Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer
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2015年7月1日水曜日

読書『ラリルレ論』野田洋次郎著


今日までの世界を脱ぐのだ。
中学校の終わりから高校のはじめにかけて、貪るように聴いていたRADWIMPS。 
思えばラジオから流れてきた「25コ目の染色体」に衝撃を受けたのがはじまりだった。
そう、つまり彼らが高校を卒業し、ちょうどメジャーデビューするタイミングから聴き始めたということになる。
そして、発売されたサードアルバム。
RADWIMPS3~無人島に持っていき忘れた一枚~RADWIMPS3~無人島に持っていき忘れた一枚~
RADWIMPS

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このアルバムは今でもRADの最高傑作だと思っているし、「おとぎ」は何度聴いたか分からない。はじめて入ったスタジオで「最大公約数」を弾いたのも懐かしい。

立て続けに、エルレにもハマったのだけれど(音楽的には、当時のど真ん中のアーティストを聴いていた典型的な学生だった)野田さんと細美さんが使う英詞の意味を知りたい、という単純な動機もあって、英語だけは真面目に勉強した記憶がある。

思えば、(歌の歌詞はもちろん)野田さんの言葉はずっと追いかけていた気がする。
ガラケー時代の日記(おそらく、というか絶対今はもう閉鎖されていて見れない)も欠かさず見ていたし、5年前だったか、『papyrus』に掲載されたインドの放浪記も当然読んだ。

papyrus (パピルス) 2010年 04月号 [雑誌]papyrus (パピルス) 2010年 04月号 [雑誌]


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RADの音楽から離れてはいたけれど、こうして野田さんのまとまった文章を読むのはやっぱりグッとくるものがある。
この本を通読して、再び音楽を聴いてみると、中高生のときのような脳天を揺さぶられるような感覚は、残念だがもうない。
だけれど、ファーストの「心臓」を聴いて、蘇る、あのギュッと胸が締め付けられるような感情と、青森の雪道をバスで帰京していたときの情景がふわっと浮かんでくるから、音楽が記憶を喚起する力はすごい。

ラリルレ論ラリルレ論
野田 洋次郎

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2013年5月16日木曜日

インド瞑想記⑨ 宇宙にとっての「宇宙」― "Sky's the limit" is the limit.

#⑧続編

1週間を越えた。残すところあと3日。
1週間ではなく、10日間というのがこのヴィパッサナーの肝なのかもしれない。
どれほど長い一日も、明けない夜はない。
イェール大医学部で勉強している、というザ・夢を見て目覚める。

朝起き、眠気まなこでふと思う。
今日という自分にとって何気のない日も誰かにとっては"はじまり"の日であり、また誰かにとっては"最期"の日であるということを。

部屋のトイレの便座にヤモリがいる。
仕方なく、公衆トイレへ向かう。そこにもヤモリがいる。
"諦観"というのはこうゆうことを言うのか。笑
毎朝起きて必ず全身に日本から持参した虫除けスプレーをふりかけ、部屋に蚊帳もあるのに蚊に刺され続ける。かといって、蚊でさえ殺傷は禁じられている。
なんだかRADWIMPSの「おしゃかさま」から「DADA」の連なりが頭にイメージとして浮かぶ。



カラスが増えたから殺します。さらに猿が増えたから減らします。でもパンダは減ったから増やします。けど人類は増えても増やします。
僕らはいつでも神様に願って拝んでても、いつしかそうさ僕ら人類が神様になってたの。何様なのさ。 

生きてる間すべて遠回り、すべて大回り、なのにそれなのに。近道探してみて小回り、お巡りに見つからないようにばっかり。
あげくの果ては拝み神頼み、少しでも楽に他人よりも前に。叶わぬと知るや否や嫌みひがみ鬼畜の極み南無阿弥陀仏。 
日本にいた時は、ラッドウインプスなんてほとんど聴いていなかったのになぜかインドに来てからしょっちゅう脳内再生が始まる。どしてだろ。

卒倒事件以来、フルーツを意識的に多く摂るようにして快便になった。
前にも書いたけれども、とにかくここの果物は種が多く、食べにくい。(果物の品種改良がなされているか否かも先進/後進を隔てるものなのかもしれない)
日に日に、口の中で種をより分け、吐き出す技術が向上していく。
それでもまだ、立ちくらみの頻度は思うように減らない。あと数日の辛抱。
日本で毎朝食べていたフルグラが恋しい。

