Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer
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2013年12月15日日曜日

【翻訳記事】スタンフォード大卒の才女が、イケてる男に見出す10のこと


私は男が大好きで仕方ないの。彼らの動き方、座り方、そしてキスの仕方も。

男たちがエアギターをやったり、『ウェディング・クラッシャーズ』(註1)のセリフを引用したり、グリルで焼いてくれたり、そして一緒に大騒ぎしているのが大好きなの。

(註1) 『ウェディング・クラッシャーズ』(Wedding Crashers)は、2005年制作のデヴィッド・ドブキン監督のロマンティック・コメディ。(Wikipediaより)

贔屓にしているスポーツチームが負けたときに愚痴ってたり、私たち(女性)にクールな視線を投げかけようとしてたり、犬と戯れているのも好き。カーステレオの音楽に乗りながら軽妙に車を運転して、可愛いらしい女性に釘付けになっていたり、でもなにより彼らが純粋に良き恋人でありたいと望んでいることが愛おしい。彼らが私といかに違うか、そして根底ではいかに同じような生き物であるかを知るのも好きなの。
誤解しないでほしい―私だって腹筋がバキバキに割れた男も好きよ。でも本当のところ、何が良い男の条件をつくるのかを考えたときにパッケージ(外面)はそれほど関係がないっていうこと。
外見以外の面で私がカッコイイと思う男にまつわる10のリストを作ってみたわ。

10 私を抱え上げてくれる
-Lift Me Up

私を抱え上げ、グルグル回ってくれる男。もしくは腕と足を包み込んで、きつく抱きしめてくれる人にはいつだって心奪われる。時と場合にもよるけど、これがもっともセクシーで、快適な、そしてエロティックな体験の一つだと思うの。たとえ付き合っていなかったとしても、私はいつだって幸福感、自由、そしてフェミニンな感覚を感じれるの。
おそらく自分がいかに小さく、か弱い存在であるかを思い知らされる瞬間でもあると思うの。きっとそれは官能的でいて、私たちが自発的になれる体験、もっと言えば一瞬のうちに私たちの身体が一つにつながり合うことを知ることさえできると思うの。もっと簡単に言えば、単純にあなたが私よりも大きいということ。
まあ何にせよ、カッコイイな〜と思うの。

9 ドアを開け、席を譲ってくれる
-Open Doors & Give Up Seats

「私は男性に紳士さを求めるのは古い」って聞くのが大嫌い。今だってあると思うし、魅力的だと思うわ。とくに若い世代には。
何にもまして、このことには自信があるの。ニューヨークの地下鉄では何人もの素敵な紳士(女性も含めて)が高齢者に席を譲ったり、他人のためにドアを開けたり、重いスーツケースを運ぶのを手伝っているのを見かけたことがあるし、私自身もそのような体験があるの。そのような人に私は敬意を払うし、感謝もしてる。
なかには男性がドアを開けるのを嫌う女性もいる。彼女たちは自分でドアも開けられないのかと解釈して、自立心に欠けていると思われたくないんだと思う。
私はそうは思わないわ。私は男の人が重いショッピングバッグを代わりに持ってくれたり、行列で先に行かせてくれたり、ドアを開けてくれたり、荷物を運んでくれたり、そういう心遣いが好きなの。
もちろん、そんなの自分自身でできることなんて分かってる。何度となくそうしたことだってある。だけど誰かが手を貸してくれたときに、私の人生はほんのちょっぴり楽なものになるのよ、本当に。助けてもらって生きてるんだなって、感じるの。とくに都会では多くの人たちが大半の時間をヘッドフォンをして過ごして、周りの人たちに気を払わない、だからこそ他人が自分に気付いてくれているということが嬉しいの。
紳士的な男の人たちが発する「あなたを見ているよ」「あなたが気になる」そういった無言のメッセージに触れて、生きていることを実感することだってあるの。
こんなこともあった。席を譲ったばかりの男性がコチラへ向かって歩いてきたの。彼はとても力強く、いきいきしていて、信頼できそうな男だった。まさしく男の中の男って感じたわ。


