Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer
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2013年8月6日火曜日

Dropbox・CEOドリュー・ヒューストンについて


Dropboxといえば、日頃からお世話になってるサービスですが、その創立者でCEOのドリュー・ヒューストンがイケメンなんですね。
プログラミングは一部のエンジニアのみならず、学校の教育の一部として皆に開かれるべきだとした啓発ビデオがあります。
かなり豪華な布陣でビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグなど知らない人はいないレベルのエンジニアたちが登場します。その中の一人としてドリューも出てきます。(以下のビデオ参照)
このビデオを見る度、「ああ、やっぱりプログラミングやろうかな」って気になります。


うっくんの大阪弁Ver.はコチラ

そもそもDropboxってなにとか、どういう理念というか、アチーブメントを企図しているのかについては、ドリュー自身がキーノートしてます。
かなり明瞭で質の高いプレゼンなので、僕自身のプレゼンの参考にもさせていただきました。
良質なプレゼンは基本的にスライドが美しくかつ簡素。


そして、今年のMITの卒業スピーチは、MITの卒業生でもあるドリューがやってました。
コメンスメント(卒業スピーチ)の金字塔といえば、スタンフォードでのジョブズのものですが、このスピーチも素晴らしくインスパイアリングなものなので、お時間あれば是非。



日本語に訳された動画がないようなので、ごくごく簡単にエッセンスだけ抽出すると、

①テニスボール
どういうことか。
犬とよく芝生でテニスボールで遊びますよね。
ボールを遠くへ投げると、途端に、犬は脇目も振らず一直線にボールへと駆け出していく。
しばしば何か強迫観念に捕われたのかのごとく、狂気に近い形相で。
ここから引き出せる教訓として、ドリューがいうのは、我も忘れるくらいに熱中できるもの(something you get obsessed)を見つけろということです。
これは先述のジョブズのスピーチでも"You've got to find what you love" (好きなものを見つけなければならない)として強調されています。

②サークル
これは分かりやすい話です。
ようは環境が大事だと。だれと時間を過ごすのか。
もちろん優秀なやつらとつるんでれば、気付かぬうちにインスパイアリングされて、引っ張られていくということ。

③30,000
最後に3万という突飛な数字。これは何でしょうか。
これは人生を日数に直した時の、数だそうで、これを知った時、ドリューはすぐに電卓を取り出し、これまでの分を計算したそうです。
「やべー、もう9,000日も過ぎちゃってんじゃん」と。
でも彼は思ったそうです。「完璧じゃなくていいから、楽しいもの(interesting)にしようと」
ぜんぜん関係ないかもですが、FBフェードで知人が流してた面白いポストがありました。コピペします。
世界中の人から1円ずつもらうと70億円になるというのはよく聞くけど、世界中の人から1秒ずつもらうと221年になるというのはあまり知られていない。

2013年3月29日金曜日

「炎上」をデザインすることについて


という、旨のツイートをしたらイケダハヤトさん(@IHayato)さんから、予想通りというか、以下のリプがきました。



重要だと思うのは、次の考え方だと思います。


これはもう枚挙に暇がない。「スティーブ・ジョブズ」なんかは、その好例。




このへんの詳しい話はイケダハヤトさん自身も「アンチのみなさん、今日もせっせとありがとうございます」というエントリーで詳しく書いていました。
そして、そのエッセンスが「ぼくを「凡人」から「変人」に進化させてくれた5冊の本」という昨日、更新のエントリーにも窺い知ることができます。

一連のやりとりで、思ったこと。
「炎上」は「バズ(buzz)」を引き起こし、「うねり」に変わり、浸透・膾炙していく。
イケダハヤトさんが「せっせとありがとうございます」というように、当人は噛み付いているつもりでも、それは「リーチヴォリューム」を拡大(amplify)するのに貢献しているということで。

「バズ・マーケティング」や「炎上マーケティング」という言葉もあるように、戦略のうちにからめとられていて、結局は誰かの晩ゴハン代に寄与しているわけで。

冒頭で「全てはステマでできた大いなるストーリー」ではないかという空想をしてしまった、と書いたのですが、これはわりと真剣に考えていて

先月くらいに話題になった「峯岸みなみの坊主騒動」も実は代理店が影で暗躍しているのではないかとか、秋元康はフェイクで、実は別の黒子が「炎上アーキテクト(建築士)」としてバズをデザインしているのではないかとか、妄想してしまうんですよね。


ペニオクとなると、また話は別ですが、
何らかのルサンチマンによるdisから生じる炎上も、確信犯的に引き起こされるバズも、ソーシャルで話題になった時点で勝ちなわけで。
ソーシャル時代の売名行為とでもいうべき、マーケティング自体の地殻変動、空想を巡らせながら眺めているとほんとうに興味深い。

2012年10月27日土曜日

就職、進学、そして生きていく事


このまえ機会があり、ゼミの後輩へのメッセージを書いたのでここにもログとして残しておこうかと思います。体的には就活のアドバイスなのですが、僕はほとんど就活という就活もしていないので、ぼくなりに自由に書いたつもりです。そしてそれがコンプライアンスに関わることもないと思うので。

【Ⅰ.】
僕の場合、就活という就活はほとんどしていないので、僕なりに自由に書かせてもらおうと思います。そしてそれが、将来の考え方や就活それ自体の一助になって、なにか一つでも伝わるものがあればいいなと思って筆を執ります。
そもそも自分の中で「就活をするために生まれてきたわけではない」あくまでそれは数多くある選択肢・オプションの一つでしかなく、人生のルールではないと信じていたのが根底にあります。「周りがそうするから、とりあえず自分も」という同調圧力に自分の意思が簡単に屈して、一度の人生を流されるのもなんだか腑に落ちないという皮肉な反抗心みたいなのがありました。


常識にとらわれるな、そんなもの他人の考えにすぎない。そんな考えに惑わされて、自分自身の心の声を聞き逃してはいけない。(Don’t be trapped by dogma – which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice)」ってジョブズも言ってます

それでも完全に就活していないといえば語弊があります。最初からそういった反抗心だけで就職を選択肢から除外すること以上に視野狭窄なことはないと思ったので、広告代理店でインターンをすることにしました。その流れで同社の選考を受けたり、Googleも受けて最終面接の前まで行ったりもしていました。結局、どちらも結果は駄目でしたが、その理由は明白です。単純に「自分が何をしたいのか」を突き詰めることができていなかったし、そこでなければならない必然性を説明することができなかったからです。それに気付けただけでも、自分にとっては意義深かったです。

