Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2012年2月21日火曜日

映画『TIME』、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を立て続けに観ました


以前から観ようと思っていた映画『TIME』を観ました。洋題だと『IN TIME』だそうです。
通貨がお金ではなく、「時間」になった世界。すべての人類の成長が25歳で止まり、25歳になった途端、腕に刻印された「タイム」がゼロに向かってカウントダウンをはじめます。
その時点では皆、等しく1年持っています。つまり26歳までということです。
通貨は「時間」になりましたが、「お金」と同じように取引、強奪などにより流動することもあります。自分の「タイム」を人に譲ることもできるのです。

現代社会と同じように、この「TIME」の中でも格差社会が根付いています。
それはわたしたちの世界よりも明確で、ブロックごと区画されていて、内側にいけばいくほど、富裕層が住むエリアとなります。移動自体は自由ですが、ブロックからブロックをまたぐときに関税のような通行税を払わなくてはなりません。
それはスラム出身者たちには到底支払えるようなものではなく、結局生まれた土地で息絶えるしかない、構造的な格差が固定されているのです。ようは今のわたしたちの社会と大差はそれほどないってことです。たとえば、シエラレオネの一般人が日本やアメリカに来れるでしょうか?

ストーリーとしては、ジャスティン・ティンバーレイク演じる主人公ウィルがひょんなことから、1世紀(100年)をある男から授かります。100年というと、とんでもない数字です。お金に換算するといくらなのでしょうか、検討もつきませんが。
それを資本に、富裕層の街へと深く潜り込んでいきます。
簡単に要約すると、スラムからタイムを搾取する富裕層と戦い、システムを是正しようと挑むお話です。

感想というか、思ったことは至ってシンプルで、今の世界と全く同じじゃないかと。
だって、今だって「時は金なり」で文字通り「時間」=「お金」だと思うけど。
たとえば、アルバイトなんて典型的で1時間働いた労働への対価に給与をもらっているというよりは、僕の有限な「タイム」の1時間分を支払ったことに対して、報酬を頂いているんだと思ってます。
だからTIMEの世界との違いは、「お金」っていう「時間」と等価交換できるシンボルがあるかないかの差異しかないっていうことです。
見えないけど、たしかに僕らそれぞれのタイムはゼロに向かって、チクタク秒針を進めているのは事実ですからね。


さて、立て続けに観た映画の2本目が『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』。
トム・ハンクス、サンドラ・ブロックというタッグで外れはしないだろうと思って観ました。
ところが、上映してから後半部分までがとても退屈で、外した感満載だったのですが、結局ボロ泣きしていました。
主演の男の子は今作がはじめての映画出演だそうですが、とてもナチュラルで配役もドンピシャだったと思います。

ストーリーは親友のような存在だった父親を9.11テロである日突然なく少年オスカー。
そのトラウマから抜けだせずに精神も不安定な日々を送っていた。
ある日、父のクローゼットを物色していると、花瓶を割ってしまう。
その花瓶から鍵がでてくる。オスカーはそれを父から自分へのメッセージだと確信し、鍵穴をみつける旅にでる。
手掛かりは鍵が入っていた袋にあった"Black"の一文字だけ。
彼はNY中の"Black"という名前の人に会いに行き、父について、鍵穴について、尋ねることにする。

旅の中で出逢うたくさんの人達。どなりつけて門前払いする人、暖かく受け入れてくれハグしてくれる人、一緒に泣いてくれる人、祈りを捧げてくれる人。
オスカーは旅を通して、いろんな景色をみて、たくさんの人と出逢って成長していきます。
そして最後には鍵穴へとたどりつくのです。
オスカーが物語の途中で、何気なく言っていた一言が僕は印象的でした。
「人って数字よりも、文字みたいだ。物語は数字では書けないからね」

二作ともわりと良映画でした。
今週か来週には『ドラゴン・タトゥーの女』観に行きたいですね。
大学生ブログ選手権

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