Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2011年9月24日土曜日

きゃりーぱみゅぱみゅから見た「大学生の就活」

PONPONPON/ きゃりーぱみゅぱみゅ


大学3年生になってから半年以上が過ぎました。後期に突入です。
大学生活の6/8が終わり、大学生活も残り少なくなって来ました。
ぼくの周りではにわかに「就活」という言葉が飛び交うようになってきました。
あたかもそれが当然であるかのように。
その「当たり前感」に違和感を覚えずにはいられません。
漂う空気、敷かれたレール、慣習に従うことによる安心感。
そんなものは虚構だと思ってます。

人生は一度で、時間は限られている。
子どもの頃、高らかに抱き作文にしたためた将来の夢は一瞬にして周りの空気の渦にすくめとられていく。

これまで過ごした人生の意味は、これから過ごしていく人生の価値は霞んでいく。
突然、勉強をはじめるSPIや一般常識。面接の作法、決め台詞。
そんなの詰め込んだだけの常識で言葉で行いで、これまで自分が20年余をかけて得た自分という人格にモザイクをかける。
自らのアイデンティティに無理やり継ぎ接ぎを作るように。

漠然と幼い頃から電車に乗るたびに、座席に埋もれるようにして居眠りをしているサラリーマンの徒労しきった顔を見かける度、一種の恐怖感を抱いていた。

与えられたたった一度の人生をあらかじめ敷かれたレールに沿って、進んでいくのに疑問符を抱かずにはいられなかったのです。

時間が経つにつれて、社会の仕組みを少しずつ理解し始めました。
学内テスト、受験、就活。
社会は個人を掠めとっていきます。

大学生も後半に差し掛かるとだれもが、焦りや戸惑いを抱き始めます。
急にESで「あなたの強みは?」「将来やりたいことは?」などと聞かれ、真正面からそんなものに対峙したことがないことに気付かされるのです。
今までもとりあえず高校に入り、とりあえず受験をして大学に入って、とりあえずサークルに入って、とりあえずインターンをやってきたからです。
自分の内からフツフツと湧き出てくるような使命感や、絶対にコレというものを得られる人は少数派ではないかと思います。

大学に入ると同時に、多くの人が髪を明るく染め、ピアスを開け、自分なりのファッションをして大学に通い始めます。
これまでの義務教育の中の校則で自由を縛られてきたことによる反発によるものだと思います。
特に野球部時代に丸坊主だった人が長髪にするみたいに。笑

もうちっぽけな校則なんかからはおさばらだと思った矢先、日本の社会はそんなに甘くありません。
皆がスーツを来て、皆が髪を黒く染めなおし、ピアスを外し、学校に来るようになります。
ぼくもそんなひとりです。


アメリカで2年間過ごしたからこそ日本に窮屈感を抱くし、嫌悪感を覚えます。
ただ、それに恭順に従っている自分には失望感を思えます。
無力感や虚脱感が日に日に増す中で、きゃりーぱみゅぱみゅはどうでしょうか。

真っ直ぐに生きています。
「就活」という枠の外の一番端っこでキラキラ輝いています。
大抵の人なら、「コイツなにやってんだ」「大丈夫か?笑」とか思うかもしれませんが、羞恥心なんてほんの一瞬の感情です。
空気感を無視すること、グループから逸脱するような立ち振る舞い、常識に従わない行動。
そんなことをするのは怖いです。嘲笑されたり、バカにされるかもしれないからです。
でも人生は一度です、だれもが何十年後かには死にます、屍です。

死ぬ瞬間に誰が「一瞬の恥」を思い出すでしょうか。
むしろ「自分らしさを見いだせなかった人生」に恥ずかしさを覚えるのが関の山ではないでしょうか。

きゃりーぱにゅぱにゅを見ているととても羨ましい気持ちになります。
大学生が将来に悩んでいたり、就活のあり方について議論しているのさえばからしくなります。

きっとぱみゅぱみゅに就活について聞いても「なにそれ?」「おいしいの?」
そんなところでしょう。
自分らしく、社会の中の当たり前に縛られない人々からしたら「就活」なんて知ったことじゃないし、糞食らえなわけで。
そんなことにぼくらは奔走してるわけで、悲しい訳で。


「もっと自由に生きればいいのに、自分らしく自信を持っていけばいいのに」
そんなメッセージをぱみゅぱみゅから感じずにはいられません。
大学生ブログ選手権

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