その当時、付き合っていた彼女は他のことが目に入らないほど、それに向けて一直線に全力疾走していました。目を輝かせながら、夢を実現した自分の姿を語っていました。僕にはその時、特定の会社やこれしかないと断言できる情熱が欠けていました。


マタイ福音書にこうあるように
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。(Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you)

「初志貫徹」入学当初から考えていた進学をやはり目指そうと改めて決意したのです。

【Ⅱ.】
どれだけの日本の学生が胸を張って大学の四年間で勉学に励み、専門を身につけたと言えるでしょうか。僕は大学二年次にアメリカへ留学しましたが、そこで大いに刺激を受けました。朝から晩まで図書館に缶詰で勉強する友達会社を三つも経営している友達など、いまこの瞬間に全力投球している人々に感銘を受けたのです。


だから大学院に進学し、二年間思いっきり勉強にどっぷり浸かり、それから「本当に自分が何をしたいのか」を見極めても遅くはないと思ったのです。ユダヤの教えにこんなものがあります。「すべて金で買うことができるが、知性だけは買うことができない」自分の奥深くで感じた「もっと学びたい、知りたい」という欲求を死蔵するよりも、リスクを背負ってでもこの気持ちに正直でありたいと思ったのです。今日やるべきことを明日に後回ししたら、明日やるべきことはいつまでたってもできない、だってそうでしょう。

自分の直感にしたがった決断は決して僕を裏切ることはない、そう信じています。アメリカにいた時、友達がこう言っていたのを思い起こします。「拒絶するってことは神様が君を守る時のやり方なんだ。(Rejection is God’s form of protection)」「浪費するだけの人生なんて、一番悲しい自殺みたいなもんさ。(A wasted life is the saddest form of suicide)」大好きな漫画『バガボンド』を何気なく読んでいた時、沢庵というお坊さんが言うセリフが不意に肺腑を衝きました。「そろそろおのれを眺めてみたらどうだ」

【Ⅲ.】
何かに迷った時、先人たちの経験・言葉が助けになることがあります。そこで僕がこれまでに読んだ本の中でとくに感慨深かったもの、ヒントになりそうなものをいくつか。古典が多いのは古典には「古典」になりえる所以があるからです。
  • マルクス『資本論』
  • セネカ『人生の短さについて』
  • デール・カーネギー『道は開ける』『人を動かす』『話し方入門』etc
  • 吉野源三郎『君たちはどう生きるのか』


【Ⅳ.】
就職か進学か。そんなはずありません。多くの選択肢が眼前には広がっています。それを見てみないフリするんじゃなくてあがいてみる。ジョン・キムさんが「他人の道を行けば楽だが従属することになる。自分の道を行けば苦しいが独立することになる」と、そしてエジソンが「もうこれ以上できない。そこでやめるか、[いよいよ、これからだ]と立ち上がるか、このわずかな[一念]の差が、人生のおおきな分かれ目になる」と言っているように、人生はリハーサルではなく本番一発勝負です。20歳そこそこ、すでに(人生80年として)4分の1が過ぎてしまっている。誰かが「どんなにつらいことがあっても80歳になった自分への思い出のプレゼントだと思えば楽しくなる」って言ってたことを僕は時々思い出します。

あ、あとツイッターで超面白くて個人的に速攻ふぁぼったツイートも。

「 人生は神ゲー!セーブできないシビアなシステム、本気で頑張ると倒せる絶妙にバランス調整された敵、全てのキャラが深い人間性と歴史をもって登場、グラフィックが綺麗、BGMが無限、複雑で洗練されたシナリオ、自分を愛してくれるキャラがいる、無料」
就職をするっていうことを僕はけっこう重く捉えています。もちろん転職もあるでしょうが。アルバイトをしていると、よく年配のサラリーマンのお客さんが来店します。「新卒のときは、数年勤めてから起業するつもりだった。すぐにやめてやるつもりだったんだよ。でも気づいたら早いもので、もう定年まであとわずか」この類の話は何度聞いたかわかりません。入社し、数年がすぎると昇進などもあり、部下の面倒や責任を伴っていき、激務に忙殺され当初の志は影を潜めていくのだと想像します。人間は惰性に弱い生き物だから。 




っていうわけで幾つか、まだ就職する前にできることの例をいくつか挙げてみると...

<進学のための奨学金>
その他にも探せば探すだけあります。お金で進学・留学を諦めることは決してないと思います。

<海外で働く>
それ以外にもNGO・NPO、各種インターンで多く機会は開かれていると思います

<その他>
考えれば考えるだけ、やることなんてある気がします。上記は僕目線でざっくばらんに適当に選んだ一例にすぎません。

【Ⅴ.】
はじめからおわりまで、多くの人の言葉を引用というかバラまいてしまいました。人生一度きりで、まだ僕は22歳。知らないことばかり。だから先輩たちの声はいつだって道を示してくれます。「生きるとは、一瞬ごとに、膨大な可能性が死んでいくということだ」と茂木さんか誰かが言ってましたが、それでも僕は孫さんの言葉にも強く惹かれます。


「今日は人生で最も素晴らしい日になる。毎朝その様に願うことが大切だと思う」
みんなが心からやりたいことを見つけ、その夢を実現できることを願っています。頑張ってください!
PS. 辛い時はミスチルの「終わりなき旅」を、就活の答えが知りたくなったら「Any」を聴いてね(算数のドリルの後ろについてる答案みたいに)

2012年6月9日土曜日

読書『媚びない人生』ジョン・キム著


ジョン・キム先生(@kimkeio)の新著『媚びない人生』を読みました。
発売してすぐに購入したのですが、一気に完読してしまえば良いタイプの本ではないので、一日一日ゆっくりと文章というよりも言葉を味わい咀嚼しながら読みました。
キム先生の前著『逆パノプティコン社会の到来』とは全く趣旨が違います。
人生哲学というか自己啓発ですね。

去年くらいからずっとブログ(ジョン・キムの視点)を読んでいて、キム先生の言葉には前々から温度があると感じていました。
それもかなり高温の熱を帯びた言葉。
難しい言葉は用いず、あくまでシンプルで本質を突いた言葉。
シンプルすぎてみえないものほど真理を含んでいることを教わった気がします。

