Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2013年12月21日土曜日

「戯言」と「箴言」の歩幅


ツイッターを眺めていると、よく感じることがある。
一瞬のうちに肥溜へと廃却されていく、瞬時に忘却される「戯言」と、人びとの共感を集め、リツイートされるなり、ログに貯められるなり、「箴言」と見なされるものは、実は紙一重なのではないかということ。

100時間TVでドワンゴの会長・川上量生さんがいらっしゃったとき、川上さんがジブリの見習いプロデューサーもやっているということで、話はスタジオジブリに及んだ。
ジブリでメインプロデューサーを務めている鈴木敏夫さんの話になった。
そのときに川上さんがおっしゃられていたこと。
鈴木さんの言うことはけっこうデタラメで、もし仮に同じことを他の人が言っていたとしたら、絶対に信じられない。だけど、鈴木さんが言うから言葉に重みがあるし、信じられる。
すごく得心したし、「あー、そういうことだよな」と思ったわけです。
ようは何を言うかよりも、誰がそれを言うか。

訳知り顔で金言めいたことを呟いたとしても、その人の人となり、人格が軽薄なものであれば、言霊は実相を伴わない。
逆に名の通った人の発言のアレコレは、深遠なものとして受け取られる。
とくに普段は言及しないような社会的政治的問題について、アーティストがオピニオンを述べる時、ことさら注目を集めるのは、そういう心理的要因があるのではないかと思うわけです。

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