Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2014年5月28日水曜日

映画「インセプション」クリストファー・ノーラン監督作 10'(2回目)


公開時に劇場で観ました。
昨晩、なぜか突然みたくなりiTunes Storeで衝動購入。

一度観て、大筋のストーリーが覚えていました。
そしてエンディングが物議をかもしたことも記憶していました。
なので、エンディングに連なる物語や設定のプロットを見失わないように注意深く鑑賞しました。

結論からいうと、ラストの年老いたサイトー(渡辺謙)との対話シーン、そして離れ離れになっていた子どもたち(フィリッパとジェームス)との再会シーンを現実(第0階層)と捉えるか、未だ夢の中ととらえるかは自由だということです。
おそらくクリストファー・ノーラン監督は意図的に受け手に解釈を委ねるために、ほんとうはどっちなのかを決定づける要素を省いたのではないかと思うのです。
個人的な見解でいうと7:3くらいで現実の方がありえそうだと踏んでいます。(深い考察はここでは避けます。既にそういったサイトがあります⇒映画「インセプション」徹底解説サイト

多階層という設定はユニークでおもしろいのですが、僕も時々考えてしまいます。
現実が夢をみるのではなく、夢の中の自分が見ている夢がじつは僕が現実だと思っているものなのではないかとか、「Avatar」のようなべつの肉体が仮想状態でみているヴィジョン=自分が"現実"と思っている世界、など。
夢とはほんとうに不思議なもので、無限に解釈を与えうるもので、フロイトが真正面から解き明かそうとしたのも頷けます。

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あとよく思うのが、時間軸の最先端にいる自分はすでに死んでいて、(よくいうように死ぬ瞬間にこれまでの過去が一気に走馬灯のごとくフラッシュバックするという)その思い出している場面に"今この瞬間"の自分はいるんじゃないかとか。
これに託つける形で決定論とかデジャブとかも考えると妙に腑に落ちたり。

それとか、(これは「インセプション」のオチとしても考えられるのかもしれないけど)そもそも現実自体が長い夢なんじゃないかということ。
ある日、突然だれかに肩をゆすられて(この映画でいえば"キック"で)目覚める。(「なんて長い夢だったんだろう!」と)

そして、死んだらどうなるのか。
アメリカにいたときに、同居していたメキシコ人のやつと眠れなくて、ひたすら話し込んでいたときに、死生観に話が及びました。(どれだけ話し込んだんや、という感じですが笑)
彼はいわゆる生まれ変わり、輪廻転生的な考え方を採用していたのですが、そのプロセスの考え方が面白かった。
向こう側にうっすらとした光の筋が見える。
そこに向かって歩いて行くと、輝度は増していき、目を開けるのも難しくなっていく。
とにかく、光の中に飛び込むと、そこには新しい人生が待っている。
つまり、光というのは子宮というか膣の内側からみえる外界の光ということで、そこへ向けてあるいていくイメージをすでに持っているというのが面白いなと。

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