ツイートもアツイです。





本の中から気になった箇所をいくつか。

従順な羊ではなく、野良猫になれ


ただ、生きているだけでは動物と何ら変わらない


普遍的な真実はない。社会的な事実があるだけ


直感とは、感情と思考の結晶


時間こそ、既得権益者や上の世代にはない、かけがえのない
財産なのである


スティーブ・ジョブズの偉大さを、ユーチューブにアップされている数十分の映像だけを見て、わかったような気になっ
てはいけない



集中力とは心身の細胞を制御すること


光をみつける。そして見失わない


もがいている自分は正しい

6月に続けて新著が出るそうですね。アクティブをいつも奨励していますが、自身がそれを実践で示していらっしゃいます。

大学生ブログ選手権

2011年11月25日金曜日

読書『アップルを創った怪物―もうひとりの創業者』スティーブ・ウォズニアック著

Shuffle/ Bombay Bicycle Club


アップルは二人の男が立ち上げ、築いた偉大な会社です。
二人の男、正確には「ふたりのスティーブ」とでも言いましょうか。
ひとりは周知のカリスマ、スティーブ・ジョブズ。
先日、自伝を読んだばかりです。そのことはブログにも書きました。

そしてもう一人、それがスティーブ・ウォズニアックです。
二人の天才が出会い、ガレージで完成させたのがアップルⅠであり、Appleです。
ただ、二人ともまったく違った人種でまったく違ったタイプの"天才"でした。

ジョブズも基礎的なプログラミング知識はありましたが、世界を変えられるほどの卓越さは持ち合わせていなかったのです。
人を惹きつけるカリスマ性、徹底的にナンバーワンを目指す情熱、未来を透視する千里眼、周知のマーケティング力・プレゼン力。
一方、ウォズニアックは対照的に、人前で話すのも苦手な極度のシャイな男でした。
温厚でいて、平和主義、上昇志向もほとんどありません。
ただ、彼は天才でした。正真正銘の天才でした。
プログラミングで世界のトップクラスの人間だったのです。

そんな二人がカリフォルニアで出会い、意気投合し、革新的なプロダクトが次々に生み出されました。
プロダクトの制作をウォズが、マーケティングをジョブズが。
二人の天才が出会ってイノベーションが生まれたのです。
対照的な二人だったからこそ、歯車が見事に合致したのかもしれません。


ただ、会社が肥大化するにつれてウォズは居場所を失っていきます。
もともと上昇志向に欠けていた彼は、ある日アップルを退社し、自らの会社CL9というユニバーサルチャンネルを設計する会社を立ち上げます。(アップルには一応、籍は置きつつ)

彼の人生哲学が伺える言葉がつぎのものです
物事をコントロールする人より、笑って過ごす人のほうが幸せだって、僕は思う。それが僕の考え方なんだ。僕は、人生で一番大切なのは幸せであり、どれだけ笑って過ごせるかだと思うんだ。頭がちょっといかれたやつのほうが幸せなんだ。僕はそうゆう人間だし、そうなりたいとずっと思ってきた

自伝では彼の性格が伝わってくるような、どことなくかわいい語り口で人生を振り返っています。
途中途中でプログラミングなどの技術面の話が多くありますが、素人でもわかるように噛み砕きながらわかりやすく彼なりの言葉で逐次説明を加えてくれます。

彼は生まれながらにしてプログラマーだったのかもしれません。
父はエンジニアだった。幼少期から様々な専門知識を噛み砕きながら、わかりやすく説明してくれた。ぼくは算数と理科が大好きになった。小学六年生の時はIQが200を越えていたよ。
父が教えてくれたことで最も重要なことは「エンジニアは世界を変えることができる」ということだ。
今も僕は、エンジニアとは世界の鍵を握る人種だと信じている。 
そして彼は世界をものの見事に変えてしまったのです。
一部の政府機関や機械オタクしか扱うことの出来なかったコンピューターを設計して、だれもが使えるパーソナルコンピューターにしました。
いまわたしたちの生活はパソコンなしに考えにくいものとなっています。
ぼくはMacユーザーですしね。



世界は白黒なんかじゃない。白と黒の間にはさまざまな濃さのグレーがあるんだ。「発明家なら、グレースケールで物事を見なきゃいけない」。すべてに対してオープンに。他人のあとをついて歩いてはいけない。
何か新しいもの、世界を変えるものを作るには、みんながとらわれている制約の外側で考えなきゃいけない。みんながそんなもんだと思っている人工的な限界の外側で考えなきゃいけない。白黒じゃなくてグレースケールで世界を見なきゃいけない。誰も考えつかなかったものを作りたいなら、そうする必要があるんだ。 
この哲学があって、アップルが生まれて、数々の名機が世に産み落とされ、ぼくはこうしてMacbook Proでブログを書いているんですね。



大学生ブログ選手権

2011年11月8日火曜日

読書『スティーブ・ジョブズII』ウォルター・アイザックソン著

Forever Young/ Bob Dylan

「革命を起こしたいと君はいう」


ジョブズがこの世を去ってから一ヶ月あまりが過ぎました。
おとといAmazonから届いた予約しておいた彼の評伝の下巻を一気に読み終えました。

上巻の時にも増して、ぼくは一心不乱にページをめくりました。
時々、立ち止まっては目を閉じて彼の言葉を何度も頭の中で反芻し、咀嚼してみながら。

スティーブ・ジョブズの物語は、そのまま、シリコンバレーの創造神話となる- ガレージで起業し、世界一の会社に育て上げたのだから。
筆者はわたしたちにこのように問いかけます。
彼の生い立ち、生き様、生き抜いた轍はシリコンバレーに刻み込まれ、これまでもこれからも若者たちを魅了してやまないでしょう。

