本を2冊ほど読んだので、軽く紹介。
まず1冊目『国連の政治力学- 日本はどこにいるのか』
筆者の北岡伸一さんは日本政府国連代表部次席代表として、現場で勤務なさっていました。
その時の経験を元に、現場の視点を含んだ論考となっているので臨場感・リアリティがあってサクサク読み進められました。
第に「国連の政治力学」とあるように、国連のダイナミックスが描かれています。
国連に集まる各国にはそれぞれの国益があり、それを調整する場として国連は機能します。
微妙な駆け引き、心理戦、国連とはいえども国と国同士が話し合うわけではなく、各国から代表して送られてきた「人」と「人」が話し合います、当たり前ですが。
つまりそこには外交、交渉があります。
外交に関して北岡さんが興味深いことを書いていらっしゃいました。
外交は知的格闘技である。外交はお金と違う。お金は使えばなくなるが、外交は適度に使えば、さらに強化される。筋肉を適度に使えば発達するのと同じである。北岡さんは国連改革推進派の急先鋒でもあります。現在のP5は周知の通り、米・中・露・英・仏ですが、ここに日本が入っていないのはおかしいというわけです。
日本のような、核を持たず、アジアの国であって、途上国経験を持つ、シヴィリアン・パワーが、安保理の常任理事国となることは、重要であり、むしろ日本の責任というべきだろう。それはたんなる日本の国益を超えた、世界秩序に対する日本の責任である。こうした大義があり、ある程度の展望があるとき、日本は当然、全力でこれに取り組むべきであろう。日本が常任理事国の中の国と比べても、多額の負担金を払っているという事実も当然挙げていらっしゃいます。
一部に、日本が常任理事国に入って、国連はどう変わるのか、あるいは、日本は常任理事国になれば、どのようなことをするのかと尋ねる人がある。私は、これは問題の立て方が間違っていると思う。現在、日本は、常任理事国のすべてとは言わないが、そのいくつかの国を上回る貢献を、すでに行っている。つまり、日本は常任理事国になっているのが当然なのであって、現状は差別を受けているといっても過言ではない。常任理事国入りは、この差別を是正するだけのことである。歴史認識・教科書問題にしてもそうですが、それほど歴史というものは重みがあり、変えるのが難しいということですかね。
あと、日本がこれまでODAなどを介して行なってきた海外援助に対しても、興味深い記述がありました。
日本の援助に哲学があるとすれば、それは「自助」である。明治以来、敗戦後の一時期を除き、日本は外国の援助なしに発展した。自ら努力する国を助けること、言い換えれば、主役は現地の人であって、国際社会ではないということが、重要だ。これをオーナーシップと呼んでいる。日本は堂々とオーナーシップを主張して、腐敗した政府はバイパスして、村おこし、教育、病院、井戸掘りなどをやっていくことがよいと思う。続いて2冊目に『国際関係論- 同時代史への羅針盤』という中嶋嶺雄さんの本。
冷戦のすぐ後に書かれた著作だけあり、時代の切迫感と言うか自体の深刻さが新鮮でよかったです。
そもそも国際関係論とはなんなのか、国際政治学を敷衍したものではないのか。
博覧強記な筆者の知識に基づいた深い考察には脱帽です。専門は中国研究ということでしたが、射程が広い。
様々なディシプリンが重複し、マクロ視点として国際関係論はある。
そして個々がミクロ視点として特定の地域に根ざした専門的知識を持つことも奨励していらっしゃいます。
ミクロとマクロの両方の視点を見につけて、その両方を絶えず行き来きすることが重要だということです。
重層的に折り重なった国際政治の巨像を包括的に理解するためには上記のように適宜、諸相を切り取って検討・考察してはじめて全体像がつかめるということですね。
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