〜〜〜〜〜〜続きは「note」で公開中。

【瞑想記一覧】
■出発する直前
■インドへ到着
■いよいよ修行開始
■修行の後半戦
■最終日

2012年12月15日土曜日

読書『切りとれ、あの祈る手を〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』佐々木中著


山本先生に薦められた、新進気鋭の思想家・佐々木中さんの本を。
先生が言っていたように、情報の受け取り方、読書への姿勢に関する知見(フロンティア)が拓けたような、開眼するような「本と革命」をめぐる歴史物語に息を呑みました。

いくつか心を突いたコトバを。

(ルターにとって読書とは...)
「祈りであり、瞑想であり、そして試練である」
革命と本の関係性について
革命は暴力に還元されるものではありません。暴力が先行するのではない。まず根拠を明示したテクストが先行する。テクストの書き換えが先行するのです。 
革命は文学からしか起こらないし、文学を失った瞬間革命は死ぬ。 
ニーチェの「未来の文献学」に関する記述も興味深かった。

いつかこの世界に変革をもたらす人間がやって来るだろう。その人間にも迷いの夜があろう。その一夜の、その一冊の、その一行の微かな助けによって、変革が可能になるかもしれない。ならば、われわれがやっていることは無意味ではないのかもしれないのだ。絶対に無意味ではない。その極小の、しかしゼロには絶対にならない可能性に賭け続けること。それがわれわれ文献学者の誇りであり、戦いであると。

RADWIMPSの「バグッバイ」という歌の歌詞にこうあります
僕のいた朝と、僕のいない朝はどっか違っててほしい。少しだけでもいいから。 
僕が生まれてくる前と、僕が消えたあととなんか違っててほしい。世界は違っててほしい。 
きっと、人がすることはどこまでいっても「古いネジの回転にすぎない」と言ったベケットも「人類は滅亡する。だが人類は滅亡しない」と言うブランショも同じことをいっている。
世界の絶対的な連続性のことをいっている。

その那由多のなかで、ぼくのようなひとりの人間は粒のような塵のような刹那にすぎないとしても、ニーチェが託した「未来の文献学」やヴァルター・ベンヤミンの「夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは、橋でも翼でもなくて友の足音だ」という言葉を思い起こすなら。

2012年2月2日木曜日

読書『暇と退屈の倫理学』國分功一郎著

アンチクローン/ RADWIMPS


國分功一郎さんの本を読みました。
考えてみたら、ここのところ若い社会学者の方の本を読むことが多いような気がします。
10冊本を読んだなら、「面白い!」って思えるような本って1冊あるかないかっていう程度だと思うんですが、この本は間違いなく面白い方にカテゴライズされます。
 何をしてもいいのに、何もすることがない。だから、没頭したい、打ち込みたい...。でも、ほんとうに 大切なのは、自分らしく、自分だけの生き方のルールを見つけること」
と、まず帯にあります。どうやらコレが本著の問題設定だそうです。

國分さんの専門はスピノザ研究などをはじめとした哲学だそうで、この本の中でも縦横無尽に多くの哲学者たちの先行研究に言及します。
哲学に限らず、生物学・人類学・心理学、広範な学問領域をインテーディシプリナリーに行き来しながら論を深めていきます。
アインシュタインが「おばあさんに分かるように説明できなければ、当人も理解しているとは言えない」というようなことを言っていたような気がしますが、國分さんは難しい哲学概念を噛み砕いてわかりやすく説明するのがとてもうまい。

本自体も決して短くなく、内容も濃いものとなっているのですが、本文全体を貫く言葉としてウィリアム・モリスの言葉を紹介したいと思います。

「わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られなければならない」
こんな風に思えるのは、おそらくこの地球の上で人間だけでしょう。
動物は生きていくためにパン(肉かも草かもしれませんが)は必要でも、バラは必要ではありません。
「本能にしたがって、より長く生きながらえる。そして、生殖し、子孫を後世に繁栄させていく」これが一義的にインプットされ行動してると思われます。

しかし、人間はそれでいいでしょうか。
食事をし、排泄をし、睡眠をする。このサイクルの繰り返しで満たされるでしょうか。
そもそも「満たされる」を求めるのは人間だけなのかもしれません。

モノが溢れた飽食の時代の中にあって、身動きを取れなくなっている人々は多くいると思います。
物質的に豊かになればなるほど、精神は乖離していく。よく聞く議論です。
以前読んだ本『絶望の国の若者たち』でも展開されていた論旨だと思います。