ぼくはこの本から大きく2つのことを学びました「集中と選択」「死と向き合うことです」

まずは前者から。
「何をしないか決めるのは、何をするのか決めるのと同じくらい大事だ」
ジョブズはこう言います。
誰一人としてスーパーマンでなければ聖徳太子のように一度に複数の動作を器用にこなせないのです。
適切に選択し、注力することが肝要なのです。
また彼は終始の哲学として「シンプルさ」を追い求めました。
「シンプルなものが良いと感じるのはなぜでしょうか?我々は、物理的なモノに対し、それが自分の支配下にあると感じる必要があるからです。複雑さを整理し、秩序をもたらせば、人を尊重する製品にできます」 
筆者はこのように彼を評します。
集中力もシンプルさに対する愛も、「禅によるものだ」とジョブズは言う。禅を通じてジョブズは直感力を研ぎ澄まし、注意をそらす存在や不要なものを意識から追い出す方法を学び、ミニマリズムに基づく美的感覚を身につけたのだ。 
「より少なく、しかしより良く」を追い続けたのです。
だからこそ彼は上辺だけの飾りを嫌います。
「考えもせずにスライドプレゼンテーションをしようとするのが嫌でねぇ。プレゼンテーションをするのが問題への対処だと思ってる。次々とスライドなんか見せず、ちゃんと問題に向き合ってほしい。課題を徹底的に吟味してほしいんだ。自分の仕事をちゃんとわかっている人はパワーポイントなんかいらないよ」 
彼の経営哲学から導きだされたアップルの綱領は
詩心と工学の融合、芸術・創造性と技術の交わり、大胆でシンプルなデザイン。 
ビル・ゲイツもこのように賛辞します。
「大きな意味をもつごく少数のものに集中する力、優れたインターフェイスを作る人材を確保する力、製品を革新的にしてマーケティングする力という意味でスティーブ・ジョブズはとにかくすごい」 
書き始めるとキリがありません。多くの人々が彼に敬意を評し、畏怖をも抱いていました。
それでは「死と向き合うこと」に話を移します。

「受け継がれていくもの、輝く創造の天空」

 

死はいつでも彼の側にいました、とりわけ膵臓癌が彼を蝕み始めた時から特に強く死を意識しはじめます。
有名なスタンフォードでのスピーチにもそのことが主題としてあらわれます。
人生を左右する分かれ道を選ぶ時、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと思います。ほとんどのことが- 周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恋の恐怖など- そういうものすべてが、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。自分はいつか死ぬという意識があれば、なにかを失うと心配する落とし穴にはまらずにすむのです。人とは脆弱なものです。自分の心に従わない理由などありません。
ジョブズは毎朝、鏡に向き合い、自分自身に問いかけることを日課にしていたそうです。
「いま自分がしていることを、今日が人生最後に日だったとしてもやるだろうか」
村上春樹さんが言うように「死は生の対極にあるのではなく、生の一部としてあるのだ」まさしくジョブズは肌身をもってこれを知っていました。

ジョブズはボブ・ディランにも強い影響を受けています。
ディランの有名な言葉に次の一説があります。
「生きるのに忙しくなければ、死ぬのに忙しくなってしまう」 
メメント・モリ=死を忘れるなかれ 」を瞬間、瞬間に刻み、自身に問いながら邁進し、決断を下し、数々のプロダクトを産み落としていったのでしょう。


ジョブズはいくつも示唆的で尊い言葉を残していますが、ぼくのお気に入りは妻ローリーンとの結婚20周年のとき、彼女に手紙で綴った言葉です。
「20年前はお互い、あまりよく知らなかったよね。あのころ僕らは自分の心に導かれていた。僕は一目で君に夢中になったんだ。アワニーで結婚したとき、外は雪が降っていたね。月日が流れ、子どもたちが生まれた。いいときも厳しい時もあった。でも悪い時はなかった。僕らの愛も敬意も時の流れに耐えて成長した。ふたりでいろいろなことを経験してきたね。そしていま、僕らは、20年前にふたりで歩きはじめた場所に戻ってきた。年を取り、賢くなって、顔にも心にもたくさんのシワを刻んでね。僕らは人生の喜びも苦しみも秘め事も驚きもたくさん経験して、その上でこうしていっしょにいるんだ。僕はいまも君に夢中だ」
ジョブズはわたしたちに生きていくことのヒントをいくつも与えてくれます。
だれだって死ぬのです。ジョブズも死ぬのです。不老不死のスーパーマンはスクリーンの中だけで、だれもがいつかは死ぬのです。
生きていくことは、先の見えない暗がりをゆっくり進んでいく不安でたまらないことです。
それもみんな一緒です。本当に悩みのない人などいないのです。
もがいて、生きている意味を考えて、価値を見出して、大切な人ができて、何かをやり遂げて、逝く。
ジョブズはいくつもの過去に類をみないプロダクトをうみだしては、わたしたちの生活を向上させてきました。
彼もたくさんのことを犠牲にしたことでしょう。
それでも彼は人生に意味を見出していたし、わたしたちに、世界に、人類に、「新たな価値」を創造しました。
さて、ぼくはどうでしょうか。



参考エントリー:『スティーブ・ジョブズ I 』
大学生ブログ選手権

2011年11月3日木曜日

読書『スティーブ・ジョブズ I 』ウォルター・アイザックソン著

Imagine/ John Lennon


Amazonで予約注文していたスティーブ・ジョブズの伝記「iSteve」の上巻を読み終えました。
インタビューを毛嫌いしていたジョブズが自らウォルター・アイザックソン氏に依頼して生まれた評伝です。
ジョブズは自分の命が長くないことに気づいていました。
「宇宙に衝撃を与える」プロダクトをつくることに邁進していた彼にも、人生にひとつだけ心残りがありました。
家族と時間を多く過ごせなかったこと、子供たちに父親らしいことをしてやれなかったこと。
だから、ジョブズはせめても父親が一生を捧げて取り組んできたことを子供たちに知って欲しかった。
そうして伝記のプロジェクトがはじまったのです。


アイザックソン氏は計60回以上、ジョブズにインタビューを行ったそうです。
また伝記に登場するジョブズの一生に影響を与えた人物たちにも裏付けのため妥協なくインタビューをしています。
伝記は生の声がふんだんに盛り込まれています。

ジョブズの生誕から時間軸を上りながら伝記は進んでいきます。
読者もジョブズの波乱万丈な人生の、グラグラ揺れる船に乗船したかのような錯覚に陥ります。
特にジョブズの学生時代は数々のイタズラに彩られているといっても過言ではないでしょう。
普通の子どもなら思いつきもしないような奇想天外な発想、それを実行できるだけの子ども離れした自然科学の知識、物怖じしない性格。
そのクリエイティビティに満ちた行いに憤慨する人もいれば、惹きつけれられる人もいたのです。
これはジョブズの終生を通じて、変わらないことです。