8 真夜中にいきなりセックスを始める
-Initiate Middle-of-the-Night Sex

あなたが“アレ”の正しい(ゆ〜っくりと、柔らかに、そしてジェントルに)やり方を知っていれば、それが世界でもっともセクシーなことの一つだということは間違いないと思う。無意識と、意識が芽生える、その中間で“触られている”感覚が好きなのよ。溶け出していくかのような暗がり、眠りに落ちそうな愛撫、夢の延長線上のような状態で、いつあなたが止め、いつ私が始めるのか分からないような状態がたまらないの。
ゆっくりとした時の流れの中で、私がなにもしなくても良いように気を遣いながら私の身体の位置を動かしてくれるのが好き。シチュエーションをガイドしてくれて、優しく、だけどしっかりとコントロールしながら。私はなにも考えずにただ横になって、楽しむだけでいいの。
うん。お願い。何度も何度も。そして日曜日は3回ね。

7 困ったときに助けてくれる
-Deal With Sh*t

私はいくつかの才能があるの。5ヶ国語を話せること。良き書き手であること。繊細に他人に共感を寄せられること。トリビアル・パスート(註2)だって抜群にうまい。タンゴだってプロと遜色がないくらいに踊れるわ。

(註2)Trivial pursuit(トリビアル・パスート)はボードゲームの一種。プレイヤーの一般的知識や文化についてのクイズに答える能力によって勝敗が決まるボードゲームである。(Wikipediaより)

だけどもっと実務的なこと、常識とかそういうことに疎いの。電球だって辛うじて換えられるくらいだし、言うまでもなく家電の修理なんてお手上げよ。

だけど私の男のルームメイトならできるの。白状するわ、それがセクシーなのよ。ある日、家に帰ると何ヶ月も(本当に何ヶ月もの間なの!)切れていた電球が取り換えられてたの。どうやったのか彼に尋ねると、返ってきたのは「ワ~、ワ~、ワ〜」というチャーリー・ブラウンのお母さんのようなことだけ。別に気にしなかった。私が気にしたのは、リビングにあるモノ見えるってことだけ。

「やるからさ、信じてよ」っていうのは決まり文句っていうのは分かるわ。だけど、なんでかは分からないけど男性がまったく特異なものっていうことにも深い満足感を覚えてしまうの。彼らが得意でないことを私が事も無げに成し遂げるのも好きだけど、彼らが何の努力もなしにラクラクとこなせることを、私は理解することさえできないこともまた好きなの。私を褒めてくれることを褒めてあげる。困ったときに助けてくれるから、私はリラックスしていられる。

とってもカッコイイわ。

6 私が取り乱していても、冷静沈着
-Be Super Solid While I’m Freaking Out

私がなにかにひどく取り乱しているときに、(それが正当かはひとまず置いて)私はすぐには冷静にはなれない。指図も受けたくないし、アドバイスもいらない、そして「落ち着け」だなんて絶対に誰にも言われたくない。
ただ側にいてほしいだけなの。
そうよ、私は暴走機関車に乗ってる。誰にも停止してほしくないし(どっちみちそんなことできっこないけど)、私がそれに乗っている間、ただ横に一緒に居てほしいだけなの。孤独でないことだけ分かればそれでいいのよ。
だから、静かに話を聞いてくれて、それほど深刻に考えすぎずに、冷静にいてくれるのが信じられないくらいカッコイイの。彼のその堅実さがカッコよくて、彼の存在がカッコよくて、彼の自然な立ち振舞がカッコイイの。私が取り乱しているいるのを見て、一緒に不安を覚えるんじゃなくて、私のそんな様子をみて楽しんじゃうくらいの人はとってもとってもカッコイイ。
いずれにせよこの手の男は例外だと思う。
だけどカッコイイの。

