Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2013年3月25日月曜日

読書『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー著


本の世界に自我を忘れ、没入して、読了後にすっかり心に風穴が空いたかのような感覚を覚えるのは、おそらく数年に一度あるかないか。
認知の限界を越えた世界を覆う幾つもの疑問。それらを振動させて、価値観が根底からぐらつくような予感。
中学三年生のときに、村上春樹の『ノルウェイの森』をはじめて読んだ時に、全身から揺さぶられたとき以来の感覚。(質的な性質は違いますが)

訳者あとがきで
『カラマーゾフの兄弟』は、彼が終生テーマとしてきた思想上、宗教上の問題を集大成した作品で、世界文学の中でも最高傑作の一つと言ってよいだろう。
そして、村上春樹さん自身もスコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』、チャンドラー『ロング・グッドバイ』とともに最も影響を受けた3冊として『カラマーゾフの兄弟の兄弟』を挙げていました。

『カラマーゾフの兄弟』の上・中・下を通して、なによりも圧巻なのは「大審問官」の場面だと思うのですが(松岡正剛さんの千夜千冊でも詳しい考察がなされてます)
とりわけ僕が立ち止まって考えさせられたのは
「そして本当に人間は神を考えだした。人間みたいな野蛮で邪悪な動物の頭にそういう考えが、つまり神の必要性という考えが、入りこみえたという点が、実におどろくべきことなんだよ。それほどその考えは神聖なんだし、それほど感動的で、聡明で、人間に名誉をもたらすもんなんだな。俺自身に関して言えば、俺はもうずっと前から、人間が神を創りだしたのか、それとも神が人間を創ったのか、なんて問題は考えないことにしている」
宗教の本質は「解釈」にあるのではないか、という考えに至ったんですね。
ふと、神が存在するのならば、「どうして神は無神論者をつくったのだろう」と思ったのだけれど、信者にその人々を啓蒙し布教する使命を与えたのだという解釈さえも成り立つ。

佐藤優さんも立花隆さんとの対談の中で、『カラマーゾフの兄弟』なんて読むもんじゃないと切り捨ててましたが、やはりキリスト教信者からすると邪悪な書と化してるような。
逆に僕は無神論者のバイブル思えてしまったのですが。
嬰児から信仰の中で育ってしまえば、かなり強固な信仰心が根を張ると思うのですが、『カラマーゾフの兄弟』を読んでから信仰心を身につけようと思うと、少し難しくなるのではないかと、それほどまでに「信仰」とは「赦し」とはなんなのか深く考えさせられる。

『カラマーゾフの兄弟』に通底しているのは、せせら笑うかのような宗教への猜疑心と嫌悪感。

順番が前後してしまいましたが、映画『愛のむきだし』も今考えてみると完全に『カラマーゾフの兄弟』のオマージュな気がします。
ミーチャとグルーシェニカは映画の西島くんと満島ひかりの関係性のようだと感じました。

100年以上も前にロシアで書かれた本が、21世紀に生きる異国の青年に響くなんて、なんだか本当に不思議なものです。(おそらく世界中で僕と同じような衝撃を少年少女、成年男女が感じているのだとは思うんですが)

いつの時代も人の中枢というか、理性の在り方とか、人間関係の難しさ、とかは普遍なのかなあと。
神経衰弱状態のイワンに幻影が言った
「愛が満足させるのは人生の一瞬にすぎないが、その刹那性の自覚だけで愛の炎は、かつて死後の不滅の愛という期待に燃えさかったのと同じくらい、はげしく燃え上がることだろう」
いつでも人が激しく揺さぶられるのは、情炎によるもので。

あとは法廷での弁護士フェチュコーヴィチと検事イッポリート論戦では映画『それでもボクはやってない』を思い出さずにはいられませんでした。
イッポリートの
「何より確かだったことは、最初の場合に彼(ミーチャ)が心底から高潔だったのであり、第二の場合には同じように心底から卑劣だったということであります。これはなぜか?ほかでもありません、彼が広大なカラマーゾフ的天性の持主だったからであり―わたしの言いたいのは、まさにこの点なんですが、ありとあらゆる矛盾を併呑して、頭上にひろがる高邁な理想の深淵と、眼下にひらけるきわめて低劣な悪臭ふんぷんたる堕落の深淵とを、両方に見つめることができるからであります」
という言葉も
ラキーチンの 
「あの放埒な奔放な気質にとっては、堕落の低劣さの感覚と、気高い高潔さの感覚とが、ともに同じくらい必要なのである」
という言葉も、弁護士フェチュコーヴィチが「心理学は両刃の剣」であるという点を実は華麗に例証している。

三兄弟とも、それぞれがまったく違う人間であること、
その誰かに自分を知らず知らずのうちに投影しているんですね(読み進めながら)
自分はなんとなくアリョーシャに自分を重ねていましたが。
アリョーシャは数々の印象に残る言葉を言っていましたが、とくに一番自分の中に残響を残した言葉は
人生の意味よりも、人生そのものを愛せ。


ちなみにフジのドラマで市原隼人主演でやっていた『カラマーゾフの兄弟』は、サッと観た感じかなり期待はずれでした。チャレンジとしての着眼点は素晴らしいと思いますが。
そういう意味でいうとやはり『愛のむきだし』は良かった。

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