冒頭で筆者は、ジョブズが6つの業界に革命を起こしたことを指摘します。
すなわち、パーソナルコンピュータ、アニメーション映画、音楽、電話、タブレットコンピュータ、デジタルパブリッシングです。これに小売店を加えて7つとする見方もあります。
アップルでの業績に目が行きがちですが、ピクサーで携わったアニメーション、ひいては映画業界全体の変革にも大きな寄与したことは賞賛に値する功績です。


ジョブズは養子に出され、養父・養母に育てられ成長していきます。
これはスタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチでも語られています。



血の繋がった両親に捨てられたことはジョブズに暗い影を落とした、と同時に生きていく上での強い原動力を与えました。
幼少期のそういった衝撃的な事実がかの有名な「現実歪曲フィールド」を生み出した背景にあるのかもしれません。
ジョブズは「当たり前」を当たり前として認めません、「常識」を常識として受け取りません、「現実」を現実として捉えません。
社員がジョブズに突きつけられた短すぎる製作期間に反抗しても、ジョブズは「できる」としか言わなかったそうです。
ある人はこう言っています。
「彼の周囲では現実が柔軟性を持つんだ。誰が相手でも、どんなことでも、彼は納得させてしまう。本人がいなくなるとその効果も消えるけど、でも、そんなわけで現実的なスケジュールなんて夢なのさ」
「現実歪曲フィールド」が数々の常識や固定概念を突き破っていきます。マッキントッシュは生まれ、アイポッドは生まれ、アイフォンは生まれ、アイパッドも生まれました。


しかし、当然ジョブズも全知全能の神ではありません、ひとりの子です。
彼ひとりで彼の業績の全てが成し遂げられるはずもありません。
アップルもスティーブ・ウォズニアックとの出会い、ケミストリーがなれけば陽の目をみることもなかったでしょう。
そして私たちのライフスタイルも今とはずいぶん形を異にするものとなっていたと思います。このことについては以前のエントリー「イノベーションの香り」でも少し触れました。


ジョブズが上昇志向であったのに対し、ウォズは消極的な性格でした。
ただ、彼はずば抜けた天才、最優秀の部類のエンジニアでした。
そんなウォズの技術にジョブズは圧倒されたと同時に惚れ込んだのでした。
二人は意気投合し、タッグを組みます。
デザインにも口うるさく口をはさみますが、基本的にウォズがマシーンを設計し、ジョブズが総合的なマーケティングを担当するという役割分担に基づいてアップルは進化を続けました。


多くの才能溢れる人々との出会いがジョブズに計り知れない影響を与えたことは疑いの余地のない事実ですが、なかでも「禅」との邂逅は彼に、またアップルのプロダクトの基幹となるインスピレーションを与えました。
彼がよく口にする「洗練も突き詰めれば簡素」になる、というのも禅の精神に通じる教えです。
「仏教、とくに日本の禅宗はすばらしく美的だと僕は思う。なかでも、京都にあるたくさんの庭園がすばらしい。その文化がかもし出すものに深く心を動かされる。これは禅宗から来るものだ」
何度か日本に来日したこともあります。厳格なベジタリアンとして有名な彼ですが、日本で食べる寿司ネタの穴子は特に気に入ったようで、カウントしなかったようです。

 

「我々がデザインの主眼に据えていますのは"直感的に物事がわかるようにする"です」
これがアップルのすべてなのではないでしょうか。アイパッドにしろ、アイフォンにしろ、アイパッドにしろ一目みれば、彼が何を言わんとしていたのか納得できると思います。
彼の最高のプロダクトを作る探究心は時に行き過ぎだと批判されるほと熱を帯びたものでした。多くの衝突を生み、多くの人傷つけ、犠牲にしました。冷淡と徹底的に叩かれ多くの敵を生みました。
しかし、そのような飽くなきベターを追い求める精神がなければ今日のわたしたちの生活はありません。
見えないところまで「美」を追求したジョブズの姿勢を次の言葉に垣間見ることができます。
「できるかぎり美しくあってほしい。箱の中に入っていても、だ。優れた家具職人は、誰も見ないからとキャビネットの背面を粗悪な板で作ったりしない」 
肩身の狭い、常識が凝り固まった狭い窮屈な世界に生きているわたしたちの心を揺さぶる多くの言葉が収められています。
「僕という人間は、僕がすることを映すものなんだ」 
 

「旅こそが報い」 
「海軍に入るより海賊になろう」 
散りばめられた言霊はわたしたちに問いかけ続けます。
そしていつも最後にはこの一言に行き着くのです。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」
ジョブズのプロダクトや経営に対する哲学はただ理想的であったばかりでなく、たしかな己のビジョンに基づいたものでした。
最良の製品とは「すべてがウィジェット」となっているもの、つまり、ハードウェアに合わせてソフトウェアを作り、ソフトウェアに合わせてハードウェアを作るという形ですべてができているものだ。
「ジョブズとアップルはハードウェアとソフトウェアとコンテンツを、シームレスなパッケージにしっかりと統合するタイプのデジタル戦略を代表する存在となった」とアイザックソン氏は評価しています。
上巻の最後の言葉をこのように締めくくっています。
ジョブズはすばらしい製品を作る人物としても有名だが、じつは、価値あるブランドを持つ素晴らしい会社をつくる能力も同じくらい優れている。なにせ、アップルとピクサーという、時代を代表する会社をふたつも作ったのだから。
 

読み進めていくのが名残惜しい、そんな伝記です。
ハツラツとした翻訳、明瞭でいて理路整然としている。妥協の余地がない。
訳者の井口耕二は実務本格家では日本トップだと思います。
今日か明日には届くと思われる下巻が待ち遠しいです。
ジョブズが去ったアップルですが、ぼくはずっと見守っていこうと思っています。
彼の魂はきっと宿っているはずです。ジョブズも一度、アップルを解雇されたときにこう言っています。
「アップルとの関係は初恋のようなものだ。初恋の人を忘れられないように、僕はアップルのことを忘れないだろう」


大学生ブログ選手権

2011年9月3日土曜日

博報堂のインターンに受かったお話



何気なくエントリーしていた博報堂のインターン、昨日最終選考の面接が終わり当日に結果をもらい合格しました。
なんとなしに応募していた今回のインターンですが、結果をもらって振り返ってみるとジョブズが言うような「点と点の繋がり」を感じたので、順に書類を出した時点から振り返ってみます。