5 子供と遊ぶ
-Play With Kids


純粋に子供と楽しみながら遊んでいる男性は魅力的に映るの。ただたんに女性の印象を良くしようとして偽ってるのは最低よ―もちろんそれが明らかになってときには印象は地に落ちるわ(男性のみなさん。覚えていて、私たちは生物学的に偽っていればすぐに分かるのよ)じっさいに子供を心の底から愛している男性というのはカッコイイの。そういう男性を見分けるのはきっと原始的かつ基本的で、動物的な勘かもしれないけど、そんなのいいわ。「あら、まあ。見てみなさいよ、子供とあんなに楽しそうにしてる」みたいな甘い瞬間なんかじゃなくて、理屈を抜きにして、惹かれるの。(文字通り、鼓動が早くなるのを感じるの)あなたと一緒に子供を作りたいというよりも、子供たちをあなたと一緒にいさせたいと思うの。

(な〜んてね、冗談よ)

4 感情の起伏を受け止めてくれる
-Accept Emotions

この前、男友達に「向かってる」って電話してたとき、私のテンションがあまり高くなかったの。少し悲しくて、苛立ってた。それで言ったの「初めから断っておくね。今日はあんまり楽しめないかも。だけど、テンションあがるように頑張るから」 
そしたら、彼はなんて言ったと思う? 
「そうなれば最高だね。そうじゃなくても最高だよ。何で落ち込んでるのか分からないけど、とりあえず、おいでよ」 
受け入れられている感じがして、泣き始めちゃったわ。大丈夫だって分かってたし、もし大丈夫じゃなくてもそれで私が責められたりすることもないって分かってた。私は真実を話すことができたし、そこに彼はいてくれた。 
私を面倒だなんて微塵も思ってなかったの。 

男性が女性のもしくは自身の起伏に反抗するのをみると、私は不快になるし落ち込みさえするわ。胃袋がムカムカして、耐えられなくなるの。私の経験からして、多くの男性(多くの人、だけどとりわけ男の人)は恐怖、怒り、悲しみといった感情の揺らぎを前にすると脅威を感じてるみたいなの。直ちにそうした不安をなだめ、取り除こうとする。彼らからすれば、女性がアンハッピーだというのが耐えられないんだと思うの。彼らにも責任が及ぶのではないかと危惧しているのよ。 

一方、あらゆる面から私を受け止めてくれる人もいる、何も楽なものだけでなくてね。彼は感情との過ごし方を学んでいるの―ただ共にするということ。それを払いのけたり、何かに変える必要性がないことも知ってるの。彼はただ受け止め、純粋に知りたがるの。

彼と一緒にいるとき、私は深い安寧を覚えるの。私のすべてをさらけ出しても、彼がすべてを受け入れてくれることが分かるの。彼が私をどう思うかなんて気にせず、私自身でいれるの。
彼が私を知ろうとすればするほど、私も彼を知りたくなるの。

聖書にもそう書いてあったわ。

3 友達を大切にする
-Care About His Friends

前の彼氏とは徐々に恋に落ちていったの。はじめはある夜のことだった。彼がおじいさんを失くしたばかりの親友に電話をかけている間、私は彼のトラックの荷台に腰掛けてた。彼は熱心に耳を傾け、ときおり相槌を打ちながら、他の家族のことも気にかけながら、彼もおじいさんに世話になったことを伝え、すぐに電話を切ったの。
ほんのわずかの間だったけど、本当に心のこもった会話だったの。彼が心から友人を気にかけていることが手に取るように分かったの。だけどそれは私が自分の女友達に対する気持ちとは全く違うものだったの―自分が少し恥ずかしく思えた。
電話のあと、私がすごく甘えたから彼はひどく驚いたと思う。一瞬の間に、いや一瞬もなかったかもしれない、私はトラックの後ろで彼に襲いかかったわ。


2 信条を隠さない
-Show His Backbone

もしあなたが男なら、私に弱さを隠さないでほしいの。姪へのプレゼントのぬいぐるみをパンダにするか、クジラにするか、とっても悩んでいる男性が可愛くて仕方ない。過去の辛い思い出を話してくれること、今日のプレゼンテーションがうまく行かなかったこと、私にくれたネックレスをどれだけ私に気に入ってもらいたいかを白状してくれることを、正直に語ってくれるのは楽しみでもあるの。

