億劫で仕方なかった4時起床。
3日も過ぎると、目覚めが気持ちよくなってきた。
ぼんやりと、まだ開ききらない瞼をこすりながら、窓の外に広がるファジーネーブル色の曙光をみつめる。
ベッドから這い出ると、すぐに顔を水で洗った後、外に出てラジオ体操のようなものをやり、全身に目覚めの号令をかける。
天に向かって思いっきり背中を伸ばす。とっても気持ちがイイ。
ホールでの瞑想に参加する前に洗濯を済ませておく。太陽が照りつけていて、乾くのは極めて早い。
こんな風にゆったりと、何に追われるでもなく、静謐な時間の中に身をおいているとソローがエッセイで言っていたことがよくわかる。
一日一日が、これまでけがしてきた時間よりも早くて、神聖で、曙光に満たされた時間を含んでることを信じない人間は、結局、人生に絶望しているのであり、暗さをつのらせてゆく坂道を転落しているのである。感覚的な生活がいったん中断されたあと、人間の魂、いや、むしろ魂の諸器官は、毎朝活力を取り戻し、そのひとの「霊性」は、ふたたび気高い生活を営もうと努力するのである。
ただ、さすがに毎日同じ飯には辟易した。味は悪くないのだが。
高校1年次の夏に1ヶ月間ユタ・ソルトレイクシティにホームステイしていたときのことを思い出した。ホストファミリーといっても、70〜80歳くらいのおばあさん一人。
敬虔なモルモン教徒で、近くの教会の牧師をやっていて、宗教関連の啓発書も何冊か出版しているほどの筋金入りの宗教家。
話題の9割は宗教だった。
そして出される食事は1ヶ月間不変(自家栽培の野菜、みたこともない野菜だったので未だに名称が分からない)で、みるみるうちに食欲も減退していき痩せ細っていった。
体力もみるみる減っていくぼくを見かねたのか、最終日にはタコベルに連れて行ってくれた。
よく海外に行って、日本語を耳にすると安心感や懐かしさを覚えるという。
インドに着いた当初、アメリカ英語を耳にすると同様の安堵感を覚えていた。
インド英語独特の訛り(わりとイギリス英語寄り)、ぼく自身の英語がアメリカ英語なので、最初は困惑しましたが徐々に慣れていった。
各国の英語といえば、有名ですがこの動画が最高にクオリティ高いですよね。(インド英語のイミテーションも最高です笑 個人的にはRussianが一番ツボですね、それからNigerianもうまく特徴つかんでる)
夜の講話(discourse)もアクセントの強いインド英語だった。
この必死に言葉に食らいつこうとする感じ、以前どこかで体験した感覚。
そうです、高校3年生のときに行った福島での免許合宿。笑
学科の講師がコテコテの福島弁訛りで、なにひとつ教習が理解できなかったのでした。そりゃもうインド英語よりも酷かった。笑
軽いランチを終え、しばしの休憩で自分の部屋へ戻る。
当然の如く、我が家では多くの虫達がくつろいでいる。
最初はいちいち文句を言っていたトカゲにも、「ただいま」という始末。
どれだけ受け入れがたいと思った環境も衛生も、数日すれば慣れてしまう、人間の適応能力。「足るを知る」というか諦念。
ベッドに蚊帳もあり、日中は虫よけスプレー全身にふりかけ、寝るときは蚊取り線香を忘れず焚くのに、気づいたら全身100箇所くらい刺されてる。笑
瞑想のときも当初、ハエや蚊が体に止まる度に振り払っていたけれど、あるときからはもう気にならなくなる。受け容れる。
虫なんて簡単に友達になれますよ。まして10日間誰とも口にしちゃいけない状況の中では。人は独りじゃ生きれないんです。
きっと、独りっきりで山篭りしている人だって、ぼくと同じように虫や鳥とお友達になることに疑いの余地ありません。
タバコの禁断症状のピークもこの頃だった気がします。
2〜3日めにかけては、吸いたすぎて塀を乗り越えて買いに行こうかとも思いました。笑
結局、禁煙のためには矯正装置ならぬ矯正環境が必要なのかもしれません。
そこに自分の身を置くしかない。
【瞑想記一覧】
■出発する直前
■インドへ到着
■いよいよ修行開始
■修行の後半戦
■最終日