えるには」どうしたらいいのか。
スタイルとしては『独立国家のつくりかた』などの坂口恭平のようなぶっ飛んだ、ラディカルなものでは全然なくて、(そこは学者らしいというか、アレなんですが)ギリシャ哲学から遡って、政治、経済、社会の思想史を丹念にたどったうえで、そこから得られる知見を確認する作業を通じて、現在のコンテクストに当てはめながら、思索を展開していきます。(「ビジネスとアカデミズム」と「政治運動とアカデミズム」だとカテゴリーはべつなのですが、アカデミズムをどうほかの経路へ接続するかを考える上で、研究科の先輩のインタビュー記事<「起業したからこそ学問の大切さに気付いた」”現役東大院生”前島恵さんの起業ストーリーをとても興味深く、共感を覚えながら読ませていただきました。再来週あたりには、先輩と二人で授業でプレゼンします笑)

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とりわけまずはじめに押さえておくべきなのが、個体論と関係論の発想の違いでしょう。


そこから近代における弁証法的世界観やギデンズのいう「再帰性の増大」をつかまえると、理解が進みます。(弁証法に関してはやっぱり今でも『弁証法はどういう科学か』が圧倒的に分かりやすいと思います)

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たとえば「再帰性の増大」は今の日本の社会でどのように現出しているでしょうか。
自由というのは、何らかの足場がないと、たんなる不安定に転じます。デカルトが想定した「われ」は、神という不動のものに支えられていました。しかし現代では、「自己」もまた、「こんな自分でいいのか」と迷いながら選択し、意思決定し、「作る」ものになっています。アイデンティティの模索、自分探し、キャリアデザイン、ダイエットなとがそれにあたります。しかし「自己」を作れば作るほど、作る主体であるはずの「自己」が変化して揺らぐのですから、無限の不安定がやってきます。自分を作りながら、自分を安定させようというのですから、はじめから矛盾した行為です。鏡に鏡を映しているようなもので、いつまでたってもやめられません。
さらに非正規雇用者やフリーターなど格差社会の中で斬り捨てられていく若者、保護に頼るほかない年金受給の高齢者など、経済的弱者ほどその再帰性の網に絡まれやすいのです。
再帰性の増大は、誰にも不安定をもたらしますが、恵まれない人びとへの打撃のほうが大きくなります。かつての貧しい人びとは、共同体や家族の相互扶助で、経済的貧しさをカバーしていました。あるいは、自分がつちかってきた仕事や技術や生き方への誇りで、心理的貧しさを補ったりしていました。しかし再帰性が増大し、選択可能性と視線にさらされると、それらが揺らいでいきます。相互扶助も誇りも失って、無限の選択可能性のなかに放りだされ、情報収集能力と貨幣なしにはやっていけない状態に追いこまれていきます。
うえで「斬り捨て」と書きました。
では格差の上部にいる人、恩恵にあずかっている富裕層はたんに「ゲーテッド・コミュニティ」のようなものを築き、見て見ぬふりを決めかかればいいのでしょうか。
ここで導入されるのがウルリッヒ・ベックの「ブーメラン効果」の話です。
近代科学と近代政治、近代経済は、主体は客体を操作できる、と考えてきました。科学は自然を支配できる。政治は民衆を操作できる。労働者が騒いだら解雇すればいい。そこまで単純ではないとしても、「主体」は「客体」を操作できる、場合によっては切り捨てれば関係ない、と考えてきました。しかし自然をいいようにあつかうと、環境問題が発生して、自分にはねかえってきます。あまりに格差が開くと、治安が悪化したり、少子化や税収低下がおこって、自分にはねかえってきます。第三世界の貧困など関係ないと思っていると、テロや地球環境破壊がおこって、自分にはねかえってきます。地方のことは東京には関係ないと思っていると、原発事故がおきてはねかえってきます。これがブーメラン効果です。
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その他、社会運動史・理論などにも触れていきながら、「社会を変えるため」にできることのあらゆる方向性へ考えを巡らせていきます。
レビューなどでそれほど評価が高くないのは、「なんだよ。結局オチはデモとか対話かよ」っていう人がおおいと勝手に想像するのですが、"デモ"にしろ"対話"にしろその裏にどんな思想的意図、自分なりの思索を持つのか、メタな次元を確立することも大事なんじゃないか、ぼくはそういうメッセージを受け取りました。

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