私はそういう瞬間を大切にするわ。

それから、頑固な男も嫌いじゃないわ。筋の通らない敵意は好きじゃないけど、彼自身の明確な境界を持ってスイッチの切替が出来る人は嫌いじゃないの。自分の代わりに週末に働ける人を見つけてほしいと上司に堂々と言える人はカッコイイわ。チーム内にいる怠け者を断固として許さない態度や、静かな口ぶりで断固として弟に車を貸すことを拒む男も。(前回貸したときに、飲酒運転をしでかしたから)私に対してさえそうあってほしいの。彼の中で、「NO!」という反抗の炎が灯るのを見るのが好きなの。

じっさいのところ、彼の「NO!」は私の「YES!」なのよ。

Yes、Yes、Yessss。

1 話を聞いてくれる
-Listen

カッコイイ男性はいつだって私に耳を傾けてくれる―私の全てに。彼のすべてと一緒に。

まったく聞いてくれない男性もいる。彼らはほんとにそうなの。自分のことばっかり延々と話してるの、なんども流れてうんざりするCMみたいにね。私がうんざりしているのに気づくと、何があったんだろうってソワソワし始めるの。こういう奴らが「ウザイ奴ら」の典型よね。

ほかの男はというと、のめり込むかのように私の話に耳を寄せるの。私の話を聞くことに集中するあまり、自分自身を見失ってるの。どういうことかというと、いかに自分が話を聞いているかを分かってほしいだけなのよ。まあこういう連中は、典型的な「良い奴ら」と言えるかもね。

いずれにせよ、どちらもイケてないわよね。

こういう男もいるの。彼自身のコアをしっかり維持しながらも、私のためのスペースも空けてくれている。

この手の男は一緒にいてくれるだけで、素の私を引き出してくれるの。彼は次に何を言うべきか、私が彼を好きかどうか、どうやって私を泣き止ませるか、次に何をすればいいかなんて考えてないの。彼はただ私を見つめ、話に耳を傾け、私のペースに合わせてくれる。彼は時を無理やりコントロールしようとせず、流れに反抗しないの。こうやってシチュエーションをリードしてくれて、私は何も心配しなくてもいい。すごく心地がいいのよ。

こういう男は私が何を言っているのか、何を言っていないのかをしっかり聞いてる。ようするに頭だけでなく、心でも聴いてくれているの。心で、感情で、好奇心で、魂を寄せて聞いてくれるの。タイミングよく質問もしてくれる。だって彼は単純により深く私を理解しようとしてるから。どこかへ連れ出そうだなんて考えずにね。彼は全身全霊で、私のすべてに耳を傾けてくれるの。

彼と一緒にいるとき、私はすごくリラックスできるの。もっと余裕を持って、流れに身を任せられるの。自己を意識することなく、自分を自然に表現できる。
敏感にならずに、感情的でいられる。完璧でなくとも、美しくいられる。守られてるって感じれる、見守られてるって、輝いてるのが分かる。
言い換えるなら、自分が女なんだって分かるの。男の人と一緒にいる。
それってすっごくセクシーだと思うのよ。

著者(Author):Melanie Curtin
スタンフォード大コミュニケーション学(学士・修士)


※大筋の本意が伝わればと思い、爆速でザックリとに訳しているので、多分に意訳を含んでいます。誤訳や内容での指摘があればコメントお願いします。なお註釈は、僕が個人的に加えたものであり、Lifehackの原文にはありません。

2013年3月6日水曜日

読書『これからの広告人へ』笠松良彦著


イグナイト代表笠松さんの『これからの広告人へ』を読みました。
タイトルからも推測できるように、広告業界に興味を持っている就活生や代理店でインターンをしてみたい学生にとっては現代の広告業界を知るための教科書にもなるし、代理店で働いている人にとってもこれからの仕事の指針というか舵取りのための航海図になるようなエッセンスがふんだんに含まれていると思いました。