注釈:おかげさまでこの記事は10万PVくらいみられているようです。今でも検索流入があるようなので、せっかくの機会ということで若干の加筆・修正したものを「note」に掲載しました。気になる方はぜひこちらから。

2011年7月29日金曜日

イノベーションの香り

何もない「無」からビッグバンみたいにポッと大爆発は起きないと思う。


世界はそうやって生まれたのかもしれないけど、ぼくらの周りで日々起こるイノベーションには辿れば道があり、轍があり、厳然たるプロセスがある。
それを辿れば往々にして、というか必然的にイノベーションの淵源にはヒトとヒトの出逢いがあると思うんです。
10のヒトと10のヒトが出会って、単純に20になるかと言えば、そんなに簡単なことでもない。
逆に馬が合わなければマイナスになってしまうかもしれないし、歯車が狂えばもともとあったバリューが失われる可能性さえある。

組み合わせや相性はとても複雑で、あるとき突然ケミストリーを起こす時がある。
そこにイノベーションの香りが立ち込めるのです。


ケミストリーを起こすような出逢いなんて人生に一度あるかないか、ない場合だってあるかもしれない。
それは自分の感じ方にもよるけど。
たとえば世界にイノベーションのビッグバンを衝撃を与えたスティーブ・ジョブズ。
個人としてこの上なく有能なのに疑いの余地はないけど、そんな天才ジョブズもひとりの男との出逢いがなければ、誰一人として彼の名を聞くことさえなかったのかもしれない。




二人のスティーブが出会うことがなかったら、Appleは誕生していなかった。

Apple-logo.png

世界を変えるイノベーションのはじまりにはいつも出逢いがある。
出会いが底知れないパワーを生み出し、説明のつかない馬力でイノベーションを突き動かしていく。
それはいつの時代も変わらないんだと思う。



だからネットワーキング作りは常に大切にしていたい。
人脈は大樹・枝・葉をイメージする。
無限に成長し続ける。


アメリカに留学していたときに至った手っ取り早い「友達の作り方」の結論
「友達を作るコツは友達を作ること」
なんか自家撞着的ですけど、要は友達の友達、またその友達とネットワークは膨張していくのです。
作れば、作るほど派生していくんですよね。

それを意識するだけでも、倍数は上がりますよね。

いま74位。

2011年7月25日月曜日

どうして政治と向き合っていくか

2010年から2011年に移ろうとしていたとき、僕はオハイオ州の小さな村にいました。
来たる新年に足を踏み入れる前に自分自身の想い・気持ちを整理したかったのです。
そこで猛烈な勢いで文字を書きなぐりました。
その時のブログがコレです。当時はまだアメブロでブログを書いていました。
6月にあったゼミのプレゼン合宿では、これを発表しました。
加筆・推敲した内容をコチラに掲載します。

【アウトライン】
Ⅰ. 序論
政治を見つめる《知の巨人たちからヒントを得ながら》

Ⅱ大学生としての自分
A. 学問の選択
1. 「脳がちぎれるまで、ケツから火が出るまで」
B. マスターサイエンスとしての政治
2. 「政治の本質は他者との活動にある」
3. 歴史の終焉

Ⅲ. 人生を歩んでいく自分
B. 政治的動物、『人間』
1. 「万人の万人に対する闘争」
2. アイデンティティ
C. 横たわる不均衡
1. 国際政治におけるゼロサムゲーム
2. コスモポリタニズム

Ⅳ. 結論
政治≒酸素

クッソ長いので、飛ばし飛ばしにでも読んでみてください。
途中、途中で言及した文献を挿入しておきます。
また、知の巨人は登場するたび、Wikipediaへのリンクを貼ってあります。活用してみてください。


【以下本文】
   2010年が終わろうとしていた夜、12月31日。僕はオハイオ州にある小さな町 にいました。明確な理由はないのですが、突然思い立って、20歳の自分が何を「射程」に捉えているのか、また、自らの内に以前からバラバラに介在していた曖昧な気持ちや考えを掴んで、クリアな形にして書き残しておこうと思い立ちました。義務感というか、この作業を経ないことには2011年に足を踏み入れることさえできないのでないかと感じるくらいの強い思いに駆られ、日記というかブログに筆を走らせたのでした。 つい先日、それをみて自分の方向性がその夜からブレてないことを再認識できた嬉しさと同時に、これをプレゼンテーションとしてシェアすることでまた新たな知見を得られ ることができたら面白くなるのではないかと思い、この発表に至っています。このプレゼンテーションでは、そのブログに基づいた内容で進めていきたいと思います。


   大枠に分けると、「大学生としての自分」と「人生を歩んでいく自分」という二種類の観点から「政治」を見つめた内容になっています。その節々で知の巨人たちからのヒントを借りています。その都度このiPadで人物画など示しながら進めていきたいと思います。(※実際のプレゼンではiPadを使用)


   大学4年間という決して短くない時間は後の人生に大きな大きな影響を与えます。ヴァラエティー豊かな学問分野から何を学ぶのか、その選択は決して蔑ろにされるべきではないと思います。自分が時間をかけて学んでいることの意義、それが将来の自分にとってどんな意味をもたらすのか。それと向き合っていく第一歩をここから踏み出したいと思います。単位を落とさない程度に勉強しておけばとりあえずは安泰、就職もどうにかなるだろう。マジョリティの学生がそう考えているだろうし、自分もそんな気はします。ただ、自分は別に就職、世間的に一流企業と呼ばれるような会社に入るために時間を削りながら勉強しているわけではありません。人間としての知的欲求を満たすにとどまらず、もっと新しいことを知りたい、それを元にもっともっと考えたい。「考えること」を考えたい。いつか死にゆくのに絶えず考え続けていくことの意味を考えたい。だから思考を止めないのです。これは、自分にとっては旅にでる時の気持ちと類似 しているような気がします。目にしたことのない景色を見てみたい、新しい人々に出会いたい。自分に内在するパースペクティブを掘り起こしたい。


   勉強をするときはいつもソフトバンク社長、孫さんの言葉をイメージしています。
「脳がちぎれるまで、ケツから火が出るまで」 
「脳がちぎれることも、ケツから火がでることもないのだから」