人間も例外なく動物であると認識すると同時に、「例外的な動物」であると言うことも認識するとまた景色が違って見えるようになります。



大学生ブログ選手権

2011年12月17日土曜日

僕の日常は、だれかの夢のど真ん中にある

夢番地/ RADWIMPS


イベロ・アメリカ文化論という授業で「イノセントボイス 12歳の戦場」というメキシコ映画を観ていたときにフト思ったことについて。
映画の舞台は中央アメリカ中部にあるエルサルバドル。
内戦が激化の一途を辿り、少年たちも次々に軍隊に引きこまれていきます。



主人公の少年チャバは「バスの運転手になりたい」とシーンで度々いいます。
バスの運転手に限らず、車を運転したい、することが彼の夢です。
なぜなら「どこへでも好きなところへ行けるから」ということです。

そこでハッとしました。
日本ではタクシー運転手で溢れています。
特に規制緩和の後は、さらに数が膨張しました。

RADWIMPSの「夢番地」の歌詞を思い起こしました。

「僕が立っているここはきっと誰かの願ってる場所で
誰かが立ってる場所が僕の望む場所で」
「誰かがきっと今僕にとっての夢を叶えてくれてる
僕もきっと 誰かのとっての夢を叶えている」

ぼくらは将来に不安を持ちながら日々を悶々と過ごしてます。
自分自身、何をすべきなのか、何がしたいのか。
就活の渦の中で頭を抱えながら、自分の可能性と照らしあわせながら。



でもひるがえって考えてみると、こうやって苦悩できてること、選択肢が前方に広がっていることがこの上ない奇跡的な幸福なんじゃないかと。
普通に大学に行けていること、教育を受けられていること、将来を自分で決められること。
これは12歳になったら強制的に軍隊に入隊させられてしまうこの映画の中のエルサルバドルの子供たちにとってはこれ以上ない幸福なことなのだから。
大学生ブログ選手権

2011年10月21日金曜日

映画を観て、号泣してしまいました

me me she/ RADWIMPS


@に前から勧められていた『君に読む物語』という映画を観ました。
普段、映画を観て泣くなんてことはほとんどないんですが、今回に限っては大号泣してしまいました。笑
なんだか情けないです。笑

なんか映画とぼくのいまの状況が嫌なくらいリンクしてて、胸がつまりました。笑

主人公がヒロインに手紙を書くのですが、その言葉が...
"最高の愛は魂を目覚めさせ、人を成長させる。
ハートに火をつけ、精神に平安を与える。
君がそれをくれた。ぼくもあげたかった。”
切なすぎる。笑
なんだか、またまた心がかき乱されてしまったような気がします。
というか、そうゆう気持ちっていうのはどれだけ見て見ぬふりをしようとしたり、忘れようとしても、そうすればするほど強固になっちゃうんだと思います。



なんだか複雑です。。
大学生ブログ選手権

2011年9月18日日曜日

北海道でのつかの間の時間も過ぎて

心臓/ RADWIMPS


北海道の悠然とした自然と触れつつ、札幌の都会では東京との近似性を感じつつ過ぎた北海道滞在はあっという間に終わり、東京に戻って来ました。
前回のエントリー「ディープインパクトを訪ねて北海道まで」でも書きましたが、到着初日は苫小牧の牧場でゆったりとした時間を過ごしました。

翌日は札幌の会議室でゼミのプレゼンがありました。
卒論の内容について考えているのですが、ぼくは1年生の頃から書こうと思っていた内容をそのまま書こうと思っています。
手広くなりすぎないように、フォーカスしながら。

夕刻になり、ゼミのみんなでサッポロビール園に行きました。


サッポロビールの本場、札幌でビール飲み放題+ジンギスカンだなんて、ぼくの人生で最もビールをよく飲んだ日になるフラグが立っていたのですが、たいして飲めなかったです。笑
でもジンギスカンはすごく美味しかったです。

ホテルに戻ってから、先輩後輩交えて深夜までまた飲み直しました。

次の日はお昼のうちに羽田へ戻り、すぐに学校へ行き履修を組みました。
どうやら後期はキツキツになりそうです。ろくにバイトもできなさそう。

今日は一日バイトでした。
明日、あさっても終日バイトをやり、それからはインターンの課題に専念したいです。
以上、近況でした。
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