広告関連の本を読むと(とくに初歩的な)、必ずといっていいほどジェームズ・ヤングの『アイデアのつくり方』への言及があります。
アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」というかの有名な思想がまずベースにある。
考具』でも幾度となく終始、繰り返しこの認識の大切さが強調されてます。

世界最古のマーケティング・プランナーとしてマルティン・ルターを挙げられていました。とってもおもしろいし、たしかにと唸りました。
大学での自身での講義は、オウンドメディアもしくは戦略PR。宣伝ビラパンフレットは今でいう雑誌とチラシなどのペイドメディア。演劇は、イベントタイアップであり、賛美歌はオリジナルのCMソングだ。
じつはベネディクト・アンダーソンも『想像の共同体』のなかで、ルターを出版資本主義の誕生以後、はじめてベストセラー作家となった人物として挙げているんです。

ルターの宗教革命は、現代に生きる私たちにも多大なる影響を与えているんですね。
連綿たる歴史の連続性を感じずにはいられません。

新書で手軽に手にとれるし、内容も平易かつページ数も薄いので2時間くらいで読了できます。
電通や博報堂など、代理店でのインターンを考えている人にはぜひ一読をオススメしたいです。
併せて佐藤尚之著『明日のコミュニケーション 「関与する生活者」に愛される方法』、須田和博著『使ってもらえる広告』も新書で読みやすく内容も刺激的です。

2012年11月11日日曜日

理想の父親像とは


これまで長い間、飲食店で働くなかで多くの家族連れのお客さまを接客してきました。
どのファミリーにもそれぞれの空気であったり、コミュニケーションのかたちがあったり、それはそれは十人十色で本当に興味深い。
今日も何組かの家族が訪れた中でフト思ったので、書き残しておこうかと。
(バイトをしていると普段考えないようなこと。お客さんとコミュニケーションをする中で、お客さん同士のコミュニケーションを遠目に眺めている中で、学ぶ機会が本当に多いです)

法則とまではいかないまでも、お父さんが寡黙で、厳格な場合、往々にして家族全体に重い空気が充満していて、家族内での会話が少ない。
反対にお父さんがおしゃべりで多弁な場合、家族もたのしそうにひたすら会話に夢中になる。
やはりどの家庭も中心は基本的に大黒柱であるお父さんがいて、それを取り囲むかのようにお母さんや子どもたちはそれに準じた行動をとる。
場をつくる空気の換気扇を回しているのはお父さん。

今日、強く思ったのは「少年の心」を持ったお父さん、そりゃもう無邪気にぼくら店員の一挙一動に喜んでリアクションをとるようなお父さん。
その子どもは概して、大らかで明るい性格をしている。
子どもとお父さんというよりも、友達同士といったほうが適切といえるほどに。
その中に「尊敬」が欠落しているわけでは決していなくて、お父さんが上から子どもに抑圧的になるのではなく、対等に、でも鷹揚な態度で接する。

歳をとるごとに、家族をはじめ、複数人からなる集団のコミュニケーション力学に興味を抱くようになりました。

お父さんを歌った唄として、とっさにYellowcardの"Life of a Salesman"とSimple Planの"Perfect"が心に浮かびました。





関連して、というか関係ないですが、バルセロナ・カンテラで活躍する久保建英のお父さんが書いた育児法に関する本を読もうと思います。すんごくおもしろそう。

2012年4月11日水曜日

読書『「自分ごと」だと人は動く』博報堂DYグループ エンゲージメント研究会著


iPhoneアプリで読みました。
出版されたのは一応、3年前だそうですがそれでもまだまだ説得力というか、共感できる箇所が多々ありました。
執筆も博報堂のエンゲージメント研究会というところなので、どちらかというと個々のコミュニケーション施策を検討というよりは、もう一個上の次元、マクロな視点で社会変化を観察したという印象。