ここからは「政治」に話を移したいと思います。僕を含め、ここにいる多くの人 が「政治」を学んでいます。正直、高校生の時なんて自分が何を勉強したいのかなんて、皆目見当がついていませんでした。なんとなく漠然と興味のある分野を絞ってみて (例えば、英語が得意なら無作為に「国際」と名のつく学部を抽出してみたり)、受験する人が周りにも大勢いました。当時は「政治」そのものに対する知識は(未だにですが)浅薄で明確なヴィジョンなど持っていませんでした。ただ、学びを進めるうちにな んとなくその概要がみえてきたような気がするのです。それと同時にこの分野を選んでよかったという確信も膨らんできています。

宇宙は、世界は、国は、コミュニティは「政治」がなければカオスに陥ってしまいます。秩序をもたらすのが「政治」です。ルールがないと殺人や窃盗をはじめとした不正を治める手段がない、フィジカル的に強靭な者が理不尽に権威をひけらかし、「正義」が達成されることは困難となります。そうゆう意味で法を施行するためにもまずは 「政治」が必要なのです。「政治」が整備されてはじめて世界が成り立つとすれば、他のすべての学問も「政治」がまずは成り立たない事には開始されることさえないのです。アリストテレス先生が政治を「マスターサイエンス」と呼称したのも、それを意味してでしょう。政治哲学者のハンナ・アーレント先生に言わせると、「政治の本質は他者との活動」であるそうです。この言葉には大いに賛同します。





人間はひとりで生きて行くことができません。生まれてから、死ぬまでずっと他者との関わりの中で自己を規定していきます。世界で生きて行くからには、他者との関わっていかなくてはならないし、相互扶助していくことで人生を実りあるものに拵えていくのです。ところが人間は程度の差こそあれ、本能的に自己の利益を最優先にする性向があり、個人の本質はエゴイズムといっても過言ではないかもしれません。そこに 「政治」がなければアナーキーを創出してしまうのです。自分のテリトリーを守るため、生きるために略奪を繰り返すのです。例えば、家族や恋人が24時間危険に晒されていたら眠ることさえままらないでしょう。

古来から人類は真の「政治」を構築することに努めてきました。「生活の安寧」は縄文時代よりももっと前からの人類の中心命題であり続けました。試行錯誤を繰り返しながら。ちょっとづつ付け足し、付け足し、時の賢人たちが知恵を絞りながら理想の政治を形作ることに心血を注いできました。時には思想の違いや政治制度の違いが大戦を巻き起こすとこさえありました。それは現代に至った今でさえも。冷戦がその良い例です。冷戦の終結が直接、資本主義の勝利を意味するのかを判断するのはにわかに時期尚早な思いが残りますが。そして今、私たちは「民主主義」という政治制度の元、日々の暮らしを営んでいます。フランシス・フクヤマ先生は民主主義に至った現代を「歴史の終わり」と宣言しました。これ以上の社会制度の発展はないと断言しながら。これが全世界に普及すれば平和は達成されると主張しながら。自分自身はフクヤマ先生には半分賛成半分反対の心境です。民主主義自体に半信半疑で絶対の信用をおけるような完璧な代物ではないと感じるからです。一見、とても魅力的ですが、内に抱える脆弱性も反面目立つからです。ヘーゲル先生が言うように弁証法的な視点が民主主義国家の国民に共有されていないことには、マイノリティの権利が抑圧され続け、容易に衆愚政治に変換されうるきらいがあります。ポピュリズムにも弱いです。





デモクラシーを標榜する国の代表、アメリカに目を向けてみます。人々が思う以 上に社会に蔓延する経済格差が深刻化しています。それはジョン・ロールズ先生が列挙する原則が守られていないからではないでしょうか。特に彼が第二原理で述べている 「格差原理」。不平等が最も不遇な立場にいる人の利益を最大化するという原則。



ここからはもうすこし根源的な問題、人生を歩んでいくうえで向き合い続けていかなければならない様々なことがらを考察していきたいと思います。私たちは犬や猿や象と同じように動物です。だけど特別な動物です。アリストテレス先生は人間を政治的動物として、他の動物と峻別しました。「自足して共同の必要のないものは神であり、 共同できないものは野獣である」と。人間の知能の高さは他の生物と比になりません。 その高度に発達した脳をもって数々の概念や制度を生み出してきました。「政治」こそが人間を「特別」とたらしめる要因と考えてやまないです。政治を持たない他の動物達は野生、自然状態の中でサバイバルのための闘争を日々繰り広げる。そこに「安寧」は 存在しません。それを「万人の万人に対する闘争」として指摘したのがトマス・ホッブズ先生です。社会契約を通して、権力をリヴァイアサンに委譲する代わりに「安心」を得ること可能にしたのです。
(※「社会契約」や「リヴァイアサン」といった基本用語の説明・確認はここでは割愛します。Wikipedia見れば、一発なので確認してみてください。)



そして、ジョン・ロック先生はそのために政府が必要だと考えました。従来までの王権神授説を否定して、国民に社会契約の概念を説いたのです。ただ、政府の暴利の可能性を認識していたし、政教分離を進めるなど現実主義的な側面も持ちあわせていました。これが後世のモンテスキュー先生の三権分立論に受け継がれることになるのです。人間だって未だに内戦を繰り返しているじゃないかと指摘する人もいるかもしれない。グルジア、スーダン、ソマリア、枚挙にいとまがなく世界各地で。それは他ならず、「政治」の未発達、未熟さに起因しているのではないでしょうか。





サミュエル・ハンティントン先生が言うように「宗教」や「文明」の衝突に起因すると主張する学者の方々も多くいます。極度に複雑度を増した世界のどの局面を切り取るかで見え方は随分と異なるし、一概に正解を断定することはあまりにも危険です。 政治学は誤謬に満ちているからです。ただあくまでも世界の根幹をなす「政治」の乱れがある限り、「宗教」「文明」をはじめとする諸々の副次的なファクターも安定しないのは明らかです。



