Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2013年3月19日火曜日

読書『本を読んだら、自分を読め―年間1,000,000ページを血肉にする"読自"の技術』小飼弾著


ブログ「404 Blog Not Found」のオウサー、小飼弾さん(@dankogai)の、読書論について書かれた本『本を読んだら、自分を読め』を読みました。
中卒、家庭内暴力、家も燃えた。そんな自分を押し上げてくれたのは、いつも本だった。
という帯の言葉。
小飼さんは中学途中から、義務教育の在り方に疑問を抱き、登校拒否となり、自分で独自の学習をし、大検をとって、アメリカのバークレーに進んだという異色の経歴の持ち主。

現在、年間5000冊の本を読んでいるそうです。

  1. だから、僕は本で強くなれた
  2. 本の読み方を変えれば、自分が変わる
  3. 本屋を歩けば、見える世界が変わる
  4. アウトプットすれば知恵はもっとつく
  5. 本当の教養は人生を豊かにする
という5章立て。

メッセージとしては、
本は、きみを救ってはくれない。けれども、本を読むことで、自分を救える自分になれる。
 という言葉に詰まっていると思います。

基本的な読書に対する姿勢とか思考のフレームワークはかなり自分と近いと思ったのですが、やや「読書」礼賛感が強すぎるのかなとも。
読書をしていない人を、やや蔑視というか、こき下ろしているように捉えられてしまうかのような表現があったような。

人生は選択の積み重ねで、一方には「読書」をし続けてきた今があり、他方(パラレルワールド的に捉えるなら)「読書」をまったくしなかった今もありえたはずで。
この二つを同時体験できる人は、神以外に存在しない。
「読書」をし続けてきた「今」の自分が他方を批判することは簡単でも、体験していない以上、これまた「偏見」でしかないわけで。

一個体としての「自分」が体験できうる経験は非常に限られている。
だからこそ読書が与えてくれるまったく、自分の生活の領域外の疑似体験はたしかに世界を広げ、血肉を施してくれる気がします。

こうやって、たまに「読書」にまつわる読書をするのは、非常にたのしいです。
普段の読書を省みることになるし、客観的に自分自身にとって「読書」とは何だろうか、という思考の機会も与えてくれます。

事細かい「読書」についての姿勢や捉え方に大なり小なりの差異は筆者それぞれにあったとしても、誰ひとりとしてその人生における意義を言及しない人はいないということです。筆者それぞれが、筆者として、人間として、今"在る"ことは「読書」抜きにしてあり得なかったのだと思います。


あ、それで言えば今月発売された立花隆さんの『立花隆の書棚』めちゃくちゃ気になりますね。汗牛充棟な立花さんの書庫(通称:猫ビル)の中を写真付きで解説しているそう。知の巨人の生態系の全貌、ゼッタイ買います。

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