備忘録をいくつか。

  • これまでは結果として、マスメディアが生活時間を規制してしまっていましたが、その制限をストック可能な仕組みが解放することになりました。
これはYouTube、ニコ動、とかHuluとかそれこそNetflixとかの話ですね。

  • 【ピンボールモデル】
前提:生活者が情報を扱うようになった。
ピンボールゲーム:ところどころにある柱にぶつかると、光ったり音がでたりしながら得点が増えていくゲーム。
⇒各所を回りながら情報としての価値が高まっていく。情報はピンボール台に乗っかっていて、何かと衝突すればするほど輝きを増していきます。
(マス→ブログ→個人)あらゆる可能性がありますね。

  • 1980年『第三の波』by アルビン・トフラー
    生活者と消費者が融合する「プロシューマー」の存在を予想。
  • 生活者との関係は、toからwithへ
  • 企業と生活者との間で交わされる”情報ラリー”が密になるにつれ、「企業の約束」と「生活者のアタマの中にあるもの」とはいつしか一体になっていきます。
  • 【人はタグの集合】
    断片化したプロフィール欄
    一貫性を欠く ex. 自演乙
    レッテルからタグへ
  • 【キャンペーンよりもコミュニティづくり】
    有効なエンゲージメント・テーマは24時間、365日、機能し続けます。共有を始めるためのタグを探しを含めて、架け橋になるテーマを設定することは何にも増して効率的なコミュニケーション投資である、ともいえるのです。




大学生ブログ選手権

2012年3月29日木曜日

言葉を交わすことについて


「気持ち」を伝えることは本当に難しい。
とっても。
手段はいろいろあるけど、とりあえず僕達は「言葉」を交わすことで思いを運び届けようとする。

心なのか、頭の中なのか、まずそこに伝えたい「何か」が漠然と、時には明確にある。
それを対面する相手にどう伝えるか逡巡する。
言葉の海に飛び込み、目を凝らしながら瞬間的に言葉を選び出し、その「何か」に言葉を与え、コミュニケーションを図る。

でも言葉は極めて不完全な代物と言わざるを得ない。
ひとつの言葉に対して各々の人間が持つイメージは決して均質ではないから。
そこに大なり小なりのイメージへの溝が生じてしまうことは必然だし、誰にもその振れ幅は推し量れない。

そもそも、伝えたい「何か」を最適に表現するために十分な言葉を有していないかもしれない。


言語学の分野でソシュールが提示した概念で「シニフィアン」と「シニフィエ」という概念があります。
たとえばリンゴを例にとると。
リンゴそのものは「シニフィアン」で、リンゴに与えられた名前が「シニフィエ」です。
シニフィエによって「実」「皮」「ヘタ」「芯」「種」などひとつの概念を細分化できるようになります。
これは人間が世界を切り取り、頭の中で操作する手法を手に入れたことで、世界を操作する力を得たことを意味します。(参考:「『思考のボトルネックを解除しよう!』」

「どこまでいっても分かり合えないかもしれない」そう思うと一瞬、絶望的な気持ちに駆られます。
でも街に出かけ、あちこちで言葉を交わす人々の営みを眺めていると人類の叡智の集積を感じるし、一言に感動し、胸が揺れ動く瞬間って絶対ある。
言葉で傷つけられて、言葉で救われる。
棺桶に入るまで、僕は不完全な言葉と向き合っていかなくてはならないし、言葉の海で泳ぎ続けていかなくてはならない。



大学生ブログ選手権

2011年12月5日月曜日

【アプリ2】Path

You and I Both/ Jason Mraz


もう少し積極的にアプリとか紹介していこうと思います。
前回は「【アプリ】my365」を紹介しました。
今日はFacebookよりももう少しクローズドなSNS、「Path」。
最近、UIが一新されたということで僕も試してみました。


Facebookのフレンドが100にも1000にも肥大化して、管理がしにくくなった人もいることと思います。(ぼくもいま約1000人くらいいます)
公開したい情報はフレンドの中でも違うと思います、一応公開範囲などはフレキシブルに選べますが、たしかに数が増えれば煩雑になってきます。
Pathではフレンドが50人までと限定されているので、本当に親しい(close)な友人だけとコミュニケーションをとれるということです。
ちょっとmixiの方針に似てます。

