Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2011年11月13日日曜日

読書『電通の正体―マスコミ最大のタブー』『週刊金曜日』取材班著

Mouse Molding/ ELLEGARDEN



巷で噂を聞くことはあっても、テレビで触れられることはほとんどない電通。
社会を牛耳ってるだとか、ブラック企業だとか悪い噂を良く耳にします。
べつにぼくは何も内部事情を知らないので、すべてを鵜呑みにして事実を受け入れることはできませんが、どうなんでしょうか。

この本では実際に電通の内部の人間へのインタビュー、電通の圧力に屈したとされる人々の体験談などに基づいて書かれています。
まあ、それ自体が本当だという根拠は示されていませんが。

公正取引委員会委員長の竹島一彦さんの言葉がマスコミ、広告業界の実態を如実にあらわしていると思いました。
「広告業界の寡占状態は問題である。上位三社で総広告費の40%を占めているが、影響力の大きいメディアであるテレビの場合は、三社で90%を握り、そのうち電通が半分のシェアを持っている。広告枠を多く持っているという優越的な地位を利用して、新規広告会社の参入を防ぐようなことがあれば、私的独占行為として、われわれの感心事項になっていくだろう」
「電博」、電通と博報堂のことですね。とくに電通がシェアのほとんどを持っていることが寡占状態であるとして、規則に反する可能性があると指摘しています。
寡占状態は健全ではない競争状態の時に適用されます、つまり新規参入などが阻害されている場合などです。
電通にしても博報堂にしても、尊敬する人たちがたくさんいます。優秀なクリエイターの方々が数々在籍していらっしゃいます。
だから実力の結果、電通、博報堂がシェアの多くを得ている側面ももちろんあると思います。
ただ、両社が長きの歴史を持っており、クライアントとの信頼関係を築いてきたことで、既得権益のようにみえる構造になってしまっていることもなくはないでしょうね。

広告業界自体が相当に複雑な構図になっています。


広告会社自体が単体で活動するものではなく、おおくのステークホルダーとの関わり合いの中で仕事を進めるものなので、一度固まった構造を変化させるのは容易ではないですよね。

「電通金太郎アメ説」という、業界では聞く言葉があるそうです。
日本中で開かれたイベントの舞台裏をのぞくと、必ず電通の影があるというもの。実際、電通は1970年の大阪万博から90年代の長野オリンピックに至るまで、各種イベントで黒子として動いてきた。
コンペの末に勝ち取った実力なのか、古くからの利権構造の帰結なのかわかりませんが、まあ両方なのかもしれません。

この本を読んでみたぼくの率直な感想としては、「週刊誌」のような文体、構成であったという印象です。まず導きたい結論があって、それに繋げられるように文章が組み立てられている、それを根拠付けるためのインタビューの継ぎ接ぎが見える。このようなケースでは、読者である我々は一歩引いた客観的な視点で読むことが求められると思います。批判の批判を行うようなイメージですかね。
大学生ブログ選手権

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