政治は僕らがこのゼミで学んでいるアイデンティティとも密接に関係があります。以前、「人は国籍から逃れることができるのか」について熟考していたことがありました。生まれた時点で日本人。眼に見える選択権をあたえられるわけでもなく、どうやったらこれを放棄できるのでしょうか。たとえば無人島で生まれ育ったらどうなるでしょうか。ストレンジャーが島に入ってきて、殺害したらどの法で裁かれるのでしょうか。基本的に日本人であったらその国が提供する様々なサービスや福祉を享受します。 例えば、警察機能などです。日本社会で生活を送る以上は、私は日本人ですという「暗黙の合意」がなされます。例えばスーパーで払う消費税を払っている時点で。合意がなされた時点でその国が施行する法を遵守することが強制され、違反すれば処罰を受けます。ただ無人島ではどうでしょうか。いつ合意形成がなされるでしょうか。シンプルに先祖や親の国籍が適用されれば事足るのでしょうか。それではアイデンティティ以前に 人間の尊厳的な権利を侵しているよな気がします。最近ではこのような、倫理的でリアルな問題が「正義」を基軸にサンデル教授を筆頭に注目を浴びています。



僕はこのゼミで世界の不均衡について考えていきたいと思っています。オリンピックの200m走をイメージしてみてください。様々な国から競技に参加しているランナーが銃声を合図に一気に駆け出します。極めて公平です。そこにはハンディキャップ もなければ不正もありません。フライングすれば仕切り直しされるし、ステロイドを使 用すれば資格が剥奪されます。これは極めてフェアーです。ただ現状の国際政治はどうでしょうか。アンフェアなレースが歴史的に繰り返されてきたのではないでしょうか。 範例を挙げると枚挙に暇がありませんが貿易がその一例です。輸出入体制にしても一 度、先進国がそのフレームワークを自分たちに有利なカタチで築くと、途上国は恒常的に搾取の対象になり続けます。誰かの豊かさは誰かの苦しみであり続けるのです。そう考えてみると国際政治はゼロサムゲームなのかもしれません。各国がパイの取り合い 繰り広げているのです。パイとは利得の取り分のことです。

簡単に説明してみます。競馬のシステムを頭に思い浮かべてみてください。人々が馬券を買う。そのお金が一カ所にプールされ、レースの結果に応じて、的中者に分配されます。一カ所に集まった「分配」をしているだけで、プールに貯まったパイ自体が増えることはありません。配当はオッズで調整されます。マクロ、マクロに考えるとその害悪を被っているのは他でもない個人、人間なのです。海外に足を運ぶたびに実感をすることになります。カンボジア、タイ、メキシコなどでも幾度と無くその現状を目の当たりにし、閉口してしまう場面も多々ありました。大学や会議室でいくら国際政治を大きな枠組で議論しても、辿れば個人なのです。彼らの苦しみは理解しようと思ってもできるわけがありません、実際にその境遇を味わうまでは。タイで深刻化する児童買春も臓器売買も、あらゆる負の産物の流れの水源を辿ってもどこにも行き着きません。歪んだ世界構造そのものが不均衡に満ちているうちは。

なぜ見えない国境の向こう側で喘ぎ苦しむ人々を見過ごすことができるのでしょうか。それを許せてしまう理由は一体何なのでしょうか。ナショナリズムでしょうか、 アイデンティティでしょうか。真の答えを求め、心の内をえぐりだすのは大変に困難を伴います、精神をすり減らすことです。しかしながら、主体性を持ちながら苦悩し、痛みと向き合わないことには真の学びはないと思います。

「貧困」をどうにかしなくてはと声高に叫び、NGOなどを介して途上国にボランティアに行く学生が跡を絶ちません。それが悪いとは思わないし、何かの糸口になれば素晴らしいことだと思いますが、独りよがりに終わったり、根本的な解決につながることはなかなかないと思います。「政治」が変わらないことには、世界は変わらないのです。本当にそう思います。政治規範がグローバルかつドラマティックに変わり、パラダイムシフトを起こさない限りは。自分が標榜するのは限りなく理想論に近いのかもしれません。理想は世界がゼロサムゲームから抜け出すことです。エゴイズムを捨て、グ ローバルアイデンティティを共有することです。伝統的なリアリズムでは国ごとが自国の国益を最大化することが至上命題ですが、どうにかそこから抜けだしていけないものか。凝り固まった現実主義を崩せないものか。

カント先生が「永遠平和のために」でいうようなコスモポリタニズムのようなもの。世界市民としての自覚。隣人愛が世界の隅々まで伝わって人が人を愛して、世界が世界を愛せれば。功利主義つまり最大多数の最大幸福をベースに置きつつ、個人の権利の最大限の尊重。それは可能なのでしょうか。民主主義である以上は、多数決にならざるおえないのでしょうか。苦悩は続きますね。「海底二万マイル」の作者としても有名なフランスの小説家ジュール・ヴェルヌ先生の有名な名言があります。「人間が想像できることは、人間が実現できることだ」まずはこれを自分自身がとことん信じることから始まるのではないかと思っています。





最後にハーバード大学教授ジョセフ・ナイ先生が日米安保について述べた言葉を紹介したいと思います。「日米安保は酸素みたいなものだ。無くなって初めてその大切さに気づく。」これは政治そのものにあてはまるのではないでしょうか。酸素がなくては人は生きられない。そんな当たり前のこと、日々の生活でいちいち立ち止まって考えたりすることはほとんどないですが。政治がなくては生きていけないことに気づいてない人すらいるのが現状です。昨今の日本では政治不信が浸透して、政治に期待を寄せる人はごく少数となってしまいました。政治家の言葉がオオカミ少年に聞こえ、政治が諸悪の根源とまで見なされてしまっているのです。



そんな中で僕らが日々、政治やら哲学やら、なんだか難しい本とにらめっこして過ごすことにどれほどの意義があるでしょうか。正直「こーんなことやってて何になるんだろう」とか思うことは多々あるけど、スティーブ・ジョブズ先生は言われました。 「点と点の繋がりは予測できません。あとで振り返って、点の繋がりに気づくのです。 今やっていることがどこかに繋がると信じてください。その点がどこかに繋がると信じていれば、他の人と違う道を歩いていても自信を持って歩き通せるからです。それが人生に違いをもたらします」自分は宇宙飛行士だろうが政治家だろうがプロ野球選手だろうがペット店員だろうがフリーターだろうが「正義」にコミットしていきたいと思っています。継続的な「正義」への粘り強いコミットが何かに繋がり、僕が生まれてきた意味を見出すことができると信じて。



長い文章を拝読、ありがとうございます。
他にもいくつかゼミで発表したモノがあるので、いつかのブログで紹介したいと思います。