やれることもいたってシンプル。
自分のホームをPath(小道)と見立てて、そこに友達が訪れる。
ようは写真、位置情報、コメントなど旧来のSNSとは変わりないです。

本当に仲のいい友達だけで内輪でコミュニケーションをとってほしいということです。
ただ日本で流行るかは微妙ですね、それにGoogle+のサークル機能もあるので。

ただ本当にUIがカワイイのでみなさんもぜひ一度DLしてみては。
大学生ブログ選手権

2011年11月10日木曜日

読書『明日へのコミュニケーション―「関与する生活者」に愛される方法』佐藤尚之著

Champagne Supernova/ Oasis



先日、青山ブックセンターで購入したさとなおさん@の本を読みました。
かなり話題になっているようで、店頭の書籍売上ランキングでも上位に位置していました。

中身は隆盛を続けるソーシャルメディア、それに伴い変容する広告形態のダイナミックな変化、またそれへの適切な対処方法。
構え方を抜本的に変える必要性への提言。
概念的な話が中心になっていきますが、折に触れて事例も混ぜて説明なさってくれます。


本著で中心となる概念はソーシャルメディア時代における広告のあり方をさとなおさんが定式化した「SIPS」という方程式です。
Sとは"共感する"、Iとは"確認する"、Pとは"参加する"、Sとは"共有する&拡散する"をそれぞれ意味します。
ソーシャルメディア自体が複層的な代物であるので単純化しすぎることは誤謬を招くとさとなおさん自身認めていますが、概念として基本的なフローを抑えておくことは重要です。

SIPSを根気強く繰り返す中で、カスタマーをエバンジェリスト又はロイヤルカスタマーに育て上げ、顧客とのロング・エンゲージメントを築くことを最終到達点に据えます。

SIPSの全段階において、キーとして常に意識しなくてはならないのは「共感」です。
マスメディアがメイン広告形態だった時代とは対照的に、現在では広告の先にいるのがただの受信者ではなく、アクティブに関与する人々である、つまり小手先の口車では身も蓋もない結果を生みます。
そこで、さとなおさんはこのように言っています
ソーシャルメディアは「人」と「人」のつながりでできているから、そこで生活者とコミュニケーションをとりたいなら、企業といえども、ひとりの「人」としてそのつながりに入っていかないといけない。
たとえば、企業が開設するツイッターアカウント一つをとっても、マシーンがツイートして、リプライして、ってことは不可能なんですね。無理やりBOT化をすれば話は別ですが。
ソーシャルメディア時代には「とても真っ当な恋愛関係」になることが必要である。いままでのが、「一晩限りのナンパ」だったとすると、これからは「結婚を前提にした長い付き合い」といってもいいのかもしれない。真面目で真摯なおつきあいである。 
つまり単発で何か話題性のあることをぶちあげて、一時的なバズりが発生したとしても、それはロング・エンゲージメントには必ずしも繋がらない。
ポイントは極上のコンテンツを練り上げ、感動するコンテクストを構築することであると、さとなおさんは力説します。


終章で示唆深い言葉をわたしたちに投げかけます。
「白鳥蘆花に入らず」
真っ白な鳥が、真っ白な蘆原の中に舞い込む。すると、その姿は見えなくなる。しかし、その羽風のために、今まで眠っていた蘆原が一面にそよぎだす。
この言葉こそがいまのメディア、広告、ソーシャルメディアを描写しているのではないかとさとなおさんは言います。
一見、わかりにくい、でも確かに目を凝らしてみると一滴の水が大海を揺らすように波及していく。
一筋の情報の一端が、うねりを起こして世界中を駆け巡っていく。
企業がそんな潮の目を作ろうと画策するとき、自分本意な大儀な「うざい」広告ではなく、消費者の側に即した「愛のある」広告こそが効果を生み出していくのだと思います。
大学生ブログ選手権