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Generator^1st/ Freelance Whales
↑の歌はアメリカのインディーズバンドの曲です。
フロリダでタクシーに乗っていたときに、タクシーの運ちゃんが聞いていた曲です。
歌詞の世界観に吸い込まれてしまいます。
今日は「アーミッシュ」について自身の経験を述懐しながら書いてみたいと思います。
というのも、今日のAcademic Englishという授業が「Amish」についてだったのです。
アーミッシュとはアメリカやカナダの一部の地域にいまも暮らす宗教集団のことです。
文明から一切の距離を置き、電力を使用せず農耕や牧畜で自給自足をしています。
人口は現在でも20万人いるとされています。
基本的に大家族主義であり、ひとつのコミュニティは深く互助的な関係で結ばれている。新しい家を建てるときには親戚・隣近所が集まって取り組む。服装は極めて質素。子供は多少色のあるものを着るが、成人は決められた色のものしか着ない。洗濯物を見ればその家の住人がアーミッシュかどうかわかる。一頭立て四輪馬車(バギー)に乗るアーミッシュの夫婦(オハイオ州 2004年9月)アーミッシュの日常生活では近代以前の伝統的な技術しか使わない。そのため、自動車は運転しない。商用電源は使用せず、わずかに、風車、水車によって蓄電池に充電した電気を利用する程度である。移動手段は馬車によっているものの[5]、ウィンカーをつけることが法規上義務付けられているため、充電した蓄電池を利用しているとされる。しかし、メノナイトは自動車運転免許を持つことが許されており、家電製品も使用している。アーミッシュは現代文明を完全に否定しているわけではなく、自らのアイデンティティを喪失しないかどうか慎重に検討したうえで必要なものだけを導入しているのである。
アーミッシュがあまり生活について語らないため謎に包まれている部分もある。写真撮影は宗教上の理由から拒否されることが多い。ただし、これらの宗教上の制限は成人になるまでは猶予される。アーミッシュの子供は16歳になると一度親元を離れて俗世で暮らす「ラムスプリンガ(rumspringa)」という期間に入る。ラムスプリンガではアーミッシュの掟から完全に解放され、特に時間制限もない。子供達はその間に酒・タバコ・ドラッグなどを含む多くの快楽を経験するといわれる。そして、成人になる(ラムスプリンガを終える)際に、アーミッシュであり続けるか、アーミッシュと絶縁して俗世で暮らすかを選択する。ほとんどのアーミッシュの新成人はそのままアーミッシュであり続けることを選択するといわれる。この模様は『Devil's Playground』というドキュメンタリー映画の中で語られている。ただし、2004年のアメリカのテレビ番組『アーミッシュ・イン・ザ・シティ』の中で、アーミッシュの子供達をアーミッシュの居住地域から離れた大都会であるロサンゼルスに連れて行き大学生の生活をさせると、自分の人生の可能性に気付き、彼らの内9割以上が俗世に出ることを選択したという出来事もある。
以上がざっくりとしたアーミッシュの全容です。
アーミッシュには驚くべき数々の戒律もあります。
屋根付きの馬車 は大人にならないと使えない。子供、青年には許されていない。
交通手段は馬車(バギー)を用いる。これはアーミッシュの唯一の交通手段である。自動車の行き交う道をこれで走るために交通事故が多い。
アーミッシュの家庭においては、家族のいずれかがアーミッシュから離脱した場合、たとえ親兄弟の仲でも絶縁され互いの交流が疎遠になる。
怒ってはいけない。
喧嘩をしてはいけない。
読書をしてはいけない(聖書と、聖書を学ぶための参考書のみ許可される)。
賛美歌以外の音楽は聴いてはいけない。
避雷針を立ててはいけない(雷は神の怒りであり、それを避けることは神への反抗と見なされる)。
義務教育以上の高等教育を受けてはいけない(大学への進学など)。
化粧をしてはいけない。
派手な服を着てはいけない。
保険に加入してはいけない(予定説に反するから)。
離婚してはいけない。
男性は口ひげを生やしてはいけない(口ひげは男性の魅力の象徴とされる歴史があったから)。ただし、顎ひげや頬ひげは許される。
上記の内容はWikipediaから抜粋しました。
「怒ってはいけない」「避雷針を作ってはいけない」とかすごいですね。笑
個人的には「読書してはいけない」が辛いですね。
ぼくは高校時代の1年間をアメリカはオハイオ州の田舎町で過ごしました。
その時、近所というか、家から15分くらい行けばアーミッシュの人々が多く暮らしているコミュニティがあったのです。
はじめて彼らを目にしたときは度肝を抜かれました。
まずはその風貌、長いヒゲに特徴的な帽子、そして簡素な服装。移動手段は馬車。
21世紀を迎えた今なお、古代的な生活を送って暮らす人がいることに驚嘆しました。
興味を抱いたぼくはその日のうちにパソコンでアーミッシュの歴史を探ったり、図書館で関連文献を斜め読みしてみたりして、知れば知るたびに興味は深まりました。
ある時、こんなことがありました。
アーミッシュの青年がうちの家にきたのです。
「電話を貸してくれないか?」ということでした。
笑ってしまいましたが、「そんなものなんだろう」という気もします。
アーミッシュの人々は強い宗教心、強い家族の絆、強いコミュニティの絆で結ばれているといいます。
ぼくは文明・世俗に生きるか、牧歌的なアーミッシュの暮らしをするのかどちらが幸せなのかはわかりません。
ただ、一度文明に足を突っ込んでしまうと戻るのは大変に困難なことだとも思います。
「モノ」を手にすることは新たな物欲を人間の内に表出させます。
物質的に満たされることはほとんど困難なことでしょう。
文明にはあちらこちらで強欲(greed)がのさばっています。
それが妬み・憎しみを人々の間に生み、衝突を生み出している気もします。
アーミッシュの人々は物質的に出はなく精神的な幸せを目指しているのかもしれません。
つまるところ、家族がいて、友達がいて、恋人がいる充足感を抱きながらゆっくりと流れていく日々を慈しみながら生きていくほうが平穏の内に生まれ、生き、死んでいけるのかもしれません。
このことは一人でアイスランドに行ったときにも感じたことでした。
そして、昨日ブログにも書いた本の最後の言葉が胸に突き刺さります。
「君たちはどう生きるか」